Chapter8 空を翔ぶ陽のきらめきに、木々の緑は共鳴し希望は光る

Episode34 陽翔の危機に立ち上がったのは、




 転移した先はアレナ神殿の北の外れ、砂漠の奇岩きがん地域ちいきだった。

 細く尖った岩が、空を刺すようにそびえ立っている。


 陽翔はるとは爪先で乾いた砂を感じる。埃っぽい空気が喉を刺激した。

 ここからは未知の領域。

 神秘的な遺跡のような奇岩群きがんぐんの中に、突如として地下世界の入り口があらわれた。アーチ状にポッカリと空いた穴の奥に暗闇が広がる。



 ココアが低く唸り声を上げた。索敵スキルが発動したようだ。

 敵を察知してから二十秒以内にモンスターと遭遇する。


 ウサギの姿のグレースが、陽翔はるとの左斜め前にスタンバイしていた。

 陽翔はるとは学術書を取り出し、左手に乗せ深呼吸し心を落ち着かせる。

 ココアが陽翔はるとの前に飛び出し敵を威嚇した。


 現れたモンスターは石化した体を持った門衛もんえいだった。

 死してなおも地下墓地を護る番人は、魔法攻撃を通さない鋼鉄の鎧を身にまとっている。


 体が大きい。

 レベルも高い。

 引いた方がいいのかもしれない。


 だが、ここで引いてもパーティを強化する事はできないのだ。

 すくむ足を奮い立たせ陽翔はるとは前に出る。


玄天げんてん−防」


 煌めく魔法陣が学術書の上に浮かび上がり、黒い霧のような防壁が陽翔はるとたちを包む。

 敵から視認され難くなり、的中率が著しく下がるシールド魔法だった。

 グレースも魔法的中率が上がる祝福を陽翔はるとに与える。


 白龍神の祝福により学術書に光の魔法のページが増えていた。

 越えられない壁は無い。陽翔はるとは己に言い聞かす。



 石化せっか門衛もんえい陽翔はるとに向かって剣を振り上げた。

 陽翔はるとの肩先をかするが、刃は脇にれる。


「ぐっ」


 掠めただけの傷だが、以前とは比べ物にならない痛みが陽翔はるとを襲った。

 左腕の痺れるような痛みに耐え、攻撃魔法を放つ。


天穹てんきゅう-撃」


 圧縮された塊となった空気の層が門衛に覆いかぶさる。

 その重みで門衛がぐしゃりとつぶれ膝を付いた。

 門衛が仲間を呼ぶ雄叫びを上げる。


 門衛2体と墓守老婆3体が現れた。

 門衛は無限ループのように仲間を呼ぶ。

 逃げ出したい、周りは敵だらけだ。


金烏きんう-撃」


 学術書を掴んだ手に衝撃が走る。

 後ろに弾かれるような浮遊感とともに、金色の烏影が学術書から飛び去り、墓守老婆を次々と貫いた。


 最初に攻撃を受けた墓守老婆のインジケータが、勢いよく減り黄色のエフェクトとなってはじけ飛ぶ。他の墓守老婆も効果的にFPが削られた。


 門衛二体が陽翔はるとに襲い掛かる。

 シールドの効果で一体は剣がれ、もう一体は急所は外れたが陽翔はるとの足を剣でえぐった。


 グレースが懸命に回復魔法を唱える。

 陽翔はるとのピンチにココアは前に立ち威嚇をした。

 門衛はすくみ上がる。

 これでしばらくは仲間が呼べない。


 墓守老婆が負傷している陽翔はるとに死の呪いを吐く。

 攻撃は直撃し、陽翔はるとのFPは、呪いによりターン毎に一ミリくらい削り続けられた。苦しみに耐え学術書を開き、懸命に攻撃魔法を撃つ。


 金色の鳥影は門衛を貫くと砕け散った。

 魔法攻撃に耐性のある鎧には歯が立たない。

 陽翔はるととは相性が悪かった。


 グレースは陽翔はると解呪かいじゅを試みるが失敗する。

 陽翔はるとは追い詰められ、疲労と痛みでくらりと視界が揺れた。

 その隙を狙って門衛が陽翔はるとの間合いに入る。


 天穹てんきゅうの魔法により押し潰されていた門衛も魔法を弾き返し立ち上がった。


 モンスターの群れが陽翔はるとを襲う。

 パーティ戦で挑むべきダンジョンである。

 単騎の陽翔はるとには荷が重い。

 ノアを救いたい一心で、陽翔はるとは立ち上がった。


 砥綿井とわたいに乗っ取られた『misora』で手傷を負うと、以前とは比べ物にならないくらい痛みが襲う。

 リアルの怪我と同じ痛みになるよう、システムの設定値を変更していたのだ。

 しかも、自分以外の人間にだけその設定を有効にしている。


 どこまでも汚い男だ。

 立っていることも辛い。

 陽翔はるとは気を失いそうな激しい痛みに襲われていた。

 錠剤として用意していたリカバリーを口に含み噛み砕く。



 一瞬気が遠くなるほどの倦怠感に襲われたが、痛みは遠のいていく。

 陽翔はるとに向かって振り下ろされた門衛の剣にココアが噛みつく。

 ぎゃうん、と鳴く声。

 陽翔はるとは弾かれたココアを背に庇う。


 グレースは背中側に木のツルで編まれたシールドを張り、陽翔はるととココアを守った。

 門衛の剣がガスンガスンとツルを砕く音がする。

 このシールドも岩のような門衛の攻撃に、いつまで耐えられるかわからない。


 絶体絶命の危機がせまった。

 命を直接奪う行為では無くても、死ぬほどの痛みを強制的に与えられたら脳がどうなるかわからない。

 陽翔はるとは砂漠に膝を付いた。


 背筋がゾッとした。

 斬られる痛みを思い出し指が冷たくなる。

 足は震えていた。


 魔法を放ってもあの鎧に阻まれてしまう。


 陽翔はるとは機械仕掛けの弓を取り出した。

 至近距離から矢を放つ。

