㉓ 見えないものと見えるもの





 ふぅーっ!


「んん・・・うあ! あ・・・ニポ。」


 顔めがけて息を吹きかけ、寝ているキペを起こす。

 ここはどうやら寝床に決まった部屋らしい。


「アヒオとコリノに後で礼いいな、あんたを運搬してくれたんだとさ。

 しかしどしたよーチペ? バコバコぶん殴られて生きてきたあんたが無傷でぶっ倒れるなんて。」


 うっしゃしゃしゃしゃ、とキペの不幸を楽しむ。

 その笑った顔が、だから、苦しかった。


「・・・なんでもない。」


 何にこんなにもイラついていたのかわからないが、語調は感情に従い強く放たれる。


「うーん、熱があるってんでもないねえ。くひひひ、なんだ、どーしたチペ。」


 放っておいてほしかった。

 ニポが、遠くて。苦しくて。


「なんでもないよ。」


 ぐおん、と毛布をかぶってあっちを向く。

 ニポはおもしろがってそっち側に寝っ転がる。


「メシも食ってないんだってね、こら、顔は出しなっ!・・・よっこら、と。あー寒ぃ。」


 露出の多い恰好がたたって夜ともなれば寒さを覚えるのだろう、ニポも布団に潜り込んでキペのお腹をパンチする。


「・・・なんだよ。ニポこっちで寝るなら僕あっちに行くから。」


 ふん、とまた反対側に体ごと背ける。

 その目の端に覗いたニポは、すこし困った顔をしていた。


「・・・なに怒ってんだい、チペ。・・・あ、っと、なんか悪いことしたんなら、その、謝るよ。」


 背中で声を落としていくニポ。


「・・・いいよ。」


 ニポが悪いわけじゃないのに、ニポに悪いところなんてないのに、どうしてか、赦せなかった。


 何も悪いことをしていないニポが、なぜかいっそう憎たらしくなってしまって。そんなふうに思ったことなどなかったのに、なぜかイジワルしてしまいたくなる。


「・・・あっそ。」


 僕は、何に怒っているんだ。


 何に、こんなに苛立っているんだろう。


 悲しい思いをしてきたニポに、なんでこんな冷たくしてしまうんだろう。


「じゃ、僕あっち行く。」


 わからなくて、本当はニポを安心させてあげなくちゃいけないのに、わからなくて、でも、言葉がトゲをしまえない。


「・・・いーよ、あたい赤目んトコにまだ用事あるから。」


 ふぁさ、と背中にひんやりとした空気が入って、そして閉ざされる。


 立ち上がり出ていくニポにひとこと言えばいいのに、言えればいいのに、なぜかうまく言えなかった。


「ごめん」のひとことは、薄情なほどにその手をすり抜けて遠ざかっていく。

 そして捕まえようとする心さえうまく、働いてくれなかった。


 かちゃ。


「お、こらオジャマだったか? なっはっはっはっ!・・・あ、静かにしろよ、ったく。リドが起きるだろっ!」


 とそこでニポと入れ替わりにリドミコを抱きかかえたアヒオが入ってくる。

 いつもなら笑えるそんな冗談に、ニポもキペも顔を背けた。


「け。なんでぇ無愛想な。よ、っこれ、と。・・・どうしたキペ。痴話ゲンカか?」


 もう一つの布団にリドミコを横たえ、そっと毛布をかぶせてキペの布団に腰を下ろす。


「・・・なんでもな・・・アヒオさん。・・・いや、えっと、なんでもない。」


 相談しろと言われても何をどう伝えればいいかわからなかった。

