第58話 過去

 今からはるか昔。人々の多くが鎧を身に着け、刀を持ち、日々争い合っていた頃のことだ。

 ある国に統領がいた。国と言っても今でいう地方自治とかの行政単位のことだと思えばいい。その統領というのは武芸を極めるよりも、人心を治めることに長けていた。

 その国に日照りが続き、作物の生育に影響が著しい時があった。人知れぬ地方に神通力に富む巫女が住んでいると聞き及んだ統領は人を使いによこした。一度、二度丁重の断りの後、統領自ら足を運び、巫女に国の内情を話した。巫女が祈祷をすると早速雨が降り、農地を潤わせた。それ以来統領は足しげく巫女の下に通うようになった。内政の安定、産業の振興、文化の形成など国がそれまで以上に豊かになっていった。その分、国を狙う諸国が当然現れる。対外的緊張が高まり、交渉や戦略に心を割く日々。統領の癒しは巫女だった。その状況で一人の巫女に心を砕くことを良しとしない家臣は当然いる。巫女は辞退し統領も賛同はしかねていたが、家臣たちは統領が足を運ぶくらいならとその巫女を城に住まわせることにした。統領以外は知らなかったが、その巫女は神通力だけではなく、美麗な容貌や文芸的素養、身のこなしなどまるで優秀な宮仕えと呼んで差し支えなかった。それは城の女中たちの嫉妬を招いた。あらぬ噂、悪質な嫌がらせ、そこに来なければ心痛めることはなかったことに巫女は悲しんだ。けれども、国と国を思う統領のためにそれを必死にこらえた。統領と会えるひと時が巫女にとっても心の安寧になっていたのだ。

 豊かになって行く国と、それによってさらに狙われるようになって行く状況。争いを避けるために施していた数々の戦術も均衡策も行き詰まった。というより他国にしてみればもうそれに従う気はなくなっていたのだ。言いがかり、因縁をつけての開戦。敵の敵は友とはよく言ったもので、その国を妬む諸国が結託をした。

 どこで知ったのか巫女の存在が諸国に漏れた。家臣か女中か、情報漏洩に関する怪しい人間を数えればきりがない。諸国は停戦条件として巫女を差し出すように要求してきた。統領は拒否していた。しかし、国を思えば他に策はない。その心中を察せない巫女ではない。いよいよの日が近づいていた。統領が自らの首で終結するよう諸国に提示。諸国は納得しかけた。ところが、それは破断された。統領の家臣らによって。巫女の力を過大に吹聴して回ったのだ。巫女を諸国の共有財産として国々を豊かにしようと、そんなことを言い出したのだ。激怒した統領を諌めようとしたが、統領はそれならば討ち死にすると言い出した。実際、戦況は悪化した。統領の許しを請わずに家臣が巫女に提案した。神通力に富んだ巫女が国のためにその身をささげれば、国が惨事から免れないことはない、この戦況を打破するにはもうそれ以外にないと。まもなく、巫女は自死した。戦況は好転。諸国は撤退。もう国は侵攻しないと無条件に講和した。城に帰った統領は巫女のことを聞いた。統領は喪に服した。一方、家臣も女中も慄いた。なぜなら、巫女を自死に追い込んだ案など、彼らの作為だったからだ。一か月も経ずに巫女を貶めた家臣や女中は全員死んだ。理由は知れない。事故でも殺傷でもなく突然に。原因不明の負傷や体調不良などを含めれば、もはや行政に関わる役人のほとんどといいくらいだった。後々に知れたことだが、それらはその国ばかりの現象ではなかった。敵対していた諸国にまで及んでいたのだ。

 その状況を統領は驚くこともなかった。淡々と治世にのぞんだ。結婚も妾をとることもなかった。ただひたすら国を守ることに尽力した。国自体は統領の死後またたくまに豊かではなくなっていった。しかし、かといって貧困にあえぐということもなくなった。細々と生きているのか死んでいるのか分からない国になった。

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