第7話 迷子の剣士と裏庭の秘密
俺の名前はマッチゲ。
冒険者ギルドに所属するベテランの剣士だ。
新緑の季節、北の森での薬草採取の依頼を受けて単独で入ったんだが、それが運の尽きだった。
ここ数日の雨と暖かな気候。この時期、ただでさえ鬱蒼とした森が、より一層木々や草々を生い茂らせる。
元々陽光を遮るほど葉が重なり合っている木が更に枝を広げ、根は曲がりくねり、道なき道を更に覆い隠している。
それに加えて、魔素を帯びて半魔獣化した草花増え始め、それらが放つ甘い香りやむせ返るようなフェロモンは幻惑作用を持っている。
そして、それらにまんまと頭を混乱させられた俺は道を見失い、どことも知れぬ暗い森を丸一日彷徨っている。
魔物除けのタリスマンがあるからまだ何とかなっているが、効果が切れたとき疲れ果てた俺の命運は尽きるだろう。
陰鬱な気持ちと忍び寄ってくる絶望に駆り立てられるまま、さらに森をさ迷い歩いている。
そんな時、俺は木々の間に小さな木造の建物を見つけた。
最初は見間違いだと思ったが、近付いていくと開けた場所に古めかしいが、よく手入れされた家。いや、看板が出ている。これは何かの店か?
近付いてみると、看板には『
カフェ?こんな森の奥に?
まだ幻惑の効果が残っているのかと思いながら、正面の階段をあがり、木製のドアに手をかける。
ノブを捻りゆっくりとドアを開けると、鈴がカランと鳴った。
おいおい。本当にカフェなのかよ。
訝しみながら店内に足を踏み入れた瞬間、異様な存在に目が釘付けになった。
カウンターの向こうに立つ、2メートル近い大男。白シャツに黒いベストとエプロン。カフェの店員を絵にかいたような服を着ているが、頭が黒い縄をぐるぐる巻きにしたような塊だ。
「くっ!もしやモンスターハウスか!?」
叫びながら斬りかかると、奴は一瞬たりとも動揺しなかった。
剣が届く直前、縄の頭が微かに揺れたかと思うと、次の瞬間、あろうことか奴は俺の斬撃を指二本で受け止め、まるで玩具でも扱うように俺から剣を奪い取った。
そしてそのまま俺は気が付くと、床に押さえつけられていた。
「お気をつけて。当店の敷地内と店内では武器の使用は禁止となっております」
その声は、恐ろしく穏やかにもかかわらず、圧倒的な強者のそれを感じさせる凄味を持っていた。
ただモンスターハウスの中にいる魔人にしては、敵意を感じ取れなかったことが不思議でしかたなかった。
抑え込まれたまま俺が奴の言葉にうなずくと、奴はそっと手を放しまたカウンターの中に戻って行く。
俺は息を切らしながらその様子を見上げると、奴がが剣をカウンターに置き「まあ、おかけください」とそいつの目の前の席。つまりはカウンターの席を勧めてきた。
呆然としながら座ると、彼はカウンターの下から氷が入ったグラスと黒い液体が入ったボトル、そしてミルクらしき白い液体が入った瓶を取り出した。
「この蒸し暑い中、北の森を歩いてこられたならお疲れでしょう?ここで少し休んでいってください」
奴はそう言いながらグラスに黒い液体とミルクを注ぐ。
「どうぞ。アイスカフェラテです。お好みでシロップもお使いください」
目の前に置かれたのは、黒と白が美しい模様を描くクリスタルのグラス。
その横に小さな銀色のピッチャーに入った透明なシロップ。
俺は勧められるまま、アイスカフェラテを一口飲んでみた。
美味い。疲労に火照った身体に冷たいカフェラテが心地いい。
コーヒーの苦みとミルクの甘味は、一口飲むたびに疲れが溶けるような感覚があった。
てかなんなんだこの状況。
こいつがちょっと気まぐれを起こせば、俺の首なんか一瞬で胴とおさらばしちまうだろう。それほどまでの実力差を見せつけられた後だってのに、妙な居心地の良さに警戒心が解けていく。
こんなそこいらの冒険者やハンターじゃ寄り付かないどころか、命の危険しかない森の奥で店をひらいている異形頭の魔人。
こいつ…一体何者なんだ?
