第12話 似たもの同士(その2)

「車を買いに来たお客様……って訳ではなさそうだな」


 みどり千咲ちさきを出迎えた北岡は、少し面倒くさそうにため息をついた。


「どうした嬢ちゃん、オイル交換の時期にはまだ少し早そうだが……早速どこかぶつけでもしたのか?」


 やや皮肉げな物言いの北岡に、軽く眉をひそめる翠。


「違いますよ……今日はちょっと、北岡さんにお願いがあって」


「何だ、金にならない面倒事はお断りだぞ」


「千咲さん……この人、一緒にMT免許を取った私の友達なんですけれども、最近買った初めてのクルマの調子が良いのか悪いのか分からないって言っていて。北岡さんなら、その辺りのことも分かるかなって」


「なんだ、結局は一銭にもならない面倒事じゃないか」


 小さく鼻を鳴らして、翠の隣に立つ千咲に目を向ける北岡。後頭部を右手でガシガシと掻く。


「どうもー、八島やしま千咲でーす」


 そう言って白い歯をニッと見せる千咲に、北岡は再び深いため息をついたが、千咲が乗ってきたクルマに目を向けると、一瞬意外そうな顔をした。


「ほう……今どきの若い女の子にしちゃ、なかなか珍しいクルマに乗ってるな」


「そんなに珍しいクルマなんですか?」


 翠の問いに、北岡は軽く眉を上げる。


「NB6CのNR-A。マツダが初めて売り出した、パーティーレース用のロードスターだな」


「レース用、ですか」


 パーティーレースというものが一体何なのか、翠にはさっぱり分からず、思わず首をひねった。


「そっちの嬢ちゃん……初めての一台でわざわざこんなクルマを手に入れて、一体何をしようっていうんだ?」


 北岡が尋ねると、千咲は軽く頭を掻きながら苦笑した。


「いやー、アタシもモータースポーツを始めてみたくって」


「このクルマ、誰からいくらで買った?」


「その子でレースをやってたっていう知り合いのおっちゃんから、40万で」


「ふうん……で、俺にこいつの調子を見ろ、と」


 いかにも面倒くさいと言いたげにちらりと目線を向けた北岡へ、翠はおずおずと上目遣いに尋ねる。


「ダメ、ですか?」


 北岡はしばしの間無言だったが、やがて何かを諦めたかのように軽く被りを振った。


「やれやれ……そっちの嬢ちゃん、こいつの鍵をよこしな。軽くその辺を回ってくる。二人とも、俺が帰ってくるまで事務所で待ってろ」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「本当に、街の小さな中古車屋さんだねぇ……って、あっ」


 少しの間、クルマのあちこちを点検するように見てから店を出て行った北岡を見送り、事務所へ入った千咲が小さな驚きの声を上げた。


「どうしたんですか?」


「翠が言ってた、あのおっちゃんがレースをしていたかもって話。ひょっとして、あの写真のこと?」


 千咲が指さしたその先には、例の額縁入りの写真があった。


「ええ。私にはあれが一体何の写真なのか、さっぱり分かりませんが」


「アタシも良くは知らないけれどさ……あっちのクルマの写真はたぶん、ラリーカーのだと思う」


 翠にしてみれば、まずラリーというものがさっぱり分からない。どこかの山道を走っているレーシングカーの写真にしか見えなかった。


「って言うのも、こっちの集合写真。あの写真と同じクルマを囲んで、みんな揃いのユニフォームを着ているでしょ……クルマには大きく『SUZUKI』って書いてあるから、あの人たぶん、スズキ関係のラリーチームにいた人だと思うよ」


「へえ、そうなんですか」


 やけに目を輝かせて写真を眺める千咲に、生返事のような相づちをうつ翠。北岡のことについては何となく得体の知れない雰囲気を感じていたが、千咲の話からすると、どうやらなかなかに凄い経歴を持っている人物のように思われてきた。


 二人で事務所のスツールに腰掛けてから10分ほど後、千咲のクルマが店の敷地内に戻ってきた。


 事務所に戻った北岡の表情は、微妙そうなものだった。


「おかえりなさい……どうですか、あのクルマ」


 翠の問いかけに、やはり何とも言えそうにもないような表情で北岡がぼそりと答える。


「普通に乗ったりちょっと遊んだりするぶんには、まあ問題はないだろう……そっちの嬢ちゃんがモータースポーツで、本気で『勝ち』を狙いたいっていうのなら、手を加えたい部分は色々とあるが」


 そう言いながら千咲にクルマの鍵を返した北岡は、胸ポケットから煙草のパッケージを取り出し、その中の一本を咥えてライターで火を付ける。


「俺もうろ覚えなんだが……そっちの嬢ちゃん、あのロードスターじゃ今ではパーティーレースに出られないってことは分かっているんだよな」


「あー、はい。あの子を譲ってくれたおっちゃんの話だとレギュレーションが変わって、あの子専用のレースはもうなくなったって聞いてます」


「あの……レギュレーションって、一体何ですか」


 隣で首をひねる翠に、千咲が小さく笑った。


「えーっとね、簡単に言ったら『ルール』って意味になるのかな。今売っているロードスターってクルマから数えると、あの子はずいぶんな型落ちになっちゃうんだ。で、パーティーレースってのはメーカーなんかが主催する、同じクルマ、同じルールの中で必要最低限の改造だけをして走るレースになるんだけれど、今はもうそのパーティーレースってのがやってないの」


「へえ」


 相変わらず、生返事のような相づちをうつ翠。つい最近、ようやくカプチーノを手に入れた翠からすれば、モータースポーツの話はさっぱり分からない。


「一応その辺りは理解しているんだな……で、嬢ちゃんはあのクルマで一体何がしたいんだ?」


 天井に向けて紫煙を吐き出す北岡の問いに、千咲が答えた。


「レース……って言いたいところなんだけれど、今はお金に余裕がないから、まずはジムカーナかなぁ」


 千咲の言葉に、北岡は苦笑した。


「ククク……レースとジムカーナじゃ、セッティングの方向性がまるで違うんだが。まあ、金がないうちはドライビングの基本を学ぶってのは、そんなに悪くない選択肢だ」


 再び紫煙を吐き出した北岡が、ニヤリと笑う。


「ひとまずはヘルメットとグローブだけ揃えて、ジムカーナの練習会に出てみな。で、ひたすら走り込んで、ラップタイムが頭打ちになった頃にどこかのモータースポーツクラブクラブへ行ってみるといい」


「あー、クラブって言えば、さ」


 千咲はくだんの写真を指さして尋ねた。


「おっちゃ……じゃなかった、おじさんってさ。昔は何してた人なの?」

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