2、人魚の脚②

「九尾先生、この木乃伊は……」

 成瀬の言葉に、九尾はとびいろひとみで木乃伊を見つめたまま頷くと己の見解を口にした。

「……これは、人間の子供ではないわ。恐らくニホンザルね。顔は細工で整えて、指の水搔きとか鰭も何かの皮をくっつけたんだと思う」

「ええ。それは、元の持ち主も気になっていたらしく、木乃伊のDNA検査を行っていたらしいのです。その結果は九尾先生の見立て通り上半身は猿でした。ちなみに下半身は鯉らしいです。先生の言う通り、この木乃伊の作者が人間の木乃伊に見えるように、いろいろと細工したみたいですね」

「つまり、この書付は噓だったと?」

 成瀬の言葉に神楽坂は頷き返す。

「さっきも言いましたが、遺族によれば薄気味悪い品物ではありますが、何か変な事があったという事はなく、故人である元の所有者からもそうした話は聞いた事がなかったそうです。それで、まあ、大丈夫だろうと。大変に珍しいものですし、それに何かこう……」

 言いよどむ神楽坂に対し、成瀬はげんに思いつつも促す。

「何ですか?」

「その……妙にかれるものがあって」

「惹かれる?」

 その言葉にまゆをひそめると、成瀬はもう一度、人魚の木乃伊を見下ろす。神楽坂の気持ちがまったく解らなかった。けんにしわを寄せていると、九尾が嘆息して言った。

「この人、取りかれやすい癖に、が好きなのよ……」

 そこで神楽坂は照れ臭そうに笑って誤魔化す。

「こういった古い物には、何ともいえない魅力がありまして……」

 その言葉を遮るように、おほん、と九尾はせきばらいをした。

「断れないとか何とか言って、やっぱり単に欲しかっただけじゃないですか!」

「すいません……何か、こう、魅力的に感じてしまって」

 神楽坂は悪戯いたずらとがめられた小学生のように苦笑しながら謝罪の言葉を述べた。

 そして、九尾が眉をり上げながら己の見解を述べる。

「ともかく、霊障の原因は神楽坂さんが〝過敏体質〟だからです。この人魚の木乃伊を通じて、子供たちの霊が何かを訴え掛けているけど、それほど強い力ではない。普通なら何となく気味が悪いと思う程度でどうってことない。たぶん、神楽坂さんも木乃伊を手放せば大丈夫だろうけど……」

「なあんだ」

 ぱっ、と神楽坂の表情が明るくなる。しかし、九尾はいつになく深刻な調子で続けた。

「……。手遅れね」

「そんなぁ……」と、肩を落とす神楽坂をしりに、九尾は語る。

「その原因となっている子供たちの霊をどうにかしないと、霊障はどんどんひどくなる。そして、厄介な事に子供たちはここにはいない。あくまで、この人魚の木乃伊はアンテナのように媒体になっているだけ」

「神楽坂さんの前に現れた男児たちは三人。つまり、この書付にあるように、他に本物の人間を使った木乃伊がどこかに三つあるという事でしょうか?」

 この成瀬の問いに九尾は首を横に振る。

「まだちょっとわからないけど……とりあえず、視えたのは、どこかの寂れた漁村、それから古い井戸ね。それ以上は、ちょっと、解らない」

 と、彼女は霊視結果を口にした。すると〝井戸〟という言葉が出た瞬間、神楽坂が目を丸くした。それに気がついた成瀬は彼に問う。

「どうかしましたか?」

 神楽坂はおびえた目付きで、忌々しげに言った。

「見ました……黒松やこけむしたいしどうろうが並んだ庭先にある不気味な古い井戸の夢を。この木乃伊ミイラを引き取って、最初に見た夢です。その井戸の中から、子供たちの泣き声が……」

 九尾と成瀬は無言で顔を見合わせる。

 その様子を勘定台に置かれた木箱の中から、人魚の木乃伊がじっと見上げていた。



 それから間もなく、九尾と成瀬は問題の木乃伊を持って『かぐら堂』を後にした。その帰り際、九尾はカラフルな包装の箱に入ったお香を神楽坂に手渡す。

 それは彼女が自ら調合したもので、寝床でけば魔除けになるのだという。これで当面はしのげるが油断はならないらしい。霊は徐々に神楽坂の精神から肉体にまで影響を及ぼし、現実を侵食し始めているからだ。

 さておき、二人は成瀬の運転するリフターに乗って九尾の経営する占いショップ『Hexenladen』へと向かう事にした。

 近くの駐車場に車を停めて、レトロな商店や年季の入った町中華が並ぶ裏通りを渡り、その一角にある店舗前へと辿たどり着く。ドイツ語らしい店名が記された茶色いオーニングテントの奥の扉には『臨時休業』の貼り紙があった。

