その4 愚鈍の果て

 末次すえつぐ月代つきよはアメリカ旅行帰りだった。月代には、彼女の社交的な性格とは真逆の引き籠りがちな妹がいた。卯七が妹の花と出会ったのは、初めて凱喜のオフ会に参加した時だった。ゲストの昭和特撮ヒーローたちが揃う会場で、花はポツンと隅に座っていた。卯七も居心地悪そうに会場の隅に居て、たまたま花と目が合って一礼したのが縁だった。オフ会ではそれだけの接触だったが、また帰りに擦れ違った際に一礼した卯七は、ふと、舞台の招待券を渡す気になった。

「今日は何か居心地悪かったね。気が向いたらお出掛けください」

 そう言って招待券を渡したが、花が観劇に来るとは思っていなかった。しかし、彼女は来た。オフ会の折、姉の月夜から妹は引き籠りがちな性格と聞いていたので迷ったが、一応終演後の打ち上げにも誘ってみた。驚くかな、花は其処にも顔を出してくれた。相当勇気がいたろうと、卯七は花が孤立しないように自分と同じテーブルに案内した経緯がある。

 暫くして花から連絡があった。姉に会って欲しいという連絡だった。卯七は、その裏にある思惑にピンと来たが、引っ込み思案の花からの頼みという事もあり、何も聞かずに受け入れることにした。当日、待ち合わせ場所に指定した同郷の原正義の経営する“だまっこ屋” に早めに来て、その日の打ち合わせをしていた。

「店内の映像は事務所で監視出来るよ。この辺はたまに食い逃げが居るんでな」

 開発されたと言っても新宿の裏通りはまだまだ風紀的に風通しの良い所とは言えなかった。しかし、“だまっこ屋” は比較的人の流れのある通りに面していた。卯七がこの店を選んだのは、夕方になってから末次姉妹が目指すイベント会場に近かったからだ。彼女たちはその前に卯七と会う時間を指定して来た。


 凱喜はひと月程前にも、卯七に刺客を送り込んで来ていた。彼女の名は天野一二三という京都に住む女性特撮ファンである。卯七はすぐに劇団員の片桐恵梨・華奈姉妹に協力を仰いだ。二人は浅草っ子で天野一二三が卯七に観光案内を求めた土地には精通していた。

「恐らく昭和特撮俳優が彼女をこの駅まで送って来るはずだ」

「誰です !?」

「小村十郎だ」

「小村 !?」

「知ってるのか?」

「いや、別に知らないです」

 姉の恵梨は副座長の浅見から、小村の妖しき噂を聞いて知っていたが惚けた。

「…だろうな。実質、もう現役ではない」

「天野さんっていう女性が何故その人と?」

「天野一二三は小村十郎の熱狂的な特撮ファンだ。小村はその女性をこの駅に置いて帰る筈だ」

「何に出ていたんです?」

「“マッハ超獣戦士” という特撮番組に出演してた」

「知らないです」

 恵梨はその事も浅見から聞いて知っていた。

「小村さんって人は何故彼女をこの駅に置いて帰るんです?」

「飼い主の凱喜様のご命令だ」

「飼い主 !?」

「小村は凱喜という特撮ヲタの忠犬なんだ。小村の熱狂的なファンを使ってオレにハニトラを仕掛ける魂胆だ」

「何故分かるんです !?」

「俳優の弱みを握るために加賀谷美穂さんにさんざんやらせていた事だ。オレに対しては、今までにも女性特撮ファンを使って、入れ替わり立ち替わりで仕掛けてきていただろ。数撃ちゃ当たるとでも思ってんだろ」

