第3話 雪中模索③(サイド:異形頭)
僕の名前はフォルカ。
ここ北の森で小さなカフェ『
草花や木々が凍てつき、厚い毛皮に覆われた魔物が
その奥深く、木々が空を覆い尽くすような場所にひっそりと店を構えてる。
ここは並みの人間じゃまず寄り付きもしない。ベテランのハンターでもそうそう辿り着けない。そういう場所だ。
雪と氷に閉ざされた森のど真ん中、獣の咆哮と風の唸りが響き合う場所。
でも、そんな場所だからこそ、この店を訪ねて来れる一風変わったお客様と出会うことができるんだ。
とはいえ、今日も外の天気は荒れ模様で、閑古鳥が鳴きそうな
もう夜も更けてだいぶ経つのに、今日の来客は二人だけ。
奥の席で本を読んでいる黒づくめの女性。そして、角のテーブルには、小さな角の生えた魔物が丸まってうつらうつらと舟をこいでいる。
黒づくめの女性、熱心に本をめくっているかと思うと、不意にテーブルのキャロットケーキに手を伸ばして一口。もふもふと
さっきからこんな具合だ。
彼女。ミリアは、ああ見えて焦土の魔女と恐れられる大魔導士の一人だ。
世界でも三本の指に入る実力者だけど、週に一度、魔法の研究から離れてリフレッシュしに来るんだ。
お気に入りは、今も食べているキャロットケーキとホットカフェラテ。
今日も「フォルカ、いつもの」って静かに注文して、黙々と本に没頭してる。これが彼女のルーティーンだ。
そして、角のテーブルに目を向けると。子犬くらいの毛玉が寝こけている。
額の一本角がなければ、青味がかった子犬にしか見えないんだけど、これ、人狼族の最上位種族の一つ「ルー・ガルー」なんだよな。
彼の名はカイル。高い戦闘力を誇るルー・ガルー族の戦士長を務めている。
元々鋭い感覚を持つ種族で、普段は常に緊張を強いられてるらしいけど、ここでは安心しきって二日と空けずに入りびたってる。
この店の静かな雰囲気とコーヒーの香りが心地いいんだそう。
二人とも常連で気心知れた僕の友人達だ。
そんな友人達と静かな時間を過ごすのも良いんだけど、さっきから窓枠に雪がバチバチ当たって、風が木々を揺らしてる。
森を吹き抜ける風がうなりをあげて、森全体が鳴っているようだ。
酷い吹雪だ。
これ以上の来客は見込めないだろう。
今いる二人を残して店を閉めてしまおうか。昨日仕込んでおいたシチュー余っちゃったな。そんなことを考えながら、自分用に淹れたコーヒーをすする。
今回のシチューは自信作だ。
たまたま常連さんに頂いた
隠し味に火苔の実と陽花の種、竜血樹の脂を効かせてある。
まだまだ寒い時期だ。凍えた体を温めるにはこれが一番だと思ってメニューに加えたんだけど、よくよく考えたら、ここに来るお客さんたちの殆どは、もう寒さとかそういうのあんまり関係なくなっちゃったタイプの連中ばっかりなんだよね。
例えば、今、僕の目の前で寝てる毛玉とか。
ミリアはそもそも脂っこいのは好きじゃないって言うし、はぁ…。
そんな時、外の風の音に混じって森の中に何か気配を感じた。
誰か森を彷徨ってるのか?
こんな吹雪の中、モンスターでもなけりゃよっぽどの変人か頭おかしい人だよ。
まさか迷い人?
僕はコーヒーをカウンターに置くとドアの方に目をやる。
カラン、とドアベルが鳴った。
ドアが開いて、凍りついた外套を着た人間の男がよろよろ入ってきた。
防寒対策はしっかりしてきたようだけど、この寒さじゃ限界もあるだろう。
ずっと歩きづくめだったのか疲労で顔が青白い。
この時期の森に入ってくるなんて、何か依頼を受けたハンターだろうか?
