その3 劇団主宰
子どもたちが巣立ち、イベント司会業に区切りを付け、卯七は出戻り俳優として再出発した。その目的は劇団活動にあった。卯七にとって、舞台美術の仕事への就職は叶わぬ夢となった今、劇団で自らが舞台美術の力を試すしかない。そのために卯七は、イベント司会業の合間に舞台脚本を書きためていた。劇団結成には俳優の仕事を再開することが必須だった。一般に劇団所属以外の俳優は当然ながら稽古の場を持っていない。精々、ダンスや日舞・殺陣などの各種レッスンに通っている程度であろう。しかし、俳優には演技の稽古の場が絶対に必要だ。稽古を蔑ろにしていては俳優のレベルはいつもスタートラインでしかない。そのために多くの俳優は撮影の仕事がない時を利用して小劇団の公演を渡り歩く。危機感を覚える俳優ほど小劇団の客演に貪欲となる。運が良ければ、たまたま客演した小劇団の舞台で映像にスカウトされる者もいるが、それは極稀な事だ。昨今は人材を捜し歩くプロヂューサーなど皆無だが、小劇団の公演は埋もれた人材の宝庫であることは今も昔も変わらない。問題はただひとつ、視聴率稼ぎのジャリタレに現を抜かすバカが、局の上層部に蔓延っている事だ。しかし、劇団を主宰する以上、団員を製作者側の誰かの目に触れさせる責任がある。劇団結成で卯七に出来る事があるとすれば、舞台美術なのだ。まず舞台美術で観客を引き付け、その前で演じる出演者に焦点を合わせてもらう狙いがあった。卯七の設営する舞台美術が真っ向試されることになる。ネックは小劇団は少人数での舞台進行を強いられることだ。大掛かりな舞台転換要因の予算などない。そこで卯七はキューブを組み替える装置を得意とした。転換でキューブの移動や回転、そして組み換えで物語の場を転換していく装置は、出演者自らの労力で時間と予算を短縮することが出来た。それらは四国巡業での経験が卯七に語り掛けて来た構想である。そして劇団『まほろば』を旗揚げした。“まほろば” の名は、卯七が上京後初めて裏方のバイトで入った小劇団の名前から取った。その劇団は既にリーダーが鬼籍に入って今は存在しない。だから、復活の意味もあった。卯七の舞台は次第に話題となって行った。元特撮ヒーロー色を喧伝したわけでもない。ただ、演劇の街になるという土地に引っ越して舞台活動したのが功を奏したのだ。客演した俳優の何人かが正式に入団を希望し、人数も少しづつ増えていった。
劇団の活動に時間を取られ、テレビに顔を見せなくなると、卯七に妨害のしようもなくなった凱喜はいらいらし始めた。2ちゃんねるへの卯七叩きのレスも極端に少なくなった。叩きようがなくなって、今度は卯七の生活費に触れて来た。
“657のやつどうやって食ってんだw” とか“特撮ファンおどして借金しまくってっるみたいだな” とかの毒を吐こうにもレスが続かない。新人の劇団員である小松久徳と梶はるみがそのレスを見付けて卯七に報告して来た。卯七はにっこり笑って答えた。
「有難いねー、生活の心配までしてくれて」
小松と梶は卯七の意外な答えに驚いた。
「でも、これって誹謗中傷ですよね」
「そうなのかな、でも借金はないからレスは情報不足だね」
「放っといていいんですか !?」
「放っとくも何も、ボクには関係ないから」
「でもこれは狼檎さんの悪口ですよ」
「他人様が言っていることだから、いちいちボクが関わる事でもないでしょ?」
「反論はしないんですか !?」
「どうやって !? スレに書き込むの !? キチガイの仲間入りをするの !?」
「何かの方法で反論したほうがいいと思います」
「あのね、反論なんてないよ。ボクは今とても充実していて幸せなんだ。ボクのような地道な俳優は仕事の浮き沈みが激しいんだけど、貯えられるときは徹底的に貯えるんだ。蟻のようにね。贅の誘惑に負けて生活を広げさえしなければ未来が守られて行くんだよ。君たちが指摘しているレスの方は取り越し苦労をしてくださってるんだけどね」
