第43話

 このまま押し込みたい。

 ここで点を取られてしまったら点差は縮まらない。

 皆んながその危機感を共有しているのがわかった。その矢先のプレーだった。

 全員で懸命にディフェンスから攻撃に転じ、ボールを持った沙織んは、迷いなくゴール下へ突き進む。でも、前に立ちはだかったビクトリアと激突してしまうのだった。

 大きな衝突音が響き渡り、二人はその場に倒れ込んだ。ボールはそのままゴールネットに入る。


「沙織ん!」


 思わず皆んなで叫んで駆け寄った。


「大丈夫?」


 沙織んは痛みに顔をしかめながらも、私たちにニヤリとして、「何言ってんの? 当たり前じゃん」と言ったあとに仲間の手を借りて立ち上がると、いつもの調子でさらりと「一本決めたら、ディフェンスだよ!」と言い残してからゴールの前にあるサークル内に向かっていった。

 そしてビクトリアのファウルが宣告され、フリースローが与えられる。


 一方で、相手チームの選手たちもビクトリアに駆け寄って声をかけていた。


「平気?」

「ナイスファイト」


 敵ながら良いチームだ。チームの結束力を感じる。

 それに、沙織んに対してビクトリアが申し訳なさそうに、大丈夫? ごめんね、と謝っている光景を目にして、何だかパッケージと中身が違うみたいだな、と思った。

 沙織んは与えられたフリースローをきっちりと決め、見事に一点を積み上げて三点プレーを完成させる。

 その後、私も気合いでディープスリーを決めて、星ヶ丘の攻撃時にボールが外に出るとブザーが鳴る。結衣だ。

 そしてスコアラーズテーブルからやってきた結衣は、私の心配をよそにして言うのだった。涼しい顔で。小さく手を上げて一言。


「待たせた」



 祐天寺の応援席は、まるで火がついたように歓声が上がっていた。


「かあーっ、すげー! 野々原のディープスリー、3ポイントラインから三メートルは離れてたんじゃねぇか? 連続九得点、点差ついに十点切ったぞ!」

 滝本のボルテージも、これまでにないほど最高潮だ。


「まじ、江口!」


 きっと、エグい、と言いたいのだろう。

 コートでは斎名が怒涛の攻撃を仕掛け、スピードに乗ったドライブに正確無比なミドルシュート、そのすべてが冴えわたり、会場の空気を完全に支配しようとしていた。

 けど、相手も黙っていなかった。四番が鋭いステップで抜き去ってゴールを決めると、まるで挑発するかのように微笑んでいる。

 斎名がシュートを決めれば、四番も負けじと3ポイントを沈める。斎名の速攻には、四番がタフなレイアップで応戦する。互いに点を取り合う展開は、緊張感を増すばかりだった。


