第42話

 ウィンターカップ都予選、最後の試合。


 祐天寺高校対——

 星ヶ丘学園。


 コートサイドには強烈な熱気が渦巻く。

 観客席からは大歓声が響き渡っていて、コーチからの指示もかき消されそうだった。その声は冷静さを心がけてはいるのだろうけど、肌を刺すように溢れ出した気持ちが伝わってきた。

 前の試合の結果により、ウィンターカップに出場できるのは、この試合に勝った方だけ。


 これほど大きな会場で試合をできるとは。

 二階席まである。


 コートに立って観客席にふと目を向けると、はっきりと家族の姿が見えた。思ったよりも距離感が近い。それと、杏や男バスの皆んなも応援に駆けつけてくれている。


 手探り状態だったけど、ついにここまできた。


 試合開始合図の電子ブザーが鳴って、思わず両拳を小さく握った。


 ——頑張れ、私っ。


 コートの中央に向かう前に、誰かが何かを言うこともなく、ごく自然と試合に出る五人が沙織んの元に集まって円陣となる。初めてのことだった。


 沙織んは一人一人の顔を見渡してから口を開き、

「最初はキャプテンなんて、自分には無理だと思ってたけど——」

 と、結衣に視線を移し、にやりと笑みを浮かべてから話を続ける。


「皆んなのおかげで、ここまでやってこれたと思う。だから辛い練習も乗り越えてこれた」


 メンバーそれぞれの想いが、ひしひしと伝わってくる。


 沙織んは「皆んなそれぞれ思いはあると思う」と前置きをしてから、もう一度、全員の目を順番に見つめていく。最後は私だった。

 そしてキャプテンの大きな声が胸の中で共鳴して、私の心を突き動かした。


「絶対、勝とう! 走り負けるなっ!」



 祐天寺の試合の入りはよかった。

 試合開始直後、私の打った3ポイントシュートが立て続けに二本とも綺麗にリングを通過した。

 思わず湧き上がる感覚を抑えられなかったけど、その余韻は長くは続かない。

 星ヶ丘のビクトリアが、まるでお手本のようなシュートで連続2点を決め返し、その圧倒的なゴール下の得点力からは、押し返すような重圧を感じる。


 でも、うちのエースの調子もよさそうだ。


 たまらず、沙織んのパスを受けた結衣は、迷いのないプレーで応戦する。その気迫たるや、目を奪われるほどだった。

 野緑のディフェンスを華麗にかわし、放たれたシュートがネットを揺らした瞬間、応援席から歓声が沸き上がる。

 その声が、私たちに力を与えてくれる。



 駆け込んだ駅の改札口で、取り出そうとしたスマホが勢い余って手から滑り落ちた。


「あっ!」


 無情にも地面に落ちたスマホは俺に愛想あいそを尽かしたのか、一瞬だけ画面を光らせる。焦るあまり改札の機械に通せず、後ろに列を作ってしまう。


「す、すみません!」



 ホームにたどり着くと、少しばかり人がまばらだ。次の電車が来るまで、あと数分ある。息を整えながらスマホに目をやると、祐天寺の試合がもう始まっている時間だった。

 試合は1クォーター十分で、4クォーターまである。間に合うだろうか。


 ……たく、俺は何をやってるんだ。


 焦る気持ちを抑えることができない。ホームのベンチに座ると、思わず息がこぼれた。スマホを見るたびに時間が進む感覚が薄れ、逆に止まっているような気さえする。

 とりあえずスマホの地図アプリを開いて、会場の場所を確認することにした。



 試合は一進一退が続いていた。

 祐天寺は結衣にボールを集め、星ヶ丘はキャプテンを中心として確実に攻めてくる。背番号四番がボールを持つたびに、目を見張るプレーだった。

 そのディフェンスを軽く抜き去るステップと、完成された流れるようなジャンプシュート。私はすぐさま守備に意識を集中させる。

 