 何を話せばいいかさえ、わだかまるキペの中で黒いモジャモジャになって見えなかったから。


「・・・よぉキペ、ちょっとしかないがよ、一杯付き合え。」


 リドミコの肩提げ袋の中から木瓶を取り出してアゴで起きろ、とやる。


「・・・。」


 気乗りはしなかったが、眠れそうもないのでついていくことにした。

 そしてぎぃ、ぎぃ、と鳴る廊下を抜け、ニポたちの声の漏れる赤目の部屋を手奥に見ながら二人は階下へと降りる。


「ちょっとアテにもらってくか。たは、おまえさんも持て。夕飯食ってないんだろ? 外出るぞ。」


 家の中でも薄ら寒いのに、アヒオは夕飯の残りを皿に盛ると軽快に出ていき手頃なところで腰を下ろす。

 外は霧がかかっていて月明りも霞んでいたが、中の火燈りよりは目が楽だった。


「ふおー、寒ぃーなさすがに。はは、もう玄陽の季節も真っ只中だもんな。ほれ、呑め。」


 ホニウ人より体温管理が苦手とされるハチウのアヒオがなぜわざわざこんな寒いところでササを呑ませるのかわからない。


 わからないことだらけでも今までこうして来られたが、なんとなくもう、限界に思えた。


 心がもう、疲れていた。


「んぐっ・・・かふっ・・・これ・・・聖都で呑んだのより・・・」


 喉がガツンと熱くなり、流れ落ちて胃に届くとあっという間に頭に目にクラっとくる。

 でもその代わり、頭を締めつけていた縄が緩んだようにふと軽くなった。


「けけけ。もっとガブ飲みすると思ってたんだがな、惜しい。

 なぁそれよりよキペ、きれいだと思わねーか、月。」


 滲む白を明るい方へ辿ると、月がいびつな丸のまま揺れていた。

 ふわりとした頭で見るからか、それはおおらかに、やさしく映る。


「・・・うん。」


 きれいだな、ニポにも見せたいな、と思い、そしてまた目は足元へと落下する。


「二人で呑むのは初めてだな。リド抜きってのがまー無いからよ。はっはっはっは。」


 ぬぐん、とひと口やると、今度はおまえさん、とキペに渡す。

 つらく苦しい過去を越えて今、アヒオは笑う。


 話を耳にしただけでへこたれる自分とは器が違うんだ、そう思うとまた虚しくなる。


「んぐ。アヒオさん、リドミコと仲良しだから。・・・アヒオさんも、みんなも、強いな。

 ・・・僕だけ、弱虫だ。」


 誰かに言われる前に自分で言ってしまった方が楽なものだが、それで救われるものなど何もなかった。


「んぐ。かーっ!・・・はふぅ、ナニ拗ねてんだ? おまえさんらしくもねぇ。」


 気持ち良さそうにササを含んでは燻し虫をほお張る。

 それを見ているとおいしそうに見える。


「・・・僕らしさなんて、アヒオさんは知らないくせに。」


 またトゲが出てしまう。


 愚痴や不満は漏らすと楽になるのに、こぼれ出る言葉はそうさせてくれなかった。


「けけ、知らねーよイジケ野郎のことなんざ。ほら、呑めよ。おれが呑めねーだろ。」


 かちん、とこめかみで音が鳴る。

 黒い音が、内側から騒ぎ出す。


「んぐ! イジケてなんかないですよ。・・・相談することなんてないですから。それじゃ。」


 荒くなる声にへつらう体が、キペの心を置き去りにして立ち上がる。


「なんだ、逃げんのか? 何からそんなに逃げてーんだよ腰抜けっ! 