「…そうなんですか」
小松と梶は卯七の答えに期待外れで去って行った。
劇団『まほろば』の人気もまずまずとなったところで、卯七は千円劇場の計画を立てた。そこには劇団員を宣伝する目的があった。チケットである。お札に過去の偉人の顔が刻印されているように、これからのチケットは代わる代わる座長にした劇団員の顔を印刷することにした。その時々の座長の顔を、銀行券形状のチケットに印刷すると、舞台観劇の常連客だけでなく、チケットの評判を聞いたコレクターが次の舞台を、恐らくその実は “次のお札チケット” を目的に常連客になってくれた感もあった。何れにしても卯七の期待に応えた千円劇場の公演は続いて行った。
当然、そこに寄って来た銀蝿がいる。凱喜である。2ちゃんねるのレスが急に活気を帯びて賑やかになった。チケットに刻印された劇団員への誹謗中傷が始まった。劇団員個々の情報のない凱喜は、公演の度に代わるチケットの顔を、下劣な表現でケチを付けて来た。全く感知しない劇団に業を煮やした凱喜は、舞台公演日を狙って実力行使での妨害工作に出て来た。公演会場近くにガラの悪い連中を動員させ、観劇を阻む企てだったが、卯七は既に読んでいた。もっとガラの悪い連中を手配して彼らを牽制させた。
「兄ちゃんは、どこの組?」
「・・・」
「この先で大事なお芝居があるんだ。消えてもらえるかな?」
「・・・」
「消えてもらえるかと…聞いてんだよ!」
凱喜の犬公の特撮ファンと、卯七の俳優仲間の演技力の差は歴然としていた。凱喜の妨害作戦に駆り出された特撮ファンたちは、脱兎の如く逃げ去り、凱喜の目論見はまた失敗した。千円劇場が何事もなく回を重ねるうち、劇団の片腕である浅見圭司があることに気付いた。
「狼檎さん、おかしくないですか?」
「どうした?」
「もうすぐ千円劇場は劇団員を一周しますよね」
「そうだね。良く続いたね。もう一周行ってみるか?」
「引っ掛かるんですよ」
「何が?」
「チケットの顔に全く誹謗中傷を受けていない劇団員がいるんですよ」
「小松久徳と梶はるみだろ」
「気付いていましたか!」
「劇団を辞めてったよ」
「え !?」
「“君たちは2ちゃんねるで誹謗中傷されていないんだってね。良かったらそのコツを他の劇団員にも教えてくれよ” と言ったら、脱兎のごとく走り去って行ったんだよ」
「卯七さんの顔でそれを言われたら、奴らはさぞ怖かったでしょうね」
「虫も殺さない優しい顔だぞ !?」
「虫は殺さないかもしれませんが、彼らには人を殺しそうに見えたんじゃないですか?」
「浅見くんも言うようになったね」
「鍛えられていますから」
後に美穂からの情報で、小松と梶は凱喜にコバンザメのように纏わり付いていた忠実な犬でることが判明した。千円劇場のチケットで劇団員のクリーンナップが出来たことは計算外の功績だった。
城貫太郎の事務所に出戻った卯七は、舞台と映像の二足の草鞋だったが、映像のほうは、今まで未経験だった京都撮影所やCMの仕事に範囲を広げて精力的に俳優業を熟していった。ラッキーだったのは仕事始めがかつて刑事もののレギュラーにキャスティングしてくれた藏石哲慈プロヂューサーからの仕事だった。開局50周年記念の12時間時代劇ドラマは長期の京都滞在となった。卯七は徳川四天王の一人という大役を授かった。幸運にも凱喜には手も足も出せない領域だったことが判明した。更にかつて落ち続けたCMオーデションの仕事が高い確率で受かり、立て続けに仕事が舞い込んで来た。これも凱喜の妨害領域外が判明した。どうやら凱喜の妨害領域は都内2局でしかなかったことが明らかになった。その頃から、徐々に凱喜のネット闊歩はショボくなっていった。付いて行く犬たちも次第にその姿を消していった。
