其之五 忠剣を抜く時

 零陵れいりょう郡の治所がある泉陵せんりょう県は川辺の低地にあって、周囲には湿地帯が広がっていた。その環境は会稽かいけい郡の山陰さんいんと似ている。そして、置かれた状況も似ていた。

 泉陵の県城の周囲を数千の賊徒の群れが囲んでいるのである。梁龍りょうりゅうが率いてきた交州の賊徒たちだ。官軍は兵力が少ないために籠城ろうじょうを余儀なくされていた。

 しかし、賊徒たちはまだ大将が死んだことを知らない。それを知っているのは袁忠えんちゅう胡騰ことう親子、そして、孫堅そんけんだ。三人の党人を隠した孫堅はすでに百余りの兵を集めていた。

 地勢を付与するという神器じんぎの力があったのかどうか、道中、賊を討伐するために兵をつのったところ、地元住民たちが義勇兵として続々と集まってくれたのだ。

「我等は賊軍に合流して、まずは味方をよそおう」

 孫堅には勝算があった。敵は会稽の許昭きょしょう許生きょせいの時と同じく、梁龍りょうりゅうの妖術を頼みにしている烏合うごうの衆だ。数が多いだけにまぎれるのは容易たやすい。敵のふところに潜み、城内の味方と呼応できれば、賊軍は大混乱におちいるだろう。問題はどうやって城内の味方にそれを伝えるか。

「城内の官軍が私たちを味方とは信じないのではないですか?」

 孫堅のかたわらにいた軽装のよろいを着込んだ青年が聞いてきた。名を黄蓋こうがいあざな公覆こうふくといった。荊州の名門・黄氏の出自ながら、その様相はそれらしくない。

 彼の大祖父は黄瓊こうけいあざな世英せいえいといい、江夏こうか安陸あんりくの人である。梁冀りょうきの時代に三公となって、その専横を抑えた。祖父の時代に災難を避けて、ここ零陵郡泉陵に移住してきたのだという。

「心配するな。私は交州刺史からの書簡を預かっている。それが何よりの証拠となる。それを矢文で届ければいい。太守の明察があればいいが……」

「そういうことなら、心配はいりません。賢明な太守様でいらっしゃいますから」

 零陵太守は楊璇ようせんあざな機平きへいといった。会稽郡烏傷うしょうの人である。父の楊扶ようふは交州刺史を務め、兄の楊喬ようきょうあざな聖達せいたつは桓帝の時代、尚書となった。

 楊喬は容姿才能に優れ、特に桓帝に気に入られた人物で、公主(皇帝の娘)の婿むこ候補筆頭に挙げられた。謙虚に過ぎた楊喬はそれを恐れ多いと断って、何も食べず死んでしまったという。

 楊璇もそうだが、陸康りくこうしかり、朱儁しゅしゅんしかり、江南出身者が南方の刺史や太守に任命されるケースが多い。

 地元豪族との癒着ゆちゃくを防ぐため、郡県の長は他郡出身の者が任命されるのが当時の常であり、中でも、江南出身者が多く荊南・交州の郡守刺史に任命されるのは、ひとえに南方の諸事情に通じていたことが大きな理由だ。

 広大な中国では、方言をはじめ、北と南の文化習慣は大きく違う。事情にうとい者より、それに通じている者の方が統治がうまくできるだろうことは言うまでもない。

 孫堅らはうまく賊軍の中に入り込み、孫堅は城攻めに乗じて、城内に矢文を射かけた。零陵軍の出撃に合わせて内応する――――それが孫堅の作戦だった。

 それをしるした矢文は確かに零陵太守のもとに届いたのだろう。

 数日後の風が強く吹き付ける日。突如とつじょ城門を開いて官軍が攻勢に転じた。

 楊璇は稲藁いなわらを満載させた多くの荷車を集め、それに火を付けて賊軍へ突進させた。

 さらに、石灰せっかいを積んだ車も用意していて、ふいごでもって、それを吹き飛ばした。

 目くらまし作戦だ。追い風にも乗った灰塵かいじんは賊軍中に広がり、賊徒たちは視界をさえぎられてしまった。賊軍を混乱させて孫堅らが内応しやすい状況を作ってくれたのである。

「さすが賢明な太守殿だ」

 孫堅は不敵な笑みを浮かべると、即座に辺りの賊徒の数人を斬り倒した。

 黄蓋以下、義勇兵も賊徒に襲いかかる。反乱の開始だ。皆、孫堅に合わせてあかく染めた頭巾をかぶっており、官軍に間違って攻撃されないよう、味方同士で戦わないよう、それが目印になるようにしている。

