其之六 復讐の後先
死にゆく男を相手に能力を出し惜しみする気などない。目撃者はいないのだ。
「
曹節の体から
「王甫が蛇で、あなたは蠍ですか。まさに
宦官は〝
「……それにしても、
「その態度は
曹節が驚愕と恐怖の表情を求めて襲いかかった。巨大な鋏が左右から曹操を切断しようと挟み込む。だが、数々の
ギイィィン!
しかし、固く結晶化した蠍の鎧はその刃を受け付けもしなかった。
「ふははは、お前に
曹節は用意周到だった。万が一曹操が裏切った場合を想定して、
「ならば、それが真実かどうか証明しよう」
曹操が態度を変えて言った。
曹操が
曹操がそれを握りしめると、その結晶は融解して、黄色を帯びた気が曹操の体に吸い込まれた。それは曹操の肉体に
「うぎゃっ!」
曹節が
「そんな馬鹿なことがあるか! この青木珠の力を以ってすれば、お前を
曹節は怒りに震えて
「ぎゃあ!」
尻尾の先端部がその一撃で斬り飛ばされ、第二撃が曹節の肉体を斬った。
倒れ込んで呻く曹節の前に立った曹操が自分の謀略を明かしてやった。
「浅はかだな。この日のためにオレがわざと青木珠を贈ってやったのが分からないのか。お前は我が策謀に乗って、のこのこと現れた。全てはオレの
「何だと……?」
曹操は全てを読んでいた。用心深い曹節が黄土珠を持つ自分が裏切る可能性を考えて、必ず青木珠を離さずにいるだろうと。その強みが弱みに変わることも知らず。
曹操はあえて黄土珠を見せびらかせて、曹節に青木珠を
剣を
「……ところで、私はもう一つ仙珠を差し上げると言いましたが、それはこの黄土珠ではありません」
また態度を変えて言った。そして、どこに向かうでもなく、その所有者を呼んだ。
「
「ここに」
その声に反応して、遥か西の砂漠に埋もれていた張奐が階下から姿を現した。
「この者を御存知でしょう。かつてあなた方に
深手を負った曹節にできないことを曹操はあえて提案する。青木の力が白金に勝てないことは曹操が証明したばかりである。無論、曹操は張奐に汚名を
「曹公よ。
張奐はその状況を
「……
追い詰められた曹節が
破石は
「全てはお見通しと言ったはずですが。あなたの手下はすでに私の部下に掃除されていますよ」
曹操は密かに張奐と
「邪をもって正を攻むれば
曹操が『
この邪悪な存在ために殺された数多の清流派人士。握り
「ふふふ、黙っておればよかったものを……。やはり、勝つのはこの私よ。天運が我にあるのは明らか。こんなところで死ぬはずがないわ」
この
「逃がすか国賊め、我が
「あれは……!」
曹操に昔の記憶が
『奴は
五仙珠の一つ、赤火珠は
かつて白金の力を加護にして、宦官誅滅を企てた
「ふははは、我が一存が漢の命運を決めるのよ! お前たちは灰も残さず焼き殺してやる!」
曹節を包む赤い陰気がまた蠍の姿を形成する。曹操が張奐に目をやると、その体はメラメラと炎を
「張奐殿!」
「……心配御無用。我が体はとうに義憤に燃えておる。炎の熱など感じぬわ」
張奐はその身を
「陳太傅、命を
天に向かって拱手を
「張奐殿!」
曹操が張奐を止めようとして叫んだ。白金の力は赤火に勝てない。
ふと、曹操の
「血……?」
再び蠍の鎧を纏った曹節に向かって突き進む張奐に、またもや巨大な火の玉が飛んできた。全身を覆った炎で目に入っていないのか、張奐はそれを避けようともしない。その
血の雨。仙珠を所持していた陳蕃・竇武両名が死の
その清らかな血が天に昇り、集まって霊気の雲を作り、今、血の雨となって張奐の身に降り注いだ。
天佑。張奐の叫びが天の陳蕃へ届いたのか。まさに天の助けだった。
「まさか……!」
自身を包む絶対的な天運を
「うおおおっ!」
天の加護を受けた張奐が身を投げ出して、憎き相手に体当たりした。全身全霊の剣の一撃が曹節の体を深々と
