第2話 夢と現実
―――2025年3月9日(日)
開店初日。十時オープン。
朝から順調にお客さんが訪れては、次々にお見舞い用の花束を買っていく。
引越しする少し前から母さんが営業許可取得に向けて手続きを済ませてくれていたようなので、引越しからわずか一週間ばかりで開店できたのはありがたい。
本当はこの際、俺がやって営業許可の取得方法を学びたかったのだが、言い出す前にほとんど終わっていた。
慣れたもんだから目を瞑ってでも出来るわと言った母さんの表情に嘘は無さそうだったが、引っ越すたびに申請する必要があることに関しては、もううんざりといった感じだった。
次の機会に俺がやればいいやと一瞬だけ考えたが、それはだめだと考え直す。
そう、俺はこの町で一日も長く過ごすと決めたのだから。
俺は言うならば店長であり経営者なのだから。改めて気持ちを引き締める。
まあ、実際のところは母さんが収支計算をして帳簿をつけているので実質的な経営者は母さんであり、俺は店長と言えるほど将来を見据えた事業計画を立てているわけでもないので、単なる店番でしかないのだが。
ポジティブ思考とネガティブ思考が入り混じったせいで、口角がやや下がり営業スマイルが若干崩れてしまった。
とはいえ、経営者目線で考え当事者意識を強く持つのは間違いなく良いことだ。
安易な考えを捨てるかのように俺は頭を左右に振り、再び口角を上げて今日一番の笑顔スマイルで接客を再開した。
―――十五時時点での一番の売れ筋は千円の花束。次いで二千円、五千円という順番だ。
恐らく、千円は入院日数が長い人、二千円は新しく入院した人、五千円は退院祝いの人に向けた花束といったところだろうか。
素人の勝手な妄想なので本当のところは全く分からない。
オーダーメイドでの花束作りはまだ一件もない。今日は頼まれなさそうだなと何の根拠もなく思った。
とにかく、初日から盛況で何よりだ。俺が丹精込めて一つずつ丁寧に作り上げた花束を見て、入院している人達の辛さが少しでも和らぎますようにと心を込めて作った甲斐がある。
そのお陰なのか、面会時間の終了時刻である二十時よりもだいぶ前、十七時過ぎにはお見舞い用の花束が完売したので、客足が途切れたところで本日の営業を終了することにした。
やっぱりオーダーメイドでの注文は無かった。明日以降に期待しよう。
閉店作業に取り掛かるため、レジ締めをしながらここ数日のこと振り返る。
繁盛しているのは喜ばしいことだが、本当ならばウチの店は昨日の土曜日から開店できる状態であった。
しかし、やたらと暦を気にする母さんの意向により、今日からオープンする運びとなった。
お見舞い用に花束を買っていくお客さんが多い土曜日と日曜日のうち、半分を失うことは大きな損失だと反対したが、母さんが珍しく、焦らず気長にやっていけばいいと言ったので素直に従うことにした。
今までは短期間での引越しを想定して一日でも早く、一時間でも長く営業して稼ごうとしていたのだが、もしかしたら母さんはこの町に深く根を張ろうと考えているのかもしれない。
俺には、今回こそ是非そうなってほしいなと強く願う理由があった。
やっと覚悟を決めて家業に専念すると誓ったはずなのに、まさかこの町に住むことになるなんて夢にも思わなかった。
正直、覚悟が揺らいでしまっている。かなりグラグラと揺らいでいると言ってもいいぐらいに。
その理由は、今も店の前を箒で掃きながら見つめている山の上の建物にある。
―――公立
もし、高校に進学できる環境にあったのならば行ってみたいと憧れていた高校がそこにある。だけど、俺には家庭の事情があるから行けない。
だが、それでも俺はこの地に執着したい。
何故なら、星ノ山高校は一般的な高校と違って招待制の特殊な学校だからだ。
一応、外面的な建前として入学願書も随時受け付けているのだが、この方法で入学したという人を耳にしたことがない。
俺も半年ぐらい前に願書を提出したが、合否の返信が来ることはなかった。
だけど、俺にはまだチャンスが残っている可能性はある。
―――流れ星を掴むかのような、ほんのわずかの可能性。
閉店作業を終え、母さんの作ったチャーハンを食べながら改めてホームページに掲載されている学校要覧に目を通してみる。
校訓として『誠実』『勤勉』『敬愛』といった、ごく一般的で当たり障りのない内容が掲載されている箇所をすっ飛ばして、星ノ山高校が星ノ山高校として確固たる存在意義を示している箇所をじっくりと読む。
―――本校は自主性を最重要視しており、個々の研究活動が円滑に進むよう可能な限りの設備を整えています。
また、学生が少しでも長く研究活動に専念できるよう健康面でのサポートも重要視しています。そのための生活環境も充実しており、寮生活では土日含め二十四時間いつでも無償で一日三食の食事をとることが出来ます。
また、本校最大の特徴として各自の研究および製品開発等における成果を本校が買い受けるという『成果買取り制度』を設けています。
本校は成果の優劣を問わず、本校が定めた一定の水準を満たした成果は全て買い受けるため、本校の生徒はこの制度を利用することで実質的に学費の無償化を実現可能とするだけでなく、収入を得ることさえも可能です。
万が一、経済的な事情や思うように成果が上がらないケースにおいても、本校に併設されている介護施設での簡単な時間労働を行うことで学費の補填を行うと同時に地域コミュニティとの繋がりを持ち、安心して学校生活を送ることが可能なように受け入れ態勢を整えています―――
つまり、何かしらの才能や能力を買われて入学できれば、その才能や能力を活かした研究活動を行うことで学費無料、三食つきの寮生活が行えるということらしい。
もしうまくいかなくても学校内で働くことが出来るから、やろうと思えば学校の敷地内から出ずに三年間を過ごすことも可能というわけだ。
だから、俺にもまだ―――
「コラ!食事中によそ見しない!さっさと食べて明日に備えて寝なさい」
憧れのあまり、集中して読んでいたせいで食事の手が止まっていたらしい。
慌ててスマホの画面をオフにして、残りのチャーハンを一気にかき込む。
母さんの得意料理、食べ慣れた味。
「ごちそうさまでした」
危なかった。このタイミングで注意されてよかった。
多分、もう少し遅かったら心の声がうっかり漏れそうだったから。
だけど、やっぱり俺みたいな生命力を回復、復活させます的な弱い能力は星ノ山高校に入学できるだけの価値はなかったみたいだし、夢を見るのはいい加減もうやめないとな。
店は繁盛、母さんもそこそこ機嫌がいいし、何も不満なんてないじゃないか。
グラグラに揺らいでいる覚悟を持っている自分に対して「現実を見ろ。夢や希望は自分を傷つけるだけだ」と自戒の念を込めて言い聞かせる。
食べ終えた二人分の食器を洗ってから風呂に入り、既に母さんの寝室の戸が閉まっていることを確認した俺は、ここぞとばかりに羽を伸ばしリビングで意味もなくダラダラとテレビを観ながらスナック菓子を食べて怠惰な時を過ごした。
眠気が襲ってきたあたりで寝る準備を整えて布団に入った俺は、寝息を立てているであろう母さんの部屋に向かって心の中でおやすみと言ってから眠りについた。
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