 楊璇の作戦と孫堅の内応。大将の不在。外と内から攻められて、混乱した賊徒たちは統制がとれず、その混乱の度合いは加速度的に波及していく。

 数で劣っていても官軍の勝利は最早もはや濃厚だ。煙幕が晴れる中、孫堅の目の前を官軍の騎馬隊が横切っていった。少数ながら遁走とんそうする賊徒を追撃するその騎馬隊の中に孫堅は知っている顔を見た。

「何で、あの男がここにいる?」

 その理由は戦勝にく城内で聞くことになる。


 孫堅は零陵太守・楊璇に拝謁はいえつし、その後、戦功あった公孫瓉こうそんさんと対面した。

「これぞまさにわざわい転じて福とす、だ」

 生粋きっすいの武人である公孫瓉は戦で活躍できて上機嫌だった。実は公孫瓉は流刑に処された前遼西りょうせい太守・劉基りゅうきの付き添いで交州日南郡へ向かう途中だった。

 他にも見知った顔がいた。郡の官吏となっていた韓当かんとう程普ていふである。

 韓当が一緒だった理由は公孫瓚と同様だ。程普は遼西人ではないが、かつて幽州府の役人時代に当時の遼西太守の家族を護送する任務にあたり、それを完遂できなかった過去がある。自責の念に駆られて日々を過ごしていたところ、後任の遼西太守・劉基の流罪を知った。これに帯同したのは自らを罰するため、そして、今度こそは護衛任務をやり遂げようという思いからだった。

 ところが、交州で起きた反乱が拡大していたために、劉基護送団一行は道中の零陵に留め置かれていたのだ。その最中に恩赦おんしゃが発令されて、劉基は放免と相成った。

 公孫瓉と程普・韓当も故郷・幽州へ帰れることになったのだが、タイミング悪く州境を越えて賊徒が攻め寄せ、零陵が籠城を決め込んだために身動きが取れないでいた。

「ずっと城から出られずにいらいらしていたんだが、今日は実にいい気分だ。酒が美味うまい」

 公孫瓉は兵舎の前で兵士たちとともに酒盛りの最中で、したたかに勝利の美酒に酔っていた。自由の身になった公孫瓉は自ら願い出て、一志願兵として零陵軍に加わったのだ。得意の弓で押し寄せる賊徒を射まくったのはいいが、防戦一方の展開に次第に鬱憤うっぷんつのっていった。故郷・遼西での鮮卑せんぴとの戦いでも、常に馬にまたがり、広々こうこうとした原野を駆け抜け、風をきって敵を追ってきた。狭い城にこもって戦うのは面白くない。攻めることが信条の公孫瓉である。

「やっぱり攻めてこそ戦よ」

 公孫瓉はさかずきの酒を豪快に飲み干して息巻いた。目の前の孫堅が転機をもたらしたなど思いもよらない公孫瓉は、籠城作戦を貫いていた零陵太守が一転して出撃の命を下したのに気を良くして、今度は突撃隊に加わった。そして、此度こたびの決戦で暴れ回り、諸々の鬱憤を晴らしたというわけである。