「張奐殿!」
曹操が駆け寄って、下を
曹操は急いで階下へ向かった。
曹操が張奐のもとに駆け寄る。手を当てて生死を確認してみたが、もう生体反応は見られなかった。焼け焦げた張奐の肉体。陳蕃の仇に報いるという使命に命を燃やし尽くしたのだ。曹操はそう思った。曹操が義に散った張奐の肉体から現れ出た白金珠を拾い上げた。
白金珠の内部には粉雪が舞い散るように霊気が漂い、底に降り積もっていく。
曹操の
『白金珠はずっと張奐殿の心の内にあったか』
曹操が残り二つの仙珠を拾おうと振り返った時だ。火の玉が曹操を襲った。
不意を突かれた曹操はその直撃を受けた。清流の血の雨を浴びていたお陰で曹操の体が燃えることはなかったが、弾き飛ばされ、橋の
「お前のお陰で目の上の
幻聴のように聞こえた声は不快感を
「ずっとこの赤火珠を手に入れたいと思っておった。これで漢は私の物よ……」
何とか正気を保とうと抗っていた曹操であったが、その声が聞こえなくなったところでついに気を失った。曹操の体から静かに湧き昇った気が結晶して、
曹操の頭の中で過去の歴史がリプレイされた。
陳蕃と竇武は白金珠の力を恃んで宦官打倒の兵を挙げた。二人はその力が自分たちの行為を助けてくれるだろうと信じた。正義は完遂されると……。
しかし、その時、王甫・曹節側には赤火珠があった。赤火の力によって白金の力は減衰され、結局、天運は陳蕃と竇武に味方しなかった。
宦官に
それは陽気となって張奐の体に吸い込まれ、張奐の清心を感化し、以来、ずっと張奐と共にあったのだ。張奐はそれを
赤火珠は曹節に渡った。漢の正色である赤の天運を
一方、曹節に対抗する王甫は反逆の野心のあった
さらに、袁家が仙珠を所持していることを知った王甫は百鬼に屋敷を襲撃させて
王甫は次々と自分の一族を高官要職に就け、曹節の権勢を
危機感を覚えた曹節は曹操が中心となって動き始めた王甫誅殺計画に力を貸すことにした。曹操と言う男は曹節の予想以上だった。まるで自分のように、表には出ずに密かに謀略を進め、ついに王甫を死へ追い込んだ。
曹節はその才覚に興味を覚えると同時に、仙珠を手にした曹操を警戒した。
そんな時に曹操から申し出があったのだ。嘘か
曹節は警戒心を
ところが、曹操はまるで死地に踏み込んだ様子を見せない。殺気はおろか、焦り、緊張という
曹節はいつしか警戒を緩め、曹操を有能な部下と見なすようになった。
曹操は父の曹嵩が司隷校尉に取り立てられたことを契機にして、そのお礼に今度は黄土珠の献上を申し出たのである。
曹節が
張譲は曹操の裏切りを知った。しかし、それは張譲の望んでいたものでもあったのだ。
張譲が手に入れたかった物。赤火珠。曹節の死で、それは
目の前にはまだ他の仙珠も転がっている。張譲は
しかし、歓喜の張譲はこの時点でも、曹操がかつて自分の屋敷を襲った男だとは気が付かず、その生死すら気に留めず、ただ
曹操は獄中で目覚めた。
それは父の曹嵩が張譲に黄土珠を譲渡したことで実現したものだった。
畢圭苑での騒動の後、気を失った曹操は夏侯兄弟に助けられたが、間もなく曹節暗殺に関与した疑いで、張譲の派遣した兵に捕えられた。そして、北寺獄へと連行されたのだ。
曹操は屋敷に戻ると、それを聞いて、父に詰め寄った。
「宝玉を渡したのですか?」
「そうだ。司隷校尉も辞めた」
「な……。私一人の命とあの宝玉と、どちらが大切だと思っているのですか?」
「お前だ」
曹嵩は即答した。
「お前の祖父は
父にそう言われて、曹操は黙り込んだ。曹嵩は息子を救うために司隷校尉の職を辞職した。張譲と
仙珠を質にした司法取引は功を奏し、曹操は無罪放免と相成った。
