第12話 主役はステーキ?
冬季に入って、ようやく折り返し地点になったかという頃。
ただでさえ寒い森が、更に寒さを増した北の森の中。
魔境とさえ言われたこの森のとある場所で、今日も
パチパチと炎を躍らせ、暖炉では元気に薪が燃えている。
煙の香りと、コーヒーの香り、そしてちょっとだけ混ざった薬草の香りが空間を満たしている。
まばらに座る客達は、しっとりと静かな冬の心地よい静かさの中、思い思いに時間を過ごしている。
だが、その静寂は、無遠慮な振動と踏みしめるような重い足音で打ち破られた。
ドアがバァン!と開く。
「ふむ……ここが噂の“
立っていたのは、黄金のタテガミを風になびかせる、まさに「百獣の王」の風格を持つ大男——いや、ライオンのような獣人であった。
背丈はフォルカに勝り、2メートルは越えている。片手で大斧でもぶん回しそうな肉体。
それを覆うのは貴族の様な衣装と、更にくどいほど豪奢なマント。そして腰には……武器と言われても納得する程大きなフォークとナイフ? 黄金のカトラリーが下げられている。
「い、いらっしゃいませ。空いているお席にどうぞ」
一瞬あっけにとられたフォルカだったが、気を取り直していつも通りの接客で対応する。
「ふむ。席への案内はなしであるか・・・。まあ、こんな辺境の店では期待しては
ぶつぶつと言いながら獣人が暖炉のそばの席にドカッと腰を下ろす。
周囲の客がじろじろと迷惑気な目を向ける。その中の一人が、何か気づいたように連れに話しかけた。
「お、おい。あれ、美食探検家のレオン=ガルドじゃないか!?」
「レオン=ガルド?あの各国の宮廷料理を食べ歩き、満足できずに未知の味を求めて冒険者になったってレオン=ガルドか!?」
レオン=ガルド。その名を聞いた周囲の客がざわめいた。
曰く―――剛腕の美食家。
曰く―――暴食の獅子王。
「ほう、このような場所でも、吾輩の名は知れ渡っているようだな」
凶悪な牙をのぞかせ、にんまりとレオンが笑う。
「さて異形頭の店主よ。この店に肉料理はあるか?なければ一番いい肉で分厚いステーキを焼いてくれ。焼き加減はミディアムレア。付け合わせは芋でも付けてくれれば良い」
君の腕が見たい―――そういう意味だとフォルカが悟る。
「かしこまりました。しかし、あいにくとグランドメニューには肉料理がございませんので、少々お時間を頂戴しますがよろしいですか?」
「多少時間がかかろうとかまわん。その間は、そうだな・・・そこの棚の酒でもいただいておこう」
フォルカが立つカウンターの奥に並んだウィスキーやラム酒の瓶を指さしてレオンが言い放つ。
「ただし、肉に合わせる酒が無くなる前に持ってくる事だな」
かしこまりましたとフォルカが奥の厨房に消える。
それを見送るとレオンが立ち上がり、ずかずかとカウンターの中に入り込んで酒の物色を始めた。
「・・・ほおぅ?存外、悪くない酒を揃えているではないか」
これは、料理の方も期待できるかも知れないとほくそ笑み、レオンが手近な酒瓶を両脇に抱えて席に戻って行った。
***
一方その頃、フォルカは厨房に立っていた。
レオンのオーダーを思い出す「肉料理もしくは分厚いステーキ」と言っていた。
額面通りの意味で受け取るのであれば、肉を使った料理を出せばいいという事だが、これはそういう意味ではあるまい。
「お前に肉を美味く食わせる腕はあるのか」という挑戦だ。
その上で現在の縄束亭のメニューを再び思い出す。
今、この店で肉を使った料理は、先日のボルシチのみ。しかし、ボルシチは肉を楽しむための料理かと言われると少し違う。
であれば、肉を楽しむための料理を今から作るしかないのだが…
そこでちらりと、厨房からフロアの方に顔を覗かせる。
そこには、テーブルにウィスキーやラム酒、ブランデーなど、やたら強い酒の瓶を並べたレオンが見えた。
一応、美食家らしく、グラスに注いで飲んではいるが、スピリッツ系の酒をまるでビールでも飲むような速度で飲んでいる。
―――肉に合わせる酒が無くなる前に持ってくる事だな―――
彼はそう言った。凝った料理を作れる程の時間は無い。
ならば選択肢は一つだ。
フォルカは最も適した食材を取り出すべく保管庫に入って行った。
***
ステーキ。
人はこの料理を、肉を焼いただけの料理と言う。
ステーキ。
しかし料理を志す者にとって、これほどに悩ましい料理もそうそう存在しない。
肉を焼くだけという、シンプルな料理だからこそ、料理をする者の技量が如実に現れる料理。それがステーキだ。
そして、フォルカの目の前には肉の塊。この店で最もステーキに適している肉。
一般的にサーロイン、ヒレと呼ばれる部位だ。
サーロインは赤身の旨味と適度な脂身のバランスが絶妙で、ジューシーかつ濃厚な肉の旨味が味わえる。ステーキ肉の王と呼ばれる部位だ。
そしてヒレ肉は、脂肪が少なく上品な味わいで、その柔らかさと肉本来の旨味を堪能できる。ステーキの女王と呼ばれる部位だ。
さて、どちらを使うか。
ステーキにする場合、サーロインの厚さの上限は約4㎝程度と言われている。
それ以上の厚さになると、中に火が通る前に肉汁が流れ出始めてしまい、食感や旨味が損なわれてしまうからだ。
一方、ヒレ肉は4㎝以上の厚さにしたとしても、じっくり火を通せば柔らかく仕上がる特徴がある。しかし赤身肉は水分量が多く、焼き方が不味いと水っぽい味になってしまう。
「…決めた」
そう言うと、フォルカは肉を切り分け始めた。
***
「お待たせいたしました。
「・・・・・・ほぉ?」
レオンが目の前に置かれたステーキを見て眉をしかめる。
サーロインとヒレが並んでいる事は良い。肉を食べたい者にとっては、それぞれの肉の特徴を楽しめる。むしろ嬉しいサプライズと言えるだろう。
しかし、いただけないのは、その肉の厚さだ。
確かに「分厚いステーキを」と指定したが、どう見ても分厚過ぎる。
焼き目がしっかり付いているところを見ると、高温で焼き上げたのだろう。
これでは、中は完全に生の状態で冷たいか、火が入り過ぎた硬い肉になってしまっているかだろう。
―――前評判に踊らされ過ぎたか?
レオンが落胆のため息を漏らす。
「味付けは岩塩のみです。お好みでこちらのマスタードか、香草をペーストにしたソースをお使いください」
ごゆっくりどうぞとフォルカがレオンのそばを離れる。
―――まず、食べて見んことには始まらんか。
レオンは傲慢で横暴であるが、料理に使われた食材に対しては真摯であった。
供された料理は、それが不味かろうとゲテモノだろうと全部食う。それが彼の流儀だった。
腰のフォークとナイフを手に取り、まずはヒレ肉にその刃先を入れる。
「・・・?」
予想外の手応えにレオンが戸惑う。
硬くはない。むしろ、空気を切る様に手ごたえがなく、ナイフの刃が入っていく。
カツンと皿の底にナイフの刃が当たった手応えがある。
そのままゆっくりと切り進める。
「そんな・・・バカな・・・」
切り取られたヒレ肉の断面は、生肉の赤ではなく、うっすらとピンクがかった、見事なミディアムレアに仕上がっている。
目の前の光景が信じられなく、カウンターに立つ異形頭を見つめる。
しかし、当然ながら、ぐるぐると縄を巻いた塊の様な頭からは何も読み取ることが出来ない。
恐る恐る肉を口に含む。
「・・・美味い」
恐ろしく上等な肉だ。
そんな肉がなぜこんな辺境の。しかも歴史に裏打ちされた文化も、確立された味覚もない異形頭の魔人の店に存在するのだ。
疑問は尽きないが目の前の肉は確かに大角水牛の味だ。
ならばこのサーロインもそうなのだろう。
今度はズブリとナイフに適度な手応えがある。
「こちらも分厚いが…火の通り加減は…やはり申し分ない…」
切り口からは肉汁が溢れ出ている。
一口噛めば、ヒレとはまた違った、脂と肉の濃厚な旨味が広がっていく。
気が付けば、夢中で肉を貪っていた。
シンプルな味付けの肉だが、用意されたマスタードの爽やかな香りと酸味や、香草のペーストの鮮烈な香りとピリリとした辛味は、一切飽きさせること無く肉を食べさせる工夫として、十分以上に役立っていた。
さて、肉は食べきってしまった。
全く予想だにしない、極厚のステーキ。
正直、田舎の野暮ったい店だと高を括っていた。
森に迷った者が、飢えの限界で食べれば、それがどんな料理であろうと、極上の料理に感じるだろう。と。
それがどうだ。
どこの国の宮廷料理でもなし得なかった、極上のステーキがあるではないか。
それも、このレオン=ガルドの味覚と知識を以てしても、全く看破出来ぬ方法でだ。
なんとか一言難癖をつけねば気が済まなくなった。
ふと、付け合わせのポテトに目が向いた。一度茹で、皮ごと押し潰して、たっぷりのバターで焼き上げたベイクドポテト。
ザクザクとした皮ごの食感とねっとりとした中の対比が面白い。肉の隣で黄金色に輝いている。
「……ふむ。肉は良い。いや、訂正しよう。
良いどころではない。どこの宮廷でも食べた事がない程の最高のステーキだ」
と、レオンはここで言葉を切る。
「ところで。完成された料理とは一枚の皿に盛られた全ての料理が調和してこそだとは思わないかね?」
レオンがベイクドポテトを口に含み、さも不味いものを食ったとばかりに顔を歪ませる。
「肉が分厚い分にはよかろう…。
だが、この芋はどうだ?
肉に合わせて分厚くすればいいと言うものではない。食感もネタネタと柔らかすぎる。
…これは私の牙に対する侮辱とすら言えるのではないかね?」
フォルカは一瞬、縄目の一部をピクッと動かす。
「なんでぇあいつ?付け合せは芋にしろって自分で言ったんじゃねぇか…」
「フォルカの腕が思いの外良かったんで、なんとか難癖を付けねぇと格好つかないんだろ」
周囲の客がざわつき始める。
その様子を奥の席で眺めていたのは、身の丈程もある大太刀を脇に置いて、茶をすすっている小柄な年配のハンター——ミフネ。
東方風の装備に身を包み、好々爺といった風情だ。
そのミフネにフォルカが声をかけた。
「……ミフネさん。ちょっと、お手をお借りしたいのですが?」
ミフネは何も言わず、茶を置いた。
***
厨房にて。
「じゃがいも、できるだけ薄くスライスしたいんですよ。紙くらい薄く。……出来ますか?」
フォルカが聞くと、ミフネは一言。
「全く…この俺に芋を切れなんて言うのはお前さんくらいだわい」
巻藁と魔獣以外は切ったことがないが…
とぶつくさ言いながらも、なぜか自信に満ちた顔で不敵に笑う。
「薄さは紙くらい。そう言う注文だったな?」
フォルカが「はい」と返事を返そうとしたその瞬間。
―――秘剣 蜘蛛糸割り―――
ミフネが担いでいた大太刀が閃く。
目の前に置かれていたジャガイモは、一見、何も変化がないように見えるが——パラリと重なるようにまな板へ広がった。
一見飄々としている風貌だが、その剣技の精密なこと神域に達すと言われる程の剣の達人ミフネ。
極細の蜘蛛の糸すら真っ二つに割るとうたわれた、精緻な剣閃の極地が目の前の芋に振るわれたのだ。
「おお……」
フォルカが思わず感嘆の声を上げる。
一枚持ち上げてみると恐ろしく薄い。
そして、どれも均一な厚さになっている。
これならいける。
フォルカは残りの芋も同じように切ってもらうと、刀を拭いているミフネをよそに、いそいそと作業に移る。
まず、この芋を水洗いして余分な澱粉を洗い流す。
次にしっかりと水気を拭き取り、ザルに広げ乾かす。
乾いた芋をまずは中温の油で揚げて表面を固める。
一度取り出し、油を高温にする。
しっかり温まった油に、ローズマリーやオレガノなどハーブを揚げ始める。
香りが出始めたところで、一度取り出したじゃが芋を投下。
香りを纏わせながらかき混ぜ、同時にハーブも砕いていく。
きつね色に色付いたところで油から引き上げ、熱いうちに塩をまぶす。
完全に冷めればガリガリとした食感に仕上がる。
器に盛り付けて、これで完成だ。
***
ホールに戻ると、レオンは冷めたベイクドポテトをつつきながら酒を飲んでいた。
「お待たせしました。ご要望の薄く柔らかくない芋です」
「なんだその……料理に名前も無いのか」
「ええ。なにせ、たった今産まれたばかりの料理ですので。
もしお気に召したのなら、名前をつけて頂いても結構ですよ」
フォルカの言葉を聞いて、レオンは鼻で笑う。
「こんな、ペラッペラの芋が……」