「それにしても蒸し暑い! 南の気候は肌に合わん!」

 それは大いに酒のせいでもあるのだが、酔いで判断能力の低下した公孫瓉はそれを酷暑のせいにして不快そうに汗をぬぐった。

 公孫瓉に募った鬱憤の原因はどうやら防戦一方の展開だけではなかったようだ。

 孫堅も黄砂や豪雪といった北の風土には困らされた。長年離れていた家族と再会したばかりでもある。遠い異郷にある公孫瓉が酒に浸る気持ちは理解できた。

 ところが、

「おい、何だよ。ついこの間まで罪人だったくせに、大口たたきやがって。お前もほこりまみれの北の果てから来たんだろうがよ」

 故郷をけなされたと感じたのか、やはり酔いの回った地元出身の中年兵士が公孫瓉にからんだ。それがさらに公孫瓚の気分を害す。

「何だと、この野郎! もう一遍言ってみろ!」

「始まったぞ、徳謀とくぼう

「うむ。ああなったら、近付かない方がいい。孫堅殿、あちらへ参りましょう」

 韓当と程普が孫堅をその場から遠ざけようと誘った。

「この暑さは瘴気しょうきのもとだ。平気なのか、お前らは?」

「平気に決まってんだろ。ヤワだな、北の連中は!」

「何だと、てめぇこそ弱兵のくせに!」

 公孫瓉が兵士の胸ぐらをつかんですごんだ。

 荊南や交州の夏はとにかく高温多湿で、北の人間からは病気の蔓延まんえんする瘴気の地として見られている。特に幽州という北方出身の公孫瓉には耐えがたいものがある。

 孫堅は酔っぱらい公孫瓉が都の蔡邕さいよう邸で起こした騒ぎなど知らない。

 だから、去る前に、

「やめろ、せっかくの美酒が台無しになる。それより、酒で勝負したらどうだ?」

 安易にも、そんな提案をしてしまった。

「望むところよ! 俺の酒豪っぷりを見せつけてやるぜ!」

 そんな台詞せりふを豪語する酔っぱらい公孫瓉は当然ながら、幽州で会った孫堅がなぜここにいるのか、探し求めていた上司と会えたのかなど、一切頭にない。

 二人をつなぐ唯一の共通点は劉備りゅうびである。だが、孫堅も劉備と共に蔡邕を救出したことなど、その後の顛末てんまつをあえて語ろうとはしなかった。

 悪い人物ではなさそうであるが、心から信頼の置ける人物かどうかは分からない。

 まして酔っているのだから、蔡邕や党人のことなど軽々しく話せるわけがなかった。

玄徳げんとくによろしく伝えてくれ」

 孫堅は程普・韓当にうながされて公孫瓉との対話を早々に切り上げた。

「おう、伝えてやるぜ。俺様の活躍も含めて全部な!」

 御機嫌の公孫瓉は杯を高く掲げて言ったものだ。孫堅は軽く首を振り、その場を後にした。それを見送りもせず、公孫瓉は中年兵士との酒戦に先制して、杯の酒を豪快に呑み干した。


 霊渠れいきょの穏やかな流れの如く、順調に進んでいる。孫堅は袁忠と胡騰親子を零陵に残して南下した。蒼梧そうご郡に移って部隊を展開中の朱儁にその事を報告するためだ。

 零陵太守の楊璇は朱儁が認める清流人であるので、彼に袁忠らの庇護ひごを頼めば、何も心配はいらなかった。

 零陵は荊南を南北に貫く湘水しょうすいが流れ、その西を灕水りすいが南に貫いている。そして、この二つの河川を繋いでいるのが〝霊渠〟と呼ばれる全長三十四キロの運河である。

「――――ここから蒼梧に抜けるなら、霊渠の水路を使うのがよかろう。その昔、伏波ふくは将軍・馬公も利用した歴史ある道だ」

 袁忠たちの身柄を預ける際、太守の楊璇がそう勧めてくれた。

 霊渠は秦の始皇帝が当時南方に君臨していた南越を討伐するために、兵や物資を輸送させる水運路として開削させた運河である。北方征伐の道が直道なら、南方征伐の道がこの霊渠を経由する水道であった。

 泉陵から北へ向かうには湘水を下れば、容易に長江まで出られた。霊渠が開通したことで、南へ向かうにも水路伝いに蒼梧郡の郡都・広信こうしん、南海郡の郡都・番禺ばんぐう、そして、大海まで出られるようになったのだ。

 霊渠建設は中国東北部の住民を大量移民させて行われた南方の一大公共事業であった。

 実は霊渠の建設当時、一つ大きな問題があった。両河川は距離はさほど離れていなかったが、高低差があって、ただ繋ぐだけでは機能しなかったのだ。それを三十六もの水門を設けることで解消した。

「――――かつて李冰りひょう雷垣らいえんを開削した時の技術を用いたのです」

 そんな話になって、袁忠が昔話を語った。

 李冰は戦国時代末期の秦の軍人であり、科学者である。彼はしょくの太守となって毎年氾濫はんらんする江水(現在の岷江みんこう)の治水工事に乗り出した。この際に洪水を引き起こしていた暴れ龍を李冰が退治したという伝説が残る。李冰は大衆を動員して石を詰めた竹籠たけかごをいくつも川に沈めて中洲を作り、せきを築いた。川の流れを二つへ分けて勢いを分散させ、洪水のリスクを軽減させるとともに、一つを成都平野に引き込んで灌漑かんがい用水として利用したのだ。

