第4話 凍解氷釈

僕の名前はフォルカ。

ここ北の森の奥深くで、小さなカフェ『縄束亭ロープ・バンチ』を営んでいる。

黒い縄を何重にも巻き付けたような奇怪な頭をしている、異形頭オブジェクトヘッドだ。


あれは、店を始めてからどのくらいの頃だったろう。

最初は閑古鳥が鳴いてばかりだったこの店も、ようやく常連さんが出来て少しずつにぎやかになってきた頃の事。


毎日がちょっと忙しくなってきて、またそれが嬉しいと思っていたんだ。


でも、嬉しい悩みってのもあるものでね。


その日も僕はカウンターでコーヒーを淹れながら、はぁ…とため息をついてしまう。


頭の中には厨房の保管庫の事。


常連さんが増えてくれたのはとてもうれしいんだけど、皆が気を利かせてお土産に持ってきてくれた食材が山積みになってる。


南方の幻のキノコ、東方の海竜の塩漬け、火苔の実…。その他に裏の畑で採れた野菜も…。


正直なところ、まことに小さな保管庫が限界を迎えようとしている。


冷却魔法が利いてるから、今すぐ腐っちゃうなんてことはないんだけど、そろそろ消費が追い付かなくなってしまっているのも事実。

騙し騙しやりくりしてきたけど、やっぱりせっかく持ってきてくれた食材を腐らせてしまうんじゃないかって、不安で仕方ない。


「はぁ、どうしたものかな…」


またため息が漏れる。

ちょうどその時、珍しくカウンターで本を読んでいたミリアが顔を上げた。


「どうしたの、フォルカ。そんなため息ついて」


今日もミリアはいつも通りの黒づくめのローブだ。

地味な服だけど、それでも彼女が華やかに見えるのは、その燃えるように赤く、揺らめくように波打つ髪と同じ様に赤く輝くその瞳のせいだろう。

一見、20歳そこそこくらいの女の子だけど、こう見えて焦土の魔女と呼ばれる大魔導士で、僕の古い友人の一人だ。

そんな彼女が、いつものキャロットケーキをちびちび食べながら聞いてくる。


「いやね、みんなが持ってきてくれる食材がそろそろ保管庫に入りきらなくなって来てね。消費しきれるほどお客さんが来てくれてる訳じゃないし、どうしようかって…」


すると、角のテーブルで丸まってるカイルがむくりと起き上がった。

どう見ても角の生えた青い子犬だけど、こう見えて人狼族の上位種族ルー・ガルー族の戦士長だ。

そんな人狼族の戦士長様がしっぽをパタパタ振りながらよだれを垂らしている。


「食材なら食ってやるよ。フォルカの料理ならなんでも美味い」


「カイル、気持ちは嬉しいけど、そういう問題じゃないんだよ。今回だけじゃなくて、今後も同じ問題が起きちゃうだろうしね。ただ保管庫を大きくしただけじゃ、結局腐らせちゃうかもしれないし」


僕が苦笑いしてると、店の一角から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。

声のした方。入り口近くのテーブルに目をやると、二人の男が何か言い争ってる。


一人は長身で、若草色のローブの裾が氷の結晶みたいにキラキラしてるエルフの魔導士。レザードさんだ。

緑がかった長い黒髪を後ろで一括りにして、丸縁の眼鏡をかけている。

みたところ錬金術の学者っぽいけど、こう見えて現役の上位ハンターで、大陸でも屈指の氷魔法の使い手だ。

確か今日は近くの討伐依頼のついでに寄ってくれたらしい。うちのアイリッシュコーヒーが大のお気に入りなんだって。

もう一人はドワーフのヴィーリ親方。元上位冒険者で、数々のダンジョンを制覇してきた大ベテランだ。なんでもそのころのダンジョンの造形や建築の美しさに魅かれて、引退してから建築職に転向。今や高名な建築士兼大工職人だ。

今日はうちの店の屋根の修理に来てくれていたんだけど、さっき作業が終わったところで、「仕事の後の一杯は最高だなオイ!」って、美味しそうにモルトウィスキーを引っかけてた。

茶色味が強い赤毛の豊かな髭と、奥さんの手製だって自慢してた革のチョッキがトレードマークだ。


そんな平和そうに隣同士の席でくつろいでいた二人が、何で急に言い争っているんだろう。


「何ですって!?私の氷魔法の精度が粗雑だというのですか!?あなたみたいなへぼ職人に何が分かると言うのです!」


「おお!?このワシをへぼ職人だと!?お前ぇみたいな貧弱根暗魔法使いにゃ、俺の建築は一生理解できねえよ!」


どうやら熱い言い争いの真っ最中らしい。声がでかいから店内に響き渡ってる。


「ねえ、あの二人、なんで喧嘩してるの?」


ミリアが呆れた顔で聞いてくる。僕も首をかしげながら


「さあね。さっきまで仲良く飲んでたのに、急に始まったみたいなんだよ」


とにかく、このままじゃ店の雰囲気が台無しだ。僕はカウンターから出て、二人の間に割って入る。


「ちょっと二人とも、落ち着いてください。ここじゃ暴力は禁止ですからね。ほら、二人とも座って。グラスを置いてください。」


親方が鼻息も荒く椅子に腰かける。ああ、椅子がギシギシ変な音立ててる!もう少し静かに座ってよ。

レザードさんも口論の相手がおとなしくなったからか、「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んで自分の席に座り直した。