そんな事を考えてくつろいでいると、段々と瞼が重くなってきた。
ふと、身体の痛さに目が覚める。
よほど疲れていたのか、あのままカウンターで眠ってしまっていたらしい。
不自然な体制で寝ていたからか、あちこちの筋肉にギシギシと嫌な痛みが走る。
椅子の上で状態を起こし体を伸ばす。と、パサリと床に何かが落ちた。
目を向けると一枚のブランケットだった。そっと持ち上げてみると「カフェ
「あ、お目覚めですか?」
カウンターの更に向こう、奥の扉から先ほどの異形頭が、その縄の塊みたいな頭をのぞかせている。
「このブランケットはあんたが?」
「ええ、よくお休みでしたので、声はおかけしませんでした」
そう言って、そいつは何やら湯気が立つ器が乗ったトレーを運んできた。
「そろそろ夕餉の時間です。お腹は空いていませんか?」
目の前に置かれたトレーには、やたら赤いが美味そうな匂いを漂わせたスープと香ばしい香りの丸い平たいパンが乗っていた。それとこの白いのに刻んだ香草が乗っているのはマッシュポテトか?立ち上るバターとミルクの香りが食欲をそそる。
「あばれビートを使ったボルシチと、北方地方で食べられる平たいパン『ヴァトルーシカ』を添えてあります。
添えてあるマッシュポテトはミノタウロス族から仕入れたミルクを使ってあります。
そのままでも、パンに付けて召し上がっていただいても美味しいですよ」
聞いているだけで美味そうだ。寝起きにもかかわらず、思わゴクリとずつばを飲み込んでしまう。
「熱いうちにどうぞ」と言うと、奴はまたカウンターの定位置に戻って行った。
言われた通り熱いうちにいただこう。
熱々のボルシチ。ゴロゴロとした根菜ととろけるような肉が入っている。
一口食べる。肉の旨味をと野菜の甘味が溶け込んだスープが口いっぱいに広がる。
「美味い」
つい口から洩れた言葉に、奴が笑ったような気がした。
それからは夢中で食べた。
ほろほろの肉、肉の旨味を吸った野菜、最高だ。
おっと、パンも忘れていた。
ちぎって一口食べる。甘味が少ないが素朴で小麦の風味が後を引く。
これはボルシチに浸して食べるんだろう。
赤いスープにパンを浸して口に運ぶ。
少し硬めのパンがスープを吸って柔らかくとてもジューシーになった。
もうこれは一つの料理と言っても過言じゃないんじゃないか?
口の中がボルシチ味になったところで、マッシュポテトを口に運ぶ。
濃厚なミルクの風味が口の中を駆け抜ける。
これは町の食堂で出てくる様なマッシュポテトじゃない。
上等なレストランで出てきたとしても俺は驚かない。
そんなレベルのマッシュポテトだ。
これもパンにつけて食べたらどうだ?
マッシュポテトを一すくいして、ちぎったパンに乗せる。
おお、既に間違いないうまさだと想像がつく。
そして満を持して、口の中に放り込めば、ほぅら美味い。
ミルクとじゃが芋と小麦。
この黄金トリオが不味いわけがないじゃないか。
このあたりで冒険してみようか。
このマッシュポテトをスプーンですくって、それからボルシチに沈める。
見るからにめでたい紅白の一匙だ。
さあ、お味のほどは、いかがかな?
これはいい。マッシュポテトのコクとボルシチの塩気と野菜の旨味が混然一体となり、俺の体を駆け巡っていく。
ああ、俺は赤と白の饗宴に浮かれてしまっている。
俺は目の前の逸品たちとの饗宴をしばらくの間楽しんだ。
食器が全て空になり、食後のコーヒーも飲み終わった頃だ。
また奴が声をかけてきた。
「時刻も時刻ですし、今日はお泊りになりますか?」
言われて外を見れば、既に日も落ちて真っ暗だった。
この闇の中を歩き回るのは、通常の森でも難しい、況やこの北の森をや。だ。
「そうだな。有難く泊めてもらうよ」
奴は「かしこまりました」とうなずくと、二回の客室に案内してくれた。
決して広くはないが、清潔なベッドに寝具だけでもありがたい。
俺が部屋に入ると「それではごゆっくりお過ごしください」奴がそう言って部屋を出ていった。
俺は装備を一通り脱ぎ、ベッドに身を投げ出す。
疲労と心地いい満腹感に、あっという間に眠りの底へ落ちていくことになった。
翌朝、鳥の声というにはいささかけたたましい鳴き声に目を覚ました。
年季は入っているが、よく手入れされた清潔な部屋。
ただし、外に目を向けると真っ暗な北の森。
改めて自分が置かれている状況が異常だと思う。
「それにしても、あいつはなんなんだ」
あの異形頭を思い浮かべるが、答えなどでる訳もない。
そう言えば、奴が言うにはこの店の敷地内は安全圏らしい。
気晴らしに散策でもしてみようと、俺は最低限の装備だけ身に着けて部屋を出た。
外に出ると、朝日に照らされ敷地内の植物をキラキラと照らしていた。
森を切り開いたのか、元々開けた場所だったのかわからないが、店の周囲100mほどが開けており、よく手入れされた庭園のようになっている。