その人と目が合った瞬間、彼は案の定驚いた顔で固まっちゃった。
あ、うん。そうだよね。わかるわかるぅ。
この頭怖いよねー。
初めて会った時、ミリアも同じ反応してたもの。
そう。僕の見た目はちょっと変わっている。
首から下は普通の人間と変わらないけど、頭がちょっと普通と違う。
ああ、いや、だいぶ違う。
僕の頭は頑丈な黒い縄をでたらめに何重にも巻き付けた塊のような異形をしているんだ。
そもそも魔人はめったに人里に姿を現さないし、そのなかでも異形頭なんてもっと数が少ない。
初めて見たら、そりゃあ誰だって驚くよね。
とはいえこの天気の中、また森に戻って行かれても夢見が悪い。
良くて凍死。下手したら夜行性の魔獣に食い殺されて…。
おっと。そうじゃない。まずは怖がらせないように。笑顔で接客接客。
僕はゆっくり近づいて、穏やかに声をかける。初めての人間には特に丁寧にだ。
「寒い中ようこそ。お疲れでしょう。どうぞおかけください」
彼はまだ呆然としてるみたいだけど、店内の温かさに抗い難かったのか、恐る恐る中に入ってきてくれた。
「さ、こちらに。寒かったでしょう?体を温めてください。」
暖炉の前の席に案内したら腰を下ろした。
良かった、とりあえず座ってくれた。
まあ、席に案内する間もずっと僕の頭を凝視して、僕の一挙手一投足に反応してたんだけどね。
外套から雪が落ちて床に溶けてる。でもまだ震えが止まらないみたいだ。相当凍えてるな。
「何か温かいものをお持ちしますね」
僕はカウンターに戻って、ココアを用意する。
うちの店はコーヒーがメインだけど、こんな時は、しっかり甘くて温かいココアが定番だよね。
ミルクパンに砂糖とカカオの粉を入れてよく擦り混ぜる。
弱火にかけながら、少しずつミルクを加えて練りながら伸ばしていく。
香ばしいカカオの香りとミルクの甘い香りが店内に漂う頃、細かな泡がミルクの表面に筋を描けば完成だ。
温めておいたカップに注ぎ、男性の元に戻ると、ずっと暖炉の日を見つめていたようだ。少しだけ頬に赤味が戻っているように見えた。
「さ、どうぞ。ココアという飲み物です。温まりますよ。」
差し出すと、男性は少し驚いた顔で受け取って、ちびちび飲み始めた。
良かった、気に入ってくれたみたいだ。
僕はカウンターに戻って少し様子をみていた。少しずつ体の震えも収まって来たみたいだ良かった。
「お腹すいてるでしょう。何かお作りしますよ」
男性は「あ、いや…」と断ろうとしていたけど、丁度いいタイミングで彼のお腹が盛大に鳴った。
お互いほんのり気まずい沈黙が流れる。
やがて、彼がおずおずと口を開いた。
「なんでもいいから温かくて腹にたまるもんを」
彼の注文はそれだった。
よし、任せてくれ。
僕は嬉しくなって厨房に引っ込む。
シチューを大鍋から小鍋に移し火にかけて温め始める。
お腹が空いてるなら、大盛りにしてあげよう。
そうそう。シチューにはパンだよね。
今朝焼いておいた白パンをいくつか、コンロの脇に置き大きめの蓋をかぶせておく。
うちのコンロはストーブも兼ねていて、天板全体が熱くなるんだ。
ただし、天板が均一に熱くなるかというとそうじゃない。
火元の位置である程度調整が利く。
パンは、その中でもごく弱火の位置に置いた。蓋をかぶせておくことで、シチューが温まる頃には、焼き立て同様ふっくら仕上がってるって寸法よ。
さて、シチューを焦がさないように時折かき混ぜていると、店内にいい香りが広がってきた。
大ぶりのシチュー皿に温めたシチューを移し、熱々になった白パンをバスケットに。
白パンには保温と保湿を兼ねて布をかけるのを忘れない。
さあ、あとは食べてもらうだけだ。僕はいそいそと男性の席にシチューとパンを運んでいく。
蓋を開けると湯気が立ち上って、男の目がちょっと輝いた気がした。
「どうぞ、ファングボアのシチューです。パンと一緒に召し上がってください。」
男がスプーンを手に取って、一口くちに含む。ゆっくりと味わっているようだ。
く、口に合うかな…?
内心ドキドキしながら見守ってると、男性は目を閉じて小さく「うまい…」と呟いた。
ぃいいいよっしゃあああああああ!!!
