0-11 不思議なお薬

 ヘリを降りた所で、丁度、階段の扉を開けた目星と合流した。一緒に居てほしい気持ちに嘘は無いので改めて謝るつもりは無かったが、あんな理不尽な怒りをぶつけてしまった後では気まずく目を逸らす。目星も何か思うところがあるような素振りで無精髭をなぞっていたが、横に回ると、パシン! と山舘の背中を叩いた。そのままシノたちの方へ向かって山舘を押して歩く。少し足が軽くなった気がする。それは学生時代、勝負事をふっかけてきた後で「おら行くぞ!」と会場へ山舘を引きずっていくときと同じ行動だった。


「山舘くん」


 山舘が近付くと、シノはにこやかに手招きした。津路はシノの腕の中で縮こまっていたが「山舘」という名前を聞いて肩を跳ねさせ、そろりそろりとこちらを振り向く。まだほろほろと涙を流しているものの、夕映えの瞳はもうそこに無く、空から見る朝焼けの桃色と澄んだ空色のグラデーションのような色味に変わっていた。きっとこれがこの子本来の瞳の色なのだ。良かった、と思うと同時に、なんと声を掛けるべきか思い悩む。


「芳人くん……」


 やっとのことで名前を呼ぶと、津路は更に顔をくしゃくしゃに歪めて泣き出してしまった。嗚咽を漏らしながら袖で涙を拭い、津路は山舘に向き直って頭を下げた。


「ごめんなさいぃ……!」


 山舘は予想だにしていなかった反応に驚いて、「なんでキミが謝るんだ!?」と慌てて津路に駆け寄った。津路はグズグズと泣きながら「だって俺、おれぇ……」と、まとまらない言葉で伝えようとしている。シノは目星にマイクの切れた無線機を渡した後、優しく津路の頭を撫でた。


「息を吸って。ゆっくりお話してみよう」


 津路は頷くと、深く息を吸った。


「父さんは悪くない、って……気付いてくれてた。山舘さんだけ、だったんだ。俺に謝ってくれたの。なのに、俺、手を振り払って、ずっと、青くて……ごめんなさい、言わなきゃなのに、って……」津路は山舘の袖をぎゅ、と握ってもう一度「ごめんなさい……」と消え入りそうな声を発した。

「そんな……僕こそ、もっと早く気付いていたら、……」


 津路は小さく頭を振った。一方で、目星は難しい顔をして呟く。


「津路……直人氏の利権騒動の話……? でも冤罪だったなんて記述、どこにも……」


 山舘はちらりと目星に視線をやって何かを言おうとしたが、歯がゆそうに口をつぐんだ。


「山舘さんが、来る、少し前」


 津路は掠れた声で言った。


「製薬会社の人が来たんだ。薬物依存症の人の治療薬プロジェクト……父さんは利権になんか手を出していない、おつらいですよね、って。でも、その日から父さんはおかしくなった。要らなければほかしといていただければ良いですから、って、これを置いて行ったんだ」


 津路はズボンのポケットから二錠用のPTPシートを取り出した。そのうち片方はすでに服用した後のようで、背面のアルミ箔が破られている。シノは表の薬品名を読んで、思い出すように指先でこめかみを叩きながら目を閉じた。


「コンセルタ……メチルフェニデートを主成分とした向精神薬だね。ノルアドレナリンとドーパミンを増加させる効果がある。つまり、集中力を高めて報酬系を活発にさせる薬だ」


