第32話 祭事
起床から朝の食卓、そして乗車まで軽快な弁天さんのおちょくりは相も変わらずで、お能登さまは煩悩と悪夢に苛まれる修行僧のように平静を装い続けた。
弁天さんのご指示を賜り、取りそろえた品々を手に大野亀へ。快晴とは言えないものの、曇り空というわけでもなく、風も強くは吹いていなかったし、幸いにして観光客はおらず、何をおっ始めても即通報の憂き目にあわなさそうな分だけましとしなければならない。一升ビンの酒、二キロの米、一キロの塩、尾頭付きの鯛、他キャベツ一つ、リンゴ五個などなど。それらを広げたビニールシートに載せた。
「よし、始めるか」
まったく緊張感も荘重さもなく、弁天さんは中空からマント、もとい羽織り物を取り出して翻させた。すると祝詞、らしき文言を唱え始め、さらには踊り始めた。おひとりで。その際中、一升ビンの酒や米、塩をまき始めたり、キャベツやリンゴを投げ始めたりした時にはさすがに羽交い絞めをしなければならないかと身を乗り出した。が、奇妙奇天烈なことに酒は不鮮明だったが、米も塩もキャベツもリンゴも中空に放られ最高到達点に達する前とか、落下途中で消えたのだ。これならば散らかしたり、ゴミを放置した等の咎で訴えられたりすることないだろうが、事前に教えてもらいたかった。心中が穏やかではない。ところがお能登さまの方は驚く様子も、弁天さんに飛びかかる様子もなく、まじまじと儀式を見つめていた。
「ねえ、疲れた~」
どうやら終えたのだろう。気を付けをして一礼した後、羽織り物を宙に放り、それが消えると崩れるように弁天さんが吐くように嘆いた。ビニールシートを片付けていると、
「いやはやご足労いただきまして誠に感謝申し上げる」
巨大亀の、もとい岩の精霊の声がした。先日とは違い実に生き生きとした声だった。憑き物が落ちたというか、熟睡ができたというか、マッサージを十分してもらった後というか、そんな感じの快活さだった。
「ではお能登殿、これを」
頂から小さな点が迫ってきた。見る見るうちに何かが分かった。卵である。近づくにつれスピードが緩み、やんわりとお能登さまの手中に。数字が書いてあった。紛れもない例の卵である。明らかにほっとした表情になったお能登さまに、
「ねえ、お能登。私には~」
「弁天殿、ここは私が」
確かに直接的等価交換であれば、精霊と弁天さんの需要と供給の関係なのだが、
「んにゃ、もらうのは私。ということは請求先の選択は私次第、ってことだよね」
俺に振るな。
「それでは筋が」
と言い始めた精霊に分があるし、お能登さまが閻魔様も慄きそうなくらいに睨んでくる。
「いいの、いいの。引きこもってたらから運動になったし、どらいぶに同乗できたし、私もらってないのはお能登からだけだから」
神様の理屈は不条理である、なんてことを言っていられないほどにお能登さまから憤怒のオーラが湧きだしている。
「お能登殿の気が……」
心配する依頼主に対して、
「大丈夫、大丈夫。じゃ、また遊びに来るね~。ほらそれ届けに行かないといけないんじゃないの」
さっさとその場から去ろうとする弁天さん。俺は果たして何をすればいい。白い蛇の言葉がよぎる。
「お能登さま……」
「志朗がそんな顔をするな。まったく」
俺はどんな顔をしていただろう。お能登さまがあきれて、それでも怒りの矛を収めてくれるような表情とはいったい。
「それではお暇させていただきます。どうぞご自愛ください」
お能登さまが大野亀に向かって深々と一礼するから俺も後に続いて一礼。
「感謝申す。道中お気をつけて」
精霊から交通安全を祈願された。きっと事故には合わないだろう。根拠はないが。これでようやく本題に戻れる。それでも先をずんずん進むお能登さまの背中がやたらに寒そうに見えたのは、きっと曇りが広がっているせいではないだろう。
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