第64話 弁天さん、何かに気づく
「だから、そういうところがだな」
弁天さんはゆっくりと頭を回した。
「あれ? 確かお能登は今回……。志朗、お前この島に来たことはなかったんだよな」
「はい、修学旅行の予定が組まれていた時がありましたが、予定通りに高熱を出し欠席をしたもので、それ以降はご縁がなくこれが初上陸です」
「あ、の、野郎ー。やってくれおったなー!」
弁天さんがそのお美しいお顔を何のためらいもなく修羅になさって立ち上がった。何にキレたのか知れないが、ここは一応貸家なので神的ビームみたいなことは自重してもらいたい。
「志朗! ……」
俺を指差したのはいいが、奥歯に物が挟まったどころか、前歯をつきたての餅で固められたような顔になって、指も中空を踊ってしまっていた。その身は決め技に入る前のプロレスラーのようにくねっていた。
「ああ、もう! そう! 腹が減った。夜食だ!」
どうしようもないことを言われてもどうしようもないが、どうしようかやりようがあることなので、要求にこたえることにした。さいわい、鍋のつゆが残っていたので雑炊を作った。
「あっつ」
だからフウフウしてからレンゲを入れればいいのに、そんなに慌てて食べるから。湯呑みの時の反省はないのかい。
「それどころではない。食わねば腹の虫がおさまらん」
座布団を差し上げよう。二枚くらい。非常に上手いことを言う。持った茶碗から俺を睨んで、それでもレンゲを離そうとしなかった。だから、そういう行儀をさ、ちゃんと守ろうよ、神なんだから。
「これくらいで私の気を収めてやるんだ。ありがたく思え」
その憤怒の原因は決して俺ではないだろうから、俺に謝意を求めるのは筋違いだろう。けれど言わないでおく。さすがにこれ以上突っつくと何が跳ねかえって来るかしれない。俺も雑炊をゆっくりと食べることにした。
しばらく雑炊を食う音だけがあった。
「ごっつおうさん」
関取でももっと滑舌よく食事を終えるだろう合唱をして、弁天さんは楊枝を歯に刺した。言われる前にお茶を淹れた。俺は少し遅れて食べ終え、弁天さんの茶碗も取って自分の茶碗に重ねて席を立った。洗い場へ行こうとしたら、
「ただじゃおかんからな」
俺には弁天さんがそう言ったように聞こえた。振り向かなかった。聞き返さなかった。その声からおそらくは尋常ならざる怒髪の表情であると十全に分かった。
茶碗類を洗って戻ると、弁天さんはテーブルに突っ伏して寝ていた。
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