そんな子、知らない

黄金アオ

第一章 俺と母さん あの人と学校

第1話 灰色、もしくは透明がかった紫色の町

 ―――2025年3月3日(月)


「荷ほどき、適当に済ませておくから母さんは先に休んでてよ」


 もう何度目か分からない引越しを繰り返し、新たに住むことになったこの町は、一言で言いうならば『陰気臭い街』だった。


 人はそれなりに行き来しているのに、みんな俯いていて活気がなく、誰もかれもが不幸を背負って歩いているかのような悲壮感を漂わせているように見える。

 交通の便も悪く、これといった名所も特産品もない寂れた町。

 この町にあるのは何を造っているのか分からない大きな工場と、通ったら逆に病気になってしまいそうなほど負のオーラを漂わせている大きな総合病院だけ。


 母さんが選ぶ引越し先はいつもこんな感じの陰鬱な雰囲気が漂う町ばかりだ。

 色で例えるなら灰色、もしくは透明がかった紫。無意識に呼吸を最小限に留めたくなるような、ハンカチで口元を抑えたくなるような空気感の町。


 しかし、実はこのような雰囲気は母さんと俺にとって都合の良い町なのである。

 まだ幼い頃は分からなかったが、母さんが引越しをすると言い出す時はいつも前兆があった。


「あなたのお母さん、だいぶ若く見えるけどおいくつなのかしら?」


 そんな言葉がお客さんや顔見知りの人たちからポツポツ聞こえるようになってくると、母は決まって引越しを急ぐ。

 俺の都合や意思など関係ない。言い出した時点で、それは既に揺るぎようのない決定事項なのだ。


 過去に何度か引越しを阻止しようと足掻いたこともあるが、濡れ手に粟、暖簾に腕押しで未成年の俺にはどうしようもなかった。付き従う以外に選択肢などない。

 今はもう抵抗するだけ無駄だと理解しているので、その分の労力は自分の感情を殺すために割り振っている。

 おかげさまで引越し先で苦労することなく町の雰囲気に溶け込めている。


 まぁ確かに俺から見ても母さんはかなり若いと思う。多分、三十歳前後だろう。

 俺は今年の四月に十六歳になる。学年で言うならば中学校卒業、この春から高校一年になる年だ。

 つまり、母は十五歳ぐらいで俺を出産したことになる。


 なぜ母さんの年齢を断言しないかというと、断言しないのではなく断言できないからだ。

 なぜなら、俺は母親の正確な生年月日を知らないから。

 誕生日は三月三日だと聞かされているが、生まれ年を知らない。


 何度か聞いてみたことがあるが、女性に年を訪ねるもんじゃないと言ったり、「天才」とか「白菜」とか「邪魔くさい」とか適当なことを言い教えてくれなかった。

 確かに女性相手にとって快く思わない質問だということは理解できるが、実の息子にまでそこまでする必要はあるのだろうか。

 ある時、どうしても気になった俺は遂にしびれを切らして家中の引き出しや母さんの財布の中身を徹底的に調べて身分証明書を探したことがあったが、何一つ手がかりを得られなかった。


―――普通、実の息子相手にそこまで隠すことか?

―――普通、挨拶程度の会話で年齢聞かれただけで引越しするか?


 不法滞在者というわけでもなく、指名手配犯でもない。

それでも母さんは全国各地を転々とし続ける。病的という言葉では事足りず、信念というほど綺麗なものではない。狂気という言葉が一番しっくりくる。


 本人も好き好んで引越ししているわけではないので、繰り返すたびに心身ともに疲弊するしお金も無くなる。

 常に耳目に神経を注いでいるのでいつまで経っても落ち着けず休まらない。


 それ故に母さんは、あえて陰気な町を選んでいるのだと思う。必要以上の会話をしなくて済むから。

 俺はそんな母さんの意向に気付いて以降、自ら進んで家業である花屋の店先に立って接客を行い、母さんが出来るだけ人と接しないように心掛けている。

 勿論それは母さんが少しでも安らげるようにという気持ちが第一ではあるが、自分がこれ以上引越ししないための自己防衛策になっているため、結局のところは自分のためなのかもしれない。


 そんな理由で俺は中学卒業後、高校進学ではなく家業に専念すると決めた。

 どちらにせよ、町を転々とする生活では特定の高校に通い続けることは出来ないという理由が一番の原因であることには違いないが。

 そして、この決断は結果的に店の売上げに大きく貢献することに繋がった。


「新しい花屋さん、すごく長持ちするから絶対あそこがいいわ」

「ここの花、とっても元気があって凄いわね。どんな栄養剤使ってるのかしら」

「ここで買った花を持って行くとね、早く退院できそうってすごく喜ばれるのよ」


 ―――俺が気持ちを込めた花は長持ちする。


 薄々、俺にはそんな能力があるのではないかという自覚はあった。

 仕入れた時点で既に弱っていた花も俺が気持ちを込めて世話することで、みるみるうちに生命力を取り戻して活き活きし始めるという経験が何度もあった。

 思い返してみれば、それは物心つく頃には既に存在していて、幼少期から自然と『いきものがかり』や『園芸部』に所属していたし、よく先生や事務員さん達に喜ばれていた。


 そんなことを思い出しながら、俺は慣れた手つきで最低限の荷解きを終わらせ、早々に店の開店準備に取り掛かった。

 陰鬱な雰囲気の町の中、鮮やかな空気に包まれ生命力に溢れた花を売っている店は嫌でも目立つ。

 そして何より、この近くには大きな病院がある。お見舞い用の花は病院へ向かう道にあるウチの店で買っていくは必然的な流れなので繁盛しないわけがない。

 申し訳ないが、三軒ほど隣にある雑貨店で売っている申し訳程度の花束セットは、本日をもってお役御免となりそうだ。

 家業に専念すると決め、これまでは考えたこともなかったライバル店の存在や、立地条件といった経営者目線での思考をしていることを自覚し、何だか自分が急に大人になったような気がして俺は一人で笑った。


「今度こそ、長く住めるといいなぁ」


 町の奥、少し離れた山の上にある建物を眺めながら独り言を漏らし、俺は店先の掃き掃除に取り組んだ。

 一日も早く開店してたくさん稼ぐために。

 そして、灰色、もしくは透明がかった紫色のこの町で一日も長く過ごせるように。

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