㉒ 下奴婢楼(げぬひろう)と忘れな村 ※レイティング案件です。





「にしてもニポ遅いですね。寝ちゃったのかなぁ。」


 着想の震源地がよくわからない男・キペだが遅いことを嘆いているらしい。


「たぶんヤシャの整備でこまごま指示してるんじゃないかな。ヤシャだけはニポの作品だから手を掛けたいんだろうね。」


 残っていたパイに再び手をつけながらも、やはりまだ完全に仮構帯での疲労が抜け切れていない一同はぼんやりし始めていた。


 こくん、とその中で一番幼いリドミコがうつらうつらし出すのが目に入ったのだろう、アヒオはマントを脱ぐと椅子とテーブルに挟まるようにして姿勢を保っていた体にふわりと掛けてやる。


「きみはやさしいヒトなんだね、アヒオ。・・・先入観っていうのは僕らの中では他と比べて薄いけど、ないわけじゃないから。」


 冷血無比なムシマ族、はもはや慣用句として通じるほど流布されきった言葉だった。


「気にするな。リドは、本当のリドはおれの光だから。・・・はは、いいヤツなんだよ。かわいくて、やさしくて、かわいくて、かわいくてかわ――――」


 なんかドロドロになっていくアヒオ。あ、もうそろそろ関わらない方がいいですよ、とキペが忠告すると赤目も、確かに、と深追いはやめた。もう、ほんとドロドロなのだ。


 そしてドロドロなアヒオの見守る中、ぱちん、と目を覚ましたリドミコが、あやぁ、と部屋の様子を閉じたままの目で伺う。

 その様子に、あ、もしかしたら、とキペが思う前に、


「リドかあっ! ほぉぉおううっ! ひゃっほうっ! リドかあっ! リドなのかぁっ!」


 疲れも眠気も一切合財あっちの世界にぶん投げたアヒオが大騒ぎする。

 リドミコはとりあえずアヒオが寝ざめを出迎えてくれたのでニコニコする。

 みなさん、愛はここにありますよ! と視聴者の方々に報告したいキペだった。


「あーっはっはっはっはっはっはっはーっ! 見たか赤目っ! わかるかこれが本当のリドなんだよまーほんとにかわいいなぁおまえさんはもう天使かあるいは天使にしか見えないもんなぁもーほんとにかわいい上にかわいい以外の言葉がひとつも浮かばないほどに愛らしくてかわいくておいキペおまえさん見てるかこれキペちょっともっと近くでちゃんと目に焼き付けるようにして見てく―――」