「最低」

「小村は必ず彼女をここまで送って来る。帰してはならない。見付けたらすぐに声を掛けるんだ」

「それからどうすればいいんですか?」

「ボーリング場を予約してあるからって案内するんだ。二人をボーリングで遊ばせる」

「本当に予約したんですか?」

「勿論だ」

「狼檎さんの事を聞かれたら?」

「急な仕事で来れなくなったので、今日は浅草っ子の私たち劇団員が案内しますって言うんだ。絶対に小村十郎を帰しちゃだめだ」

「案内するの !?」

「いや、ボーリングを始めたら君たちは二人を放っといて帰っていいから」

「なんか面白そう! 」

「頼んだぞ!」

「狼檎さんはどうするんです?」

「この後、オレの同郷の後援会のおばちゃまたちが第二弾の作戦決行を待っているんで、そっちと合流する」

「第二弾は何をやるんですか?」

「君たちの作戦が失敗した場合の作戦だよ」

「どんな !?」

「小村十郎を帰さない作戦ね。俳優小村十郎に偶然会えて感動し、興奮している団体を演じてもらう」

「その皆さんは小村十郎という俳優を知っているんですか?」

「全然知らないだろうね。特撮番組なんか見たこともない水戸黄門派のおばちゃまたちだから、これから会って、小村の情報を話さなきゃならん」

「私たちも合流したい!」

「君たちの作戦が成功したら、第二弾の必要もなくなるから、おばちゃまたちとの食事会に変更だよ」

「尚更行きたいです!」

「…まあいいけど…もうすぐ来るから、第一弾の作戦成功してよ!」

「了解!」

 片桐姉妹たちが改札出口で待っていると、卯七の読みどおり天野一二三を送って来た小村が、ホームの階段の途中まで下りて止まった。

「じゃ、オフ会でまた会おうね」

「ええ、昨夜は有難うございました」

 その様を見ていた片桐姉妹たちは不審に思った。

「昨夜は有難うって…あの二人、昨日から会ってたという事よね」

「そうよね」

「浅見さんの話ではあの小村って人は確かホモじゃなかった !?」

「じゃ、両刀ってこと !?」

「きも!」

「あれ !? 両刀が返りそうよ」

 小村が階段の途中でホームに戻る態勢になった。

「小村さーん!」

 姉の片桐恵梨が叫んだ。小村がびっくりして振り返った。

「お待ちしてましたーッ!」

 小村は仕方なく階段を下りて天野一二三と近付いて来た。

「小村さんと天野さんですね! どうもです、劇団員の片桐恵梨と申します」

「妹の片桐華奈です」

「実は狼檎に急な仕事が入って、今日は来れなくなったんで、おふたりに伝言を預かって参りました」

 小村は怪訝な顔をした。

「そのお詫びにと、ボーリング場を予約させてもらっているので、お二人で楽しんで行ってもらいたいと」

「狼檎さんはボクが来ることをなぜ知っていたんですか !?」

「天野さんって言えば、小村さんだろうからって、お二人分の予約を」

 小村は狼檎に何もかも見透かされていることに動揺した。しかし、ここで天野一二三ひとりを置いて帰るわけにもいかず、片桐姉妹の案内に従うしかなかった。片桐姉妹は、小村と天野がギクシャクながらもゲームを始めたのを確認すると、そっとその場から消えた。

 片桐姉妹の使命は成功し、その夜は卯七と同郷の後援会のおばちゃまたちに加わって大盛り上がりだった。

 ところが、凱喜はこの失敗に懲りずに、一週間も経たぬうちに、また卯七のもとに女性特撮ファンを仕掛けて来た。どうしても卯七の劇団に入りたいというので会うだけでもいいのでお願い出来ないかと、また同じ趣向で罠を仕掛けて来た。卯七は断ったが、翌日、その女性特撮ファンは稽古場の事務所前で待っていた。仕方なく名前を聞くと、林佐紀という。