 けけ、弟が逃げ出したのもわからーな。おまえさんみてーのが兄ちゃんじゃ恥ずかしくて歩けねーよ、あっはっはっは。兄弟揃ってビビりの意気地なしか? ケッサクだなっ!」


 息は熱を帯びて声になる。

 汚れた怒りで濁りながら。


「ハユの悪口は言わせないっ!」


 ぎゅ、と固く握る拳にどんどん色が集まってゆく。

 汚れた色、目障りな色、面倒な色、邪魔な色、握り潰したい感情全てが色になって集まってゆく。


「おう・・・じゃ、どーすんだキペ?・・・オイ、どーすんだって聞いてんだろがっ!」


 ぬう、と立ち上がる。

 キペより背の高いアヒオは細身でも筋肉質だ。目の前に陰を落とされるだけで身が退けてしまう。


「どーすんだっつってんだろうがっ!」


 がしっとキペの頭を鷲掴みにして怒鳴りつける。

 目が潤んでそのぶん口の中はカラカラに乾いていたが、逃げたくなかった。


 そこへ。


「ぬおりゃーっ! ウチの三下に何やらかしてくれてんだこのやろーっ!」


 ドカドカドカドカっと暗い部屋であちこちぶつけながらニポがそれより大きな声を張り上げ屋敷から突っ走ってくる。


「はあ、はあ、てめーこの冷血野郎っ! あたいのチペに何してくれてん――――」

「なぁキペ。・・・守ってもらうって、どんな気分だ?」


 ぎゃーぎゃー言いながら駆け寄ってくるニポには目もやらず、アヒオはふっと微笑む。


「おまえさんより弱い小娘が、おまえさんのためにこのおれに刃向かって守ろうとしてくれてんだぜ?」


 まだぎゃーぎゃー言うニポはキペに掴みかかるアヒオに掴みかかっている。


「下手くそでいい。叶わなくていい。示されただけで、守られた者は救われる。

 逃げるのは後回しだ。キペ、わかるな。」


 ところどころアヒオのいい話が聞こえなくなるくらいぎゃーぎゃー言うニポに目を向ける。

 ナニしてんだこの野郎、てめやろってのかこの野郎、ケンカなら買うぞこの野郎、とまだまだ詰め寄るニポは、必死だった。


「・・・はい。」


 あんなに冷たくしたニポは、必死にキペからアヒオを引き離そうとしていた。


「・・・・・・はいっ!」


 恐怖もあったが、いろいろなものが一つに固まって、そして流れ出た。

 頬を伝う光の数が増えるたびに心は洗われ、そして拭われていった。


「ごめんなさい。・・・ごめんなさいっ! ニポ、アヒオさんっ!」


 こんなヤツに謝るんじゃないよこの三下野郎、と毒牙がこちらにも向けられる。


 そして、だから。


「ありがとう、ニポ。」


 キペの頭から手を離したアヒオはそのままニポの背を押す。

 その背中を、キペの両腕がしっかりと抱きとめる。


「あぁ、・・・うん。」


 要領得ないニポも声が出しにくかったのかもしれない。そう頷いて、キペに体を預けた。


「ありがとう、アヒオさん。」


 こちらにも手を伸ばそうとするも、それはアヒオが目で制した。

 アヒオからは見えなかったニポのそのはにかんだ顔が見えでもしたかのように。


「けけけ、おまえさんらほんとガチガチな。

 あ、おれがいるからか? はっはっは、しゃーない。おれはリドんとこ戻るからよ、あとはお二人さんでうっひっひ、ってにゃむんっ。」


 キペの腕がほどけないよう細心の注意を払ってのエルボー。

 ニポを守ると守れるものなら守ってあげたいアヒオは守れなくなるらしい。