建物を見上げつつ、建物の裏手に向かって歩いていく。
歩くたびに朝露が跳ねて、その度に草の香りがする。夏が近づいて来ているのを感じる香りだ。
そして、裏手に回ると、そこで奴、いや彼——フォルカと名乗った店長が、園芸に勤しんでいる姿を見つけた。
土を耕し、赤い植物に水をやっている。
無言で近付いていくと彼は手を止め立ち上がり「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」と声をかけてきた。
本当に見た目に反して物腰が柔らかいというか、人が良いのかこれは。変わった奴だなと思う。
俺は「ああ、おかげさまでな。朝までぐっすりだ」と答えながら、近付いていく。
彼の傍に立ち、耕していた畑を眺める。
それなりに広い畑だ。
ハーブを始め、葉野菜や根菜類、実をつけるタイプの野菜もいくつか植えてあるようだ。
その中で、畑の奥に一際目立つ木が一本生えていた。
低木ではるが、不気味にうねる枝を横に大きく広げている。
乾いた血の様に赤黒い実をつけているのが遠目にもわかった。
「あれは…?」
「ああ、これはブラッドプルーンです。吸血ローズ属の植物で、実が熟すとああいう血のような赤さになります。一般的には植物系の半魔物として駆除対象になっていますね」
フォルカが笑いながら言う。
そう言われると、もう少し近くで見たくなるのが冒険者の
まあ、近付き過ぎなければ大丈夫だろうとたかをくくり、ブラッドプルーンに向けて歩いていく。
そして他の植物の畝を通り過ぎようとした瞬間、突然その植物の枝や根がが俺に向かって伸びてきた。
ヤバい。思ったよりも遠間でも反応するのか。腰のナイフに手を伸ばそうとするが、一瞬対応が遅れた。
絡め捕られると思った瞬間、どこから現れたのかフォルカが素早く蔓を掴み取った。
「まだ育ちきってないのでね。少々食欲が旺盛なんです」
そのまま放り投げるように掴んだ蔦と根をブラッドプルーンの木の方に押しやる。
蔦と根はそのまましばらくうねうねと動いていたが、次第に落ち着きを取り戻し多様におとなしくなった。
さ、追加の枝が動き出さない内にと、彼は俺を伴ってブラッドプルーンから離れていく。
「気性は荒いのですが、この実を干して保存食にするととても美味しいんですよ。
味が凝縮された実は色々な料理やお菓子に使えて、うちの店では大きなプディングの様なデザート『ファーブルトン』にするんです。
昨日の晩に仕込んでいたものを店に出そうと思っていたんですが、朝食のついでに試しに食べていかれませんか?」
そう言って彼は店の裏口から中に戻って行った。
そう言えば、昨夜はあんなに腹いっぱい食べたのに、それなりに空腹だ。
俺はすきっ腹を抱えて、いそいそと店の中に戻って行った。
朝食は昨日の夕飯同様、素晴らしいものだった。
焼き立てのパン、よく熟成されたチーズとこんがり焼かれた分厚いベーコン。半熟の目玉焼きに、あたたかな野菜のスープ。
そして——
食後のコーヒーと共に目の前に置かれたのは、大きなホールから一人分を切り分けられた黄金色に輝くファーブルトンだ。
なるほど。確かに大きなプディングだ。底面には干したブラッドプルーンの実がそのまま敷き詰められている。
卵の黄色とブラッドプルーンの赤味がかった紫色が目にも鮮やかだ。
濃厚な甘さに微かな酸味とプルーンの香りが混じり、まるで森の生命力を感じるような味だ。
フォルカはカウンターで作業を続けながら呟いた。
「実はあのブラッドプルーンは、古い友人が残していったものなんです。
彼の残したあの木は、彼が僕の友人であったその思い出の証なんです。
このファーブルトンを作る度に、彼の事を思い出しますね」
「あんた…何者なんだ?」
俺が聞くと、フォルカは縄の頭を軽く傾けて笑ったように見えた。
「ただのカフェの店主ですよ」
その言葉に昨夜と今朝の彼の尋常ではない動きが脳裏をよぎり、背筋にゾクリと冷たいものを感じた。
謎の異形頭の店主、魔物の森の奥にあるカフェ、そこで振る舞われる温かな料理。
何もかもが謎に包まれていて、そして恐ろしい。
恐ろしい程に惹かれてしまう場所だ。
「また来るよ。今度は迷わずにな」
朝食の後、装備を整え、森の出口まで案内してもらった俺は、そう言って別れた。
森の出口までの行程で、また驚かされたのは言うまでもない。
森を出て、ふと振り返ると、まだ彼が見送ってくれた。
軽く手を振り、俺は振り返ることなく歩き続けた。
そしてその道中、ずっとフォルカの過去が気になって仕方なかった。
空は遠く、澄み渡っている。
景色が色鮮やかに映る新緑の季節。
北の森から吹く風は、未だに冬の残り香を帯びて、俺の背中を撫でていた。
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