 九尾は貼り紙をはがしてかぎを取り出すと、入り口の扉を開く。成瀬は木乃伊の木箱を抱えたまま、九尾に続いて扉口の向こうへと足を踏み入れた。

 その奥行きのある店内は、護符やけといったいかにもオカルト的なもの以外にも、アクセサリー類や清掃用具のような日用品から香辛料、トランプや囲碁将棋のような遊具まで、雑多な品物であふれ返っていた。見る人が見れば、これらはすべてオカルトに関わる品物なのだというが、成瀬にはいまだにピンと来なかった。

 ともあれ、成瀬は店舗最奥にあるレジカウンターのそばの床に木乃伊の木箱を置いた。九尾はカウンター内に入ると、ストゥールに腰をおろした。

「……ともかく、三人の子供の居場所を突き止めましょう」

「例の降霊術ですか?」

 九尾は特殊な降霊術によって、土地や物に縛られた霊でも呼び出す事ができる。成瀬はてっきり三人の子供の霊を呼び出して、居場所を問いただすものと思ったのだが、今回はそう簡単にはいかないらしい。九尾は首を横に振る。

「流石に三人の子供というだけしか解っていない現状では、情報が少なすぎて呼び出す事ができないわ。だから、これを使う」

 と、言って、首に掛けていたスモーキークォーツのネックレスを外した。それは、九尾がいつも身に着けている魔除けで、ダウジングの指示器でもあった。

「ダウジングですか」

「ええ。これで、『かぐら堂』で視えた寂れた漁村と古井戸の位置を探る」

 と、九尾は成瀬の言葉に答えて、後ろの棚にあった日本地図を手に取った。その地図をカウンターの上に広げると、ネックレスを指先からぶら下げて地図上に垂らした。

 そこで成瀬は九尾から聞いた言葉を思い出す。彼女は一度見た物なら、ヘアピン一本でもダウジングで捜し出せるのだそうだ。

 しかし、成瀬は彼女のダウジングが、これまでに何らかの有効な結果を出したところを見た事がなかった。したがって、期待感は正直なところなかったが、黙って見守る事にした。

 すると、地図を見下ろす九尾の表情に集中力が宿り始め、同時に指先から垂らしたネックレスが小さく円を描き揺れ始める。

 九尾はそのネックレスをんだ右手を地図の上でゆっくりと動かし始めた。

 その鳶色の瞳は、どこかここではない遠くを眺めているような、常に鼻先に浮かぶ何かを見つめているような、そんな神秘的な輝きをたたえ始める。

 これまでの結果が出なかったダウジングとは何かが違う。成瀬はかたんで見守り続ける。

 そうしてネックレスが、地図上のある一点の真上を通過したとき、先端のスモーキークォーツが一際大きく揺れ動き始める。

 それは日本海沿岸部だった。ちょうど秋田と山形の県境辺りだ。

「……えび……はま……?」

 その地名らしき言葉を口にしたところで、九尾は集中力を切らしたのか、じゃらりと音を立ててネックレスを地図の上に置くと、深々と息を吐き出した。

 成瀬も「エビハマ……」と、その地名を復唱しながら、コートのポケットからスマートフォンを取り出して、いくつかの関連ワードと共に検索する。

「山形県のさか市近郊の沿岸にえびはまという地名がありますね。ここでしょうか?」

「間違いないわ……」

 と、九尾も自らのスマートフォンを手に取り、何やら熱心に調べ始めた。

「何か気になる事でも?」

「ちょっとね……」

 そう言って九尾は黙り込んでしまう。

 手持ちとなった成瀬は『Bar 東カリマンタン』に向かった山田に、いったん連絡を取ってみようと思い立つ。

 九尾に断りを入れようとすると、敏感に察したらしい彼女が、スマートフォンを見たまま、先に口を開いた。

「別にいいわよ。今回は、そこまで大変そうじゃないから、手伝ってもらわなくても大丈夫そうだし」

 特定事案対策室の任務に協力する〝狐狩り〟であるが、逆に〝狐狩り〟が個人的に引き受けた案件を、特定事案対策室側が非公式に手伝う事もある。室長のむらいつによれば〝持ちつ持たれつ〟という事らしいのだが……。

 成瀬はいったん九尾の言葉に甘えようとしたが、不意にかすかな不安が胸中をよぎり、カウンター越しに九尾が熱心に見つめるスマートフォンの画面をそっとのぞき込んだ。

 すると、そこには……。


ざくら 大吟醸 720ml 山形県が世界に誇る銘酒! 明治創業から続くこだわりの味!』


 そして、その画面を見つめる九尾の口元はわずかに緩み、ほんの少し口角があがっていた。

 九尾天全が最高の力を持った〝狐狩り〟である事は疑いようがないのだが、こつなところがあり、酒にだらしない。

 一人で山形に行かせるのは不安しかない。

「いえ。今回もお手伝いさせてください」

 そうはっきり言ったあと、成瀬は九尾の仕事を手伝う許可を得るために、穂村一樹に電話をかける事にした。

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