 キペは密かに、どんまい、と自分を勇気づけたそうな。


「あの、その、アヒオさんもいてください。・・・ふふ、バカみたいだ。ふふふ。」


 今こうして体温を感じ合えているニポが、キペにとってのニポだった。


 過去がどうであっても、それがあっての今のニポであり、それがあったからたぶん出会えたのだ。


 その全てを愛することはできなくともニポを丸ごと拒む理由には遠かった。

 遥か空の彼方にあるあの月よりずっと、そんなモノは遠くなっていた。


「いや、せっかくなんだからよ―――」

「そうだ、せっかくだから消え失せろかぴかぴカピバラっ! あんたがいると―――」

「いや。ダメだ、やっぱりいるわ。なんかむしろいたくなってきたもんよっ! はっはっは。

 んでよく考えたらカピバラはどっちかってーとおまえさん寄りだろ歯ー出る前歯―っ!」


 やはりキペの腕がほどけないように首を限界まで曲げてアヒオを追い払おうとするニポだったが酔っ払いには逆効果らしい。


「ふふ、ふふふふ。・・・・・・ほんと、バカみたいだ。」


 なんだと三下ぁっ!と、それおまえさん失礼じゃねーか?がキペの頭をポカポカやる。

 そもそもあんたが、と、そうだぞおまえさんが、がまたポカポカやる。

 思いのほか結構二人とも容赦がないので頭が揺れてフラフラになる。


 それでも、もう燻ぶるものはなかった。


 今そう感じているだけなのかもしれない。

 だがそう思えるひとときを大事にしようと思う。


「あぐぐ・・・えと、うんと、じゃ、三人で呑もっか。あのさ、僕これ食べてみる。」


 アヒオがつまんでいた虫の燻製をひとつつまんで口に放る。

 そして「ニポ褒めてくれるかな」などと甘い期待を抱いたのも束の間、するするとキペから離れてアヒオの木瓶にごろにゃん、とやる姿が目に入ると、口の中のそれは必要以上に苦く感じられた。アヒオの膝に乗ってササを呑んでいる姿がまたしても遥か遠くに見える気がするのだろう。

 キペは案外、嫉妬深い性格なのかもしれない。


「あれま、何の騒ぎかと思えば外で宴会してたなんて。ふふふ、僕らもいいかな?」


 ニポが走り去ったあとをゆっくり歩いてきたのだろう赤目と、用意のいいウィヨカが陶瓶を二つ盆に載せてやってくる。


「・・・でも赤目、外は体に障るわ。」


 光がどう、というよりもその外気温が、ということらしいが、ウィヨカの心配にウィンクひとつで返す赤目はニポとキペの間に座り込む。薄明かりでは気がつかなかったものの、赤目はとても若く、そして美しい顔立ちをしていた。


「相変わらずニポはササが好きなんだねえ。確かモクさんにはたしなめられてたんじゃなかったかな?」


 キペにとってもアヒオにとっても「神徒モク」はほとんど他人だ。しかし今こうして旅を共にするニポの大切な「家族」であるというだけで親しみを覚える。


「あれでも元・神徒だからねえ。それにたぶん、パシェもいるからだろーさ。

 そういやウィヨカは〈音の民〉になったとかって前にモクじーさんに聞いたけどさ、あんたはココでずっとやってくのかい? 妙ちきりんな能力が手に入ったってのに。」


 語り部の第八人種が寄生したことで人格や肉体を奪われたリドミコの場合、それらからの解放のためにユニローグを探す旅へ出ざるを得なかったのだが、通常の〈契約〉であれば「どこかへ連れて行け」などといった指令は出されない。