「おい、なんだこれ。斎名のやつ、周りには一切目をくれないぞ! 異次元の戦いかよ……」


 たまらず、相手チームのタイムアウトが入った。


 この短い休憩時間に、星ヶ丘がどんな対策を練るのか。当然、黙ってはいないだろう。それでも、今の流れは完全に祐天寺に傾いている。逆転の狼煙が上がったのは間違いない。

 その様子を見つめながら、心の中がざわついて仕方なかった。

 前に試合を観たときと同じ感覚。何かが心を突き動かす。手は自然と拳を握っていて、気づけば汗が滲んでいた。

 それは、頭の中で何かがぐるぐると回る、どこかで覚えのある焦燥感と期待感。


 それと、懐かしさのような……もの。


 俺も、この歓声をどこかで。



 4クォーター、残り五分を切った。

 スコアボードに映る数字が重くのしかかる。あと十二点。点差が縮まらない。心臓が暴れ回って息を整えるのも難しい。

 一人で奮闘していた結衣の表情にも限界の色が見える。星ヶ丘は高さを中心とした攻撃と堅実な守りで、確実に押し込んできていた。


 ——私がやらなきゃ。


 頭でそう思うのに体がついていかない。焦りが足元をすくう。ドリブルで相手を抜き去る瞬間に足がもつれて転んでしまい、ボールはラインを越え相手ボールになってしまった。


 打たなきゃいけないのにっ。

 私はシューターだ。


 その思いを、ぐっと噛み締めながら立ちあがろうとしたときだった。

 視界の端に映る。見覚えのある人影が。声援の中から、彼の声が届く気がした。


 どうしてだろう。


 すっと胸の奥が熱くなった。嬉しい。こんな状況で、何かが満ちるような気がする。


 来てくれたんだ。鳴海君。


 頭の中で再生されるのは、過去の鳴海君に言われた言葉。ディフェンスが固く打たせてもらえないとき。タフショットが連続するとき。


『——迷わず打つ。1%の可能性でも、打たなければそれすらも無駄になる』


 震える足を押さえ込みながら立ち上がると、沙織んと結衣が駆け寄ってくる。


「いける?」


 と、私の目をじっと見て確認した沙織んは「いけるよね!」と力強い声で私の気持ちを押し出してから「パス回すよ」と言ってすぐに離れていく。


 結衣は「スクリーンかけるから。シュートレンジ広げていいよ」と、今にも倒れそうにフラフラになりながら持ち場へ戻っていった。


 他のメンバーやベンチの皆んなからも、私への信頼が詰まっているのがわかる。

 胸が熱くなって、もう一度、手を握りしめる。



 気づけば、もうずっと立ちっぱなしだった。


 残りあと一分。


 隣の滝本も、応援席の皆んなと一緒に声を張り上げている。

 野々原と斎名の両サイドの踏ん張りで、ついに点差は四点差まで詰め寄っていた。


 背中が見えた——星ヶ丘の焦りが伝わってくる。


 相手選手たちの必死の形相が、祐天寺の勢いを物語っていた。

 手に汗握る展開とは、まさにこのことをいうのだろう。俺は全身でその空気を感じながら、声を張り上げていた。頑張れ、と。


 ——あと少しで全国だ……


 ふと、頭を過ぎった言葉。


 全国?


 何だか急に頭の中が、ふわりとした。

 バスケットゴールのある公園で……眩しい陽射しの中で……ボールをつく音だけが聞こえてくる。


 何だ? 光の中で唐突に思う。


 俺も……全国に?


 ……野々原と一緒に?



 3ポイントシュートを沈めて、この日、八本目のシュートを狙った。

 ——絶対、決める! その瞬間だ。


 ——えっ。


 急に横から駆け寄ってきた選手にシュートブロックされたのは。——くそ。こんなときに。


 見ると、野緑だった。


 お互い激しく息を切らしながら視線が合う。すると野緑がすぐさま声を張り上げた。


「——八番マークつきます!」



 ——くそっ。またシュートブロックだ。

 時間がない。あと四点が、こんなにも遠い。

 一秒、一秒が、こんなにも重く感じるなんて。


 結衣に対したときもすごかったけど、この時間帯からの執拗しつように食らいつくディフェンスは、凄まじいものがあった。


 全身から噴き出してくる汗と一緒に、中学最後の試合が、ついこないだのように思い出される。


 あのとき、野緑のマークに何もできなかった自分。何度も何度もボールがリングに弾かれて、悔しくてたまらなかった自分。涙をこらえながら、それでも足が震えて動かなかった、あの試合。


 でも、私は——


 目の前の野緑を見ると、燃え上がる気持ちと共に指先に力がこもる。


 もう、あのときの私じゃない。

 私は来る日も来る日も、ひたすらシュートを打ち続けてきたんだ。

 あの悔しさをもう二度と味わいたくない。


 それだけを支えにして。


 そう思った瞬間、体が動いていた。

 必死にボールを追いかけ、相手のパスをカットする。そして、野緑を振り切ってから、すぐに素早く相手コートまでドリブルで運び、3ポイントラインの外で立ち止まってボールを放つ。


 ボールがリングに吸い込まれた瞬間だ。

 会場中がどよめきに包まれた。

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