雨宮さんとは一体

そうして私は二回生の初めに映画サークル“バナネ”に入った。バナナの事を指すフランス語の単語であるが、一方で『アホ』を意味する事を知っていたか定かでない。サークルのメンバーは私を含めて五名ほど、名前もある種の特異性を持つところであったが、特筆すべきはその構成員が軒並み教養人であった事である。入学と同時に『善の研究』を読破した者、数学の世界に入り込み四次方程式の解の公式と結婚したもの、漫画の重量で下宿の床を破壊した者。多種多様な教養人がそこにいた。彼らに共通しているのはやはり大学という機関とその在籍期間に対する危機感の欠如であり、誰もが俗世離れした超然的な雰囲気を纏っているところであった。先輩はそんな彼ら彼女らを取りまとめるサークル長であった。立場がそうさせるのか、先輩は大学随一の教養人と謳われながら彼らより何処か超然的な部分が薄れているように感じられた。ちなみに先輩が大学院で研究しているのは妖怪学であった。私を勧誘した時に起こした超常現象を見るに、彼女自身が妖怪である可能性は否めなかったが、真偽は定かで無い。バナネは映画サークルを名乗っておきながら映画は学園祭用に一つ撮るばかりでそのほとんどの活動は酒を飲む事であった。週に何回か木屋町や先斗町、祇園辺りに繰り出し、同席した客に対して無用な教養を説き代金を払ってもらう。そのためバナネは“教養ヤクザ”という通り名がつけられていた。先輩はその通り名を面白がってよく自称していた。

「教養ヤクザのお通りよ! 道を開けなさい」

しかし学園祭が近くなるとその活動は息を潜めるようになった。映画を作らないとサークルに支給される飲み代が無くなるからである。頻繁に会議が行われ、教養人同士は己の無用な教養をぶつけて日夜映画について語らいあった。青春だ。身を焦がすような青春だったと思う。しかしそれが実際健全であったどうかは一抹の不安が残る。私とて遍く学問その他の雑多な教養を水のように摂取している一種の狂人である。それが故にサークルのメンバーと共鳴し合うことができていた可能性は否めず、外から眺めた時それは論理を失った支離滅裂とした会話でしかないようにも思われたからである。

「次の映画はどうします?」

「俺は常々思うのだ。映画はコピーであろう。しかしそれでいてコピーではない。映画館で上映されているコピーを見る俺はコピーを見たわけではないのだ。再現不可能、反復不可能な映画の限界であり映画館の限界なのだ。映画館から切り離された時俺は映画を見られていない。もう一度映画館に入らなければ映画は映画でないのだ」

「ならば映画館を計算しよう。全ては数学的ミクロのうちに分解することが可能だ。私がやろう。ざっと一京通り以上にはなるが問題はいらない。学校のスパコンを使わせてもらおう」

「いやいや待て、それはどう上映するかの問題であって、中身の話をしようよ。ストーリーだったりビジュアルだったり。そう言ったもの全てを表現しないと」

「それすら数式で表現して見せよう」

「はいはい分かったよ。とりあえず私がコンテ描くから君は演出、君は計算、君は劇場の設定ね。ところで美桜ちゃんはどう思う?」

「普通の映画が撮りたいです」

私の一言で、この年の文化祭では普通の映画が上映された。案外私は常識人枠だったのかもしれない。サークルに入信、失礼。入部してから、私はあの現象について幾度となく先輩に質問を繰り返した。現代の科学では証明できないような現象。日食でも起こらなければ日本時間の十四時に夜が訪れる頃などあり得ない。しかし先輩はのらりくらりとそれを躱し、いつもしまいには

「いずれ分かるよ」

 の一言で煙に巻くのであった。私はいつ真実を知るようになるのだろうか。それだけが気がかりであり、しかし私がその時を生きる理由にもなっていた。

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