 ひとつの村の中で〈契約者〉が一生を終えることは別段おかしなことでもなかった。


「そうね。あたしの場合は・・・あ、そうだ。ハイミンのこと・・・」


 何かを思い出したウィヨカはそのまま赤目に意見を求める。大事な話であればやはり長の許しを得るものらしい。


「お、なんだ? ハイミンって浮島シオンのメタローグだろ? なんかあったのか? おれたちゃこれからそこに行くんだ。」


 目的地を告げても無害だと踏んだアヒオが続きを催促する。

 その意味がわかった赤目はうん、とひとつ頷いてウィヨカに返した。


「ええと、・・・大白樹ハイミンがお目覚めになられたのです。お話しした感じではまだ夢うつつのようでしたけど、じきに覚醒されるでしょう。

 ・・・ヒトビトに何を語るのかは気になるところですが、それよりもお心を痛めてしまわないか心配です。大白狼サイウンが殺されてしまったのですから。」


 さっきからササをちびちびやりながらうんうん言っていたニポもさすがに目を覚ます。

 キペはその二つ隣で「アヒオさんに抱きついたりとかしないかな」と一人しょーもない心配をしていた。


「んーとすまん、またややこしくなってきた。

 まずなんだ、ハイミンってのはしゃべれるのか? だって木だろ? 見たことないからわからんが・・・

 それにウィヨカ、おまえさんはなんでそんな木としゃべれるんだ? 馬でも日巡り二つは掛かる距離だぞ?」


 先の神殿から出てようやく難解な理屈から解き放たれたと思っていた所へまたぞろやってきた〈契約の民〉の話に正直、アヒオもへたばりそうだった。


「ふふ、ちょと横から説明するとね、ウィヨカは「そうんど・かんねぃ」という音の操作ができるみたいなんだよ。


 遥か昔、ウィヨカたちラジク族の祖先は海の中で遠く離れた仲間へ声を届かせることのできる「水の層」を見つけられたそうだね。水と空気とでどう違うのかはわからないけど、ウィヨカはそれを陸上でこなせるみたい。」


 赤目には包み隠さずその能力を打ち明けたのだろう、訂正することなくウィヨカは頷いてアヒオの問いに答える。


「あえて尋ねることはしませんでしたけど、エレゼと共にナナバの村付近の森にいたのはあなたたちですね?


 なら彼にも会っていると思いますが、同じ〈音〉を操る者同士でもいろいろ異なるのです。あたしが第八人種と〈契約〉している一方、あの男は生まれつきなんです。

 そして〈契約〉した者であってもその第八人種がどこに棲息していたかによって得られる能力には差が出てきます。仮象体が異なるのと同じで「彼ら」にも部族がありますから。」


 まだ話の途中だったものの、はい、と元気に手を挙げるから気配りのできたウィヨカはキペに流れを譲る。


「あの見えざる者さん・・・えっと、僕らは「精霊さん」なんて呼んでますけど、部族があるってことは彼らにもフロラやファウナの違いがあるんですか?」


 率直に言って、あんまりたいした質問ではなかった。

 それでも、悲しい話を聞いた後だったためにフロラ/ファウナの差異については心が納得を求めてしまうのだ。

 虐げられるとか支配するとか、そういう話が出てこないことを祈りながら、知らなければいけない、という強い決意に従ったそれはキペの意思表示でもある。


「ふふ、本当におもしろいヒトですね。ええ、ありますよ。


 そもそも不思議に思いませんでしたか? 一般的に「ファウナ」といえばシム人を除く五つの人種を包括した用語なのに「フロラ」が示すのはたった一つ、ユクジモ人種だけ、ということに。


 おそらく元々は第八人種もきちんとフロラ、ファウナと分けた中にあったんだと思います。フロラ系ユクジモ人、フロラ系第八人種、あるいはファウナ系ホニウ人、ファウナ系第八人種のように。


 ふふ、でもちゃんとしたことは分らないんですけどね。

 ただ赤目たちの話を聞く限りではどうやら、第八人種はフロラ系の〈契約〉には幅が見られず、ファウナ系の〈契約〉に能力差が出るようですよ。あるいはだから、フロラ系とファウナ系の〈契約〉を重複すると交雑変体が起きるのかもしれませんね。」