まったく。なんだってこんな騒ぎになってるんだろう。

ここは話題を変えた方が良いかな。


「…ところで、ヴィーリ親方、ちょっと相談があるんですが。」


親方が握りしめたグラスのウィスキーを一気に飲み干したところで、グラスを置いて「おう、なんだ?」とこっちを見る。


「実は、常連の皆さんからいただく食材が多過ぎて、段々と消費が追い付かなくなっていまして。

保管に難儀しているんです。せっかく皆さんが持ってきてくださった食材ですから、腐らせてしまう前に、保管庫をなんとかできないものかと思いまして。」


すると親方が目を輝かせて


「おお!それならワシに任せな!頑丈で使いやすい大容量の保管庫を建ててやるよ!」


と胸を叩いた。が、その横で話を聞いていたレザードさんがニヤッと笑う。


「マスター。そんな大事な役目の保管庫をドワーフなんかに作らせるものではありません。

保管庫なら私の魔法で最高のものをお造りしますよ。そこな赤髭よりもよっぽど良いものをね」


「なにをぉ!?お前ごときにワシの技術を超えられるわけがなかろう!」


「あなたこそ、私の魔法を見くびらないでいただきたい!!」


…ええと、僕の相談がきっかけで、なぜか二人のライバル心に火がついたみたいだ。

また睨み合いになっている。いままさに目の前で言い争いが始まるかと思いきや、レザードさんがニヤリと笑って一つの提案をした。


「では一つ提案があります。技術とは、正しく研鑽を重ねてきた者が、正しく身に着けるもの。

当然ながら、その主義主張もその者の技を見れば、正当かどうかわかるというものです。」


親方は「はあ?」って顔をしていたけど、レザードさんの言いたいことを察したのか、不敵ににやりと笑った。


「ほう。貧弱魔法使いのくせに、良い事を言うじゃねえか」


二人の間で何か合意があったらしい。

ミリアも何かを察したのか「やれやれ」って顔で本に戻り、僕は何が何だかわからない中、二人がこっちを見て宣言した。


「フォルカ、ワシたちの技術で保管庫を作ってやる。どっちの技術が優れてるか、それで勝負だ!」


「え、ええ!?いや、別に競わなくても…」


僕の声は届かず、二人はさっさと厨房の奥に移動して、片や親方はどこから取り出したのか計測器で寸法を測りだし、片やレザードさんは魔法で何か陣を描き始め、さっきまでの言い争いはどこへやら、テキパキと下準備に動き始めた。

これもう止められないんだろうなあ。


それから数日、縄束亭の裏ではレザードさんとヴィーリ親方が保管庫作りに没頭してた。

工事の間は厨房の殆どの機材が使えないそうなので、お店は飲み物だけの提供になってしまった。


で、工事が始まってから最初の方は「私の案の方が早い!」「ワシのプランの方が頑丈だ!」とか、すごい言い争いながらだったけど、日が経つにつれて様子が変わってきた。

レザードさんは氷魔法の使い手だから、前の保管庫同様、氷魔法を使った低温庫なのかなと思っていたらそうじゃないらしい。

氷とは水の分子運動を停滞させることで生み出すものらしく「停滞させるのは、別に水に限った事ではありません。空間も同様にしてしまえばよいのです」とかなんとか言っていた。いや、わかんないですけど。

要は、保管庫に入れた食材はずっと腐らずに保管できるようになるって事らしい。


そして「空間を停滞させることが出来るなら、伸び縮みされられると思いませんか?」とか言い出し、空間を歪めて拡張する術式を緻密に組み上げて、外から見た保管庫のサイズはそのままだけど、容量を増やしますとの事らしい。

曰く「必ず指定のルートを歩いてください。さもないと遭難しますよ。」との事。


店の保管庫で遭難?あなたは何を言ってるんですか?


