第4話 特攻を志願する夫 藤井一 陸軍少佐
藤井は陸軍航空士官学校を卒業後、熊谷陸軍飛行学校の中隊長(教官)になった。優秀な教官ではあったが、歩兵科機関銃隊だった時に迫撃砲の破片を左手に受けて、操縦桿(そうじゅうかん)を握ることができなかった。
藤井は厳しいが、生徒からも慕われていた。戦局は日に日に厳しさを増し、「特攻」がはじまる。次々と、教え子たちが特攻に出撃していく。藤井は彼らに
「事あらば敵陣に、敵艦に自爆せよ。俺も必ずいく」と、言っていた。
責任感が強く熱血感だった藤井にとって、教え子たちだけ行かせることは、耐えられなかったのであろう。藤井は「特攻」を志願する。藤井は教官であって、パイロットではない。左手に障害があるため、操縦桿を握ることもできない。上は藤井の「特攻」を退(しりぞ)ける。だが、藤井は断られても断られても志願を続けていた。
そして、妻ふく子が夫が特攻を志願していることを知る。
「なぜ?どうして?」
二人の幼い子供たちもいる。上からの命令なら、あきらめられるが、自分から特攻を志願するなど、全くもって自殺行為でしかない。長女一子(三歳)、次女千恵子(生後四ヵ月)、かわいい盛り。二人の娘をおいて、特攻に行ってしまえば、私たちはこれからどうやって暮らしていけばいいのだろう。
真面目でやさしい夫である。夫の気持ちも十分わかるが、どうして夫が、特攻に行かなくてはならないのか。子供たちのこと、自分たちのこと、毎日説得を繰り返し、泣いたり、怒ったり、夫の気持ちを翻(ひるがえ)そうと、ありとあらゆる手段を講じた。だが、夫の気持ちを変えることはできなかった。
そして、ふく子は・・・
その日、ふく子は夫宛ての遺書を書き、二人の子供に晴れ着を着せ、次女の千恵子をおんぶし、長女の一子の手と自分の手をひもで結んで、埼玉県の荒川に身を投げた。
一二月の寒い朝、母子三人の溺死体が発見された。
ふく子の遺書には「私たちがいたのでは後顧(こうこ)の憂いになり、存分の活躍ができないことでしょう。お先に行って待っています」と書かれていた。
愛する夫をひきとめることができなかった妻の悲しみがあふれていた。
藤井は
「俺は、今日は涙を流すかもしれない。今日だけはかんべんしてくれ、わかってくれ」
と、ひとことだけ、呻(うめ)くように言った。藤井は三人の遺体の前で身体についた泥を手で丁寧にぬぐっていた。それはまるで三人の悲しみ、苦しみを払いのけようとしていたのかもしれない。
藤井はあらためて特攻を志願する。今度は軍も志願を受理した。パイロットではない者の特攻兵として、受理したのは「異例」のことであった。藤井は特攻隊長の訓練を受け、昭和二〇年二月八日、第六航空軍第三飛行集団付きの特別攻撃隊隊長となる。そして、五月二七日、第四五振武隊(快心隊)と名付けられる。藤井は小川彰少尉が操縦する機に通信員として搭乗。二五〇キロ爆弾を二発積載し、沖縄に向けて飛び立った。
最期の電信は「われ突入する」であった。
終戦のわずか二ヵ月半前、妻子が荒川で命を絶った、師走の一五日から五ヵ月後のことであった。
※参考文献 小名木善行「後世に語り継ぎたい 美しく猛き昭和の軍人たち」
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