 いちいち解らない単語を入れてくるウィヨカ。

 知識のひけらかしで喜ぶタイプではないのだろうが、パンク寸前のアヒオとパンク完了のキペは「お月様のアビケ踊りが始まるよ」と笑い始めている。

 もう何のこっちゃわからない。


「あり得るねえ。言っちまえば第八人種ったってそこいらのバイキンだの病原菌だのと親戚の微生物なんだろ? 体内の環境如何で死滅も進化も考えられるさ。

 そういやウチのチペには〈木〉と〈時〉の第八人種が混在してるんだけど大丈夫かね? 〈木〉の妖精にゃんは大丈夫とは言ってたけど。」


 仮構帯にて〈木〉の第八人種の仮象体は「変体進化で他種の混生には適用できる」と言っていた。その言葉に嘘はないだろう。

 しかし症例の多いこの村ならではの見解は参考にしたいところだ。


「仮象体がそう言っていたのなら人体に影響はないわ。ふふ、かわいらしい姿に出会えたのね、ニポちゃん。

 それに〈木〉と〈時〉の見えざる者たちは共にフロラ系だからね、あたしが疑問を感じてる交雑とは違うと思うの。


 一応、〈音〉と〈色〉の〈契約〉の時だけは気をつけてね。仮構帯であればそれぞれの仮象体とも対話ができるから、そのとき確認すれば問題ないわ。」


 ニポと話す時だけは砕けたしゃべり方になるらしい。


「お、そりゃいいこと聞いたねえ。うしし、ありがとウィヨカ。」


 その二人に共通する過去は、キペがどんなに押し込めても頭をもたげてくる。

 ギリリと胸は軋むものの、それでも逃げずに向き合おうとキペは思う。

 黒ヌイのキペへ微笑むウィヨカに、アヒオに食ってかかってくれたニポに、もう二度と悲しい目をさせたくなくて。


 そして、少なくとも今この時は安らげるものなのだと知らせたくて、キペは微笑む。

 作り笑いじゃない、おしゃべりを楽しむ二人の女の子の姿を切り取って、それにキペは微笑む。


 笑えるうちに笑っておけ、とときどき呟くアヒオの言葉に倣ってみようと思ったのだろう。


「ふーんなるへそ。あのよ、ハナシ戻すようだけどおまえさんはメタローグの木としゃべったんだよなウィヨカ? またよくわからん単語を出されても困るので端的に答えてくれ。

 ハイミンとしゃべれるなら「ユニローグ」がどこにあるのか訊いてくれないか? おれたちがやっこさんトコに行くのはそれが目的なんだ。」


 ぐひぃーアヒオ、そのつまみ取ってくれー、と頼むニポはすっかりアヒオの膝にでーんと座っている。

 アヒオは背中を押し付けてくるニポが邪魔で仕方ないのだが、そこは我慢して肩越しや脇の下から顔を出してはウィヨカに尋ねる。

 ちなみにニポが「そのつまみ」と指差したものは落ちていた小石だった。


「残念ですけど、今はまた眠りに就かれてしまわれたので。〈音の民〉の中であたしは話すことのできる部類なのですが、起こすことはできないのです。

 語り部であればその目を覚ますことができるのでしょうが・・・


 でもあの男は、エレゼには頼んでも聞かないと思いますよ。たぶん、あなたたちにメタローグの覚醒を促す手段があることを伏せていたはずですし。」


 口を結んでふん、と言うウィヨカ。

 あまり仲は良くないようだ。


「ほぶん? なんだウィヨカ、あの羊野郎を知ってるのか? まったくあいつぁー一体なんなんだいっ! なにかってーと隠し事ばっかしくさってからにっ!

 ぬあっ! そんなあいつにパシェを任せてしまったのだったっ!

 ・・・ま、いいか。用があるとかなんとか・・・・・・チペ、おしっこ!」


 とりあえずもう最悪の酔っ払いになる。


「あ、ニポ・・・え? なんで僕も?」


 あーあ、あいつ連れてかれてやんの、と控えめなグッバイを告げるアヒオ。

 他方キペの背中にへばりついたニポはといえば、にゃんにゃんはにゃんにゃんにゃー、と気の毒な独り言にご満悦だった。


「ふふ。ニポうれしそうだね。それとアヒオ、きみもニポと仲良くしてくれてるようだね、ありがとう。

 ニポたちは村を出てからずっと五人だけだったから。途中で二人抜けてしまったようだけど。・・・淋しかったんじゃないかな。

 この村にいた時だって陽気だったけど、あんなに楽しそうにしてなかったもの。・・・ウィヨカも憧れるかい?」


 うん、ともううん、とも応えないウィヨカはしかし、ひとつ目を閉じて微笑む。

 あっちもこっちもアベックだらけだが見苦しくはなかったからだろう、アヒオも心穏やかに陶瓶へと手を伸ばした。


「ところでよ、ハナシ半端であの出っ歯が邪魔しちまったが語り部ってのは一体なにもんなんだ?

