第87話 本当の再会
転居というには引っ越し業者に頼むことなく、手際の良い依頼人がバンを手配しておいてくれて、そこ積めて往復すること二回。あっという間に移送は終わった。バンをレンタカー会社に返して新しい自宅へ。川風が冷たい。さすが冬である。雪は降ってない。曇ってはいるが。エントランス前で立ち止まって見上げた。新築の十八階建てマンション。その三階が根城になる。そういえば、卒論のまとめをしなければならない。教授の性格なのか方針なのか、指定された原稿用紙の枚数は多くはなく、あと数日で脱稿できる。なにかちょうどよい、そんな気になった。
ふと、足音が止まったのに気付いて見ると、そこにはあでやかな着物を着た女性が立っていた。あっけにとられ、事態を飲み込めない、何をしたらいいのかも思いつかない、そんな表情だった。俺も同じだったと思う。それでも、
「お能登さま、どうして」
どうにかこうにか絞り出した。声が震えた自覚があった。視界がぼやけ始めてグッと堪えた。
「私は、その、仕事で」
お能登さまも視点の定まらぬままに何とか答えようとしていた。確かにこのマンションは戸数がある。とはいえこの偶然に感謝の念すら浮かんでくる。
合図もなくエントランスに入った。部屋番号を開錠に打ち込もうとすると、
「え?」
お能登さまは手にしていた紙をクシャッと握った。
「志朗がなぜその部屋に?」
お能登さまがクシャクシャの紙を広げて見せた。住所、マンション名、部屋番号が書かれてあった。それは紛れもなく俺が住むことになった部屋の番号だった。
「俺は仕事でここにまず住むように言われていて」
「私も仕事に都合がいいと、ここで寝泊まりするよう言われていて」
二人してギクシャクした感じになって、モジモジしながら開いた自動ドアから入った。エレベーターで三階へ。ずっと無言のまま部屋の前まで。玄関の前でお先にどうぞと手を差し伸べたら
「私は鍵を持ってない」
お能登さまは明らかに照れていた。
「ここに来れば、案内してくれる者がいると言われていたから」
訳もなく無言でうなずいて俺は玄関を開けた。リビングへ向かう。確かに一人で住むにはこんな間取りは多すぎるとは思っていた。それにしても、こんな展開が待ち受けているとは。しかもリビングには俺の見知らぬ荷物がいつの間にか届いていた。何か直感が働いて寝室を開いた。ベッドがなくなっていた。代わりに布団が二組置かれていた。寝室のドアを閉め、リビングに戻った。手持無沙汰に立ち尽くすお能登さまがいた。とりあえず、
「お茶にしますか」
それ以外できることはなかった。お能登さまが美味いと言ったあのお茶がかろうじて残っていた。
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