しかし、芸能界の壁は依然と同じく理不尽で、演技力より所属事務所の力が優先される世界であることに変わりはなかった。京都辻の帷子にある撮影所の仕事をしている折、入り時間が半日以上遅れている共演俳優を控室で待っていた。助監督の弁解では “今新幹線の中”とのことだが、控室のテレビの生中継にその俳優が出演している姿が映っているのだ。そこは東京である。どれだけ急ごうと “どこでもドア” でもない限り、今日中の京都入りは不可能な話だ。そうしたことが罷り通るほど小児性愛のプレデターが巣食うジャリタレ事務所が芸能界を制し、キャスティングの無理な若年化と所属ガキタレへの理不尽な忖度で、折角の秀作が学芸会にも劣る劣化の途を辿っていた。その汚染は各テレビ局幹部にまで広がり、ペドフィリアに感染した役員らの不都合に対し、局社員以下、誰も物言えぬ黙認の域に達する業界になってしまったのだ。元来活躍していた歌舞伎俳優や実力俳優揃いの劇団は、その活動圏をド素人芝居のガキタレに侵略され、各テレビ局から軒並みに売込みマネージャーたちが締め出しを喰らって行った。
一方、劇団『まほろば』は軌道に乗って、卯七の考案した舞台美術も評価を得て来た頃だった。ある意味、卯七の目標は達せられたことになるが、映像では京都でのガキタレ事務所のあからさまな傲慢体験を機に、この理不尽な芸能界を去る機会を窺うようになっていた。
そして、卯七が映像の世界に終止符を打つ時が来た。恩師の他界である。あの四国公演の舞台脚本・演出で民間放送局の演出家だった麻生宏之は、自分の娘の披露宴の司会を任せる程、卯七を買っていた。そして、同じ四国公演の座長で卯七が最も手本にした俳優の相模仙太郎だった。この二人に卯七は、ただならぬお世話になっていた。全く恩返し出来ないうちに二人は急逝してしまった。卯七の背中から魂が抜けるように、俳優としての気力が失せていった。
美穂は劇団での卯七との会話を思い出していた。
「あなたがズルズルと不本意な事態に引き摺られて行ったのは、彼と深い仲になったからじゃないの !?」
劇団を訪れていた美穂は、卯七の厳しい言葉に項垂れるしかなかった。しかし、卯七の言葉は罵倒の言葉ではなく、エールだという事にすぐに気付いた。
「無意味だね。相手とどんな事情があろうと、土足で踏み込んで来た時点で、あなたにはその相手との関係を断ち切る権利があるんだ。あなたに復讐する気があるなら、少なくともボクはあなたの敵ではないと思うよ」
「私はどうしたら…」
「そんなに深刻になる必要なんかないよ。復讐は面白いゲームだよ…いや、愉快なゲームにするんだよ」
卯七自身、これまで襲って来た苦難をそうやって何度も乗り越えて来た。
「…愉快なゲーム !?」
「勢いのある相手なら暫く放っとけばいいじゃないか、勢いがあるうちはぶつかって行ったって疲れるだけだ。好きなだけ暴れさせてやればいい」
「でも、これ以上書き込みをされるのは…」
「たかがネットじゃないか !? それも現実では何の手出しも出来ない匿名のクソ野郎だ。そこに群がるゴミどもも、建設的な思想なんか持ってやしない。放っといているうちに形勢が変われば、そのゴミこそが何れこっちの都合の良い武器になる」
卯七が何を考えているのか美穂にはさっぱり分からなかった。
「周囲に気を遣って自分を見失うのは、バカげている。それより、自分に気を遣ってあげないと可哀そうでしょ。相手の消耗を待とう。なに、大して時間は掛からないよ。予想ではあと半年くらいかな。計画を練ったり覚悟を決めるには丁度いい期間だ。復讐の準備が出来たら、必ず連絡するから待っててもらえるかな? それまでに元気になっててよ。にっくき相手が無様に崩れていく様は最高の快感だぞ」
美穂は卯七の残酷ともいえる表現のリアルさに、救われた。
「私も狼檎さんのように強くなりたいです」
「私は決して強くなんかないよ。寧ろ弱虫だから、やられっぱなしには耐えられない。自分を保つには、やはり、やり返すしかないんだよ。美穂さんも案外そうでしょ?」
