第24話 お能登さま、落ち着かない

 曇りの朝だった。そのせいか、はたまた慣れない道を長時間運転した緊張感と疲労感のせいかいつもより遅く起きた。居間に行くと、

「おはよう、志朗」

 割烹着姿のお能登さまがいた。

「顔を洗って来い。食事はできている」

 ダイニングテーブルは料亭みたいになっていた。いったい何時に起きていたのやら。

 顔を洗ってから着席すると、ちょうどそのタイミングで味噌汁が置かれた。割烹着を取ったお能登さまは、前日までが嘘のように地味な色合いの着物だった。まるでその朝の天気と同じである。その件を尋ねようと口を開いた瞬間、

「では、いただこう」

 完全にシャットアウトされてしまった。

「あ、うま」

 味噌汁を啜って思わず反射的に出た感想。平然とこれを作ってしまう以上、市販の出汁入りの味噌が気に食わなかったのも致し方ない。

 致し方ないことはないのは現在のお能登さまであり、それは昨晩、大野亀からの帰路以降継続中なブレブレ状態だった。お気に入りの魚料理でさえも箸先でチビチビ摘むやら、また移動が予想されるからランチ用に準備をするかと「弁……」と言い出したら体をびくつかせるやら――もちろん“弁当”と言おうとしただけで、決して“弁天”と言おうとしたわけではない、断じて。なぜなら“弁”と言っただけで狙いを定めたライオンのように睨まれてしまった――、食後に一献空けると演歌の発声練習のようなため息をつくやら、その他もろもろと落ち着きのない様子だった。というか相当に嫌なことだがやらなければならず、踏ん切りをつけなければならないし、それを分かってはいるが、やはり依然として決めきれない感じだった。学生だった頃、定期試験は面倒だったが、さすがに俺でもここまで歴然とやりきれなさを出した覚えはない。

 とはいえ、朝食の箸の運びはスムーズだった。いや、これはスムーズとは言えない。かえって不自然だった。食事同様胃酸で消化させたい事案らしい。

「今日、志朗は好きにしていていいぞ。私に付き合って疲れているだろう。ゆっくり休んでくれ」

 お浸しを飲みこんでから、えらく早口で言った。

「現にほら、今朝だって遅く起き、途端にあくびをしているくらいではないか。なんなら朝食の後に再び寝入ってくれてかまわんぞ。昼食も私がこしらえよう。志朗の嗜好はまだよく分からんが、私は料理には心得があってな、いやしかし、和食以外を所望されると時間がかか……よし昼食は、いな夕食も和食はやめよう。ええっと」

 まったく俺に目を合わせようとしなかった。弁天さんに会うのは俺の仕事ではないから、お能登さまが気乗りしない限り発車しないのは、たいして気に留めるようなことではない。それに、確かに休みがもらえるのはありがたいことだった。別に疲労困憊というわけでもないし、行くのが嫌というわけでもない。休みだからといって何かやりたいこと、やるべきことがあるわけでもない。ただなんとなくボケーッと時を過ごすのも悪くはないかと軽く思うレベルはあった。龍安寺の石庭を胡坐をかいて眺めるみたいに、せっかく海の傍に家があるんだから、海を見ながらビール飲むくらいの時間の使い方は決して無駄ではないだろう。

「よし、志朗。まず書店に行こう。料理の本を買って、西洋や中華の料理に挑んでみよう。そうか、ライスカリーは確か……それから買い物だ。今日は忙しくなるぞ」

 妙にウキウキしながらの早口だった。

 徒歩十五分圏内に小さな書店があったのだが、「それはまかりならん」という駄々をこねられたため、結局は国道を三十分ほど進んだツタヤに行く羽目になった。立ち読みや本の取捨選別や隣接のタリーズでのコーヒーブレークや買い物や、なんだかんだで本当に時間を食ってしまった。お能登さま作成のライスカリーは確かに美味くて、それまで食べたものとはまるで違ってはいた。いたけれども、結局俺は昼寝も海岸でビールも嗜む時間はなかった。


 翌日は日帰り温泉に行った。俺の疲れを癒すためらしい。お能登さまの方が長風呂だったが。

「よし、志朗。参るぞ」

 鉢巻をする勢いで、決然として玄関を出たのはその翌日だった。

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