労働と対価
花火大会が週末に行われるといっても夏休み四日目を迎えた今日が金曜日であり花火大会は明日行われ約束した日はすぐ目の前である。東山さんから別れを告げられることなく四日目を迎えられたことは素直に喜ばしいことだった。だが安心するには早く今後の行末は花火大会に全てかかっていると言っても過言ではなく気を引き締め直さなければいけない。
昨日、有ヶ丘から東山さんを自宅付近まで送り届け一人帰宅するときに例の噂について考えていたときに浮かび上がった可能性が一つあった。噂の期間である三日の数え方の話なのだが、実は昨日こそが一日目であり体育館で告白したあの日からカウントしているわけではないという説だ。説が正しければちょうど花火大会当日が三日目にあたり噂は現在も効力を発揮していることになり次が最後ということにもなりかねない。
今度こそ噂通りに振られてしまうと危機感を覚えていたとしても、花火大会には一緒に行くけれども今回だけは僕が己の心を満たし思い出を残すために時間を使うことはなく東山さんを全身全霊をかけて楽しませなければいけない。僕の口から失踪中の薫ちゃんの名前を出してしまったことがきっかけで、二人一緒にいた頃の思い出を刺激してしまい花火大会に誘わせてしまった経緯があるのだから。夏祭りデートなどと浮かれるのではなく傷心してしまった東山さんの心の穴を埋めることだけに全力を注ぐつもりでいる。そのためには必要なものがあり昨日、家に帰るなり真っ先に取り掛かったことは日雇いバイトの検索からだった。屋台を楽しむための資金調達からしなければ夏祭りを楽しむなんて夢のまた夢だ。お金を稼ぐ時間は一日しか残されていないが屋台で好きなものを食べて買って遊んだりする資金くらいであれば明日だけでも問題なく稼ぐことは可能だった。まだ高校生であり仕事を選り好みしている余裕もなかったためそれなりのお金が稼げるのであればと業務内容には目を瞑り応募するとなんとか無事に日雇いバイトに採用された。
初めてのアルバイトに遅刻しないよう五分刻みで何重にも登録した携帯アラームで目を覚まし翌日の朝を迎えた。本日の予定は午前中に倉庫での肉体労働を行い、午後からは商店街で行われるイベントの裏方作業となっている。夏祭りの資金を稼ぐだけであればどちらか一件のアルバイトをこなすだけでよかったかもしれないが、どんな要望にも応えられるようにするためお金はいくらあっても困らないと一日仕事を詰め込んだ。
出勤時間が迫りいざ初出勤と気分を上げて玄関を出る前に東山さんにアルバイトのことは隠しつつもメッセージを送った。これから初バイトに行くにあたり朝から連絡を取り合うことで励ましてもらいたいという邪な気持ちがなかったといったら嘘になる。しかし一番の理由は今日もまだ恋人関係であることを確認したかったというのが大きい。夏休みに突入し朝早い事も相待って東山さんはまだ寝ている可能性の方が高く悠長に返信を待っている時間があるわけでもないので、返信は休憩時間の楽しみにとっておくことにして家を出た。
四時間だけの倉庫業務とはいえ高校生活では帰宅部であり日頃から運動などしてこなかった体に重たい段ボール箱の移動は負担が大きかった。筋肉が悲鳴を上げるなか何とかリタイアすることなく業務を完遂。動かすのもやっとな腕で本日の報酬を受け取ると満身創痍さが滲む掠れた声でお疲れ様でしたと挨拶を午前中のアルバイトを終えた。
お昼ご飯を食べに一度帰宅したはいいけれどリビングのソファにもたれかかると、もう一歩も動きたくなどなくこのまま眠りにつきたい欲求が襲い掛かった。張り切って二つも仕事を請けてしまったことを今になって後悔するがもう遅い。体力的にも精神的にも辛い状態ではあるが、何より心をかき乱しているのは東山さんに朝送ったメッセージの返信が届いていないということだった。
