第13話
第一印象はやっぱり、整った顔立ちと、身長の高さで、バスケやってるのかな? だった。それと、神奈川県の海が見える地域からやって来たというのもあってか、潮風っぽさが漂っているような気がした。
鳴海君は、自分から積極的に話しかけていくタイプではなかったけど、気さくで明るく、すぐに皆んなと打ち解けていった。
でもあの頃も、どこか遠くを見つめている、そんな眼差しをしていた。
そして、私が鳴海君と仲良くなったきっかけは——
文化祭の準備が始まった日だった。
クラスメイトたちと一緒に出し物の準備に取り掛かっていたとき。教室は賑やかで、友達が「鳴海君、どうする?」と意見を求める声が飛び交う中、思い切って声をかけたのだ。
「何か手伝うことある?」
鳴海君は明るい声で「ちょっと手伝ってもらえると助かる」と答えた。
これが、初めて交わした会話。
その瞬間、私の心は嬉しさでいっぱいになったのを覚えている。一緒に作業ができて、ちょっとしたドキドキ感も味わっていた。
そのあと二人で休憩することになり、お互い好きなことや興味のある話になって、アクアリウムが好きだったと言う鳴海君が、
「野々原さん、知ってる? ベニクラゲっていう、クラゲ」
と、突然話し始めたのだ。
「ベニクラゲ?」
話の意図がさっぱりな私は、思わず吹き出して笑っていた。このときから鳴海君の雑学王たる片鱗は見えていた。
鳴海君は得意気だった。
「一般的なクラゲの寿命は一年程度なんだけど、ベニクラゲは、不老不死っていわれてるんだよね。正確には若返りをするクラゲなんだけど」
「え? すごい」
何だか興味が沸いた。私は思わず前のめりになっていた。
直径わずか数ミリから一センチ程度の赤くて小さなクラゲは、普通のクラゲが寿命を迎えたり、敵に襲われて傷ついたりして死に、海に溶けていくのに対して、ただ一種、違う運命をたどるという。
何でもベニクラゲの場合は、死ぬ代わりにイソギンチャクの触手に似た『ポリプ』という段階に戻り、そこから再び通常の姿へと成長することができるのだとか。
しかも、それは原理的には何度でもできる。
話を聞いて、すぐにでもそのクラゲを一目見たいと思った。
不老不死。
なんて神秘的なのだろう。
でもそのとき、飲んでいたペットボトルを落としてしまい、拾った瞬間、拾おうとしてくれた鳴海君の手に触れてしまって、私自身がベニクラゲになってしまうのだった。
「ご、ごめんっ!」
私は思わず顔が赤くなり、彼の目を見られなくなった。
「大丈夫、気にしないで」
と、鳴海君は少し照れながらも優しい笑顔を見せる。
私の心臓が高鳴り、恥ずかしさと、ときめきが混ざったような気持ちでいっぱいになった。
そこへ、その様子に気がついた杏がやってきて、「あー、いい雰囲気じゃん!」とからかわれたのだ。
「二人、すごいね。いいカップルになりそうっ!」
とか言われ、私たちはさらに照れ笑いを浮かべたのだった。
今になって思ってしまう。
彼の困惑した顔、そして時折見せる笑顔。
どうして、もっと早く気づいてあげられなかったのだろうか。記憶喪失になるって、一体どんな気持ちなのだろう。考えれば考えるほどに、後悔が胸を締め付けた。
明日の私に嘆かけた。
大丈夫かと。頑張って話すことができるのかと。
今の私は、全く自信がない。
でも、一つだけ。ただ、一つだけ救いはあった。
私は振られたわけじゃなかった。
それだけが、唯一の救いだった。
だけれども、翌日の学校に、鳴海君はいなかった。
+
鎌倉にやってきた。目の前には、海と、建物全体をガラスで張り巡らせた大きな水族館が見える。
「あ~やっと着いた~。純、ここよっ」
母さんは自慢げに、レンタカーの運転席から俺を振り返った。
大きな帽子を深々とかぶり、サングラスとマスクで顔の大半を隠しているが、どう見ても目立っている。これで気づかれない方が奇跡だろう。