「林さんは柵さんとはどういうご関係ですか?」

 佐紀は質問に答えず、俯いたままだった。

「どうかしましたか?」

「あの…踵を擦ってしまって…痛くて…」

 佐紀は短いスカートから生足を晒してその場から動こうとしなかった。

「兎に角、稽古場に入ってください」

「靴がスレて痛くて…すいませんが、狼檎さんの肩を貸してもらえませんでしょうか?」

 佐紀の甘え声はお水の臭いがした。

「私がお貸しします」

 タイミング良く劇団員の片桐恵梨が登場した。“最高のタイミングだ” と卯七は心が躍った。

「じゃ、頼んだね」

 演技もこういうタイミングで行ければなあと笑いを堪えて、卯七は早足で稽古場に入って行った。

 1時間後、見学に飽きた佐紀は稽古場から消えていた。


 “だまっこ屋” で原との打ち合わせが終る頃、末次姉妹がやって来た。

「分かりづらかったでしょ、このお店」

「大丈夫です。この近くでオフ会があるんです」

「そう言ってたね」

「狼檎さんも覘きませんか?」

 姉の月夜は想像どおりの言葉を発してきた。彼女は凱喜の “指令” で来たことは分かっていたので、卯七は言葉をオブラートに包む気はなかった。

「どなたに頼まれたのか想像は尽きます。でも、オフ会は妹さんとお二人で行ってください」

 卯七はストレートに断った。姉は、卯七に会うなり全てを見透かされたことで、自尊心にダメージを受け、苦し紛れに悪態をつき始めた。

「そんなことを仰ってたらネットでの誹謗中傷で益々不利になりますよ」

「月夜さんは、私がネットで独り相撲の馬鹿の、いやバカどもと言ったほうが正確かな? そういうクソ連中の誹謗中傷を受けていることを御存じなんですね」

 “独り相撲のバカども”、“そういうクソ連中” という言葉に、一瞬、月夜の言葉が止まった。

「誹謗中傷の主から直接聞きましたか? それとも、月夜さんもご参加なさっていらっしゃるんですか?」

「失礼じゃありませんか! 私がそんな…」

「そうですよね。そんな “独り相撲のバカども” に、月代さんともあろう人が足並みを揃えるわけなどありませんよね」

「絶対に有りません!」

「絶対…ですか…そうですよね。妹の花さんの前で “絶対” と仰るからには、あんなバカどものすることに、お姉さんの月夜さんが加担している筈はありませんよね、絶対」

 卯七は微笑みながら花に向き直った。花は泣きそうだった。2ちゃんねるの事は散々姉から言い聞かされており、きっとこの場に来たくはなかったのだろう。美穂の如く凱喜に傾倒する姉に、無理矢理担ぎ出されたに違いなかった。卯七には、凱喜という物の怪は、女性特撮ファンをグッズで釣って肉体関係に及び、特撮ヒーローにハニトラを仕掛けさせ、成功したら徹底的に駒扱いする族だということは、同郷の特撮ファンで親友でもあるこの店 “だまっこ屋” のオーナーの原正義からの情報を得て知っていた。そういう女性特撮ファンは美穂や月夜だけではなかろう。恐らく、オフ会に参加した特撮ファンを犬にして、特撮ヒーロー全員をその罠に誘い、思いどおりのオフ会を企てている可能性がある。更に、バイセクシャルの凱喜がそうした手段を強いているのは、女性だけに留まるはずはない。凱喜はオフ会に参加する特撮ファン同士の男女交際を極端に嫌っていた。“ここはそんな場じゃありません” とまで豪語していた。趣味のオフ会の場で、気の合った者同士が恋愛感情に発展するのは、何ら不思議な事ではない。それを固く禁じるというのは、見方によっては可笑しな話である。どうしてそういう流れになるのかは、バイセクシャルである凱喜が、オフ会参加の特撮ファンは自分の支配下にあって、全員が自分に従順でなければならないという考えがあったからに他ならない。卯七は、これから凱喜と彼に賛同しているゴミどもを襲うであろう “予言の杭” を打ったのだった。

「ネット上で誹謗中傷したところで、相手をぶち殺せるわけでもない。そういう人は、正体がバレた時にどんな悲惨な事態が待っているのか覚悟しなかればなりません。代償は結構大きいですよ。下手をすれば、今まで築いて来た現実に於ける立場が一瞬にして崩壊するやもしれません」