胡散臭げに皿に盛られた芋を眺める。
「……ところで、これはどの様に食べるのが良いのだね」
「どうぞ、そのまま手づかみで、パリッとお召し上がりください」
「…ふむ」
ガサリ。レオンが一枚手に取る。
「……」
パリッ
無言で一枚食べる。
「………」
もう一枚に手が伸びる。
パリッ。ザクザクザク…
無言で、次の一枚。
パリッ、ザクザク…パリッ、ザクザクザクザク…。
……パリッ、ザクザクザクパリッ、ザクザクパリッ、パリッ…
「あの…」
「ハッ!!」
無心で食べていたレオンが、気まずげに咳払いをする。
そして、名残惜しげにチラリと皿を見て、今度はフォルカを見据えて口を開いた。
「ふむ……これは……不味いな」
周囲から落胆のため息がもれる。
「けしからん程に不味い。手が止まらなくなる物を付け合せに出すとは、誠にけしからん」
「は、はあ…」
「わからんか?吾輩は、この芋を美味いと言っているのだ」
レオンがそう言った瞬間、周囲から歓声があがる。
レオンはそんな周囲を見渡しながら苦笑いしているが、もはや高慢な目ではなくなっていた。
そこには、一人の職人を見る眼差しがあった。
「吾輩の完敗であるな。ただのじゃが芋を、吾輩の知るものとは、まるで違う物へと作り変えた。見事だ店主」
「ありがとうございます。でも、僕一人の手柄じゃありませんよ」
フォルカは笑ったように肩をすくめた。
「この芋を切ったのはミフネさんですし、香草や塩も、常連のみなさんが届けてくれたものです。
僕はそれに“助けられた”ですから」
「……ふむ」
「店は、お客様に育ててもらうものです。少なくとも僕はそう考えています。そして、お客様もまた、店にふさわしい人間であってほしい。僕はそう思っています」
沈黙。しばしの後、レオンは大きく息を吐いた。
「……無礼を働いたな。君にも、他の客にも」
彼は店内に向かって頭を下げた。
そして、懐から革袋を取り出すと、テーブルの上にドシンと置いた。
「代金だ。迷惑料も込んである。受け取ってもらいたい」
フォルカが持ち上げると、予想外の重さに驚いた。
思わず、袋を開いて中を見ると、金貨がぎっしりと入っていた。
「こんなに!?いただけません!!」
「いや、吾輩はどうしてもこの額を受け取ってもらいたい。詫びではなく礼としてだ」
代金を返そうとするフォルカと、取り付く島もないレオンのしばしの問答の末、フォルカが折れる形で収まりがついた。
レオンは満足げにうなずくと、マントを羽織り店のドアへと向かう。
ドアに手をかけて、ふと思い出したように振り返った。
「ああ。最後に一つだけ教えてもらいたい。
あの厚さの肉に、どうやってあそこまで見事に焼き上げたのだ?」
その問いを受けて、フォルカが―――ああ。とこともなげに答える。
「あれは、焼いていないんですよ」
「焼いていないだと!?いや、しかしあれは確かにステーキであったが…」
「皿に乗せた段階で、ステーキと同じ仕上がりになりさせすれば、その工程はどのようなものでも問題ないでしょう?