案の定、駐車場に入って車から降りた瞬間に、周囲の関係者がすぐに、「あ、鳴海先生じゃないですか!」と駆け寄ってきたのを見て、俺はやれやれと肩をすくめるのだった。
母さんは有名な建築家だ。俺にとってはただの『母親』だけど、業界ではかなり名の知れた人らしい。もっとも、派手な格好をしているのもそのせいだと思う。
いつもはそういったところが少し鬱陶しいと思うこともあるが、今日は仕方がない。俺は帽子を目深にかぶった母さんを見つめながら、息をつく。
少し話を遡ること、——二時間くらい前。
---
「純、今日は出かけるわよ!」
突然、母さんが声をかけてきた。俺は制服に袖を通しながら、驚きと困惑が交じった顔で振り返った。ばーちゃんは、朝早くから出かけていていない。
「は? 俺は今日、学校なんだけど」
「デートに行こっ! 予定してた仕事キャンセルになって時間空いたから。久しぶりでしょ?」
とニッコリ笑う母さん。そんな急に言われても、そもそもの学校を平気で休めと言う母親は、いかがなものかと、思いながらも、俺は渋々ながら制服を脱ぎ、普段着に着替えていた。
いいかげん、自分の押しの弱さに嫌になる。
「というか、行き先は?」
訊くと、母さんは上機嫌で「そりゃあ、ショッピングでしょ! やっぱり日本よねっ。それにそろそろ、純も秋冬の服、必要でしょ?」と答えた。でもその矢先、母さんの携帯電話が鳴った。
何だか、重苦しい空気に変わっていく。
どうやら急遽、別の仕事が入ったようだ。
「純、ごめん」
まあ、いつものことだ。俺はずっとこうやって母さんに振り回されて生きてきた。
一応、訊いてみた。
「仕事はどこ行くの?」
いまさら学校へ行くのも面倒だとも思った。
母さんは慌ただしく身なりを整え始め、「鎌倉の水族館」と言った。
次から次へと母さんの準備は、忙しなく進んでいく。
「ごめんね、また今度行こっ」
申し訳なさそうに言いながら、母さんは微笑んだ。
その様子を眺めながら、俺は鎌倉行きを決定した。一瞬どうするか迷ったが、どうせ準備してたんだし——「まあ、せっかくだから一緒に行くよ」と返事をした。
そんなわけで、鎌倉に向かうことになった。
---
——そして、今に至る。
水族館のエントランスに立ちながら、母さんが周囲に囲まれ、関係者と談笑している様子を遠目に見守る。
母親のこういうところ、尊敬に値するとは思うけど、少しあきれるところもある。でも、こうして仕事の場でも堂々としている姿を見ると、やはりすごいのだと思う。何者かになれたのだ。この堂々たる水族館が、それを物語っている。
風に揺れる木々を見上げながら、そんな母さんの背中をじっと見つめた。
*
部活のバスケの練習はいつも通り進んでいるけれど、何だか今日は、ぽっかりと心に穴が開いたような感じだった。
「桃っ、今日調子良いじゃん」
いつもの調子で結衣が、隣にやってきた。手にはボールを抱えている。
私は、まあね、と苦笑いを返す。
たしかにまだ、もやもやとしたものは拭いきれてないけど、感情は一つにまとまって、だいぶ落ち着きを保てている感覚はあった。何か、心の奥に迫り来るような、不快だったボールをつく音も、嘘だったかのように平静に響いている。
「鳴海君がいないと平和でいいわ~」
そんなに私は秩序を乱してますか? と思ったことを、結衣の顔を見て、すぐにその通りです、と自分を
「すみません……」
すると結衣は笑いながら、滝本君の話を始めた。
「滝本君はいつも通り女子と楽しそうに話してたし、特に問題なさそうだったけどね」
人気者の滝本君は、いつものように女子たちと笑い合っていた。でも、鳴海君と一緒にいる滝本君の姿を思い返すと、少しばかりは無理をしているようにも見えたのは私だけかな、とも思う。
お祭りからずっと気にかかっていたことを、私は思いきって訊いてみた。
「ねえ、結衣。滝本君との仲はどうなの?」
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