第2話 雪中模索②(サイド:来訪者)
語り始める前に、もう一杯エールをお替りする。
良い具合に口が湿ったところで、あの日を思い出す様に俺は語り始めた。
「俺は雪イタチを追って森の奥へ奥へと進んでいったんだよ。
最初は足跡も見えてたし、方向もなんとか分かってた。だがな、北の森の木々ってのはでかくて、枝が絡み合って空すらろくに見えねえ。
気づいた時には、もうどっちがどっちだか分からなくなってやがった。
風はやたらめったら吹きっぱなしで寒いなんてもんじゃなかった。
そのうち雪がちらつき始めて、こりゃあ死ぬかもしれねえなって諦めはじめたのさ。」
俺はエールをまた一口飲んで、話を続けた。
マスターはジョッキを拭く手を止めて俺の話に耳を傾けてる。
「そんでな、寒さと疲れで頭がぼーっとしてきた頃だ。遠くに明かりが見えたんだ。
流石に見間違えか、寒さのあまりに幻覚でも見えてんのかと思ったよ。
だって考えてもみろよ。あんな森の奥に誰かが住んでるなんてありえねえだろ?
ただまあ、足はそっちに向かって歩きだすわけだ。
あの時は、もう選択肢なんてなかったんだよ。
その場で凍え死ぬか、イチかバチか明かりの方に行くか。二つに一つだったんだ。」
あの時の寒さを思い出して、軽く身震いする。
冷め始めた煮込みを口にして、エールで流し込む。
「その明かりってのは、場違いなほど明るくてな。
俺が歩くたびに木の陰に隠れたり、また見えたりするんだが、こんな風の中でも揺れたりしない不思議な明かりだった。
いつの間にか雪は吹雪になってきて、俺は必死にその明かりめがけて近づいて行った。
近づくにつれて、こう、森の中にまず馴染まない妙な匂いが漂ってきたんだ。
甘くて、香ばしくて、腹が減ってる俺にはたまらねえ匂いだった。
ああ腹減ったなと思ったその時だった。
突然視界が開けて、木造りの建物が目の前に現れたんだよ。
煙突からは煙が上がってて、窓からオレンジ色の灯りがこぼれてた。
入り口にはカフェの看板があってその上に大きなランプがかけてあった。
不思議な事にこの風でもそのランプの光はずっと同じ明るさでな、遠くから見えてた明かりってのはこれだったんだよ。
看板には『
マスターが眉をひそめて首をかしげる。
「カフェ?森の奥に?お前、頭でも打ったんじゃないのか?」
「俺だってそう思ったさ。でも、実際そこにあったんだから仕方ねえだろ。
ドアにはベルがついてて、押したらカランって軽い音が鳴った。
ああ、この店のドアにも付いてるだろ。ああいうやつだ。
んで、中に入ると暖かい空気が体を包んで、思わず外套を緩めたくなるような心地よさだった。
店の中はこぢんまりとしてて、よく磨かれた木のテーブルがいくつかと、カウンターが一つ。
どっかの異国風なんだか魔術っぽいんだか分からねえけど、壁にはずらっと変な装飾品が飾ってあって、明かりも見たことねえランプだ。
造りもこの辺の造りじゃあねえな。
ただまあ、不思議と落ち着いた雰囲気だった。」
そんで…と、話を続けようとして、一瞬ためらう。
じっとエールのジョッキを抱えて、泡が浮かぶ表面を眺めて、絞り出すようにそれを口に出した。
「そんで、カウンターの向こうにそいつがいたんだよ。」
「そいつ?」
カウンター越しにマスターが身を乗り出してきた。
「ああ。店長だよ。あぁ、いや後から店長だってわかったんだが、そのときはそうは思えなかったんだが・・・。
身長は2メートルくらいあって、でかい男だった。たぶん男だと思う。
だが、頭が…」
そこでまた言いよどむ。
「そいつの頭がどうかしたのか?」
マスターが続きをせかす。
「なんつーか、黒い縄を何重にもぐるぐる巻きにしたみたいな塊でさ。目も鼻も口も見えねえ。
縄目の加減で目と口があるようにも見えたけど、あれがそうなのかはわからねえ。
言っちまえば異形の頭だよ。
話に聞いた事がある
魔人つっても、そいつが着てるのは妙にきちんとした服なんだよ。
