第44話 訪問者
次の昼前だった。玄関から音がした。来客かはたまた今度こそ近所の人か、弁天さんやお能登さまに出てもらうわけにはいかない。気持ち大き目な返事をしながら、いそいそとサンダルを履いて玄関を開けた。
「えっと」
先方が言いかけている最中、俺は玄関を一度閉めてしまった。健康食品の飛び込みでもなければ、宗教の勧誘でもない。だとしたら、俺は遠慮もなく追っ払うところだ。人は視認したものがあまりにも突飛すぎると再確認をしたくなるのだ。つまりは玄関を閉じるということはそのための緩衝剤。一度視覚及び脳内の神経伝達物質を正常へリセットするのだ。浅くも深くもない息を一つついて玄関をもう一度開けた。
「どうも。おはよ、……こん、こんにちは」
頭を下げていた。トナカイが。日本語をしゃべって。さすがに、
「お能登さまーっ」
絶叫とともに居間へダッシュした。救助を求めるにはそれしかなかった。
「ト、トナ、トナカイが」
かなり動揺していた。でかい鳥も岩の精霊も白い蛇もそこにいたから驚きはしたがどうしようもなく、鬼にしても何にしてもそこにお能登さまと弁天さんがいたからこそ、命に及ぶことはあるまいという打算によってヘッピリ腰にならずにすんでいた。ところが、今回は先方から乗り込んできたのだ。頭に浮かんだのは先日食した鹿肉。よもやお礼参りか、だとしたら一日のタイムラグは、いやそもそも鬼が送ってきたのであって殺傷のプロセスの責任は鬼の方にあるはずで、いやそれにしても食ったのは俺だし、そうなればお能登さまと弁天さんが……などと取り留めもない思考がシナプスを行ったり来たりしていると、お能登さまが眉を寄せて立ち上がった。
「あら、まあ」
弁天さんはまったく獅子舞を見るような感じでついて行った。俺も置き去りは遠慮願いたい。お能登さまと弁天さんが移動し、俺以外いなくなった居間にまさに乗り込んできて、角によって体をつき抜かれるなんてことがあったら、たまらない。ダッシュで追いかけた。すると、
「どうしたというのだ」
お能登さまが腕を組んでいた。先方と目を合わせて、困ったような顔をしている。
「それはこちらの話しです、お能登様」
どうやらトナカイはお能登さまとお知り合いらしい。しかも、双方に懸案についての事前了解がある模様。
「へえ、こちらがねえ」
一方の弁天さんがサンダルを履いて、舐めるようにトナカイの体躯を見つめている。
「お能登様、こちらは?」
「弁天よ」
しかめっ面のトナカイは、ぶっきらぼうなお能登さまの返答に慌てた様子で頭を下げた。
「これはこれは失礼をいたしました。私はお能登様の」
「ああ、いいからいいから。そういうの」
慇懃なトナカイを遮って手を振りながらも、まだ見続けた。しまいにはその背に手を乗せて肌触りを確かめているようだ。
どうやらお礼参りではなさそうだという一点にのみ安堵した。トナカイがしゃべるとかについてはもうすでに免疫ができてしまっていてまったく驚かなかった自分に驚いたり、情けなかったり。
「お能登、志朗がひどいことになっているわよ」
トナカイに並んだ弁天さんが目ざとくあんぐりと開いた俺のアホ面を見つけたようだった。
「ああ、そうか。ええっと」
お能登さまは簪に触れないように頭に手を置いて思案し出した。俺を一瞬見て口を開こうとしたが、すぐに閉じて再び沈黙。逡巡をしているようだった。
「人の姿になれ」
吹っ切ったのか、頭から手を離すとトナカイに命令をした。
「御意」
トナカイは首を垂れてから後ずさりした。弁天さんと距離を作ると一回転した。するとトナカイが人の姿になった。メガネをかけたビキニ姿の巨乳姿に。
「ヘッキュション」
瞬く間にくしゃみをした。
「違うわー!」
お能登さま、絶叫の叱責。俺は反射的にダッシュ。季節外れの海水浴客の手を引っ張って家に入れた。お能登さまはまたしても頭に手を置き、弁天さんはジト目になって重い足取りで入って来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます