第11話 カイル本気出す
「
ちょうどタルトに合う果物を探してたし、ちょっと採りに行ってくるよ。」
そう言って、店主のフォルカは嬉しそうに出かける用意をしえている。
目鼻の定かでない縄の塊のような頭をした彼が、あれほど機嫌よさげに見えるのは珍しい。
店の床におすわりの姿勢でフォルカを見送る角の生えた子犬―――カイルに要件を言うだけ言うと、振り返りもせずに店を出ていった。
「おうおう、いってらっしゃい、店長さん」
カイルは合鍵を受け取ると、いつもの定位置――陽の差し込む窓際のクッションのある場所へと跳び上がった。
店内にはハーブの香りが漂い、柔らかな陽射しと静寂が満ちている。
ここは北の魔の森のとある場所、
フォルカが不在の間、ここは完全にカイルだけの楽園となった。
***
フォルカが出かけてから数日。
縄束亭には、のんびりとした時間が流れていた。
当然ながら来客はほとんどなく、仮に訪れた者がいても、閉店の札を見て帰っていく。
せいぜい、事情を知っているミリアがたまに現れるくらいだった。
縄束亭の守りは、今日もふわふわの“番犬”に任されていた。
しかしその平穏は、あるとき唐突に破られる。
突如、夜風がぴたりと止まり、森のざわめきも消えた。
遠くで、何かが這うような音が響いた。
「……」
カイルが耳をぴくりと動かす。
気配の主は、森の暗がりからじわじわと近づいてくるようだ。
―――ずるり…
闇から這い出たのは――原形質の生物。
ぬばたまの闇から溶け出したような、大型のスライムだった。
体表の一部は黒曜石のように黒く光り、粘液に覆われた蜘蛛の脚が不規則に突き出ている。
その脚の間からは、蜘蛛の腹を模した腹部が不自然に飛び出し、時折
膨らんでは、粘着質の絹糸を吐き出して地面や木々に絡ませていた。
屋外の異変を察知したカイルが身を起こし、ふんふんと鼻を鳴らして店の外へ出る。
虫の声すらしない森には、粘りつくような不気味な空気が漂っていた。
怪しい気配の方を見据える。
目の前には、不気味に蠢く黒い塊。
「……エボニースライム。やっかいな奴が出てきたもんだ。」
カイルの目が細められる。
【エボニースライム】
『種族:スライム族
スライムの中でも上位種族。
高い耐久力と取り込んだ相手の情報を模倣する特殊能力を持つ。
対応が遅れた個体は、災害級の被害をもたらす事もある。』
「虫……蜘蛛かありゃぁ。どこかで蜘蛛の魔物でも取り込んできたってことか」
スライムは粘液を地に垂らしながら、静かに這い進んでくる。
異様な静けさの中、音もなく迫るその姿は、おぞましく、禍々しかった。
次の瞬間、スライムがブルッと震えたかと思うと、腹部から糸が放たれ、カイルの四肢を狙う。
「チッ、問答無用かよ!」
カイルは跳躍してそれを回避する。
だが、糸と時間差で伸びてきた触手が肩をかすめた。
「っ……!」
深くはない傷だが、出血は少なくない。
血しぶきが舞う。
その瞬間、スライムの表層に微細な変化が現れた。
「……この野郎。今ので、俺の情報を喰いやがったな。」
うぞうぞと蠢いたスライムの姿が変わり、蜘蛛の脚と腹が小さく縮んでいく。
代わりに裂けた口と牙が現れ、ついには四足で立ち上がった。
動きがやや滑らかになり、魔力の質も“獣寄り”へと変質している。
「厄介な真似しやがって……!」
カイルは跳び、宙を蹴って反転し、更に距離を取った。
「この場所は、今のところ俺のお気に入りなんでな。
魔獣風情に荒らされるってのは、どうにも気に入らん。」
そう言い放つと、子犬のようなカイルの周囲に魔力が渦巻き始めた。
風に煽られ、草花が舞い、魔力の嵐がカイルの姿を覆う。
次の瞬間、その風が収まると、そこにいたのは白銀の人狼――身長2メートルを超える、戦士としてのカイルだった。
その変化を真似るように、スライムもまた、蠢きながら二足の人型に変化する。
その輪郭は、先ほどよりも明らかにカイルに近づいていた。
「取り込んだ情報から、しっかりお勉強できてるって訳か。
……ますます気に入らねぇな。」
カイルは忌々しげに口元を歪めた。
一瞬の静寂。カイルがスライムに肉薄し、その鋭利な爪を振り下ろす。
泥人形を縦に割るかのように、スライムは左肩から真っ二つに切り裂かれる。
続けざまにカイルの蹴りがスライムの頭部を襲う。
不快なぶよんっという感触とともに、スライムの体が森の奥へと吹き飛ばされていった。
「……ッチ」
優勢に見えるカイルだったが、舌打ちを漏らす。