文字通り店長っぽいていうかな。
白いシャツに黒いベスト、エプロンもつけてて、この街のカフェで働いてる店員そのものの格好だ。
俺が呆然と突っ立ってると、そいつがゆっくり近づいてきて、穏やかな声でこう言ったんだ。『寒い中ようこそ。お疲れでしょう。どうぞおかけください』ってな。」
俺はそこで一旦言葉を切って、マスターの反応を見た。案の定、半信半疑って顔してる。
「ハンス、お前…酒飲む前に何か変なもんでも食ったのか?」
「だから本当なんだって。まあ、俺だって最初は夢でも見てるのかと思ったよ。
だがな、その魔人は襲い掛かって来るどころか、丁寧に俺をもてなしてくれたんだ。
座った俺が凍えてるのを見て、すぐ暖かい飲み物を持ってきてくれた。
なんかミルクに茶色い色がついた甘くて香ばしい飲みもんだった。
そいつはココア?とか言ってたっけな。
暖炉の前に陣取らせてもらって、そのココアってのをチビチビ飲んでたら体が芯から温まってきてな。
そしたら今度は『お腹すいてるでしょう。何かお作りしますよ』てな。
作るったって、北の森のど真ん中だぜ?ろくな食い物なんてあるはずがねえ。
魔人の作るもんだ。変なもん食わせられたらたまんねえ。そう思って断ろうとした矢先に、腹の虫が盛大に鳴りやがった。」
丁度エールが空になった。マスターにお替りを頼むと、いそいそとエールを持って戻ってきた。
続きが気になるらしい。
「で、俺が『なんでもいいから温かくて腹にたまるもんを』って言ったら、そいつは嬉しそうに厨房に引っ込んでいってな、しばらくしたらいい香りが漂ってきた。
そんで出てきたのがでかい皿に盛られた熱々のシチューだった。
蓋付きの土鍋から湯気が立ち上ってて、蓋を取った瞬間、目の前が白い霧でぼやけるくらいだった。
スプーンですくうと、濃い茶色のスープにゴロゴロした肉と野菜が絡み合っててさ。
見た目からして腹にたまりそうで、香ばしい香りにスパイスのピリッとした刺激が混じってた。
一口食ってみると、肉は柔らかくてジューシーで、噛むたびに旨味が口いっぱいに広がる。
野菜はホクホクしてて、スープに溶け込んだ甘みがなんとも言えねえ。
俺、内心で『こんな美味いシチュー、街の上等なホテルでも食えねえぞ』って唸っちまったよ。
香辛料の効いた後味が、体の中からじんわり温めてきて、凍りついてた指先まで血が通うような感覚だった。
正直、あの瞬間は死にかけの森での苦労が全部吹っ飛んだね。
香ばしく焼けた白パンまでついてて、スープに浸して食ったらそれだけで腹が幸せでさ。
あんな森の奥で、どうやってこんなもん作れるんだって不思議で仕方なかった。」
マスターが「ほぉ」と唸って、ちょっと悔しそうな顔をした。
「そんでさ、俺がシチューを食い終わった頃に、またそいつが寄ってきて『お口に合いましたか?』とぬかしやがる。
俺が『こんな美味いシチュー初めてだ。どうやって作るんだ?教えてくれよ』って話ついでに言ってみたら、そいつはちょっと笑ったような声で『いいですよ』だとよ。
で、そいつはそのまま俺を厨房に案内してくれてな、実際に作りながら丁寧に作り方を教えてくれたんだ。
厨房はまあ狭かったな、けど整頓されてて、木の棚には瓶に入った香辛料がずらっと並んでた。
奥には肉類の保管庫があってな、店長がひと塊もある肉を持って戻ってきた。
店長が言うには、肉は『
ファングボアだぜ?ハンターに盗伐依頼も出る中型モンスターだ。俺たちがそうそう拝める種類の肉じゃねえよ。
まあ、野菜は特別なもんじゃなく、裏の小さな畑で採れたもんを使ってるって。
雪の下でも育つ根菜とか、凍てつく風に耐える葉っぱものとか、素朴だけど味が濃いんだそうだ。
まあ肉以外は割と普通の食い物ばっかりだなって印象だった。
でもな、材料はそれだけじゃねえ。
問題は香辛料だ。俺らが使ってる塩やらの隣に、平然と胡椒やらサフランやらが並んでんだ。胡椒とサフランだぜ!?同じ重さの金と交換される香辛料だぜ!?