次の仕事まではしばらく時間が空いており早くお腹を満たして少しでも体の急速に時間をあてようと母が用意してくれていた昼食を胃に詰め込んだ。ご飯を食べてすぐに横になると牛になると小さい頃から母に言い聞かされてきたが、今は体力の回復が何よりも優先だと自室のベットに戻るのも億劫でリビングの床の上に寝転がった。体は確かに休息を求めているはずなのに、頭の中は東山さんから返信がこない不安が巡り全然気が休まらない。もう一度連絡を入れるべきか忍耐強く待つべきかなど悩んでいるうちに気がつけば家を出る時間になってしまっていた。寝転がっていたこともあり一応眠気覚ましも兼ねて洗面台で顔を洗ってから身支度を整える。
準備が終わり再びリビングへと携帯を取りに戻ったときだった。胃がキリキリするほどに待ち焦がれていた通知音が高らかに鳴り響いたのは。どうか東山さんからの返信でありますようにと祈りながら走って携帯を取りに駆け寄り恐る恐る携帯画面に触れる。真っ暗だった画面は明るく光を放ち待ち受け画面が表示されると通知欄のところにはメッセージアプリのアイコン、そして東山葵の名前が記されていた。危うく携帯を落としそうになるほどに歓喜で震える手で一刻も早く返信に目を通したいとパスワードを解除する。もうおはようじゃなくてこんにちはになっちゃったと遅くなってごめんという文面から始まり明日の花火大会についての待ち合わせ場所などの詳細が書かれていた。返信が送られてきたということだけで安心感に包まれ底を突いていたはずの気力も全回復といって差し支えないというのに、さらに少し遅れて一枚の写真が送られてきた。写真には色鮮やかな着物を背景にし自撮りをした東山さんが写っていた。中学校のときは携帯など持っておらず、ゲームセンター でプリクラなども撮ったことがなかったのでこれが初めて手に入れた東山さんの写真になる。背景から察するに東山さんは明日の花火大会のために浴衣をレンタルしに来たといったところだろうか。
『実は今、花火大会のための着物を試着しに来てるところなんだ。可愛い着物がいっぱいでなかなか決められないよ。どんな着物を選んだかは当日のお楽しみだから楽しみにしてて』
断れない雰囲気のなか誘った事もあり無理をさせてしまっているのではないかと不安を拭い切れずにいたが、写真を見る限り東山さんも胸を躍らせてくれていそうで一安心だ。一日中眺めていられそうで見惚れてしまいそうになるが今は時間がなく遅刻しかねないことを思い出し待ち合わせなどには問題ないことを簡潔に伝え、最後に写真に対する感想を添える。今日も可愛いと直接言葉にすることは文面とはいえ気恥ずかしく動物が親指を立てたスタンプで誤魔化した。着物姿の東山さんを想像するだけで愉快でそして明日が待ち切れず、午後の仕事はあっさり乗り切れそうなそんな予感がした。
東山さんからの写真付きの連絡というとてつもない恩恵を貰ったはずなのに午後からの仕事は倉庫仕事よりも大変だった。裏方仕事と聞いていたので少なくとも肉体労働ではなかったはずなのだが、着ぐるみを着て風船やティッシュを配る人が急遽来れなくなったらしく若いこともあり頼み込まれてしまったのが運の尽き。断り切れるわけもなく給与アップの口車に乗せられて炎天下のもと蒸し風呂状態の着ぐるみで小一時間ほど風船やらティッシュを配った。
一日の数時間ではあるが人生初の労働を終え家に帰るとベットではなく真っ先に浴室へと向かった。お金を稼ぐ大変さを身をもって体験した体に溜まった疲労感が冷たい水と共に流れていく心地よさをシャワーを浴びながら実感する。労働とはとても大変であり素晴らしいことだと噛み締めるようにそして労わるように体を洗い流した。
気分はリフレッシュ出来ても疲労感が完全に抜けきったわけではなかったが、夕飯は格別に思えるほど美味しかった。箸を持つのも億劫だったはずなのに一口頬張れば箸が意思を持ったかのように進みおかわりまでしてしまうほどにだ。ご飯を食べ終えると次なる三大欲求である睡魔に襲われ自室の布団に寝転がると一瞬で夢の世界へ誘われて眠りについた。これこそが充足感に満ち足りた幸せいっぱいの生活であると一日だけだが体現していた。しんどい思いもたくさんしたが資金調達には無事成功し、いよいよ明日は花火大会本番を迎える。
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