目線の先、蹴り飛ばした自らの脚――そこには、ただれたような傷が広がっていた。
ジクジクと血がにじみ出し、皮膚が焦げたように黒ずんでいる。
さらに、スライムを斬り裂いた右手も同様の損傷を負っていた。
人狼族のカイルは自己再生力に優れる。
だが、それでも回復の遅れを感じた。問題は――
「……触れたら、喰われるってわけか」
肉体そのものを武器とするカイルにとって、それは致命的な相性の悪さだった。
やがて、吹き飛ばされたエボニースライムが、再び木々の間から姿を現す。
先ほどよりもさらにカイルの姿形に近づいていた。
ただし、顔らしきものはない。
頭部には、牙が並ぶ亀裂があるだけで、その亀裂が更に伸びるように歪んだ。
「……野郎、俺を笑いやがった」
怒りに呼応して、カイルの全身の毛が逆立つ。
「いいぜ、笑ったことを後悔させてやる」
彼の両腕が魔力に包まれ、爪先からバチバチと火花が迸る。
それを構え、スライムを真正面から睨み据えた。
するとスライムも反応する。
体を左右の木に巻きつけ、ゴムのように収縮させ――
次の瞬間、パチンコのように自らを撃ち出した。
弾丸のごとき勢いで突進するスライムと、カイルの拳が正面から激突する。
その衝撃で周囲の草が吹き飛び、縄束亭の外壁がギシギシと悲鳴を上げた。
「っ、重っ……!」
スライムの加速した全重量を乗せた一撃に、カイルが思わず片膝をつく。
その隙を突くように、スライムが腕を触手に変えて巻き付いてきた。
さらに、全身から一斉に無数の触手がうねり襲いかかる。
打撃と拘束を同時に仕掛ける、圧倒的な手数と範囲。
「クソスライムのくせに、多芸過ぎるだろ……!」
カイルは全身に魔力を展開し、侵食を防ぐ結界を張って耐える。
だが、魔力の消費は凄まじく、既に息が荒くなっていた。
両腕は拘束され、足元はいつの間にか蜘蛛の糸で地面に縫い付けられている。
じわじわと侵食が進み、体力も魔力も目に見えて削られていく。
「……もって、あと数分」
だがカイルは、ふと笑みを浮かべた。
「なら、その前に終わらせてやるだけだ」
全身を覆っていた魔力の防御を解き、体内の一点に集中する。
両腕の侵食が一気に進み、焼け爛れる音と激痛が彼を襲った。
「スライムは、原形質をいくら斬っても意味がねえ。狙うべきは――
カイルの体内の魔力が一気に膨れ上がる。
「吹き飛べ、ゼリー野郎!」
―――
カイルの咆哮が爆音となって放たれた。
それは人狼族の秘技。聞く者を嵐の様になぎ倒し、精神を恐慌に陥れる人狼の咆哮。
圧縮された魔力が音となって放たれる衝撃波。
本来は大群に放つべき咆哮。
それを至近距離で直撃されたスライムは、原形質のほとんどを霧散させ、宙を舞う。
その中心に、コア――赤黒く明滅し、拍動するこぶし大の球体が露わになる。
残された原形質がかろうじて覆っていたが、もはや盾にもなっていなかった。
カイルは全身の痛みを押し殺し、両手でコアを掴むと、爪を深々と突き立てる。
コアは一瞬、びくんと激しく震え――
原形質の肉体は飛び散ったものも全て、音もなく崩れ落ち、悪臭を放つ黒い粘液へと姿を変えた。
黒い粘液は泥水のように地面に広がり、そして、すうっと土に吸い込まれるように闇へと消えていく。
戦いは、終わった。
カイルはふらつきながら腰を下ろし、肩で荒く息を吐いた。
「……ざまあ見やがれ。ゼリー野郎め」
そう呟くと、立ち上がって縄束亭へと戻っていった。
重くなった身体を引きずるように、扉を押し開ける。
「……さすがの俺でも、ちっと疲れたわ。寝る」
そう言い残して、いつものクッションにふわりと倒れ込み、元の“もふもふ”の姿へと戻って眠りについた。
***
「ただいまー。留守番ありがとう!いやあ、最高の金彩雷苺が採れたよ!」
フォルカが陽気に帰ってくる。
「カイル、留守の間に何かあったかい?」
「んー……別に大したことはなかったな。」
もふっとした塊が丸くなって、微かに尻尾を揺らしている。
フォルカはその背を見つめて、ふっと微笑んだ。
「まったく、頼りになる“番犬”だこと。」
***
【後日譚】
温かな光に満ちたホールでは、いつものコーヒーとハーブの香りに混じって、甘酸っぱい香りが漂っていた。
今、厨房ではフォルカが、雷音渓谷で採ってきた
雷苺は、電撃のような鋭い酸味と、独特な香りを持つ希少な果実。
摘みたてでなければすぐに風味が落ちるため、通常であれば急いで焼き上げる必要があるが、この縄束亭にはレザードとヴィーリ親方合作の保管庫がある。
色々と試行錯誤しながら調理できる。