 エレゼに限らずウチのリドの見えざる者の方のヤツ、あれも語り部らしいんだがメタローグから歴史やら何やらを聞いて広めるってだけの役目じゃないのか?」


 リドミコの〈木の精霊〉はメタローグの元へ連れて行け、と言っていた。それで何が分かるものかとは思っていたが、言葉を話す神木を目覚めさせられるのであれば理屈だ。

 とはいえメタローグと讃えられる存在のうち比較的目にしやすいハイミンであっても、暗足部時代にさえ実物を見たことがなかったためいささかマユツバだった。


「あらら、あの子の中の第八人種は語り部だったのかあ。なら本人に直接訊いた方が確実だよアヒオ。僕らが知っているのはほんのわずかだからねえ。それにしてもリドミコって子・・・あ、帰ってきた。」


 ん、と見遣ると背負われたニポがキペの頭をもぐもぐやっている。

 先の部屋で目にした二人の距離などもう、微塵も見られなかった。


「はぁ。ただいま。・・・うあ、もうニポ、ちょ、耳はダメだよ。」


 髪の毛に飽きたニポ。本格的にキペを食べようとし始める。


「まぐまぐまぐ、チペうまい。まぐまぐ。」


 そして一同に戦慄が走る。

 もう、誰も関わろうとは思わなかった。

 それを負うキペとすらも視線を合わせなかった。がんばれ、キペ。


「・・・さて、と。宵も宵だしな。今夜は寝るか。どうせまだ足止め食うんだろうしよ。」


 赤目の隣のウィヨカの先に関しては一切遮断し、アヒオは陶瓶の中身を木瓶に移す。

 持ち運ぶにあたって割れ物は避けたいのだろう。また、酵母強化作用をフルに活用して水で割っていない忘れな村特産の醸造酒は飲む以外に簡単な消毒にも使えるため、こうしてみっともないことをしてでも確保しておきたいもののようだ。


「ニポの話によれば明日はまるっと動けそうもないらしいよ。〔こあ〕の順応もそうだけど、なんかヘンな注文をつけてたみたいだしね。」


 ちら、と確認も兼ねてそっちの方を覗くと、キペの耳に自分の耳をこすりつけようと頭をごりごりやっているニポがいる。もう何がしたいのかさっぱりだ。


「あ、すみませんね、もうちょっとお世話になってしまうようで。ほら、ニポも・・・あーもうなんで腕巻きとか足巻きとか脱いじゃうんだよ。」


 さすが三下、党首の後片付けはお手のものだ。


「あたしたちは構いませんよ。こんなにいいヒトたちに出会えたんですもの。」


 ふふ、とウィヨカに笑みを返そうとするも避けられるキペ。

 いうまでもなく、その背中で首をかみかみしている女のせいだ。


「さ、戻ろっか。」


 キペを困らせたくて話したわけではない赤目がそう取りまとめ、キペの背中から離れないニポの頭をそっと撫でる。


「きみならきっと・・・・・・そう思ってたよ。」


 そうキペに囁くと、赤目はウィヨカと共に入っていく。


「今度は自分ひとりで大切なものに気付け。大事なモンの前でならいつだってヒトは強くあれるからな。けけ、おまえさんなら大丈夫さ。」


 ぺんぺん、と胸を叩いてアヒオも先をいく。


「ありがとう。」


 誰に言うでもなく、この時のすべてにそう伝えたかった。


 そして


「ありがとうね、ニポ。」


 もう寝息に変わり始めた独り言を確認して、キペはそっと囁いた。

 そうしてよいしょ、とずり落ちるニポを背負い直し、更けた夜を閉ざして部屋に戻る。


 男女で分けるつもりだった二つしかない布団も、今夜は残った一つにニポを寝かせるより仕方ないらしい。

 ふー、とキペはひとつ息をついて、リドミコを包むように眠るアヒオ、それから横たえた時から手を離してくれないニポをぼんやりと眺め、そして眠った。


 布団の中のニポと布団の外のキペ。

 ふたつを隔てる温度があってなお、その手は一向離れなかった。

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