 だが、岩の体と鋼鉄の鎧は弓矢など弾き飛ばしてしまう。


 無駄なあがきだが、恐怖に支配された陽翔はるとは正常な判断ができなかった。


 何本も何本も門衛に向かって矢を放つ。

 ザクリ、音のする先を見ると、唯一鎧で覆われていない左目に弓矢が刺さっていた。


 痛みに暴れる門衛は、そのまま陽翔はるとに倒れ掛かって来る。


 ねっとりとした血液が陽翔はるとの顔に滴り落ちた。

 やけにリアルな感触に、胃から何かがせり上がり吐き気がする。

 逃げようとしたが、倒れてきた門衛の体に足が挟まり逃げることができない。


 門衛が叫びながら自らの手で左目に刺さっていた弓矢を抜く。

 大量の血液が雨のように降り注いだ。

 陽翔はるとは叫び声を上げる。


「うわぁーーーーーー」





✽✽✽







 かすかに水の滴る音がする。

 どぶ臭い下水道は絶望への入り口のようだった。


 真っ暗闇の中で雫月しずくは膝を抱える。

 暗いところに居ると、昔を思い出して自虐的になった。

 そもそも自分は明るいところを歩める人間ではない。

 表の世界に出ようとしたのが間違いなのだ。


 雫月しずくはひたすら夜を待つ。

 太陽の光で輝くプラチナブロンドは日本では目立ちすぎる。

 本当は対処するべきなのだ。


 『きれいだね』あの日の陽翔はるとの声を思い出す。

 この髪は日本に来て初めて褒められた。


 だから、短く切ることも、目立たない色に染めることも、雫月しずくにはできない。


 この髪は唯一自分の血縁ルーツに繋がるもの。

 最後の自我なのだ。



 雫月しずくは立ち上がる。

 隙の無い動きだった。

 ICSPOも調査に乗り出している。

 捕まれば罪に問われるだろう。


 記憶になくても自分はすでに汚れた犯罪者なのだ。

 良くて投獄、それとも死刑か?


 死のうとも思った。

 生き証人である自分が居なければ、蒼井夫妻の罪が軽くなるかもしれない。

 そんな実験はしなかったと言ってくれればいい。

 しかし、愚かにもまだ生きたいと心が叫ぶのだ。


 敵に寝返り、暗闇の中で野垂れ死にするのが、一番自分に合っているような気がする。


 どうせ闇に生きるしか道が無い。


 陽翔はるとにも顔向けできないほどに悪に染まり、後戻りする道を閉ざせば良い。

 それとも陽翔はるとをこの手で葬れば、完全な悪魔になって、楽に生きられるかもしれない。


 どちらにしても陽翔はるとにはもう逢えないのだ。


 夢を見た。

 普通の女の子になり、陽の光の下で暮らす夢。

 未空みく先生の子供である陽翔はるとを守る、それは、雫月しずくの悲願だった。


 自分にできることはもう一つしかない。

 今更、罪の一つや二つ重ねても変わりはしないのだ。


(脅威をすべて排除する)


 コンクリートに溶け込むような、グレーの迷彩服とミリタリーブーツ。

 武器を持って歩くなら、闇夜に紛れるのが一番良い。







✽✽✽






 アグリが瞳を開けると、そこは広大な自然の広がる荒野だった。

 『misora』は、人為的に造られたものだ。

 わかっているがもう一つの現実のようだった。


 だが、この景色は不自然である。

 砥綿井とわたいが介入しただけで、こうも変化するものなのか。


「まったくもって気味が悪いな」


 レギュレーションパネルを開き、ダメ元で暗号通信のコードを叩いた。

 思いがけずテキスト返信が来る。


>どうして、ダイブできているの?

>陽翔はるとくんが七瀬鈴子をフルダイブできる状態に改ざんしたようです。


 同じようにテキストで返した。


>陽翔はるともやるな。オレは動ける状態に無い。アレナ神殿の地下墓地に縛り付けられた。陽翔はるとと合流して来てほしい。


>了解




 そして、もう一つの暗号化通信のコードを叩く。

 「そこで待て」とこちらは直ぐに返信が来た。





「お待たせしたかな。博士の指示で来ました。―――無茶しますね」





 降るように目の前に現れたのは、アルベールだった。

 ENABMDイネーブミッドのエラー表示を見て眉をしかめる。


「少しノイズが走るかもしれないですが僕と繋ぎます。イピトAI、アルベール VR Device Enable」


 耳にキンと不快な音が一瞬響いたが直ぐに目の前がクリアになった。

 うるさく目の前に表示されるエラーも消える。


 ほっとしたところに、もう一人の助っ人が現れる前兆の金色の環が、大地に浮かび上がった。


 その輪の真ん中に金色のエフェクトを輝かせながら、足から映像が浮かび上がる。


 そこには、体格の良い偉丈夫いじょうぶが立っていた。

 陽翔はるとがフロームのトーナメント戦を制した時に、一緒に戦った剣士カイの姿だった。


「久しぶりだな。スイスのツェアマットに移送されて以来だ」


「ご子息と林教授の息子さんが『misora』内で行方不明です」


陽翔はるとに関してはもう手は打った。だが、樹希いつき君はどこに降り立ったかもわからない。陽翔はるとの突貫工事は、自分とココア以外のダイブは考慮されていない。樹希いつき君をまず探さなくてはならない」




 カイは、レギュレーションパネルを開いた。






 ---続く---



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