第15話
*
翌日の昼休み、結衣と一緒に校舎の窓際で何気なく外を眺めていた。下の校庭には、鳴海君がいて、いつも通り滝本君が何か楽しそうに話している。
「ほら、今日はいるじゃん」
結衣がからかうように笑顔で声をかけてくる。
「……」
返事をする代わりに、ため息をついた私は視線を外した。いるのには安心したけど、鳴海君との距離が気になって仕方ない。
勇気を振り絞って平常心を心掛け、朝一番に挨拶をしても、授業の合間の隙をみて天気の話をしても、お祭りのお礼を伝えても、鳴海君の反応は凍りついた湖に小石を投げ込むようなもので、音はするものの、心に響くものはなく、ただ冷たく素っ気ない言葉が返ってくるだけだった。
「まあ、複雑だよね」
結衣が気を使ってくれる。その声には優しさが滲んでいた。
「鳴海君、なんだか壁がある感じするもんね」
まさにその通りだと思った。
鳴海君は心を閉ざしているようで、どう接すればいいのかわからない。考えると無力感が押し寄せる。
二人の間にしばし沈黙が流れる。外からは賑やかな生徒たちの声が聞こえてきて、遠くの風がほんのり冷たく、目にかかる髪の毛に触れる。
結衣は、ふっと微笑んで、思い出したように話し出した。
「でも、やっぱり素直に気持ちを伝えるしかないんだよ。結果がどうであっても、私たちは進むしかないんだから。バスケと同じでさ」
また結衣の瞳が輝き出した。そして何か自分に言い聞かせるように続ける。
「あと……これはパン屋さんのおばあちゃんの受け売り。自分が好きだと思える自分でいられる相手、そういう人を見つけることが大事なんだって」
自分がどんな自分でいられるか……
そんなこと、これまで深く考えたことはなかった。でも、誰かといる時の自分を好きになれるかどうかって、すごく大事なことなのかもしれない。
「ありがと、結衣。今回は自分でやってみる」
結衣が「また私が——」と言いかけたところで、私はそっと言葉を遮った。
気持ちは嬉しい。でも、今回は自分で向き合うって決めた。頼ると、また何かとんでもない展開に巻き込まれそうで、今はそれを避けたい。
それに、結衣には自分の恋愛にもっと集中してほしい。
「結衣にお願いすると、また破天荒なことになりそうだからさ」
冗談めかして笑ってみせると、結衣は一瞬だけ不満げな顔をして、すぐに「そっか」と納得したように頷いた。
ふと窓の外に視線を向けると、鳴海君と目が合った……ような気がした。心臓が一瞬だけ跳ねる。
少しでも距離を縮められる方法が見つかればいいのに——そんな思いがじんわりと胸の奥に広がる。
でも、学校で話しかけるのはハードルが高い。周りの目も気になるし、部活で私には鳴海君と接する時間は限られている。
どうしたものか……そう考えて、ふと気づいた。
——明日しかない。
明日は、部活が休みだ。
次の日の下校時間。下調べは十分だった。
滝本君は、最近できた彼女と忙しいと耳にしている。私は何気ない顔を装いながら、校門の前で鳴海君の姿を探した。見つけた。滝本君とは別行動だ。間違いない。
それなのに、気持ちを整えて歩き出そうとした瞬間、背後から勢いよく駆けてきた誰かが、私の肩にぶつかった。
「えっ⁈」
バランスを崩し、思わずゆっくりと膝をついてしまった。驚いて振り返ると、その人物は鈴木さんだった。鳴海君はぜんぜん気づいていない。
何か言いたそうな顔をしたけど、鈴木さんはすぐに鳴海君に向かって親しげに話しかけ、そのまま二人は私を残して去っていった。
え、何で?
何も言えないままに、心が
私が何を……?