 まさかシノが薬品に詳しいとは思わず、山舘は瞠目した。


「よく知ってるね」


 シノはパッと視線を向ける。


「え、貴方が言っていたんだよ」

「僕が? いつ……」

「ああ、成分については後で調べたのだけど」


 ひらひらと手を振って、シノは津路の顔を覗き込んだ。


「お薬、借りてもいい?」


 津路は頷いてシノの手の上に薬包を乗せる。シノは沈みゆく月光にかざすように薬を見回した。


「なんだかキラキラしている……お星さまみたい。コンセルタって、こんなお薬なの?」


 山舘たちにはキラキラしているようには見えなかったが、目星がシノの疑問に答える。


「いいや。コンセルタは普通の白色錠剤だぜ」


 じゃあ何だろう、不思議だ、と言い合っている横で捜査手帳を見返していた山舘はハッとした。


「ステラ……Stella? もしかして、ステラが混ざってるのか……?」


 目星は「なにそれ?」と山舘を見た。


「僕たちが『新種』と呼んでいた薬物が、ステラという名前だと判明したんだ」


 それを聞いて「嘘ぉ!?」と驚いてから、目星は眉を寄せて腕を組む。


「イタリア語の、Stella? 星みたいだからStellaってこと? え~、ありえなくもない、かぁ……?」

「だとしたら名付け親は随分なロマンチストだね」


 シノは少し笑ってから、津路に声を掛けた。


「津路くん、お父様はこれを異常な量摂取していたということはない?」

「ううん、1日1粒開いてたのしか見た事ない」


 津路が否定する様子を見て、山舘はその証言に間違いはないと捜査手帳に書き込みながら考えた。


「それなら正常なはずだ……それができるということは、おかしくなったと言っても真面目な直人氏の性格は残っていたことになる」

「製薬会社の人も1日1錠って言ってた……確かに苦しい顔ではなくなったよ。でも、……でも、目が」

「目が?」

「目が……」


 津路は視線を彷徨わせ、フェンスの側へ歩いた。ついて行くと、フェンスに手をかけた彼は「ああ、そうだ」と正面に指を差す。

 萬津橋町のビル群には再び明かりが灯りつつあった。入り組んだ街の至る所に設置されたテレビジョンにも、朝のニュースが流れ始めている。大通りに面したビルの一際大きい画面、そこにはミルクティーベージュの短髪を爽やかに整え、白色のスーツに身を包んだビジネスマンの姿があった。名前を紹介するテロップには海月石の販売部長、十月府に莫大な富をもたらした「篠本しのもと一博かずひろ」の名が掲げられている。津路はその目をジッと指し示しながら言った。


「丁度、あんなふうに」


 一博の目は、誰もが引き込まれる月のようなブルーグレーの美しい瞳だ。しかし津路はその光を直視したくなさそうに目を細めた。


「あんなふうに……恐ろしい程強く、輝いてたんだ」


 山舘はあの目に似た瞳を見た気がして視線を動かす。テレビジョンに目を奪われているシノ。輝き方こそ違うものの、その奥にある目の色は、一博にそっくりなブルーグレーだった。


 シノは山舘の視線に気付いたのか、ふと目を合わせて微笑む。


「もう、朝だね」

「あ……」


 山舘は始め、シノに言われたことを思い出した。


  『相棒に……なってくれるのかい?』

  『夜の間だけね』


 シノがそう言うということは、ついて来てくれるのはここまでということなのだろう。彼は後ろ手に軽く体を伸ばしてフェンスを離れる。


「津路くん、お話してくれてありがとう。お家には帰れそう?」


 津路はシノを見てほんのりと頬を染めながら「俺の方こそ、ありがとう……」と言って、視線を落とした。


「家には、まだ……あんま帰りたくないかも」

「そっか……」


 シノは「ならどうしよう」と口元と腰に手を当てる。山舘はもう、津路に手を差し伸べることを躊躇わなかった。


「じゃあ、しばらく警察署に来ないか? あー……保護……という形になるし、芳人くんが良ければ、だけど……」


 言いながら自信を無くしていくが、津路はそっとその手を取って旭光の目を輝かせた。


「見学、とか、できますか……!?」

「あ、ああ、勿論! 今日は薬物乱用防止教室もあるし、外回りもするし、夜は聞き込みも……!」


 目星はアタフタと言い募っていく山舘の二の腕を叩いて「その時間は寝かしてやんなよ」とツッコミを入れた。シノが小さく笑う。


「ふふ。良かった。もう迷子は居ないんだね」


 その迷子とは自分のことだ。山舘がそう感じて声がした方を見ると、もうそこにシノの姿は無かった。フェンスの向こうで、朝日が煌々と輝くばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る