やっぱり、初めていらっしゃったお客様に美味しいって言ってもらえるのは嬉しい。
お店やってて良かったと思える瞬間の一つだよね。
よっぽどお腹が減っていたのだろう。そこからしばらく男性はすごい勢いでシチューとパンを交互に食べ進めていた。
僕はカウンターに引っ込み、彼が無言で食べる音だけを、満たされた気持ちで聞いていた。
しばらくして彼のお腹が満たされ落ち着いた頃、食器を下げに行った。
おお!パンもシチューも完食じゃないか!
嬉しくなって「お口に合いましたか?」って彼に聞いたら、彼は「こんな美味いシチュー初めてだ。どうやって作るんだ?教えてくれよ」と言ってくれた。
ええ!そんなに気に入ってくれたの!?
泣きそう。嬉しくて泣きそう!
もうお店も閉める頃合いだし、明日の分も仕込もうかと思ってたし、ついでに作り方教えるくらいいいよね?
僕は「いいですよ」って笑いながら、僕は彼を厨房に連れてった。
「あ、防寒具は脱いで、そこの流しで手を洗ってくださいね。」
2人で手を洗って、厨房に入っていく。
僕は先に厨房の奥にある貯蔵庫に行って、肉の塊を取り出す。
「先ほどご案内した通り、今日のシチューは
「本当にファングボアの肉だったのか…」
「ふふ。たまたま常連さんが持ってきてくれましてね?
脂と赤身の具合が丁度良かったんで、煮込み料理にしてみようかなと思ったんです。」
北の森じゃあんまり見かけないけど、町の方やもっと南の方だと割と見かけるモンスターだと思うんだけどな?そんな驚かなくてもいいのに。
「あぁ、改めて見てみりゃ、この棚の瓶は胡椒か!?こっちはなんだ、サフランじゃねえか!!他にも見たこともねえ香辛料が山ほどある。どうなってんだこりゃ。」
「ああ、それは僕が常連さんに頼んで仕入れてきてもらったものもありますし、逆に常連さんがお土産に持ってきてくれたものなんかもあるんです。
あちこち飛び回ってるお客さんが多いですから、定期的にこういう食材を持ってきてもらえるんです。」
例えば・・・と言いながら、僕は棚の手近な瓶と油紙の大ぶりな包みを手に取る。
「瓶のこれは南方の
他の食材と上手く組み合わせれば、毒を不活性化させて旨味だけを味わうことが出来んですけどね。
あと、こっちの包みは東方の果ての国ユモトの海に生息する海竜の肉。塩漬けにして干してあります。食べた者に一時的に水属性と雷属性の耐性を付与する事が出来るんですけど、味が独特な上に塩抜きしないととても食べられたものじゃありません。」
あとこれと…これは…と色々紹介してたら、彼の顔色が赤くなったり青くなったりして、最後は何故か何かを諦めたような表情で「早くシチューの作り方を教えてくれ」だなんて言うんだ。
よっぽどシチューが美味しかったんだね。
一通りシチューの作り方の説明が終わって、あとはしばらく煮込むだけって頃になって彼が僕に聞いてきた。
「なあ、なんであんたの所には、こんなにも色々な食材が集まるんだ?」
「そうですねえ。僕も良く分からないんですが、皆さん口をそろえて仰るのが『お前ならなんとか美味くするだろ?』って。
自分の腕が一流とは思っていませんが、皆さんが一生懸命旅をして、時間を使って、僕にこの食材を届けたいって思ってくれたものを、粗末にすることは出来ないって思いで料理をしています。
なにより、そうやって作った料理を『美味しい』って食べていただくのが何より嬉しいんです。
そうやっていたら、いつの間にか色々な方が僕に食材を届けてくれるようになったんですよね。」
えへへ。と柄にもない事を言ってしまって照れる。
「あんた、客から愛されてるんだな。」
ええ。有難い事です。僕はそう言って、彼と厨房を後にした。
男性が席に戻ってほどなくした頃、彼が店内を見回してるのに気づいた。
ミリアはキャロットケーキもカフェラテも片付けて、今は本に没頭してるし、カイルは何事もなかったようにすっかり眠りこけて寝息を立ててる。
ここは誰でもくつろげる場所だ。そうありたいと思っている。
それに人間もモンスターも関係ない。
皆が等しくくつろいで、それぞれの時間を過ごし、時に交流しまたそれぞれの生活に戻って行く。
そういう場所を作りたくて僕はこの店を始めた。
この男性はどう思うかな。怖がっていないといいんだけど。
彼は何か納得したように、また暖炉の火を眺め始めた。
暫くして彼が暖炉の前でうつらうつらと舟をこぎ始めた。