 卯七の言葉に言い返すことが出来ず、反論の言葉を必死に絞り出そうと、怒りに震えているいる月代に、更に肩透かしを掛けた。いきなり話題を変えたのである。

「旅行如何でしたか? まさかの傷心旅行だったりして…」

「違います!」

 月夜は間髪を入れず強く否定した。それによって、最も聞かれたくない質問だったことを卯七に見透かされた。月代が傷心旅行である根拠となる情報は、凱喜の地元に住みながら、卯七を隠れ支援している特撮ファンからだった。月代は銀行勤めだった。交際している相手は所帯を持っていたことが露呈し、裁判で慰謝料を払う羽目になった。月代は銀行に居場所を失っての傷心旅行だった。

「月代さんは銀行勤めをお辞めになったそうですね」

「それは狼檎さんには関係ないことです」

「職場での人間関係は大丈夫でしたか?」

 卯七は構わず続けた。

「あなたには関係ない事と言ってるでしょ!」

 月夜はヒステリックに叫んだ。

「関係ない事…ですよね。つまり、その人に関係ないことには触れないほうがいいということですよね。今日のオフ会も私には関係のないことですので、月代さんは妹さんとふたりで楽しんでください」

 月夜は、卯七の論破の罠に嵌って、凱喜の “指令” を全う出来ない悔しさに地団駄を踏んだ。

「分かりました…きっと後悔しますよ!」

 “おまえがね” と返したかったが、花の手前、卯七はその言葉を笑顔で飲み込んだ。捨て台詞を吐いて乱暴に席を立ち、店を出ていく月代を目で送った花は、消え入るような声を絞り出した。

「すみません…」

 言葉に詰まっている花に卯七は笑って答えた。

「花さんが謝る事なんて何もないでしょ。ボクは花さんに会えて良かったです」

「…はい、私も…」

「“やましき沈黙” ってご存じですか?」

 花は卯七の言葉の意図だけは何となく感じた。

「花さんは賢いからご存じだと思いますが、日本海軍の特攻隊を指した言葉ですよね。戦場に赴く兵卒たちを、攻撃兵器の消耗品扱いにしたことを黙して語らない人たちのことを指します」

 花は俯いたまま頷いた。

「誰もが陥り易い落とし穴なんです…お姉さんにはお姉さんの生き方があると思いますが、花さんにも花さんの生き方があります。その生き方は誰にも侵せない。お姉さんも花さんも、自分の生き方を勇気を出して大切にしてほしいと思います」

 花は、凱喜の指令を安請け合いし続ける姉に、何も言えない自分に悩んでいた。

「自分を一番大切にできるのは自分自身です。誰の励ましより、自分自身の励ましが一番力になってくれます。花さんなら大丈夫! 誰よりも自分が自分を信じてあげてほしい」

 花の目から思わず涙が零れ落ちた。

「花さんが自分の決断で舞台を観に来てくれたことや、打ち上げにも参加してくれたことが、とても嬉しかったです。自分の意志で決断して行動することは、ときに関わる第三者に一番感動を与えるとボクは思っているんです…お元気でね」

 花は申し訳なさそうに卯七を見上げ、しかし、何かを吹っ切ったように一礼し、姉を追って店を出て行った。


 2ちゃんねるが卯七の誹謗中傷レスでまだ活気があった頃、その影響かどうかは定かではないが、卯七への出演依頼が激減し続けた。次々と卯七の出演番組に匿名の誹謗中傷が始まってもいた。卯七は探偵事務所を経営する幼馴染の千葉誠一郎と同郷の弁護士・平川 衡平こうへいに依頼し、本格的な対策に乗り出すしかなくなったが、卯七のゴールははっきりしていた。誹謗中傷者の心の失脚にある。誠一郎と衡平には、告訴による判決で解決するより、解決させずに誹謗中傷の仕掛け人に対し、永久の屈辱のダメージを与え続ける目標を提示した。

