第3話
僕が稽古に行かなくなって二ヶ月が経つ。同じ日々を繰り返している。
高校の文化祭で演劇をするのが三年生の通例となっていて、僕のクラスは神風特攻隊の物語を演目として選んだ。小学校の学芸会以来、初めて僕は舞台の上に立った。主役ではなかったが、特攻隊員だった。人のために命を懸けると言うのが、どんな気持ちなのか全然しっくり来ず、役作りと称して福岡にいた祖父の元を訪ねた。祖父は特攻隊員の生き残りだった。たまたま出撃の前日に終戦になったから死ななかった。僕は祖父にどんな気持ちか尋ねた。
「今思えば、あのときはおかしかったと思う」
祖父は僕の目を見て言った。そんな風に思うのか、僕は拍子抜けしたように感じ、では、その頃はどんな気持ちだったのかと問うた。
「家族と国を守るためには他に手段がないと思い込んでいた。実際、一兵卒に出来ることは他になかった」
「英霊になる高揚感とかはあったの?」
「そう言う奴もいたけど、俺は違った。不安とか恐怖とかを使命感で蓋をしていた。高揚する奴も蓋が違うだけなんじゃないかな。それでも命を懸けるんだ。そりゃあ、自分の命より大切なものが守れないと釣り合いが取れない」
僕が想像していた特攻隊員はもっと燃えていて、恐怖に打ち勝って、堂々と死ぬ、そう言う像だったから、祖父の語る特攻隊員の姿がひどく人間臭く感じた。だが、言われてみれば人間なのだから、超人のように振る舞えることの方が少ないだろう。僕の中の特攻隊員が超人から人間に降りて、それなら演じられそうだった。
劇の評判はよく、僕の演技もたくさん褒められた。高校生の文化祭の出し物にしては、と言う但し書きが付いているのは分かっていた。それでも、僕は演じることが面白いと感じたし、大学では演劇をやろうと決めるのには十分な体験だった。祖父が見たら何と言っただろう。僕の人間らしい特攻隊員にリアルを感じてくれただろうか。僕の特攻隊員は、死にたくなかった。祖父の形と同じで、死にたくなさや恐怖に蓋をして胸を張った。
僕は床にうずくまったまま、どこも見ていなかった。
あの劇のときの役名は確か、
ベッドに仰向けに横になる。
「稽古に行かなくちゃ」
稽古はとっくに始まっているし、もう終わりの時間が近い。行かなくてもしばらくはいいと山口と決めた。なのに、稽古をしていない自分以外で稽古の時間を埋められない。
出来上がったオムライスをちゃぶ台の上に並べて、ケチャップで僕はハートを書いた。
そのハートが真っ二つになるように由美はケチャップで線を引いた。
「これを食べたら、別れましょ」
僕はオムライスから視線を上げて由美の顔を見た。冗談なんて顔はしていなかった。だが、悲壮感とかシリアスだとかいった顔でもなかった。必要なことを穏やかに実行しているだけの顔だった。
「どうして?」
「慣れと同じよ。飽きたの。最初は刺激的だったけど、慣れてしまえば売れない役者なんて味のほとんどしない薄いカルピスみたいなものよ」
僕は言い返せなかった。由美はナイフでオムライスをハートを割る線の通りに切った。オムライスは二つに分かれた。
「いつかビッグになったらって言う夢物語にずっと付き合うのに疲れちゃった。まあ、私が役者育成ゲームに向いてなかっただけだから、そう言うのが好きな人を探しなよ」
由美は自分のオムライスにケチャップで星を描いて、すぐに食べ始めた。僕は何も言えない。仕方なく自分の前にあるオムライスを食べる。忘れられないくらいに美味しかった。多分、オムライスを食べる度に比較して、今日と言う日を思い出す。僕達は食べ終わるまで何も喋らなかった。
由美が先に食べ終わって、黙って僕を見ていた。
僕も食べ終える。スプーンを置く。
「ごちそうさま」
「美味しかった?」
「すごく」
由美は満月のように笑う。
「よかった。じゃあ、別れましょ。玄関を出たら二度と振り返らないで駅まで歩いて」
僕は言い返すための材料を何も持っていなかった。感情はあったが、由美の「飽きた」を押し返せるとは思えなかった。僕は未練に溺れた僕を隠して、堂々とさっぱりした僕を作る。
「分かった。今までありがとう」
「じゃあね」
玄関まで由美は見送りに来て、そのときも穏やかな顔をしていた。外に出たら僕は言いつけを守って振り返らずに駅まで歩いた。作った僕のまま自分の家まで帰って、それからしばらく作った僕が抜けなくなった。劇団のメンバーに気味が悪いと笑われたが、同時にみんなが、役者として一歩進んだんだ、と讃えてもくれた。
みんなにもう随分会っていない。
稽古の時間が終わった。
急にお腹が空く。オムライスが食べたい。だが自分で作る技術も材料もない。
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