そんなまず俺ら庶民じゃ拝めねえような香辛料が所狭しと並んでやがるんだ。
このカフェの客だって連中が、定期的に食材を持ち込んでくるんだと。
そんで、それは香辛料だけじゃねえ。
南方の天嶮で採れた幻のキノコとか、東方の果ての海から運ばれた海竜の肉とか、常連が『お前ならなんとか美味くするだろ』つって置いてくらしい。
下手したらあの店の厨房にある食い物だけで、城が買えちまうくらいのとんでもねえ。
そんなとんでもねえ食材がゴロゴロしてやがった。
そいつはそれらを料理して店に出してるってわけだ。」
俺は気持ちをお付けるためにエールをちびっと飲んで、話を続けた。
「・・・どこまで話したっけな。ああ、てんちょ・・・魔人、ああもう、面倒くせぇな。店長でいいか。その店長ががシチューの作り方を教えてくれたって所か。
『まず、ファンボアの肉を大きめに切って、表面に薄く小麦粉をまぶし熱した鉄鍋で表面を香ばしく焼いていきます。
肉の全面に焦げ目がつく頃には、肉の脂が溶け出しています。そこに裏庭で採れた玉ねぎやニンジン、芋、香味野菜を加えます。
味付けではなく、野菜の旨味を引き出すために軽~く塩。
玉ねぎが透き通ってきたら、赤ワイン。なければ他のお酒でも水でもいいです。
蓋をしてしばらく煮込みます。』
ここまでは普通のシチューと大差ねえと思った。
だがな、この店の特別ってのはやっぱり香辛料だった。
棚から取り出したのは、赤と黄色の粒が入った瓶と、黒っぽい粉の袋。
『これは普通のハーブでも近い味にはなるんですけどね?この子たちは特別なんです。赤いのは“火苔の実”、黄色いのは“陽花の種”。どっちも普通の人間では立ち入ることが出来ない場所でしか採れません。
どちらにも火属性の滋養効果があって、凍えた体を内側から温めるんです。
そして黒い粉は“竜血樹の脂”、それを粉にしたもの。血の巡りを良くし、疲労回復の効果があって、独特の香りが肉の臭みを消してくれます』
確かにさっき食べたシチューは、普通のシチューとは違う、体の中から温まるようななんとも言えねえ感覚があった。
『あ、ただ使う量を間違うと、内臓ごと沸騰しちゃったりするんですけどね?』
店長はケラケラ笑ってたんだが、俺は笑えねえよ?安心しきってたが、やっぱりこいつ人外なんだなって思ったよ。
そんな話をしているうちに、なんとも言えねえいい香りが立ち上ってきて、鼻から吸うだけで体が軽くなった気がした。
『最後に塩とバター加えて、弱火でコトコト煮込みます。肉は火を入れると、一度硬くなってそれから柔らかくなります。なのでじっくり時間かけるのがコツといえばコツです』
俺、魔人が作った料理って不気味さと、さっき食ったシチューの味を思い出してな。
複雑だったぜ?不気味な料理とは思うが実際美味かったからな。」
話ながらチビチビ飲んでいたエールがジョッキからなくなった。
マスターはこっちが何も言わなくてもエールを注いで持ってくるようになっちまった。
「お、すまねえな。
その後は席に戻った。店長はまだシチューの仕込みを続けてるし、手持無沙汰になって、改めて店の中を見回したら、薄暗くて気付かなかったが他にも客がいたんだよ。
奥まった席で黒づくめの女が一人。暖炉近くのテーブルには角の生えた小柄な魔物が寝てた。
共通してるのは魔物でも人でも、みんなくつろいでるって事だ。
店長はそいつらにも気さくに声かけてた。
人間だろうが魔物だろうが、まるで区別なんかしねえみたいにさ。」
そこで少し話の間を空ける。店の薪ストーブがパチッと薪がはぜる音を鳴らした。
「俺が腹もいっぱいになってウトウトしちまった頃、店長がまた寄ってきて、今度は『お泊まりになりますか?』って聞いてきた。
驚いたことに泊まれる部屋もあるって言うんだよ。
俺は迷った。店長はいいやつっぽいが異形頭。店内には得体のしれない連中と魔物。
とは言え、外は大荒れの吹雪な上に、俺にはもう外に出る気力も体力もなかった。
俺は、こうなったら、もし襲われたとしても仕方ないって割り切って泊まることにした。
宿代がかかるかわからねえが、金も少しなら持ち合わせがあったしな。
俺が泊まると言うと二階に案内された。二階には小さいが小ぎれいな部屋があってな、かざりっけの無いテーブルと清潔なベッドがあった。
おまけに、暖炉もストーブも無いってのに部屋が暖かいんだよ。
店長が言うには、一階の暖炉の熱が回る様にしてるんだと。
店長が出ていくと、俺は装備も靴も脱いでベッドに横になった。よっぽど疲れてたんだろうな、気が付いたらそこで一晩ぐっすり寝ちまってた。」
マスターが「夜は何も起きなかったのかい」と聞いてくる。
「何かあったら俺はここに居ねえよ。」
「そりゃそうだ」
「朝になったら、店長が朝飯持ってきてくれた。起き抜けにあの異形頭には参ったがよ。一回やそこらじゃ見慣れねえもんだ。
朝飯は、焼きたてのパンとチーズ、淹れたてのコーヒー、それに何か果物のジャムだった。
前の晩のシチューもそうだが、あんな森の奥でこんな上等な食い物が食えるだなんて思わねえだろ?そもそも、なんでこんな物騒な森の奥で店なんかやってるんだろうな。
思い切って店長に聞いてみたけど『内緒です』つって、笑って?表情はわかんねえけど、まあ笑ってたと思う。そう笑ってはぐらかされた。
釈然としなかったけど、腹が減ってるのと目の前のパンが美味そうでさ。
まあいいやと思って、ありがたく朝飯にありついた。
パンもチーズも平らげて、コーヒーも飲み終わるころ、また店長が二階に上がってきてな、『お帰りなら、森の出口まで案内しますよ』って言うんだ。
俺、助かるって思ってついて行ったんだけど…その道中がまた不思議でさ。
店長が歩く前には木々が勝手に道を開けるみたいに動いてたんだよ。
俺が目を疑ってる間に、気づいたら森の端っこまで出てた。
俺が丸一日半、夜中までかかって通った距離を、たった数時間でだぜ?信じられるか?」
俺はエールを飲み干して、ジョッキをカウンターに置いた。
「それで、無事に街まで帰ってきたってわけだ。
雪イタチの毛皮?一応捕った分は依頼主に納めたがよ。あんな目に遭ったら、そんなもんどうでもよくなっちまった。」
マスターはしばらく黙って俺を見てたが、やがてニヤッと笑ってこう言った。
「お前さん、いい話持ってくるじゃないか。次は俺にもそのカフェ連れてってくれよ。シチューがそんなに美味いなら、うちも負けてられねえからな。敵情視察だ。」
俺は苦笑いして、「また迷い込む羽目になったら考えるよ」と答えた。
けど、心のどこかで、あの異形頭の店長とそのシチューがまた恋しくなってる自分に気づいていた。
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