 そんな折、卯七の故郷で公僕を務める高校同級の石川仁から町興しへの協力要請があった。仁が予約してくれた宿泊所「駅裏旅館」に到着すると、宿の主人の様子に違和感を覚えた。仁に聞いてもらうと宿の店主に可笑しな連絡が入ったという。

「どんな連絡なんだよ」

「おまえがヤクザだという連絡だそうだ」

 テレビ局に留まらず、こんな所に迄嫌がらせをして来るということは、もう手加減は必要ないということだと、卯七を完全に復讐の鬼にした。

「宿の主人には、おまえが特撮オタの嫌がらせを受けていることを話しておいたから大丈夫だよ」

 実は仁は、最初に卯七の宿泊予約をした宿に、急な葬儀を理由に断りの連絡を受けていた。しかし、そんな事実はなかった。卯七はピンと来た。どこで町興し参加の噂を聞いたのか知れないが、最早やつの妨害は留まるところを知らない程狂った状態にある。やつであることに間違いないが、そろそろ本腰を入れて復讐に拍車を掛けなければならない腹になった。卯七は宿の主人に会って事の顛末を詳しく話した。

「成程…そうでしたか。本当に失礼しました。今度電話があったらしっかり怒鳴ってやります」

 卯七が宿の主人に切り返した。

「いや、相手の話の冒頭で言葉を遮って “こちらからお電話差し上げますので、お名前とご連絡先を教えていただけますか?” と言うのがベストだと思います。恐らく名前も連絡先も言えないだろうから、それで終了です。もし、名前と連絡先を言って来たら、営業妨害を受けたとして、電話の相手にではなく直接警察に通報してください」

「成程、そうします。しかし…都会の人間は暇で恐ろしいね。見ず知らずの匿名如きの中傷を鵜呑みにした私も悪いんですが…」

「やつは性倒錯の狂人ですよ。都心の農業大学に入って学んだのは男女分け目なく相手の下半身をものにすることだけです。自分に靡かない人間は、無思慮に上目線で誹謗中傷し、潰すことに余念がない。第一線の人間は、そんな下らないことに時間を費やしたりはしません」

「それもそうですね。全く人間の風上にも置けんやつだな。嘘八百に振り回された自分がお恥ずかしい。すまんな、狼檎さん」

「今度電話があったら “棚(しがらみ) 凱喜(かつよし)さん、わざわざご連絡ありがとうございます” とでも答えたほうがいいかもしれませんね」

卯七は笑って答えた。


 凱喜がネットで誹謗中傷スレを立てて、匿名の捨てアカ祭りの大盛況で、出だしから勢いMAXの誹謗中傷レスを繰り返したことに、誠一郎はほくそ笑んでいた。

「バカが…既成事実をたんと作りやがった。これで奴は自分の首を絞めて逃げられなくなったわけだ」

「精々、燥いでもらおう。この勢いだったら3年ほどで4~5本のスレが並ぶだろう。どうせひとりのやっていることだ。そこに無思慮なゴミどもが屯って来る。ネタ切れになった頃合いを見計らって、ゴミどもには地雷の導火線になってもらおう」

「導火線 !?」

「そして、地雷になってもらうのは、静観している特撮ファンだ」

「どういうことなんだ !?」

「地雷になってもらう特撮ファンの共通点は、棚(しがらみ)凱喜の被害者だということだ。そういう人間はかなりいることが分かっているようだが、殆どが凱喜の報復を恐れて協力を渋っている…今はな」