外はまだ荒れている。この時間からまた外に出るのは無理だろう。
僕は彼を静かに起こして、「お泊まりになりますか?」って聞いてみた。
「ここ泊れるのか?」
「ええ、二階にいくつか部屋があります。いつでも使えるようにしてあるので、気兼ねなくお泊り下さい。」
僕がそう答えると彼は少し迷った顔をしていたけど、思い切ったように「泊まるよ」と言った。
帰るとか言われなくて良かった。さすがにこんな夜に帰すわけにゃいかないよ。
眠そうな彼を二階の部屋に案内した。
「こちらです。」
「清潔なベッド…。それに、部屋が暖かい。」
「ええ。一階の暖炉の熱が回るようになってるんです。」
ではゆっくりお休みくださいと伝えて僕は客室を出た。
明日の朝食は何にしようか。夜がコッテリだったから軽めがいいかな。
彼の帰りは徒歩だろうし、あまりお腹に重いものは避けたい。
パンにチーズ、野イチゴのジャムがあったな。あとはコーヒーを淹れて…。
あー彼は紅茶党だったりするかな。
個人的にコーヒーが好きだから、うちの店はコーヒーのバリエーションが豊富になっている。
一方、紅茶を始め他の飲み物はまだ勉強中。
まあ、朝と言えばモーニングコーヒーだ。味には自信があるよ。
さて、明日の朝食も決まったし、あとはシチューの残りを片付けて、僕も少し休むか。
そこまで決めて一階に戻ると、ミリアとカイルがさっきと全く同じ状態で過ごしていた。
そうだった。まだこの二人がいるんだった。
二人とも今日泊っていくのかな?
僕は二人に声をかけるべくホールに足を向けた。
【翌朝】
朝だ。
昨夜の吹雪は少し落ち着いたみたいだけど、外はまだ雪がチラチラ舞ってる。
二階の男性——昨日迷い込んできた彼——が寝てる部屋の様子を窺うと、まだベッドでぐっすりだ。
昨日の吹雪の中、この森を迷っていたんだ。よっぽど疲れてたんだろうね。
僕はその間に朝食の準備を始める。
メニューは昨日決めていた通り、パンとチーズにジャム。そしてコーヒー。
厨房でパンを焼く香りを漂わせながら、チーズを薄く切って、野イチゴのジャムを小皿に盛る。
ジャムは常連のミリアが「実験の副産物だよ」って持ってきてくれた、やたら丸々として大きい野苺?ミリアが「ちゃんと野苺よ!」って言うんだから、まあ野苺なんだろう。のやつだ。僕の不安をよそに味はとても美味しい。爽やかな野苺の香りと甘酸っぱさは、とてもパンに合う。
そして、僕の得意分野——コーヒーを淹れる。
朝は軽めの浅炒りの豆を使おう。
昨日はココアにしたけど、今朝は香ばしいコーヒーで目を覚ましてもらいたい。
豆から粉に挽いて、丁寧にドリップする。
湯気が立ち上って、厨房に香ばしくほのかに甘い香りが広がる。
ポットに移し替えて、カップをセットする。
朝食と一緒にトレイに全部載せて、二階に上がるよ。
ドアを軽くノックする。
「おはようございます。朝食をお持ちしました」
ドア越しに声をかけると、返事があった。
部屋に入ると、先ほどとは打って変わって目を覚まして服を整えた男性が装備の点検をしていた。
「おはよう店長。いい匂いだな。」
男性が挨拶をしてくれる。
朝からこの異形頭を見て大丈夫かと不安にもなったけど、どうやら慣れてくれたようで安心したよ。
一瞬ぎょっとした顔をしたのに気付いたけど、会話は普通にしてくれるし大丈夫だろう。きっと。
「よく眠れましたか?」
「おかげさまでな。朝までぐっすりだ。」
それは何より。僕はいそいそと朝食をテーブルに並べていく。
「焼きたてのパンとチーズ、コーヒー、それに野苺のジャムです。どうぞ召し上がってください」
トレイを置くと、彼が「こんな朝飯まで…すげえな」と感嘆の声をあげる。
んふふふ。その顔、気に入ってくれたみたいで嬉しいですよ。
「ゆっくりお召し上がりください。終わりましたら、食器はそのままで結構です。」
彼にそう伝えると僕は一階に戻って店の開店準備を始める。
カウンターやテーブルを拭き、椅子の位置を直す。
いつものルーティンワークをこなしながら考えるのは、新しいお客様の事だ。
昨日のシチューを喜んでくれたし、朝食も美味しいって思ってくれればいいな。
出来ればこの店に来たことを良い思い出にしてほしい。
しばらくして、店の準備が終わったころ彼が階段を降りてきた。
「パンもチーズも美味かった。コーヒーも最高だ」
おお、褒めてくれた!
