第11章 従僕の警戒心

第45話 従僕の警戒(前編)


 一方その頃。アルトバロンは後宮へ続く廻廊の壁際に待機し、大切なお嬢様の帰りを待ちわびていた。


(……それにしても、今日は特に獣人避けの匂いがきつい)


 鼻がおかしくなりそうだ、とアルトバロンはきゅっと眉根を寄せる。

 並みの獣人であれば、後宮に近づけないどころか、昏倒していてもおかしくないだろう。


 アルトバロンはティアベルの剣となり盾となるべくして拾われた従僕として、幼い頃からディートグリム護衛騎士団で、それ相応の訓練は受けている。

 やり方がわかってからは、自分でもあらゆる危険な毒物などに対し耐性をつけた。獣人避けもそのひとつだ。

 だが、それでも無表情を貫き通すには限界があった。


(この中で、お嬢様は本当に安全を保証されているのか? やはり何か適当に言い訳をでっち上げて、お嬢様を屋敷に帰すべきだったのでは……)


 あまりの匂いに、尻尾がイライラを表すように左右に振れるのを、だんだん自制できなくなってくる。


 そんなアルトバロンをこっそりとうかがっていた四人の若い近衛騎士たちは、冷や汗をかきながら、内心震え上がっていた。

 氷の美貌をわずかに歪める黒狼美青年のまとうオーラと、ゆうらりと殺気がほとばしるような尻尾の動きは尋常じゃない。


(毒林檎令嬢の従僕、一人になった途端別人じゃん!? 怖ぇぇ……)

(殺気凄ッ! 虫殺すみたいに人殺してそう……)

(正直俺たちくらい一瞬だろ……)

(ていうか、ここで待つのやめてくれないかな……)


 ディートグリム公爵家の護衛騎士団、しかも副団長代理を表す肩章の付いた軍服姿ということも相まって、若い近衛騎士たちが受けている威圧感は頂点に達していた。


 そんな時だった。

 アルトバロンの目の前を、アクアマリンのように煌めく蝶が、ひらひらと淡い燐光を振りまきながら通過する。


(……なんだ?)


 鳳蝶の形をしているが、どう見ても透き通った光の塊でしかない。


 こんなにも魔力濃度の高い蝶は〝妃胡蝶〟くらいなものだ。しかし明らかに違う。

 ティアベルの家庭教師になるためだけに数多の分野を勉強し、多岐にわたって資格を取ったアルトバロンの脳内図鑑にも記録されていないそれに、他の者たちも声を上げて反応するかと思われたが、彼らは何も言わないままだ。


(まさか彼らには見えていない? ……上級幻覚魔法の類か。相手は隠蔽工作がよほど上手らしい。見えないフリをした方が賢明かもしれないな。王宮内で無闇に振り払うのも――――は?)


 アクアマリンの蝶が目の前で、パンッと小さな花火のように弾けた。


「ふふっ。驚いたかい?」

「……っ! ユーフェドラ王太子殿下」


 目の前に音もなく現れた金髪を肩丈で切り揃えた碧眼の美青年が、優雅な微笑みを携えながらアルトバロンを覗き込む。

 どうやらあのアクアマリンの蝶は、ユーフェドラのものだったらしい。


 神出鬼没の王太子殿下に一拍遅れて、近衛騎士たちはひどく慌てながら背筋を伸ばし敬礼する。

 アルトバロンも敬礼の形をとると、姿勢を正したユーフェドラが「うん。楽にして」とアルトバロンにだけ告げた。


「君に話があるんだ。少しいいかな?」

「…………それは、今でしょうか」

「大丈夫だよ、そんなに時間は取らせない。ここを離れるのが心配なら、ティアベル嬢のことは逐一報告させるようにするから」


 そう言ったユーフェドラの指先からアクアマリンの蝶が生まれ、ひらひらと後宮内へ飛んでいく。


(お嬢様のお茶会が終わるまで、あと一時間くらいか)


 血統書付きの猫のような気まぐれな笑みを浮かべているユーフェドラからは、どうせ逃げられないだろう。


 なにより、宮廷魔術師団の専用演習塔の使用許可を出してもらった恩もある。誠に不本意だが、アルトバロンの立場上、ユーフェドラを無下にはできなかった。


(この人に関わるのは苦手だが……お嬢様が第二王妃との関わりを断てない限り、後宮に関する情報は欲しい。お嬢様の安全が確認できるのなら、大人しくついて行くべきか)


「……………………わかりました」

「ふふふ、凄い間だね。別に取って食いはしないよ」


 さあ、行こうか。そう言って踵を返す彼に、アルトバロンは続いた。




 王城の上層階にあるユーフェドラの執務室は、センスの良い落ち着いた調度品に囲まれた広々とした部屋ではあったが、想像していたよりも雑然としていた。


 執務机の向こう側には、床から天井まで伸びるアーチ型の窓があり、晴れ渡った王都の街並みを望むことができる。

 けれども、肝心の執務机には書類が山積みだ。


 齢六十になった国王陛下がほとんど政治から退き、次期国王であるユーフェドラに政務を任せているという噂は、どうやら本当らしい。

 窓の景色を眺めながら一息つく間もなさそうだ、とアルトバロンは思った。


「どうぞ座って。人払いをしているから、なにも出せないけれど」


 扉に近い場所に置かれたソファセットに彼が腰掛けた途端、今まで聞こえていた雑音がふっと消え、不自然なくらい無音になる。

 ユーフェドラが盗聴防止のために防音魔法をかけたに違いない。

 アルトバロンも無詠唱で、その内側にさらに防音魔法をかけた。


「御厚意に感謝いたします。ですが、自分はそのような立場にありませんので」

「……アルトバロン。僕は君の出自を知らないわけじゃない。遠慮しなくていいんだよ?」

「……いえ。僕はティアベルお嬢様の従僕として、本日ここへお伺いました。……お話とは一体どのような件でしょうか」

「相変わらず硬いね。もっと仲良くしてくれてもいいのに」


 彼は切り揃えられた金髪を揺らしながら肩を下げると、「冗談はここまでだ」と声のトーンを下げた。


「単刀直入に聞くよ。……――後宮の異変に、気がついているんだろう?」


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