㉑ ウィヨカと赤目






 それが歓迎の印なのか、わずかな「村」民は一本道を歩く五人に目を伏せ、そして過ぎていった。


「うあー、静かなところだね。あなたは、えっとここの代表さんなの?」


 ダイハンエイから降りると灰色の服を纏った者が一人キペたちを迎えるように歩いてくる。ニポと同じかやや年上くらいの、焼けた肌と穏やかな目が印象的な女だ。


「あたしはウィヨカ。でも今はあまり尋ねないで。長に会うまでは。」


 暗に定められた慣わしなのかもしれない。

 それを知っていたニポはただ黙ってウィヨカの後をついていくよう言っただけだった。


 ただ。


「この光景に驚くなってのは、さすがに無理があるよな。」


 多くの者は余裕のある服を纏っていたもののその異形は遠目にでもわかる。


「今は黙っといてくんなアヒオ。仲良くなる前じゃ全部皮肉に聞こえちまうんだからね。」



 そうして間もなく黒く塗られた大きな屋敷へと五人は辿り着く。


「ここよ。入って。」


 そこは薄暗い空間を幾つもの火が飾り、壁と床の間に取られたかすかな明かり取りだけが正しい色で照らしているだけの部屋だった。

 その光景は静けさと相まって訪れる者の心を不思議と揺らしてしまう。


「やあ。」


 そんな中、数人が居並ぶ大きな丸テーブルの奥から白い男がこちらに呼びかけてくる。


「迷惑かけるね、赤目。」


 そうして唯一の出身者であるニポが上座に座るまっ白な男に言葉を返す。

 髪も肌も服もまっ白な男はその呼び名の通り、瞳を宝石のような赤に光らせていた。


「きみが連れてきたヒトなのだから用心する必要はないと思うけど、ご紹介願えるかな、ニポ。」


 とても村の長、とは思えないほど若い赤目が、静かにやさしくキペたちへ目を向ける。


「あ、僕、キペといいます。ヌイ族です。」


 この村のすべてがまるで音を食べる生き物のように伝う声はすぐに溶けて消えてしまう。ぱちん、とうたかたのように弾けるのではなく、手に舞い降りた雪が水に変わるよう、やわらかく、懐かしく融けていくような。


「おれはハチウ人ムシマ族のアヒオ。今、武器はこのとおりいくつか提げているがこれを使うつもりはない。」


 その静寂に、この村への同情に敵意を持ち込みたくないのだろう、マントを広げて指投げ刃と純白の短刀をそこに居合わせた者にきちんと見せた。


「この娘の体はリドミコ、という名だ。我々は人格を形成し肉体を間借りする第八人種。


 ・・・あまり驚かないところを見ると、こういった話には慣れているようだな。」


 目は閉じたまま、敏感にそういった感覚は働かせていた。


「ふふ、自己紹介ありがとう。僕はニナイダ族の赤目。この村の世話役みたいなものだよ。

 そっちにいるのは同じくホニウ人ラジク族のウィヨカ。そしてこっちがウメガミ族のコリノ。たぶんこれくらいでいいかな?

 さ、みんな少しくつろごう。彼らは害のないお客さんのようだ。」


 にこ、と赤目は手を組んだまま微笑んで他の者たちにそう呼びかける。

 それを合図にウィヨカたちは壁際に掛けていた火燈りを持ち、テーブルへと運んできた。


「あ、手伝おうか?」


 手持ち無沙汰のキペが重い燭台を持ち上げるウィヨカに声を掛ける。


「ふふ、おもしろいカレだねニポ。」


 それを見ていた赤目が笑う。


「あーはいはい。それはさておきだ、なあ赤目、コリノも聞いといて。ヤシャの修理と〔こあ〕移植の手伝いをしてくんないかい?


 ・・・いや、わかってるよ。まだあたいらは何にも成し遂げちゃいない。でもさ、パシェとモクじーさんを助けなきゃなんないんだよ。」


 それを聞くや否や、ムスっとしていたコリノが赤目の促しでその隣に座る。

 朱に照らされた両目の上にある二つの目は、干からびたようにカサカサだった。


「断ル、と言っタらどうスる? 余所者ヲ招き入れレバ村の者がどレホど不安に思うカは解ってイるはズダぞ、ニポ。


 そレにテンプとベゼルはドうした? あイツらがイればオまエにできナい作業もこなせルダろ。」


 腕の関節がひとつ多いコリノはそう言うと、注がれた水をひと口すする。

 口の中もいわゆる「普通」の状態ではないのだろう。ときどき裏返る声を整えながら具合を確かめていた。


「・・・あいつらは行っちゃったよ。

 ヘンにタチバミとボロウが村の外でちゃんと生きていけたから自信を持ったんじゃないかい。ベゼルの性格だからやってくって決めたらそう行動するし、テンプはベゼルについていくだろうしね。・・・あのさチペ、聞いてるかい?」