 これが古代の水利施設〝雷垣〟、現代で言う〝都江堰とこうえん〟である。

 雷垣の完成によって、耕作面積が拡大し、成都平原は沃野よくやへと変わった。蜀は〝天府てんぷ〟と呼ばれる豊穣の地へと変貌へんぼうしたのだ。

 しかし、この時、楊璇がもたらした情報は不穏なものだった。

「――――時を同じくして、益州でも大きな反乱が起きておるようだ」

 雷垣があるのは今の益州である。その益州でも、異民族の板楯ばんじゅんが反乱を起こしていて、益州刺史が討伐に当たったが、鎮圧できないでいた。

「――――あちこちで濁流のうみが弾けているようですな。国を揺るがす大乱の前触れのような気がしてならない」

 胡騰が言って、顔をけわしくした。北の鮮卑族といい、漢王朝の腐敗と弱体化があちこちの異民族を武装蜂起に導いているのだ。それを聞いた袁忠が、

「――――それを鎮め、清めてくれるのが若い世代です。孫堅殿のような……」

 胡騰にも、楊璇にも、改めて孫堅を紹介するように自信を込めて言った。

「――――では、是非とも霊渠を行ってもらいたい。灕水はそれは天下一の清流ですぞ」

 直道。霊渠。これら始皇帝の遺産は漢代においても重視され、後漢初期に交州で大規模な反乱が起きた時、伏波将軍・馬援ばえんはこの霊渠を補修・浚渫しゅんせつ工事をして行軍に利用した。霊渠は依然交州へ通ずる交通路として機能していたのである。

 孫堅はその遺産を行くために、再び舟に乗った。義勇兵として出会った黄蓋がそのまま嚮導きょうどう(道案内)を務めてくれることになり、意気投合した程普・韓当も故郷に帰るのではなく、孫堅と共に行く道を選んだ。


 再び清流に乗る。霊渠の道は楊璇が天下第一と評した灕水に通じていた。

 透き通った水は川底に揺れる緑の水草を鮮やかに浮かび上がらせ、河岸をいろどる奇岩の数々はまるで仙境を思わせる。山紫水明さんしすいめい、山水の風景。天下一の形容も決して大袈裟おおげさではない。零陵で撃ち破った賊徒は零陵軍に追撃されて、交州へと退散した。

 おかげで賊徒の姿は見えず、実に平和な道程であった。

 灕水が南流し、交州の大河・郁水いくすいと合流するところに蒼梧郡の郡治・広信県がある。

 交州刺史・朱儁は思惑おもわく通り、大きな戦を行うことなく、その近くまで軍を進め、街道を封鎖していた。亜熱帯の酷暑を避けて、林に設けられた簡素な幕舎に孫堅が到着した。

「おお、文台。思ったよりも随分早い到着だな」

 朱儁が孫堅を出迎えて言った。

「零陵は安まりました。これを」

 孫堅は楊璇からの書状を手渡した。それを一読した朱儁がうなずきながら言った。

「何と、賊の首魁しゅかいを斬ったのか。君のことだから、万事うまくやってくれると信じていたが、期待以上のことをしてくれた」

 その書状には勝利の報告と党人二人の引き受け受諾じゅだくするむねしるされ、孫堅が九疑山きゅうぎさんで梁龍を斬った事実も記されてあった。

「こちらも順調だとお見受けします。蒼梧では賊徒を見ませんでした」

「それはこの者の功だ。この遥か南方の地にも忠臣がいた」

 朱儁は作戦が順調に進んでいるその功績を傍らの長身の男のものだと紹介した。

 士燮ししょうあざな威彦いげん。蒼梧郡広信の人であるが、その祖先は予州魯国汶陽ぶんようの出身であるという。前漢末の混乱を避けて、一族でこの交州へ移住してきた。以来、交州では珍しい漢人の知識人として蒼梧に根を張り、父の士賜ししは桓帝の時代に日南太守を務めた。

 士燮は都・洛陽に遊学して劉陶りゅうとうに師事して学問を修めた後、茂才もさい(秀才)に挙げられて尚書郎となった。ところが、朝廷内の権力争いに巻き込まれて罷免ひめんされ、故郷に戻っていた。

 現在は父のに服す身だが、その最中に起こった地元交州の動乱に際し、士燮は朱儁に協力して蒼梧の住民を慰撫いぶしながら、朱儁の方針を説いて回っていた。

 士一族は蒼梧では大きな影響力を持つ。その士燮の尽力があって、蒼梧の騒乱は比較的穏やかに収束に向かっていた。

「使君の方針が理を得ているのです。今まで交州には貪穢たんわいな太守県長が多く、刺史はそれを監督できずに民はずっと苦しんできました。反乱の原因は明らかですから、民に厚い信義と深い恩情を示し、奸臣をちゅうして、愛民を実践すれば、動乱は自然と収まります」

 士燮が語った交州の情勢がまさしく真理を突いていた。続けて士燮は言った。

「政事では孟府君もうふくんの治を、軍事ではこく府君の恩を手本とするのが良いでしょう」

 零陵太守・楊璇の兄、楊喬が桓帝に強く推薦した人物に孟嘗もうしょうがいる。

「――――嘗は仁に安んじ、義を広め、道徳にふけり、清行は俗を出で、能幹のうかんは群を絶す」

 孟嘗はあざな伯周はくしゅう、朱儁と同じ会稽上虞じょうぐの人で、交州の合浦ごうほ太守となった。

 その時も情勢は穏やかではなく、合浦は反乱の一歩手前であった。なぜなら、前任の太守が酷く貪穢だったせいで、合浦の主要産業であった真珠生産がその被害を受けていたからだ。乱獲が推奨すいしょうされ、その利益の多くが太守のふところに消えた。乱獲は資源を枯渇こかつさせ、真珠の採取量が激減したことで、民の収入も落ち込み、生業なりわいを失った者も多く出た。

