第5話 生命がけで日本の戦争を回避しようとした渡辺錠太郎

 二・二六事件で暗殺された渡辺錠太郎は「非戦思想」の持ち主であった。それ故、二・二六事件の標的となり、非業の死を遂げた。もし渡辺錠太郎が生きていたら日本の歴史は変わっていたかもしれないと、言われている。私が許せないのは八歳の娘の前で惨殺されたこと、陸軍教育総監という要職にあった渡辺を部下である陸軍歩兵連隊が襲撃したことである。

 渡辺は実家が貧乏であったため小学校を卒業し、中学進学ができなかったが、独学で士官学校の入学試験にトップで合格している。

 渡辺の身体に当たったタマは四十三発。まさしく「蜂の巣のようになって」撃たれていた。そして二・二六事件の襲撃目標とされた人物の中で、襲撃グループに応戦し、拳銃の弾を撃ち尽くした唯一「戦死」したのが渡辺であった。逃げることもできたはずがそうしなかった渡辺にとって、将兵の中に歩兵三連隊の兵という渡辺がいた部隊がまじっており、襟章を見たときどんなに無念であったことだろうか。

 どんな大義名分があったのか知らないが、家に押し入り対話することもなく一方的に攻撃し殺傷することなど強盗であって、帝国陸軍にあるまじき行為である。

 二・二六事件の解釈には難解な問題なので割愛させていただくが、私の「義烈空挺隊はつづくよ、どこまでも」において奥山道郎と諏訪部忠一(敬称略)が渡辺錠太郎を救出しにいくという夢物語を書いているのでお時間のある方はそちらも参照いただければ幸いである。

 

 渡辺錠太郎の愛娘渡辺和子氏は「置かれた場所で咲きなさい」の著者であり、二・二六事件の首謀者の一人安田優少尉の遺族の方と長年交友を交わし、和子氏が亡くなるまで約30年にわたって友好が続いたそうである。「憎しみ」を超えて「赦す」ことの大切さに到達した彼女の人間性に敬意を表したい。




【参照文献】

   岩井秀一郎  「渡辺錠太郎伝 」

         二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想


                            小学館







                    

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【Tea break 】戦時中の人物伝 館華カオル @tachibana-kaoru

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