 ……これが全国大会常連の強豪校。一瞬でも気を抜けば感情に飲み込まれる。


 でも、私にだって譲れないものがある。


「桃っ」


 私は沙織んのパスを受け、ディープスリーを放つ。

 ゴールまでの距離は、まずまず。四番の意表をついてディフェンスのタイミングもずらした。——絶対入るっ。

 勝ちたい。その気持ちが、全身を突き動かしていた。ゴールネットが揺れると同時に、湧き上がる歓声に包まれる。



 序盤の1クォーターは、両チーム21対20。わずかなリードを守ったまま、最初の区切りを迎えた。ベンチに戻ると、熱のこもった声が飛び交う。


「ナイス、ファイト!」

「いい感じ、いける、いけるよ!」

「桃っ、ナイス、スリー!」


 試合のメンバー同士も顔を合わせ、「いける、いける」と声をかけ合う。


 その言葉は、まるで汗に染み込む水分のように体に力を巡らせていく。

 まだ序盤だというのに、もう全身が試合の熱気に包まれていた。タオルで汗を拭きながら、水を一口含んだ。


「次も、この流れでいくよ!」


 沙織んが明るい声で手を挙げると、皆んなが一斉に頷いて、熱い鼓動がまた一つ心の奥底で鳴り響く。

 そして、再びコートへ——。



 ここか。


 急いで会場の中に入ると、ざわめく観客席と歓声が耳に飛び込んできた。視線を巡らせ滝本の姿を見つけて、真っ直ぐ駆け寄った。


「おい、おせーぞ、純!」


 立ち上がって睨みつける滝本に言われる。


「わるい」


 そう答えるのがやっとで、息を整えながら隣に座ってからスコアボードに目をやった。

 2クォーターが終わったところか。得点は……


「ずいぶんと離されてるな?」


 思わず訊いていた。十七点差で祐天寺は相手に大きくリードされていた。


「あーん?」


 滝本は息を巻いていた。


「純が早く来ねーからだろ! 野々原は2クォーターの途中でベンチに下がっちまったし」

「調子わるいのか?」

「いや、最初はよかった。けど、2クォーターに入って対策されてってやつだな。てかマッチアップの相手、U18。あの四番、やっぱ強いわ。星ヶ丘のキャプテンやってるだけあるわ」


 さすが全国優勝を目指しているだけあるってことか。

 コートサイドに目を落とすと、留学生らしき長身選手の姿も見えた。……俺より大きそうだな。


「あぁぁー」


 滝本は苛立ちを見せてから「エースの斎名も、あの十五番に完全におさえこまれちまってるしな」と、コートに視線を向けた。


 背番号十五。


「二年生か?」


 雰囲気で何となく思った。


「だな。今大会、ディフェンス、ナンバーワンって評判だ」



 ハーフタイムのベンチは、どこか重たい空気に包まれていた。

 コーチの指示が冷静な口調で飛び交う中、結衣は肩を落としていた。見渡すと、体力の消耗がきついのか、皆んな肩で息をしていてかなり辛そうだ。

 あっという間に時間が過ぎ、3クォーター開始の合図が鳴る。

 そしてコーチの采配で、結衣と私が交代でコートに立つことが告げられると、チームメイトたちの目が一瞬、不安に揺れるのがわかった。エースの結衣が下がるのは、これまで見たことのない展開だ。


「え、攻撃は……誰が?」


 一人の選手が不安げに問いかけると、コーチは自信たっぷりに沙織んの肩をぽんと叩き、力強く答えた。


「そんなの、うちのキャプテンに決まってるでしょ!」



 ベンチを離れるとき、背中越しに聞こえた。

 結衣に向けられた、力強くどこか温かさを感じさせる言葉が。


「あなたがいてよかった。あなたがいなければ、もっと点差は開いてた。試合を見ながら指示を聞いてくれる? すぐに、また行くから」



 結衣がいないことに拍子抜けしたのか、開始直後の星ヶ丘の選手たちの表情に、わずかな戸惑いが見えた気がした。

 この点差だ。私が狙い目になるのは間違いない。相手が私の3ポイントシュートを警戒しているのは、視線や動きでわかった。


 それなら……


 シュートフェイクで相手を引きつけてからパスを出した私は、思わず声を張り上げていた。


「沙織んっ! フリー!!」


 その直後、絶妙なタイミングでボールを受け取った沙織んの3ポイントシュートがリングを通る。

 それは、ずっとノーゴールが続いていた祐天寺にとって、貴重な得点だった。

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