第3話
「真紀はコンピュータに強いんだね。タイピングも速い」
隆二は小学生の頃、雑誌の投稿者が開発したコードを見よう見まねで打ち込んで、デジタル音源を再現していたことがある。とはいえ、自分で作り上げたわけではなく、あくまで手本を写して動かしていただけだ。
当時、隆二が手に入れたコンピュータは1台30万円もする代物で、まだフロッピーディスクが主流、保存媒体にカセットテープを使う人もいるような時代だった。隆二は右手の人差し指一本でポチポチとタイピングしていたが、今ではそんな自分が少し恥ずかしい気もする。
「親の影響かな。小さい頃から親がワープロを使ってたし、私もなんだかんだでコンピュータを使うのが日常になってたから」
「ブラインドタッチができるのは羨ましい」
「そのうちできるようになるよ、隆二も」
「だといいけど」
隆二は自信なさそうに答え、真紀の近くに空いているデスクを見つけて腰を下ろした。毎週木曜日はエッセイ形式の宿題があり、彼は心理学専攻の課題に取り組んでいた。隆二が心理学に興味を持ったのは、心理プロファイラーになりたいという思いからだ。当時、日本では馴染みの薄い職種だったが、アメリカでは犯罪捜査に欠かせない重要な役割だった。
大学で犯罪心理学を学ぼうと渡米したが、専攻としては提供されておらず、代わりに発達心理学を選び、関連クラスを受講しつつ犯罪学について独学で学ぶことにした。そのため、真紀のストーカーの話には妙に関心を引かれた。不謹慎かもしれないが、自分の学びたい分野が目の前で現実のケースとして起きているのは、ある意味奇跡だと感じた。彼はどうしてもそのストーカーを突き止めたいという強い衝動に駆られていた。
「真紀、ちょっと休憩しない?」
「うん、いいよ。先に行っててくれる? きりのいいところまで終わらせてから行くから」
「分かった。じゃあ、先に行ってる」
隆二はコンピューターセンターの入口近くのベンチに座り、タバコを一本取り出して火をつけた。
『なんだろうな、この感情。真紀のことが気になって仕方ない。彼女がいないとストーカーに狙われてるんじゃないかって、不安でたまらない』
隆二はタバコを深く吸い込み、数秒息を止めてから一気に煙を吐き出した。息を止めて一気に吐くと、軽くクラッとする感覚がたまらなく好きだった。
「隆二、私にも一本くれる?」
「ああ、いいよ」
そう言って、隆二はタバコの箱を真紀に渡した。彼女は一本取り出して口にくわえ、タイミングよく火をつけると、ゆっくりと吸い込んだ。
「隆二、宿題終わったの?」
「終わってるよ。俺のクラスは簡単だから。真紀は?」
「私も終わったよ。きりがいいところって言ったけど、結局全部片付けちゃった」
「そっか。他にやることは残ってないの?」
「うーん、メールをチェックするくらいかな」
「じゃあ、俺はちょっと調べものでもしようかな」
「隆二、今日もお願いね。寮まで」
「ああ、いいよ」
隆二はタバコの火を灰皿に押し付けて消した。
「ストーカーからのメール、その後どうなった?」
真紀は一瞬タバコを大きく吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。まるでその間が、言葉を選んでいるかのような沈黙に思えた。
「もし隆二がいなかったら…今頃どこかで襲われてるかもしれない」
「何言ってんだよ、急に」
「そいつ、今もあのコンピュータールームにいると思う。メールを確認してから来たの」
「なんで今そこにいるってわかるんだ? 何か証拠でもあった?」
「一枚、写真が添付してあった」
「どんな写真?」
「寮の一室を撮った写真」
「…まさか、真紀の部屋?」
真紀は深く最後のタバコを吸い込み、思いっきり煙を吐き出した。
「そう、私の部屋なの」
「………」
隆二は言葉を失った。部屋が知られているだけでも衝撃だが、女子寮の中にまで入られた可能性を思うと恐怖のレベルが一気に高まった。真紀が感じている恐怖は、きっとその何倍にもなるだろう。
「今日から、部屋の中まで送るよ」
「絶対ね。一人で歩く間、いつだってあいつが私に近づいてくる気がする。隆二がいなかったら、私どうなってたんだろう」
「そんなこと考えるな。真紀が寝るまで一緒にいるから」
「でも、他の寮には夜中2時以降は入れないじゃない」
「心配するな」
「絶対、守ってよ。私、守ってもらうに値する女になるから」
その言葉は妙に切なく、そして強い決意のように聞こえた。
独学で学んできた犯罪心理学は、まさにこういう時のためにある。隆二は、これが自分に与えられた使命のように感じざるを得なかった。何としても、真紀に付きまとうその男を突き止めるという思いが、頭の中を駆け巡っていた。
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