 不満が募るのは当たり前である。嘗は赴任すると、まず食糧を買い集めて民にほどこし、その不満を鎮める一方、無計画な乱獲を禁止し、計画的な採取を義務付けた。

 この改革で、一年足らずで真珠生産は回復し、民に鬱積うっせきした負の感情は霧消むしょうした。

 こうして孟嘗は見事に経済を立て直し、民心を安定させ、合浦の地に輝かしい治績を残した。治政者が不義を行わず、民のことを考えて施策を行えば、民の心を鎮められるという最善の手本である。

 また、建寧けんねい三(一七〇)年、鬱林うつりん太守の谷永こくえいは反乱を起こした烏滸うこを恩信でもって投降させた。烏滸は交州に居住する南方異民族のことで、食人文化があった。

 それが元で、馬鹿な真似まねをすることを〝烏滸おこ沙汰さた〟というようになり、身の程をわきまえないことを言う〝烏滸おこがましい〟という言葉も生まれた。

 この時の烏滸の反乱規模は十万人だったというが、谷永は討伐行為を採ることなく、反乱を鎮定したのである。そして、彼らを教化しようと融和政策を進めた。

 士燮の言葉を聞く前から、朱儁が目指すのはまさにそれである。

 時間はかかっても、穏便に事態を収拾する方が禍根かこんが残らない。今後の統治にも影響するだろう。孫堅は朱儁ならば、それを立派にやってのけるだろうと思った。

「御苦労だった、文台。君を呼び寄せた我が判断は正しかった。そなたはまさに国難の時に授けられた漢の忠剣だ」

 朱儁は胡騰を探し出し、零陵の危機を救い、梁龍を斬るという大仕事をやってのけた孫堅を称賛した。

「だが、今後しばらくはその剣をさやに納めておこうと思う。長旅で疲れただろう。ここで休んで、幕舎に留まってくれ」

 朱儁はそう言って孫堅の功をねぎらった。


 慰撫に務める朱儁の方針もあって、孫堅の出番はしばらく訪れなかった。

 士燮は新たに交阯こうし郡へ派遣され、士燮の弟の士壱しいつが合浦郡へ派遣された。それも士燮の献策だった。

「――――私を交阯へ、弟を合浦へ派遣ください。最初に反乱が起きたのはこの両郡。二郡を収めることができれば、収拾が早まるだけでなく、軍を遠征させる必要もなくなり、軍費兵糧を節約できます。かつて父が日南太守を務めましたので、私は日南にも多少顔が効きます」

 士燮は交阯郡の鎮静を試みた後は日南郡へ向かう手筈てはずになっている。

 軍をこの場に留めたまま蒼梧以西が治まれば、言うことはない。

 賊徒のリーダーだった梁龍が死に、それに率いられた軍が零陵で大敗をきっした。

 賊徒の一気呵成かせいの勢いはしぼんだ。ガス抜きされた彼らが士燮らの説得に応じて投降すれば、残るは南海郡となる。

 報告では、南海太守・孔芝こうしが反乱に同調しており、欲にかられた郡兵がそれに従って反乱に加わり、略奪行為を行っているという。

「――――忠を尽くし、義を施すべき官吏が国にそむき、民を忘れ、不義に走ることこそが反乱の元なのだ。孔芝と反乱した郡兵は許さん」

 朱儁は熱く言った。そして、それを攻める時に漢の忠剣を抜くつもりである。

「――――朱使君の〝漢の忠剣〟という言葉、我が胸に刺さりました。孫堅殿が義兵を率いる時はどうか私もその一人にお加えください。すぐにでも駆けつけます」

 嚮導(道案内)の役目を終えた黄蓋は孫堅に熱い言葉を言い残して、零陵へ帰郷した。朱儁が孫堅を用いる時機を待つ間、孫堅は兵の訓練に加わりながら、頭に残る疑問の答えを見出そうと考えてみた。だが、それは武人の孫堅には余りにも難解な問題であった。

『……どうしてあんな洞窟で声が聞こえたのだ?』

 袁忠が言うには、幻視も幻聴も清流人を称えた石碑に籠った人々の清らかな情念の仕業しわざだという。自分の忠義心にそれが反応したらしい。曹娥そうが碑や郭泰かくたい碑で見たものはそれで説明がつく。しかし、銭唐嘯せんとうしょうに呑み込まれた時に聞いた声と九疑山の洞窟で耳にした声は何なのか?