まずは、バターと粉糖をすり合わせ、卵黄を加え、薄力粉をふるい入れてさっくりとまとめる。
寝かせた生地をタルト型に敷き詰め、オーブンで香ばしく焼き上げる。
この時、型の底板は使わないのがポイントだ。
底板を張ってしまうと、タルト生地の底が綺麗に焼き上がらないからだ。
次に、温めた牛乳と卵黄・グラニュー糖・コーンスターチを合わせてカスタードクリームを炊き上げ、一度裏ごしして滑らかに仕上げる。
香ばしいタルト生地にクリームをたっぷり詰め、瑞々しい金雷苺を惜しみなく並べる。
金雷苺は光を受けてかすかに金色にきらめき、特製タルトが完成した。
「よし、できた……。」
フォルカがエプロンの裾を軽く整えたその時だった。
ホールの方から、カラン、とドアベルの音が聞こえた。
フォルカは音に気づき、厨房の作業を一段落させると、
タオルで手を拭きながらカウンターの中へと出た。
厨房から出ると、ちょうどミリアと、今日も子犬姿のカイルが店に入ってくるところだった。
「やぁ、来てくれてありがとう。」
フォルカがカウンター越しに微笑みかける。
縄の塊みたいな頭でどこに目鼻があるかさっぱりわからないが、とにかく微笑みかける。
「連絡どおり来てやったぞ。このまえ取りに行ってたナントカ苺の試食会なんだろ」
カイルが早速そわそわと鼻を鳴らす。
「……雷音渓谷の金雷苺、って言ってたわね。わざわざあんなところまで苺採りにいくなんて」
ミリアは呆れたように肩をすくめながらも、厨房の奥をちらりと気にしている。
フォルカは嬉しそうに頷いた。
「うん、ちょうど出来上ったところなんだ。さっそく味見、お願いしてもいいかな?」
そう言うとフォルカは、厨房から出来上がったばかりのタルトを持ってくる。
タルトを八等分に切り分け、手際よく二人の前に取り分ける。
勿論、ミリアにはいつものカフェラテも忘れない。
「「いただきます」」
早速カイルが、躊躇なく大きな口でかぶりつく。
ミリアも、ため息交じりにフォークを手に取り、雷苺をそっと口に運んだ。
「「――っ!?!?」」
二人が、同時にビクリと身を震わせる。
「うわっ、すっげえ酸っぱ……」
「い」と言いかけたカイルだが、途中で味の変化に気づいて表情を変える。
「あぁん?なんだこれ……香りが物凄いなこれ……」
カイルが目をチカチカさせながらも、チビチビと食べるのをやめない。
一方、ミリアはカフェラテで流し込みながら、驚いたように眉を上げる。
「……バカみたいに酸味が強いわね。子供だったら泣くわよ?」
苦笑しながら、もう一口、今度はカスタードとタルト生地と一緒に口に含む。
「でも、不思議と悪くないわ。カスタードと合わせるとクセになりそう。」
二人の感想を聞いて、フォルカは満足げにうなずいた。
「ミリアの言う通り、金雷苺の鋭い酸味と香りを、カスタードでまろやかに包んでみたんだ。
そこにタルト生地のバターの香りと香ばしさが合わさると、良い感じかなって思ってたんだけど」
「細かいことは分かんねえけど……まあ、悪くはねぇな。」
「フォルカの予想通りの仕上がりだと思うわよ?」
ただこれ、苺の味見はしてから作ったんでしょうね?とミリアがフォルカを睨む。
その時だった。
ビリリ――ッ
ミリアの赤い巻き髪がふわりと逆立った。
カイルのふわふわの毛もぶわっと膨れ上がる。
「あ…」
フォルカは何も言わず、一歩、カウンターの奥へ引いた。
小さく青白い火花が、ミリアとカイルの体表をうっすら走る。
どうやら、雷苺に含まれていた微弱な魔力が、二人に移ってしまったらしい。
「おあぁ!?……体がピリピリする!」
「ちょっとフォルカ!……髪が、髪が大変なことになってるんだけど!?」
ミリアが必死に髪を押さえるが、静電気で逆らうように広がるばかり。
カイルも、もふもふの耳をしきりに震わせ、くしゃみを一つ。
「フォルカ!ちゃんと貴方も苺、食べたんでしょうね!?」
フォルカがふっと視線を逸らす。
「大丈夫、放電まではしないから。…たぶん」
「……たぶんって何よ!たぶんて!!!」
ミリアがなおも逆立つ髪を何とかしようと四苦八苦する横で、カイルはふわふわの毛並みのまま、ぶつぶつ言いながらタルトを食べ続けている。
金雷苺のタルト――
ミリアの説教の後、縄束亭での提供は見送られる事となった。
今日の縄束亭には、いつもより少しだけ賑やかで、刺激的な時間が流れていた。
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