例えば、それが肉を揚げたものであっても」
そう言って、フォルカがしてやったりと笑う。
「揚げた・・・か、なるほど。油は鉄板と違い、肉をまんべんなく加熱できる。
発想の転換であるな」
「おっしゃる通りです。ポイントは油の温度の調整ですね。温度の違う油で、それぞれ加熱と仕上げをしています。
肉の余分な脂が落ちて、見た目よりもさっぱり食べられるんですよ?」
そう言われて、レオンが胃の辺りに手を当てる。
「言われてみれば、肉の後に薄いとはいえ揚げた芋をあれだけ食べても、胃が軽い」
すっかり毒気の抜けた顔で、フォルカに笑いかける。
「なるほど。吾輩は既にしてやられていたという訳だな。
我が盟友のマッチゲが、やたらと褒めそやすのにも得心がいった」
レオンが一人で納得した様子で、クックと自嘲気味に笑う。
「次に来る時は、“何者でもない、ただの客”として来よう」
そう言うと、彼はマントを翻し雪の森へと消えていった。
「……なんとも嵐の様なお客様でしたね」
いつもなら、森の出口まで送るのだが、彼はそんな事など求めていない気がした。
「……あ。この芋の名前、決めてもらっていませんでした」
***
【後日譚】
「なあフォルカ、今日“あの芋”って注文してもいいか?」
厨房に届いたその声に、フォルカは頭を傾けた。
「あの芋……どの芋です?」
「ほら、例の、薄くて、パリッとしてて、やたら後を引くやつだよ」
「ああ。“薄芋”な。俺も昨日頼んだわ」
「いや、俺は“揚げたカリカリ芋”って呼んでるな」
「“パリパリ芋ビスケット”って言ってる奴もいたぞ」
「名前なかったのか、あれ……」
ざわ……と店内が妙な方向に湧き上がる。
厨房でそのやりとりを聞いていたフォルカは、グラスを拭く手を止めた。
「……言われてみれば、不便ですね」
真剣な顔で―――表情は分からないが、そんな雰囲気で呟いた。
ちょうどその時、店の扉が開いた。
外気を引き連れて、冷気の中から現れたのは、先日の当事者の一人ミフネ。
いつも通りに「茶を」と言ってそそくさと席に着き……はせず、今日はなぜかまっすぐカウンターへ。
「……フォルカすまんが。あの芋。例のカリカリのやつ。一人前、包んでくれんか」
フォルカがきょとんとした顔を向ける。
「珍しいですね。ミフネさんが持ち帰りなんて。どなたかへのお土産ですか?」
「……うむ。俺の弟子がな。あれを食いたいと」
「弟子……ああ、前におっしゃってましたね。でも、なんでまた急に?」
ミフネは少しばつが悪そうに、袂で鼻をこすった。
「この間の話を、何の気なしに喋ってしまってなぁ。一度食べてみたいと聞かんのよ」
フォルカがわかりましたと頷こうとしたとき、奥の席のミリアが近寄ってきた。
「ねえ、フォルカ。カリカリだのあの芋だの、聞いてるこっちが鬱陶しいわ。そろそろ名前決めなさいよ」
その言葉に、カウンターにいた常連たちの顔が明るくなる。
「おっ、ついに!?」
「じゃあやっぱ“パリパリ芋ビスケット”で――」
「いや、“ミフネ芋”が間違いないだろ!オヤッサンの協力あってこそだったんだし!」
「いやいや、“フォルカの怒り”って呼んでる奴もいるぜ。アレがなかったら作られてない料理だし!」
「それだけは全力で否定させていただきます」
フォルカが縄頭をふって拒否する。
そうやって喧々囂々と新メニューの名前をめぐる議論が沸き上がる中、一羽の伝書鳥が店の窓辺に舞い降りた。
足には一通の封書。
フォルカが封書を手に取ると、差出人には見慣れた名。
「レオン=ガルド……?」
その名前に、店内の喧騒が一気に静かになる。
妙にしかめつらしい封書には、豪華な装飾模様が描かれ、やたら筆の走りが滑らかな、格式ばった文体の文面がびっしりと綴られていた。
『かの皿に載せられし薄切りの芋は、誠に美味なるものにして、吾輩の牙をも満足させし奇跡の逸品なり。
ゆえに、先の約定通り、この料理に相応しき名を贈ることを、僭越ながら許されたい。
その名、ポテトチップスと命名す』
読み終えたフォルカが顔を上げると、店内は一瞬静まりかえり――
「ぷっ……!」
「“ぽてとちっぷす”?あの暴食の獅子王が??」
「やたら勿体ぶった書き方の割に、名前めちゃくちゃ庶民派じゃないか!」
「いや……でもよ、意外に悪くないセンスしてるぜあのオッサン……」
「なんかこう、口にしやすいよな、“ポテトチップス”」
「良いじゃないか“ポテトチップス” オレなんか、チップスって言っちゃうぜ?」
レオンの命名は、意外にも好評であった。特に反対意見もなかったので、フォルカは両手をパンッと打ち鳴らし、この場の全員に告げる。
「では、この料理の正式名称は“ポテトチップス”ということで」
「決定~!」
「命名レオン=ガルド!」
「まさかあのレオンが“庶民ネーミングセンス”の使い手だったとはなあ」
こうして、あの“芋”は名を持つことになった。
その日以降、縄束亭のメニューの片隅には、ひっそりと――
「ポテトチップス(お持ち帰り承ります)
という一文が追加されることになった。
異形頭がある風景 雨庵 @Gibasa
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