Episode23 診療室のフィルムと『聖火の聖獣ミュウ』




 閉鎖空間は漆黒の闇が広がっていた。

 誰かの記録の破片が星屑のように散らばり、それぞれのシーンをバラバラに映している。まるで暗闇に浮かぶモニターのようだった。




 陽翔はるとの世界がぐるりと回る。


 記憶の破片も渦を描き、その中の一つがクローズアップされた。



 古い映画の解像度で映し出されるのは、真っ白な病院の診察室。

 白衣姿の陽翔はるとの母親と鈴菜の母親が、医師と患者として向き合っていた。それは静かな攻防戦。


「イピトAIはまだ開発途中です。どうして、被験者になりたいのですか?」


「私はもうすぐ手術です。万が一のことを考えると、残していく娘が不憫なのです。だから、母親としての私を残したい。運用が成功したらでいいのです。データだけでも採っていてほしい」


 穏やかな女性だと思っていた。

 だが、炎のように熱く激しい一面も持っている女性だと思う。


 琴石こといし未空みく医師は深いため息を吐く。


 これは戦いである。

 そう決意し、医師と対峙する患者は鈴菜の母親である七瀬鈴子だった。


 やがて、根負けした未空みく医師は机の中から臨床試験用の説明文書を取り出す。



 タイトルは『残存意志基盤とする仮想人工知能融合者(自立型人格移植人工知能被験者)を対象とした導入療法・地固め療法のための対照試験』と記載されていた。



 鈴子は資料を手に取りぱらぱらとめくり始める。

 そこには何かに縋りつくような切実さがあった。


「時間がかかります。手術を遅らせなければなりません。それと、データを移行してイピトAIを生成するのは、本人の同意だけではなく、残される遺族の同意が必要です」


 その物言ものいいいは、明らかに手術を優先したいと語っていた。

 なぜなら、データを取って遺族に渡るのは被験者の生命が終了した後になる。


 また、対象者は基本的に余命宣告をされた場合なのだ。

 手術前にそのようなものを勧める医師は居ない。


「かまいません、娘が、鈴菜が、受け取りを拒否するなら必要無いのです。先生。私の病気の術後の五年生存率は8%です。手術を生き延びても、データ採取ができる状態まで健康を取り戻せないかもしれません。だから、お願い……」



 鈴子は泣きながらも激しく未空みく医師に迫る。


 鈴菜によく似た女性。

 その炎のような熱量に陽翔はるとは衝撃を受けた。


 その反面、自分と雫月しずく、鈴菜が受けられるはずだった親の愛情を奪い取った『組織』に怒りを覚える。


 そして、イピトAIを悪用したくない、陽翔はると自身が守りたいという思いが激しく炎のように湧き上がった。





 その気持ちに比例して、万華鏡のように散らばる記憶のデータ、イピトAIの臨床試験の詳細やデータ採取方法、いろいろなものが陽翔はるとにインプットされる。


 イピトAIは当初は医療分野で適用されるために開発されたシステムだったのだ。


 イピトAIは、多面的な感情の移り変わりのあるAIは生成できない。

 つまり、被験者と同じ人間は創れないのだ。

 採取したデータの中から母親の性質に係るものを抽出し、多面性の無い性質にする。




 そう理解した途端、万華鏡のように広がったデータは一滴の水の塊になり陽翔はるとの手の中にドロップした。





 辺りのざわめきが陽翔はるとの耳に戻ってくる。

 陽翔はるとの目の前には、美しい赤い髪の女性が居た。陽翔はるとの手の中の石板が淡く光る。

 それは『ウィッシュの欠片』と表示された。




「……お母さん」




 鈴菜が女性に歩み寄る。

 黒い炎が消えて母親として微笑んだ姿は、燈火のように清らかで美しかった。


「鈴菜。お母さんは傍に居たいの。残したものを受け取ってくれるかしら?」

「うん。私もずっと傍に居たい」

「それなら、鈴菜が生きている限り傍にいるわ」


 そう言い残し、鈴菜の母親は光となって消える。

 今回初めて知ったのだが、イピトAIは、権利に紐付けられた人間が生存している間しか維持できない。


 その後は強制消去されるようになっていた。


 また、本人の同意が無ければデータ採取することができない仕様になっている。

 少しでも拒めば採取が不可能な記憶領域まで侵入するため、非常に緻密なプロセスをクリアする必要があるのだ。



「ハル? イピトAIって簡単に造れんの?」


「概要は理解した、と思う。でも生成方法はまだわからない。多分、『氷の塔』に行ってからではないと教えてもらえないと思う」



 玉座の裏に開いた、ワープ用の祈祷室を見た。

 その前に鎮座している精霊の卵も自ずと目に入る。



「聖獣の卵がまだだった。調べてみよう」



 陽翔はるとは卵を持ち上げる。燃え立つよう色の赤い卵だ。

 鑑定すると、卵の中からカリカリと音が鳴り始める。殻が割れて飛び出したのは長毛種の猫だった。



 赤茶のトラ柄でメイクーンのような見た目をしている。

 よく見るとトラ柄が炎のようなモチーフになっていた。


 耳の先には、リンクスティップと呼ばれる飾り毛がピンと立っている。



「お耳かわいい。おめめくりくり。きゃぁ!」



 活発そうな瞳を細め、ひとつ欠伸をしてから羽根をパタパタと動かす。空中に浮いて鈴菜の後ろに陣取った。

 陽翔はるとが鑑定スキルを使う。



 ≪聖火の聖獣 ミュウ。 火炎属性、NPC 破壊攻撃不可、オートマティック機能搭載、使役者のレベルにより能力が開花する≫



 火力の弱い鈴菜に代わって、攻撃魔法で使役者を守る聖獣だ。障壁も張れる。


 とても甘えん坊の猫のようで、鈴菜の前に舞い降りて抱っこの体勢で腕に包まれた。



「いいなぁ。ラヴィは抱っこをさせてくれない。ココアも懐くけど、ラヴィはツンデレなのかな?」


「ハルと同じで人見知りなんだろ」



 ラヴィは鼻眼鏡の位置をくいっと直し、男前の勇ましい顔をする。だが、女の子である。「けっして甘えませんよ」と胸を張っているようだった。

 しかし、ぽわぽわ綿毛のせいで可愛いとしか言いようがない。そこに居る者は、顔を緩めてニヤニヤしてしまった。




 陽翔はるとの手の中の石板の名前は、『ウィッシュの欠片』。

 イピトAIを託されるということは、被験者の想い、希望そのものを引き受けるという事だった。





 ---続く---

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