 どちらも自分に使命を託すような言葉であり、内なる忠心に訴えかけるような声だった。そして、それはいくらか孫堅の行動に影響している。

孟徳もうとくや玄徳には聞こえるのだろうか?』

 孟徳――――その頃、曹操そうそうは都で仮面の日々を過ごしていた。


 一年余り、曹操は吉利きつりを演じた。曹操と言う能吏のうりの自分を隠し、悪童と呼ばれた少年時代の時のように自由気ままに振る舞った。

 時には本性を隠して違う自分を演じる必要がある。祖父がそうやって権謀渦巻うずまく政界を生き抜いたように、自分も祖父にならったのだ。

 曹操は王甫おうほ誅殺のために曹節そうせつに接近したのだが、そのまま曹節と気脈を通じて混流派こんりゅうはさながらの日々を送った。

 光和こうわ三(一八〇)年、六月――――三公九卿に古典に通じる者を各々おのおの一人ずつ挙げさせて、議郎》(建議官)に任じるというみことのりが下された。曹操は曹節の口きで再び議郎となり、橋玄きょうげん盧植ろしょく馬日磾ばじつていら清流派官僚にも近付かなくなった。

 皇帝が思いつきで庭園を造園したいと言い始めた時、荊州や益州で大規模な反乱が起きているというのに、そんなことに散財すべきではないと、清流派はこぞって反対した。しかし、それに賛成したのが鴻都こうと門生(芸術学校)出身の楽松がくしょう任芝じんしである。結局、皇帝は賛成意見に気を良くして造園に踏み切り、洛陽の宣平門せんぺいもん外に畢圭苑ひっけいえん霊昆苑れいこんえんという帝立庭園が完成した。

 畢圭苑は東と西の二つがあったので、合計で三つの造園事業に売官で得た金を注ぎ込んだわけである。また、自由に街を散策できないのをうれえた皇帝は後宮こうきゅうに模擬店を作り、それを並べて商店街のようにして、宮女を店員にして買い物ごっこをして遊んだ。宮中で大規模な酒宴をもよおしたかと思えば、余興で犬に進賢冠しんけんかん(官僚がつける帽子)をかぶせ、印綬いんじゅを帯びさせて、どれが速いか競わせるという、自らが企画考案したドッグ・レースを楽しんだ。さらに、自ら商人の服を着、四頭立ての馬車の手綱たづなをとって宮中内を走り回った。国家の主を真似まねて、この馬車レースは都の貴族たちの間で流行した。

 清流派官僚たちはいくつか重要な政策を提案したが、それは目を通されないまま放置された。国の実情を知らないお気楽な皇帝は政務そっちのけで遊ぶことに忙しかったのだ。

『あんなのに何を言っても無駄だ』

 はなから暗愚でどうしようもない皇帝だと思っていた曹操である。いくら清流だの正義だのうるさく言っても、言ったことを実現できなければ徒労に終わる。無駄な労苦は意味がない。議郎の職にありながら、何ら議論せず、清流派とは歩調を合わせないで時を過ごした。

 そんな尸位素餐しいそさんの曹操を見て、清流派の官僚たちは言ったものだ。もう濁流の毒が回ったのだ。曹操に期待するのはよそう――――。

 そんな声は黙殺した。自分の真意を人に話してまで理解をあおぐつもりもない。

 陰謀の都である洛陽には濁流派のスパイがあちこちにいる。敵は用心深い。その敵をあざむくには、簡単に人に見透かされるような策では駄目なのだ。

 自分一人の心の中に留めおいてこそ機密は守られる。味方をも欺き、虎視眈々こしたんたんと時を待つ。そうして、ようやく事は為せるのである。


 昔は吉利でいることが楽だったし、放蕩無頼ほうとうぶらいの生き方が楽しくもあった。今はそうは感じない。自分は変わったと思う。変わったと自覚するのは許劭きょしょうの評価を聞いてからだ。あれ以来、自由と引き換えに重い物を背負った。自分がそれを望んだのだ。

 渇望感が心のどこかにあった。それをうるおすのは金でも名誉でもない。目的を成し遂げる達成感だ。今の目的は漢室をむしばみ、世を腐らせる元凶、腐者ふしゃ・曹節を殺すことである。

 宮中に巣食い、常に警戒して怠らない奴を殺す一番の手は側近となって近付くことだった。が、それだけでは足りない。本当に信頼を得るには、時間と賄賂わいろが必要だった。賄賂とは金ではなく、仙珠せんじゅである。奴が何よりも欲しがっている天運をもたらす秘宝。