コーヒーは僕の自信作だから、素直に嬉しいね。
「それは良かった。気に入っていただけて僕も嬉しいです。」
彼が装備を整えて、外套を羽織りはじめる。
「そろそろ出発されますか?」
少し名残惜しい気持ちになる。
「ああ、吹雪も止んだ。風も凪いでいる。明るいうちに森を出たい。」
確かに帰るなら今がいいだろうね。
「お帰りなら、森の出口まで案内しますよ」
そう言うと、彼が目を丸くして「いいのか」と驚いた。
ええ。ご無事にお帰り頂くまでが当店のサービスですから。
僕はエプロンを外して、店の鍵をかける。
結局ミリアやカイルは昨日は帰っていったし、さすがに連日来ることはない。
開店時間まで間があるし、ちょっと出ても大丈夫だ。
外に出ると、冷たい風が頬を撫でる。
雪に埋もれた森の道を、僕は先に立って歩き始める。
「こちらへ。先導しますので着いてきてください。」
彼が後ろから黙ってついてくるけど、僕が歩くたびに木々が動いていくのに気づいてるみたいだ。
実はこの森、僕が動くと道を開けてくれるんだよね。
この森の木々を束ねるレント達とは昔からの付き合いで、その傘下にあるこの木々はある程度僕に融通をきかせてくれるんだ。
男が目を疑うような顔してるけど、怖がってなさそうで良かった。
「この森、迷うと大変ですけど、出口まではそう遠くないですよ」
穏やかに声をかけるけど歩調は緩めず、一定の速度で銛の出口に向かっていく。
雪の下に隠れた根っこを避けながら、木々の隙間を抜ける。
男が「昨日は丸一日かかったのに…」って呟くのが聞こえた。
確かに、普段のこの森は人間には越えられない巨大な根っこが連なったり、急な谷や川が現れたりする。
絶対にまっすぐは進めないんだけど、僕が歩く森が気を利かせてくれて近道になるんだ。
常連には慣れたもんだけど、初めてのお客さんには不思議だろうね。
しばらく歩くと森の端が見えてきた。
段々と木々がまばらになって、遠くに街の煙が見える。
「ここが出口です。ここからなら街までまっすぐ行けますよ」
振り返ってそう言うと、彼が「ありがとう…本当に助かった」と言って頭を下げた。
緊張していた顔がほぐれている。やっとほっとしたみたいだ。
「気をつけて帰ってくださいね。また迷ったら寄ってください」
僕が冗談っぽく笑いながら言うと、男が「次は迷わねえようにするさ」と苦笑いして、町に向かって歩き出した。
でも、どこかまた来てくれるような気がした。
僕は手を振って、彼が見えなくなるまで見送る。
さて、店に戻ってコーヒーでも淹れ直そうかな。
今回は良いお客様に恵まれたな。
今日はどんなお客様がいらっしゃるだろうか。
どんな方がいらっしゃっても、当店は心を込めておもてなし致します。
さあ!開店だ!
***************************************************************************
数日後、ミリアがいつものように店にやってきた。
キャロットケーキとホットカフェラテを出しながら、僕はつい話しかける。
「ねえ、ミリア。この前さ、吹雪の夜に迷いたハンターが来てたんだよ。覚えてる?」
「あぁ、あったわねそんな事。」
「その彼さ、僕のシチュー、すごく喜んでくれてさ、また来てくれないかなー。」
ミリアが本から目を上げて、ちょっと笑う。
「へえ、フォルカの料理なら当然じゃない?」
え、ほんと?
と喜んだのもつかの間、ミリアが「でも…」と続ける。
「でもさ、よくその頭で怖がられなかったわね。奇跡と言っていいわ。」
「やっぱりミリアもそう思う?」
僕らは顔を見合わせて笑った。
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