 わかるが、わかるが、ちょっと鬱陶しいので割愛する。


「ふふ、きみたちがいてくれたらこの村は今よりずっと明るくなるなあ。会えてよかったよ、僕の方こそ。」


 べろべろになってもう聞いてるんだか聞いてないんだかよくわかんないアヒオに言ってみたものの返答がないから仕方ない、ということでキペに目を向けなおす赤目。

 これほどまでに元気いっぱい無視されたのは生まれて初めてなのだろう。


「うん、あの、アヒオさんはたぶんしばらくはあんな調子ですから放っといていいですよ。ふふ、僕らはみんなそうしてます。」


 あー、なんとなくわかるなあ、と返す赤目。

 楽しむ、ということもあまりなかったのだろう。キペたちにとってはほんのひと時の面倒タイムを飽きもせずにクスクス言いながら眺めていた。


「ん? なるほど! そだな流石だリドっ! うん、ちょっくら外行くか。・・・つーわけだ。散歩してきたいんだが、いいか赤目?」


 もはや言葉がなくても会話ができるアヒオ。リドミコでいてくれる時間が愛おしくてたまらないようだ。


「ふふ、どうぞ。でももうすぐ夜の食事が届けられるから遅くならないようにね。」


 村の長らしいといえばそうかもしれない。しかしどちらかといえば面倒見のいい近所のお兄さんのような気質だ。


「きみもどうぞ、キペ。僕といると暗くなっちゃうよ?」


 皮肉で言ったわけではないらしい。ただ、その言葉の裏にある感情を心が見つけてしまうから、キペは静かにかぶりを振った。


「ふふ、あの二人の邪魔はしたくないですから。」


 自分が行ってしまったら赤目は一人になってしまう。

 こんなに歓迎してくれるやさしい赤目を、せめて自分が村にいる間は一人にさせたくなかった。お節介かもしれないが、今はそうしたかった。


「確かにそうかもね。・・・ありがとう、キペ。」


 それをわかってしまう赤目はそう告げる。

 今日初めて会ったとは思えないほど、だからそのやわらかな距離は縮まってゆく。


「ふふ。それにしてもこの村には〈契約者〉がたくさんですね。ウィヨカさんまでそうだったなんて。


 あ、じゃあきっと仮構帯では精霊さんとおしゃべりできるんだろうな。

 ウィヨカさん、やさしそうなヒトですから「彼ら」も幸せでしょうね。」


 驚くことがたくさんあったとはいえ、だからといってカロにもノルにもエレゼにも、ここにいる赤目たちにも改めて敬遠したくなる感情は覚えなかった。


「基本的に感情を持たない第八人種は、ね。

 ・・・キペ・・・ウィヨカに、ウィヨカの心にあまり、近づかないでもらえるかな。こんな言い方はしたくないのだけど。」


 そうなのだ。


 アヒオたちが出ていきキペだけが残ったのは偶然だったのかもしれない。しかしこの男は常に場を考え頭を働かせている。


 キペだけがいるこの状況を、赤目は赤目なりに有効に使うつもりなのだろう。


「それは・・・あ、やだな。僕、ウィヨカさんをそんな目でなんて見てませんよ。」


 ついて出る言葉が砂になる。

 地面にしがみつく手の平すら吸い尽くされて風に踊るだけの砂になる。


「聞き届けてくれないかキペ。


 ・・・ウィヨカはね、売られていたんだ。黒ヌイの商人に。

 きみが悪いわけじゃないのはウィヨカ自身もわかってる。だから普通にきみとは会話をしていたはずだ。


 でもね、付き合いの長い僕にはわかるんだよ。彼女はずっと震えていた。きみの表情の見えない後姿には特に、顕著にね。」


 困ったように、でも腹を括ったように、赤目はキペの返事を待たずに口を開く。


 それ以上を拒む言葉しか出せないキペに止めさせるわけにはいかないのだ。奴隷のように疫病のように足蹴にされこき使われそして、捨てられた者たちの集う村の長として。


「キペ、きみは娼隷館しょうれいかん、いわゆる下奴婢楼げぬひろうというものを知ってるかな。・・・そうだね。娼館ならたぶん知っているだろう。大きな町にはあるから。


 でもね、下奴婢楼は違う。


 僕らのような普通じゃない体を持つ者や心をうまく扱えない者を集めた場所なんだよ。コリノのように異形な者はたいてい見世物小屋に売られるけど、見た目に遜色の無い者はそこで体を売り買いされるんだ。


 毎日毎日、代わる代わるやってくる男たちに好き放題なぶられ、弄ばれ、汚れた言葉を浴びせかけられ、次にやってくる男のために体を洗うんだよ。仕事が終われば今度は館の者たちを相手に股を開く。求められたように恰好をとり、求められる悦びの声を上げてやり、満足するまで腰を振るんだ。


 泣いてるヒマなんてないんだよ。気に入られなければ食事はおろか睡眠までも奪われてしまうから。


 十円を数えるよりも前からずっと、ウィヨカは毎日誰かの前で裸になっていた。


 ・・・たった一本っ。 たった一本指が多いというただそれだけの理由でウィヨカは親に売り飛ばされ、普通の女の子としての生活のすべてが奪われたんだ。


 それでもまだウィヨカはきれいな子だったからいい方なんだよ。客の評判が悪かったり館の者に従わなかったりすれば今度は虫ケラのように扱われる。


 世の中にはね、ヒトの体に刃を突き立てたり、腕や足をへし折ることででしか興奮できない連中もいるから。・・・金さえあれば、そういった輩は何のお咎めもなしにその歪んだ悦楽に浸れるんだよ。」 


 右手で掴んでいた左腕をふと離すと、そこには血が滲んでいた。

 キペ自身も気付かぬうちに編み金服越しの腕を握り潰していたようだ。

 それはとても痛くて、痛くなかった。


「・・・。」


 何をどう言えばいいのか、何が言いたいのか、キペにはもうわからない。


「ウィヨカはそこで四つ季を数回迎えた。栄養もロクに与えられない下奴婢楼ではきみくらいの歳を迎える前にはやつれてしまう。そして馴染みの客から飽きられたウィヨカは「娼」から「隷」の方の「商品」に移るところだった。