 曹操は王甫から奪った青木珠せいぼくじゅを曹節に差し出した。もちろん、橋玄ら清流派官僚たちには何も言っていない。曹操の独断である。清濁あわせ呑むのが曹操という男だ。

 そうして曹節の信任を得た曹操はまた新たな仙珠を献上したいと申し出た。

 曹操が曹節と面会したのは洛陽の宣平門外に新規造園された畢圭苑である。

 曹節みずからそこでの密会をセッティングした。仙珠を受け取るというのだから、他の誰にも知られたくない。曹節は目立たないよう最小限の供を連れて、未明にこっそりと畢圭苑に入った。そして、池の側に造られた魚梁台ぎょりょうだいで一人、曹操を待った。

 魚梁台の上からは苑内が一望できる。水面にははすの花が満開になって咲き乱れている。桃源郷のような光景。自分のために用意された景色。実に良い気分だ。

 曹節はふところの仙珠に手を触れた。自分の上に大きな天運が巡ってきている。

 ライバルの王甫が死に、労せずして青木珠が手に入った。それに加えて、また黄土珠こうどじゅが手に入ろうとしている。これで自分の手元には五つの仙珠のうち、三つが集まることになる。仙珠に手を触れながら、曹節は悦にひたった。

 池に架けられた石橋をゆったりとした歩調で渡ってくる男が見えた。

 男はふと立ち止まり、蓮の花を手に取った。そして、楼台の上に曹節の姿を認め、

「すでにお来しでしたか」

 その男、曹操は白々しく言った。

「上がってくるがよい」

 曹節が曹操を招いて座らせた。二人きりの密談である。

「金がかかっていますね」

 曹操は畢圭苑の景色を見渡しながら言った。曹操は何もない土地に清流派官僚の反対を押し切って造園されたこの畢圭苑の景色を堪能しながら、魚梁台へやってきたのだ。

「天子とは絶対者のようではあっても、その実は自由に飛び回れない、いわばかごの中の鳥よ。せめて大きな籠を作って、中を自由に飛びたいのであろう」

「なるほど。それでは権力を手中にしながらも、自由に飛び回れる位置にいるのが最良ですね」

「私とて自由に動けるわけではない。時間もない。本題に入ろう」

 せっかちにも、曹節は仙珠をすぐに手に入れたがっている。曹操はうっすらと朝霧あさぎりに包まれた辺りを見回した。これも天運か。

「心配ない。人は下がらせてある。それで、何故私に黄土珠まで渡す気になったのか?」

せませんか?」

「私に対する忠誠のあかしだとしても、いささかな……。青木珠を差し出すと言ってきた時も驚いた」

 やはり、まだ曹節は警戒感を持っている。裏があるのではないかと勘ぐっている。

「以前にも申し上げましたが、青木珠はもともと王甫が持っていたもの、惜しくはありませんでした」

 曹操は青木珠を差し出す際、曹鸞そうらん獄死と宋皇后そうこうごう廃立事件から王甫は曹一族のあだとなったこと、曹節には何の恨みも抱いていないこと、それどころか、むしろ王甫誅殺を後援してくれた恩義を返す返礼品として青木珠を曹節に献上すると決めたことなどを説明した。

 曹節の一層の信頼を得るために差し出したわけだが、それは大きな効果があった。

 まず、父の曹嵩そうすう司隷校尉しれいこういに取り上げられた。王甫のことがあり、曹節は自分に近しい者を司隷校尉に置いておきたかったのだ。また陽球ようきゅうのような者がく前に先手を打ったわけだ。

「お主を迎えてから一年余りが経つ。それまで曹家で守ってきた黄土珠を今頃になって譲渡しようとなったその訳を聞きたい」

 曹操はふ~っと一息ついて間を置いてから、懐を押さえながら言った。

「この仙珠は私の祖父が手に入れたもの。このまま所持するべきかどうか、考える時間が必要でした。ですが、私には権勢を意のままにしたいという欲はありません。ですから、この宝を持っていようがいまいが関係ないのです。それにこの宝はわざわいも招きます。常に争奪の危険にさらされる。それを警戒しながら、無為に我が家で眠らせるよりは曹節様に差し上げて、更なる恩寵おんちょうあずかった方がいい。曹節様の元にあっても、我が家が曹節様の近くにあれば、その天運は我が家にも降り注ぐでしょう。同じ姓に生まれた者として、曹節様に権力を握って頂いた方が気分がいい。以前祖父が我が家に繁栄をもたらしたように今度は曹節様にそれをやってもらいたい。そう思っただけです。父の同意も得ました」