「はい!」
「敵よりちょっとだけ賢くて先が見えれば勝てるんだ」
「でも、私にはそんな能力など…」
「だから、仲間が必要なんだよ。仲間を共有しよう。田舎には私の幼馴染や弁護士や調査事務所を経営している仲間が居るから、連絡しておく。つらい時にはいつでも彼らに頼ってくれていいから…」
「ありがとうございます!」
美穂の心は決まった。
「兎に角、自分を取り戻して、自分の足で立って、自分を守ってあげてください。クソヲタには絶対に隙を与えない美穂さんになってください」
「私は愚かでした。その愚かの罪からも逃げたくありません」
「大なり小なり、誰だって罪は背負っているよ。だからと言って、他人を踏み躙ってまで燥ぐクソ野郎は放置しておくわけにはいかない」
「私も…私に出来る事を探します」
「だけど、くれぐれも勇み足はしないね」
劇団事務所に残った卯七を後に、浅見をはじめとする劇団員は揃って美穂を駅まで送った。
「帰る時間が予定より遅くなっちゃったね。列車に間に合うかな?」
「私にはこっちの時間のほうが大切でしたから」
「角館の最終に間に合う事を祈ってます」
「ありがとうございます!」
わざわざ駅のホームまで来て送ってくれる劇団員たちを見て、美穂は久しく浴びたことのない安堵に包まれ、胸が熱くなった。そして、人生を狂わされた凱喜への復讐心こそが、この先の自分を保ってくれる気がした。
美穂が幼かった頃、熱狂的な特撮ファンは珍しかった…というより、特撮ヒーロー番組は男子の観るものであり、女子は専ら乙女チックなものを押し付けられているのが暗黙の空気だった。しかし、活動的な美穂は、兄の
美穂はJR角館駅から内陸線への最終便乗り継ぎに何とか間に合った。下り急行は1日1本しかなく、各駅は美穂の住む終点鷹巣駅まで約3時間半掛かるが、最終便はその中間地点の阿仁合駅が終着のため、そこからはタクシーとなる。兎に角、終電に間に合ったことで美穂はホッとした。ゆっくり走り出す帰郷の内陸線最終便の車窓から、過ぎ去る民家の明かりも次第に見えなくなった。暗闇の窓に映る顔が美穂をうたた寝の世界へと誘っていった。気が付くと美穂は深い森の茂みに行く手を阻まれていた。突然、目の前に巨大な熊が現れ、振り下ろされた前足の爪でバッサリと視界を消されて目が覚めた。
「鬼の子村~、鬼の子村~」
ここは始発・角館駅と終点・鷹巣駅のほぼ中間にある卯七の生まれ故郷である。卯七の先祖の眠る山間の墓地辺りから、蝋燭の炎らしき明かりの列が見えた。こんな時間に誰かの葬儀だろうか…再び列車が走り出した。美穂は車窓を過ぎていく墓地にそっと手を合わせた。最終の終着・阿仁合駅迄あと20分程だ。それにしても、どうしておかしな夢を見たのだろう。しかも不吉な夢のはずだが、何故か不吉な気がしなかった。
美穂は再び東京でのことを思い出していた。卯七は一特撮ファン如きの自分に、しかも何人もの特撮俳優に許されざる行為をしていた自分に、あれだけ優しく出来るのは何故だろう。一方で、己に向けられた凱喜の牙に対してあれだけ冷酷になれるのは何故だろう。人は苦労した分、人に優しくなれるというが、美穂は苦労した人間こそ冷酷になっていくような気さえしていた。卯七の場合、相手次第で慈悲と冷酷の両極を巧みに操っている。今の自分には自立のための冷酷さが必要であり、卯七と同じターゲットに復讐することになった。これ程力強い追い風を経験したことはなかった。しかし、美穂は例え凱喜に強いられたこととは言え、何人もの特撮俳優に許されざる行為をしたことで、自分自身が許せなかった。もし、卯七の力添えで凱喜に復讐出来たとしても、その責任は取らなければならない。復讐後の事もこれからじっくり考えなければならないと心に誓った。
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