 ・・・僕らが助けに駆けつけた時、ウィヨカは笑っていたよ。

 自分が壊れないよう、ウィヨカが使い始めていた魔薬が彼女を蝕んでいたんだ。


 痩せ細った体を抱き上げてもウィヨカは笑い続けていた。泣きながらずっと、笑っていたんだ。」


 物静かに見えたウィヨカのおしとやかな声がキペの中で虚しく蘇る。

 縮まったはずの心の距離が、逃げ水のように離れていった。


「・・・こういう、ことなんですね。・・・僕のしたことじゃないのに、僕がいるだけで、この姿をしているだけで、ウィヨカさんを悲しませてしまう。だ、大丈夫だよ、なんて、声も掛けられない。


 ・・・こん、な話を聞かされても、僕には、なんにもできない。

 なんにも、してあげられない。


 ・・・いなく、なれば・・・いいのかな。」


 わからなくって、苦しくって、痛む腕に罰を見つけてキペは奥歯を鳴らす。

 自分がいなくなればウィヨカが救われる気にすらなってしまう。


「違うんだキペ、きみはそのまま生き続けて。僕らを知ったまま生き続けることが僕らにとっての望みなんだよ。


 ここを訪れたヒトにはそれなりの覚悟を持ってもらう。そうしなければ同じことがまた繰り返されてしまうからね。

 この村の者たちに降りかかった悲しみをもう二度と引き起こさないためにも、知って、そして生きてほしい。」


 世間知らずだったキペに、世間から隠されたその世界は、その話だけで重たかった。


 ふと詰めていた息を自由にしてやると途端にめまいが襲ってくる。

 陰口だけで気が塞いでいたセキソウの村がどれほど平穏だったか、悔しくなるほど思い知らされた。世間知らずといわれてムキになっていた自分が恥ずかしいほど小さく見えた。


「あなたが、ウィヨカさんがそれを望むなら、そうします。この村のヒトが・・・・


 っ?


 ・・・に・・ニポ


 ・・・・ニポ、はっ? ・・・・」


 口に出してしまって、言わなければよかったと思う。


 思い出さなければよかったのにと思う。


 それでも、もう、引き返せなかった。


 聞きたくない、ではもう


 すまなかった。


「・・・まだ干渉は働いてくれてたか。やっぱり、聞いてはいないみたいだね。」


 押し留めたい手が、うまく上がらない。


「ニポはね・・・村の外れの教会にいたらしい。」


 幼いニポが、浮かんでくる。


「イモーハ教の教会主が、捨てられていたニポを拾って育てていた。」


 耳の中が、騒ぎ出す。


 もう聞くな、もう見るなと、騒ぎ出す。


「警邏隊も寄らないような、法も届かない辺境の村だった。」


 聞きたくない。


 聞きたくないっ。


「その教会主は身寄りのない子どもを何人も育てていたそうだ。」


 もう、いいから。


「女の子も男の子も、大人を、恐れていた。」


 笑っているニポを、思い出すんだ。


 いつも笑ってばかりの、すぐ叩く、ニポを。


「信者だろうとなんだろうと村の男にしてみれば、身寄りのない子どもは欲のハケ口でしかなかった。」


 ・・・。


 ・・・違う。


 そんなの、嘘だ。


「う、嘘だっ! そんなの、嘘っぱち――――」

「あの子は十を数えるより前に妊娠して、流産したんだよ。」


 違う。


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うっ!


 違うヒトの話だ。


 ニポのことじゃない、全然知らないヒトの話だ。


 僕の知らないヒトの話だ。


 関係ない話なんだ。



 そうだよね、


「ニポ・・・ニポ・・・」


 ニポ、はやく、戻ってきてよ。


「・・・そのとき重篤な意識混濁になってしまった。異人種との交わりが原因だろう。」


 戻ってきて、はやく、消してよ。


「でも、そこで担ぎ込まれた医法師の元にいたのがモクさんだった。改浄主義の教会を回って勉強しているところだったらしい。


 そしてそのままこの村にニポを連れて保護を頼んできたんだ。

 ・・・モクさんはニポにとって恩人なんだよ。」


 途中からはもう、もう、もう何も聞こえてはいなかった。


 たぶん、自分の音が邪魔していたから。


 自分の声じゃない、黒い獣が、啼き続けていたから。


「ニポ・・・」


 何かが終わって、何かが途切れた。


「・・・ニポ・・・」


 血の気の引いたキペはフラフラと立ち上がり、そのまま崩れ落ちて倒れた。


 もう何も見えない世界で、瞑りたかった。


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