「……賢いな。その気持ちは嬉しい。望み通り、これからしょうの曹氏は我が一族に連なる者として扱うようにしよう」

「感謝いたします」

 無欲では逆に疑われる。もっともらしい理由を与えてやらねばならない。

 蓄財に熱を入れたのも祖父の一面だった。それを引き継いでいると思わせたい。

 曹操の口上は曹節を納得させたようだった。わずかながらに残っていた警戒感も消えた。

「後日、褒美を贈ろう。一族であるからには、富貴ある生活を送ってもらいたい。好きな時に好きな官職も買える」

「……金ですか」

 ふと、曹操の口から笑いが漏れた。曹節が顔をしかめた。

「不満なのか?」

「いえ、お気持ちは嬉しいですが、それは頂けません」

「何故か?」

「他に頂きたいものがあります」

「何か? 遠慮せず申してみよ」

斧鉞ふえつを」

「斧鉞とな?」

〝斧鉞〟とは文字の通り、おのまさかりのことである。転じて、刑事処罰権を意味する。

 もちろん、そのような権利を持つのは天子、つまり、皇帝のみであり、それを与えられるとしたら、それも皇帝のみである。

「仙珠を集めて天子になられるのではないのですか?」

「ふふふ、お主は皇帝の一族になりたかったのか?」

 曹節は曹操の思惑を勝手に誤解して、たまらずに笑った。この自分に皇帝になってもらって、その恩恵を子々孫々ししそんそん受け取ろうというのか。自分がそうであるように。

 そこまで考えての行動とあれば、小賢こざかしいというか、かわいいというか、このような人間は嫌いではない。だが、それには応えられない。

「……曹氏の王朝というのも悪くないが、言ったであろう。天子とは籠の中の鳥。そんなものに興味はないわ」

「それでは、何のために集めるのですか?」

「ふむ。お主はもう我が一族同然であるから、教えてやってもよいが……永遠の命よ」

「永遠の命……」

「そうよ。秦の始皇帝も漢の武帝も強大な皇帝であったが、天命にはかなわなかった。両者とも絶対的権力を得た後に永遠の命を求めたが、かなわなかった。それを私が手に入れる。皇帝の位よりもずっと価値あるものとは思わんか?」

「仙珠を全て集めれば、それが叶うのですか?」

「仙珠の〝仙〟とは仙界のこと。五つの仙珠を集め、五岳に封乾ほうけんすれば、仙界と通じるという。そこに不死があるのよ」

 曹節は曹操に気を許し、また、そこに近付いている自分に気を良くして饒舌じょうぜつだった。

「さて、そろそろ仙珠を頂こうか」

「はい」

 曹操は懐から黄土珠を出して、曹節の眼前に掲げてみせた。淡い黄色の輝きを放つ宝珠。

「おお、これが黄土珠か。斧鉞などなくとも、そなたの敵は私が望み通りに処分してやる」

 顔の緩んだ曹節が手を伸ばしながら言った。

「それは無理でしょう」

 曹節が黄土珠を掴もうとした時、曹操がそう言って、手首と態度をひるがえした。

「なぜなら、その者の名は曹漢豊そうかんぽうですから」

 穏やかな空気がいきなり殺気を帯びて曹節は喉元のどもとやいばを突き付けられた気がした。曹操の殺気。

 曹節の顔がこわばった。全くふさわしくないが、漢豊とは曹節のあざなである。

「……きさま、このに及んで裏切るのか?」

「裏切るも何も、あなたに永遠の忠誠を誓ったつもりはありません。心変わりしました。腐者に不死にでもなられたら、それは堪りませんからね」

 曹操は自らの想像に吐き気がして、顔をしかめた。

「……!」

 曹節はようやくこれが曹操のはかりごとだと気付いた。自分をおびき出すために、シンパになったふりをしていたのだ。

「斧鉞を頂けないのなら、この剣で斬ることになりますが」

 曹操が剣を抜いた。それでも、曹節は余裕だった。

「……ふ、ふふふふ。やはり食えぬ奴よ。曹騰の孫ともあろう者が、この私がどうやって権謀術数の世界を生き抜いてきたか知らんようだな。私を信用させたつもりだろうが、お前が裏切る可能性もあらかじめ考えてあったわ」

 悪の世界に生きる者は常に周囲の裏切りに対して敏感である。そして、幾重いくえもの対策を施し、時には非常手段をいとわず、その危機を回避してきた。

「そんなもので私が斬れると思うのか?」

「この天佑があれば」

 曹操が黄土珠の存在をもう一度示してから、それをふところにしまい込んだ。

「ふふふふふ、何と愚かな……。先程賢いと言ったが、訂正しよう。愚かなお前に天佑などないわ」

「さて、それはどうでしょうか?」

 対する曹操は不敵に笑って、その言葉を一蹴いっしゅうした。

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