世界を救って

羽守七つ

第1話 

睡眠薬を2錠、焼酎で飲み込んだところでそいつは話しかけてきた。


「あなたにこの世界をすくってほしいんだぬ!」


720mlの麦焼酎の瓶と同じくらいの背丈で、くりくりした可愛らしい目の白いウサギか、くまかよくわからないいきもの。

耳のような部分に大きめのパールの様な飾りをつけている。

突然目の前に現れたのは娘が小さい頃によく観ていたアニメに出てくる小動物の形をした妖精……のようなもの。

そして、そう、一緒に観ていたまんまの言葉を放った。


「無理」


「即答だぬ」


もうこの現象の不思議さなんてどうでも良かった。

わたしはこいつが救って欲しいという世界から離脱しようとしている。


「見てわからない?」


テーブルとドアの方向を指さす。

時間をかけて集めた睡眠薬と焼酎の瓶、ドアノブにかけたロープ。

察しが悪いのかこの生物は自ら命を断つ人間が、この世界、とやらにいることを知らないのか。


「世界を救うとか以前に、私はこの世界から離れようとしているんだけど」


驚きもせず普通に会話出来ているのは薬が効いてきたせいか。


「あらら、だぬ」


「大体さ」

そう言って一錠流し込む。

「こういうのって正義感あふれる元気な小学生とか、キラキラした未来を切り拓いてくれる可愛い中学生とかに依頼するもんじゃないの?それがセオリーでしょうが。なんでわざわざ終わろうとしてる40代の女のとこにくるの」


娘が成人するまでこの日を待った。

残される彼女が母を思い出して悲しむ日が一年に一回でいいように、自分の誕生日を選んだ。


通販やSNSのアカウントも全部削除して、銀行の口座の暗証番号も書き記しておいた。

服も靴も全部処分して、気持ちを汲んでくれるかはわからないが「一切の延命処置を拒否します」と書いたメモも置いている。

そう、私は冷静だ。今も。

だから来るはずの死神では無いこいつにこうしてここに来る意味の無さをきちんと話してやれる。


「あなたが選ばれたんだぬ!」


「意味わかんない、一体誰によ」


事切れるまで愛する娘のことを思わなくて済んだ。

そのことに直面せずに時を待つのなら、死神よりこいつが来てくれて良かったのかもしれない。

最期の最期、言葉を交わすのが何かわからないヘンテコな生物で気が紛れる。


「この世界の全てであるひとだぬ」


「あっそ」


「この世界は狭いだぬ」


こういう時って、広い、とか言うんじゃないの?

その広い世界で何も知らない人たちをそういうヒーローってやつが救うんでしょ。


そういったはずが声が出ていないことに気付いた。

私は薬が効きやすい。

そろそろ縄のほうに移動しないと。

薬と焼酎を持って、だんだん重くなる身体を引きずる。


「あなたにその世界で戦ってほしいだぬ!」


だから無理なんだって。めんどくさいなぁ。


「あんただってどうせなんか力あるんでしょ?狭いとか言うならあんたが戦えばいいじゃない」


「ぼくは護ることしかできないんだぬ!」


まもる、と、たたかう、どう違うんだよ。

どっちにしろ、私は息をするのも疲れちゃったんだよ。


「大体なにと戦うの?」


「えっとー、妖怪とか、おばけ」


なんだそれ。なんかさっきから設定が曖昧だな。それにおい、ぬ、はどうした。

少し笑ってしまった。


「笑顔のほうがいいだぬ」


うるせぇー。


「おばけとか、そんなのいないでしょ。お坊さんとかに頼みなよ」


二錠飲む。


「本当は嫌なんでしょ」


だから、ぬ、は?


「だから嫌だっていってる」

「ちがう、消えるのが」


は?


「どうしてちょっとずつしか飲まないんだぬ。一気にいっちゃえばいいだぬ」


それは……


「あなたはいきているだけで救世主になれるのに」


「なんだそれ。もう、……しんどいんだよ。」


脳がじゅわぁっと溶かされて真っ白な雲になってゆく

思考する機能はもう、働かない



「自分……も救えない私が……誰を救える……って言う……」


首に縄をかけて錠剤をいくつか口に含み、瓶から直接焼酎をあおる。

勝手に目が閉じた。


「大丈夫だぬ。ぼくが居るだぬ」



いないよ。

君はきっと私が勝手に作り出しちゃったごくごく僅かに残る未練と、大きな申し訳なさだ。



「ぼくがいたら不思議な力で悪いおばけと闘うことが出来るんだぬ!」


雲の遠くに聞こえる。


悪いおばけ、ねぇ。


ああそうだ。義母の厚化粧もお化けみたいだったな。

私を見る蔑んだ目と、赤く塗った唇から放たれる刺々しい言葉たちは私を呪った。

お化けの息子である夫はいつでも母お化けの味方で、呪われた私と距離を置いて遠くから更に呪った。


居たんだね、お化け。

それなら僧侶には祓えないか。


ひゅぅー。

私ももうすぐおばけになる。

どろどろどろ。

これっておばけの様子を表しているんじゃなくて

どろどろり。

こうして、心と身体が溶かされている音だったんだ。


ありがとね、良かったよ、最期にきみと話せて。


「おきてだぬ」


「……き……て」



ごめんね。

優希。

あなたが大好きだったアニメのヒロインたちはいつだって誰かを救うことを拒まなかったのに。

恨んでね。


「……き……お……」


間違っても私がいなくなったこと、自分のせいだったなんて思わないで。

お母さんがあなたのことも救えない、ほんと、どうしようもなく弱い人間だっただけなんだ。

ほんとうに、ごめんなさい。





「……ん……ぁ……ん……」







 えぇ……まだ存在しちゃってるじゃん私。


頭、痛


「ぁさ……」


わぁ、妖精、まだいるじゃん。

しつこいな。



う、気持ち悪……



「お母さん!!!」



耳に大きめのパールの様な飾りをつけている。

「……ゆう、き?」


「お母さん!!!お母さん!!!うわああああぁああん!!ばかぁああ!!!」


泣いてる、大きな声で。

この世が終わるかのように。

この子の世界が始まった瞬間にも、彼女はこうして泣いていたっけ。


私の右手が彼女の両手で固く握られている。

よかった、と言いいながら顔を手に寄せる。


「まもるから、私がお母さんまもるから。お願いだからどっか行かないで……」


あぁ。

私はこの小さくて愛しい世界を救う事を拒むどころか、壊そうとしていたんだ。


「……ごめんね。ごめんなさい……優希」


右手にできる限りの力を入れて、私はこの世界の救世主になることに決めた。




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