曹節は百鬼の手にかかって殺され、曹操もその男によって殺されかけたというのが公式発表となり、真相を知らない民衆は百鬼の再来を恐れた。
父がそこまで自分のことを考えていたとは知らなかった。素直に父親の気持ちが胸に染みた。両の瞳から自然と涙が
「祖父が父を養子に迎えた真の理由がわかりました」
「名を気に入られたらしいが」
曹嵩。その名は
「それは表向きの理由。真の理由は父上の
巨高は曹嵩の
「ありがとうございます、父上」
涙が曹操の頬を伝った。それは成人してから初めて人に見せる涙だった。
「幼少の時以来だな、お前が泣くのを見るのは」
「とうの昔に枯れ果てたと思っていましたが。自分でも驚きました」
曹操は少し
仙珠を失ったからといって、曹操の功績が消えることはない。党錮以来、清流派の長年の宿敵である王甫・曹節を除いたのだ。
失ったものはまた取り戻せばいい。取り戻す自信はある。己の才覚を
前を
新たな時代の到来を見据える曹操の
四年にも渡った交州での反乱が
もともと交州といった異郷に関心の薄い中央政府は
益州での
漢中郡の
「――――板楯は
理想的な解決策を
また、馮緄の子で党人の
〝卓密〟とは、仁徳を備え、民を愛し、教化した後漢初期の名臣、
その評価が示すように人格と政務の才を兼ね
その後、樊敏は巴郡宕渠令に移った。巴郡は板楯の民が多く居住する地域で、特に宕渠県に多かった。彼ら板楯は勇猛であったので、各地の反乱に際してよく兵役が課せられた。
馮緄は
馮緄は地元の英雄であったので、板楯の民衆からの人気も高く、馮緄の勇名と板楯の勇猛さは賊徒から大いに恐れられた。そのせいか、馮緄が
この朝廷の不正な仕置きに板楯が怒りを覚えたのは言うまでもない。馮緄のことだけではない。普段から戦時に命を
趙温は
樊敏は趙温と同じく、彼らを仁徳で導き、教育を施した。板楯の民は樊敏を心から信頼し、彼の長期在任を願った。しかし、それは叶うことはなかった。
樊敏が職を辞した理由は母の喪のためで、これは儒教文化では当たり前で仕方のないことであったが、後任が良くなかった。前が良過ぎたというのもあるが、再び冷遇の時を迎えた彼らはそれを嫌って、再び
ともあれ、馮鸞・程包らから一連の事情が伝えられて、清流派官僚たちはこぞって清廉な人物を太守として派遣するのが鎮定の一番の方法だと論じた。
曹操もそれに賛成し、朝廷はその言葉に従って、清廉温厚な
曹謙はかつての趙温と同じように恩情をもって板楯に対し、光和五(一八二)年に至って、ようやくこれを降すことに成功したのである。
漢を揺るがした二つの大きな反乱が
傾きかけた漢の
しかし、光和五(一八二)年の二月、疫病が流行して、多くの死者が出るという被害があり、さらに、
皇帝はこの天の意志は何を意味しているのか
「――――疫病は陰気が荒れ狂って起こり、旱も陰が
王甫・曹節の
しかし、まだ張譲や
『一度倒れかけた国家が立ち直るのは容易ではない。民草の怨嗟の声は深く大地に染み込んだ。時は
各地を駆け巡り、政権の内と外とを良く知る曹操には全く
むしろ、
あちこちの反乱の根っこには政治腐敗と濁流派が
王甫・曹節は死んだが、濁流派が根絶されたわけではない。王甫・曹節亡き後、それに代わる濁流派の二大巨頭として台頭を始めたのが張譲と趙忠だ。首が
未だ党錮政策は解除されず、清流派人士の多くが汚名を着せられたまま、野に埋もれている。民衆の不満はまだ
張譲に渡った仙珠。新たな敵。それは最初の敵でもあった。
状況は振り出しに戻り、時代は新たな局面を迎える。
その
三国夢幻演義 清濁抗争篇 第六章 双頭終焉 光月ユリシ @ulysse
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