その時した。後ろから優しい声が。
「大丈夫ですか?」
振り返ると、一年生のキラリ君だった。
+
いつものように校門を出た。滝本は当分、彼女と一緒に帰るらしい。
一人になって、ちょっとだけ身軽になった気もしていた、その矢先だった。
「鳴海君っ!」
鈴木だ。お祭り以降やたらと話す機会が増えた。話す? いや、会話にも満たない程度か。
さすがに無視を決め込むこともできず、適当にそれらしい返事をしてから、足早に帰ることにした。
でも、なお話しかけてくる声に我慢できず、つい見てしまう。鈴木が満面の笑みを浮かべながらこっちに歩み寄ってくる。
無意識のうちに、軽いため息が漏れる。もう少し早く歩いていたら、なんとか振り切れたかもしれないのに、と自分を責める気持ちすら
それに、身長差ゆえに、若干上目遣いにさせてしまうのも、何だか悪い気もした。
「一緒に帰ろうよっ」
返事をする暇もなく、並んで歩くことになる。
正直、一人で帰る方がずっと好きだ。誰にも邪魔されず、好きなことを考えたり、何も考えずにぼんやりする時間が、何よりも心地よい。それなのに、鈴木はそんな俺の気持ちにお構いなしに、次々と話しかけてくる。
今日あった学校での他愛もない話を一通り終えると、ふと鈴木が訊いてきた。
「鳴海君って、家に帰ってから何してるの?」
何で皆んな、俺のことをそんなに気にしたがるのか理解できない。だから、つまらなそうに「……何も」とだけ答えた。
「私はね——」
鈴木の声を聞き流しながら、気づけば自分のことを考えていた。やることが、本当に何もないことについて。
家に帰れば、勉強をして、あとは何となく動画を眺めるだけ。面白いわけでもないのに、気づけば時間だけが過ぎている。
それに比べて、ばーちゃんはいつも忙しそうだ。趣味が多く、友達もたくさんいる。旅行に出かけたり、日本舞踊の稽古に行ったりと、家にいることの方が少ないくらいだ。何もせずに時間を持て余しているのは、俺の方。そう思うと、少し情けなかった。
ふと、鈴木の話が途切れた。
二人の間に静けさが広がる。鈴木も気まずそうに黙り込んでいるのがわかった。
ほっとした、でも落ち着かないような気持ちが湧き、何か話しかけるべきかと迷ったけれど、結局、言葉は出てこなかった。
ただ、黙ったまま足を動かし続ける。
やがて鈴木も、その沈黙に慣れてきたのか、何も言わず、同じように歩いていた。
*
「野々原先輩、大丈夫ですか?」
キラリ君が、心配そうに私を見つめている。
その瞳は、いつもと変わらず無垢で、真っ直ぐだった。
差し伸べられた手に触れるべきか、触れないべきか——めちゃくちゃ悩んだ末に、せっかくの親切を無下にするのも悪いと思い、そっと手を借りる。
立ち上がりながら戸惑いつつも、微笑んでお礼を伝えた。
そのあと、自然な流れでキラリ君と一緒に校門を出ることになった。
——え、何? この展開?
状況に、いまいち戸惑いを覚える。
秋の空はひんやりとしていて、夏の名残を感じさせる暖かさと、冬の訪れを予感させる冷たさが入り混じっていた。でも、見慣れた風景のはずなのに、今の私はいつもと違う気持ちでその景色を見つめている。
——これ、乙女ゲームのイベントじゃないよね……?
そんなことを考えていると、商店街の通りに出た。並ぶ店々の窓際には、明かりがぽつぽつと灯り始めている。顔なじみなのか肉屋さんの店主に声をかけられ「ありがとうございます。今日は平気です」とキラリ君が穏やかに笑顔で受け答えしている。私はその背中をついていく。
するとキラリ君は、何やら訊きたいことがあるのだと言う。
ひとまず、近くのベンチに腰を下ろすことにした。
先輩らしくしなきゃ、という謎のプレッシャーが私に迫る。
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