「うまくいくかな !?」

「何しろ、正義を愛する特撮ファンだから、いつまでも卑怯な偽情報に踊らされている自分を許せるわけがないだろ。その辺をネチネチと刺激するさ。凱喜を見倣ってな」

「成程…そうなれば、流れに釣られているだけのゴミどもも、形勢が不利になると自主的に寝返るのは時間の問題だな」

「それに、卯七のファンは故郷にも大勢いる。最終的に彼らは、故郷のヒーローが愚弄されているこの顛末を黙って見過ごすわけはない」

「それにしても、ファンというのはよく特撮界の事情に詳しくなれるもんだよな」

「そういう彼らだからこそ、我先に詳しい情報に飢えているんだよ。彼らが最も欲しいのは噂ではなく、正しい情報なんだ。根拠のある情報を投下すればすぐに彼らは群がる。一気に形勢は変わる」

「それにしてもオレなんか、お前が特撮番組に就いたことすら知らなかった。誰にも教えてくれなかったなんて水臭いじゃないか」

「誇れる仕事でもないから…」

「誇れる仕事だろ、誰でも成れるわけじゃないんだ。同期の連中はみんな息を飲んでお前の誹謗中傷レスに苛立っているんだぞ。スレには絶対に書き込まないよう言ってはあるけど、やっと奴の汚点の事実を晒す手筈になって大喜びなんだ」

「でもよ…もし、やつの被害を受けた特撮ファンが釣られて来なかったら?」

「そのときは衡平が開示請求するけど、開示請求には時間が掛かるから、その前に用意していることがある。奴の妻子や親戚の情報や、やつの高校時代のスキャンダルも把握しているから、開示請求の前にその事実を写真付きでネット上に惜しみなく公開するよ。開示請求は最後の手段だ」

「こっちが不利にならないか?」

「告訴出来るならすればいい。露呈することで、どっちが悪事を働いていたかが明らかになるんだ。向こうの告訴は望むところだ。藻掻けば藻掻く程、更にやつの醜態情報を晒し続けるだけだ。やつの悪事のケツの穴まで全て露呈してやるさ。向こうに告訴させるのは衡平の得意技だ。そうなればやつが立てた2ちゃんねるの大量のスレで奴自身が墓穴を掘ることになる。知らなかった事実が露見した家族がどれほど嘆く事になるか計り知れない。とばっちりを受ける家族には気の毒だが、覚悟してもらうしかない。裁判は証拠を多く用意しているほうが勝つ。証拠合戦は衡平の得意技で最終の狙いでもある。誹謗中傷の被害者が弱いと思っているのは匿名の加害者だけだ。被害者は反撃の仕方次第で全て有利に展開させられる」

「おまえら、楽しんでないか?」

「それは言えているが…害獣を追い詰めるのは、狩猟民族のDNAを持つ我々の本能だから仕方ないのさ」

「ひでえな」

「兎に角、オレたちに任せろ」

 衡平は裁判になった場合の勝算は既に掴んでいた。寧ろ、卯七の “解決させない復讐”に、弁護士としてはじれったさを感じていたが、そうした卯七の残酷さも嫌いではなかった。

 凱喜の嫌がらせは、思惑どおりに崩れない卯七の周辺人物に及び始めた。それは弁護士・平川衡平の思う壺でもあった。何故なら、凱喜の家族に悲しい思いをさせる事への罪悪感が少しは薄れるからだ。衡平は早速、第一弾として凱喜ではなく息子の翔に事態収拾の内容証明を送り付けた。息子の翔はそこで初めて親の愚行を知ることになった。凱喜は否定したが、内容証明には凱喜の周辺人物への愚行の証拠が克明に記されていた。凱喜は最初、2ちゃんねるのスレの事に対する指摘だと思っていたが、内容証明を見せられて初めて己の勇み足の大失態に気付いた。文面は、凱喜による複数の女性及び男性特撮ファンへの性加害の実態が記され、被害者たちの承認を得た内容だった。最後に息子の翔への事態収拾の切なる要望で結ばれていた。内容証明作成に当たっては、美穂の協力が大きかった。内容証明郵送後から次第に柵(しがらみ)家、及び近隣住民に不穏な不協和音が広がって行ったのは致し方のないことだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る