一方、ヴィーリ親方は数々の経験とドワーフ特有の審美眼を駆使し、基礎の石積みや骨組み、壁の断熱材、頑丈な木材を組み合わせ、レザードさんの魔法を支える土台をがっちり作り上げていく。

「例えば、同じ石材でも良し悪しがあってな。魔法の性質、魔素の流れ、それらを阻害せず、かつ最も効率的に運用できるものを選び、組み上げていかにゃならん。」

そう言って、次々と建材を削り、切り出し、組み上げていく。

レザードさんの魔法の効果を最大限に引き出すための模様を緻密に彫り込んでいく技は、素人目に見ても見事の一言だった。


二人ともなんだかんだ口では文句を言いながら、相手の仕事ぶりに感心してるのが分かる。


保管庫の建築も半ばを迎えたある夜、作業が一段落し、珍しく二人がカウンターに座ってた。


レザードさんが氷魔法で冷やしたエールを、ヴィーリ親方がいつものモルトウィスキーを手に持ってる。


「お前さんの魔法、恐ろしく精密だな。空間の拡張と停滞の術式を、何の干渉もなく組み合わせるなんてワシにはとてもできん芸当だ」


「あなたの建築技術こそ見事の一言です。素材の選定、加工、あまつさえあの強度を出した上に、魔法の術式を踏まえた彫刻が出来る者がいるとは思ってもいませんでした。」


ふん。と言い合って無言のままでいた二人が、いつしかグラスを合わせて無言で笑い始めた。


和解、できたみたいだね。


翌日からの二人は凄かった。より頑丈に、より広く。保管庫に求められる機能を限界まで突き詰めようと、二人の技術の全てをつぎ込んでいるようだった。


そして、明らかに保管庫の域を逸脱した保管庫らしい何かが完成したのは、それから数日後のこと。


二人が満を持して「さあ見てくれ」と、僕を厨房に引っ張っていく。

工事中は厨房には立ち入らせてもらえなかったから、厨房の中に入るのは久しぶりな感覚になる。

そして改めて訪れた厨房。その奥にできたのは、シンプルな木製の扉だった。

シンプルと言っても、飾りっけがない訳じゃない。

これはドワーフ族の意匠なのだろうか、鉄の装飾が扉の縁を彩っている。

保管庫に近づき、ゆっくりと扉を開けると中は別世界だった。


空間が何倍にも広がってて、保管庫というかこれは・・・ダンジョン?


奥が霞んで見えない程長い通路、左右を見ると同様の通路が延々と連なっている。

通路の両脇には木製の棚が碁盤の目状に延々と続いている。

棚も上まで何段あるのかわからないくらい高く伸びている。

通路には一定間隔で光る石が天井と足元に設置してあり、保管庫の中はかなり明るい。

入口に入ってすぐ左手に魔法の石板が置いてあり、食材の分類をタッチするだけで、目の前にその食材の棚が移動してくれる仕組みだ。

あ、在庫の量も表示されてる。これは便利だ。

食材の時間を固定させて保管するため、通路は寒くなく一定の温度に保たれている。

必要に応じて棚ごとに保管温度も、時間の進行度も調整できるらしい。

という事は、隣り合った棚に肉を保管しても、片方は新鮮なままで片方は熟成肉にする事も出来るって事だ。

試しにファンボアの肉を二つの棚に入れて、片方の経過時間を早めてみた。そしたらほんの数分で熟成肉が出来上がってしまった。

いや、なんだこれ?


「ねえ、ちょっと待って。これ、やり過ぎじゃないですか?」


僕が呆れて言うと、レザードさんとヴィーリ親方は目をそらして乾いた笑い声をあげた。

そんなところも息がぴったりになるくらい仲良くなったんですね?


「まあ、大は小を兼ねるって言うじゃろ。建設費は正規の値段にまけとくわい」


親方が「お得じゃろ?」みたいな顔をして、ごまかすように肩をすくめた。

レザードさんも「これで食材の問題は解決ですね」とウィンクしてる。


確かにその通りなんだけどさ…。


僕は見た目は控えめで、中は広大な変態保管庫を前に呆然とするしかなかった。




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数日後、いつものようにミリアが店にやってきた。キャロットケーキとホットカフェラテを出しながら、僕はつい話しかける。


「ねえ、ミリア。この前さ、レザードさんとヴィーリ親方が保管庫作ってくれた話、覚えてるよね?」


「ええ、あの無駄にハイスペックなやつね」


「そうそう。あの二人、最初すごい言い争っていたじゃない?何が原因だったのかなって」


ミリアが本から目を上げて、「へえ、確かに気になるわね。何だったのかしら?」


僕とミリアがあれこれ予想を考えていると、テーブルで丸まりながらカイルがボソッと呟いた。


「ありゃ、レザードが貧乳派、ヴィーリが巨乳派で、どっちが至高かって話だったんだよ」


それを聞いたミリアが一瞬固まって、呆れた顔でこう言った。


「男ってホントバカ」


僕は苦笑いするしかなかった。


まあ、確かにその通りかもしれないね。


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