 水の次に差し出された木の実のパイに夢中だった。

 甘い果実まで彩りよく載せられていたのもあってか、ぶっきらぼうなリドミコまで口の周りを汚している。

 アヒオはその横でリドミコの口をマントで拭ってやる始末。

 彼らにあまり食べものを与えないでください、との貼り紙をつけて行動したいものだ。


「ん? あ、うん。あの、コリノさん。修理ってどれくらい掛かるんですか?」


 やっぱり聞いていなかったキペ。

 ニポ、これおいしいよ、と呑気に取り分けてやる姿に思わず赤目も噴き出してしまう。


「ふふ、コリノ、答えてあげて。どれくらいでのか。」


 静かな村で静かに生きてきた赤目には、パイの一つでこんなに楽しめたことはなかったのかもしれない。


「・・・今からヤればそうハ掛からンな。定着・同化はおぺれったガ同じだカら早いが、〔こあ〕ノ順応には最低でモ日巡りひとつは掛かルだロう・・・赤目、アマり軽率に判断するナ。

 ふゥ・・・ほラ、行クぞ。ニポも来い。先ニ〔こあ〕ノ方を片付ケる。」


 よしきた、と漏らすニポは立ち上がりコリノたちと共にその家を後にする。


「あー、行っちゃった。」


 パイ残してもったいないなぁ、とニポの皿のそれをぺろりと平らげるキペ。朝食も摂っていなかったのでおなかはぺこぺこだったのだ。


「ふふ、おもしろいなあ。ねえウィヨカ、きみも行って手伝ってあげて。僕は少し、おしゃべりがしたいから。」


 うん、とラジクの女が頭をぺこりとやって出て行くと、いよいよそこには赤目とキペたちの四人だけとなる。「余所者」と警戒するならば絶対に作らない環境を、どうやら赤目は意図して築いたようだ。


「けけ、初めて会うがおまえさんもおもしろいな赤目。ここの住人が認めてくれるならいつかリドと住みたいもんだ。」


 ここは誰にも疎まれず、リドミコにその村の悲劇を知られることもなく、そして自分の過去も知られずに済みそうな場所だった。


「ありがとうアヒオ。でもね、この村に来たからには知ってもらいたいことがたくさんあるんだ。

 僕たちのために何かしてくれ、というわけではなく、その目で、その耳で記憶してもらいたい。無論、その覚悟はあったはずだよね?」


 語調は変わらず緩やかだったが見えなかった白に、奥行きが出てくる。


「えと、ニポから少しは聞いています。それに、・・・もう目にしています。

 でも僕はもっとこう、乱暴だったりヘンなことばっかりしてるものかと思ってました。」


 当該者を目の前に元気いっぱい言ってのけるキペ。

 さすがのアヒオもちょっとびっくりだ。


「ふふふ、でも違った。そうでしょう?

 ・・・やはりここが奇人の村と呼ばれるからみんな危ない印象を抱いてしまうものなんだ。確かにヘンなヒトもいるけどね、

 でもね、みんな生きてるんだよ。


 ・・・コリノなんかはこの村で最も目に付く姿じゃないかな。額の二つの目は完全に失明してるし神経が通ってないから痛みはもう感じないらしい。それでも長く、ひとつ余分に関節を持った腕は簡単に隠せない。


 キペ、きみはどうやら細かいことを気にしない質らしいね。でも他の多くのヒトはそうじゃないんだよ。


 彼の「額の二つの目」が見えないのは、潰されたからなんだ。

 同じ村の者に毒液をかけられてね。

 それでもコリノはその村で頑張って生きようとしたんだ。

 だけど、石を投げられ、糞尿をかけられ、そして命の火が消えそうになるまで足蹴にされて地下室に押し込まれていた。


 僕らが見つけた時には言葉も話せないほど衰弱していたんだよ。

 それが、この世界が異形の者ハルトに対する仕打ちなんだ。

 ・・・異形であることが、罪なんだよ。」


 さらりとそう言い、わずかな微笑みを口元に残したまま赤目は水をひと口含む。


「同感だな。おまえさんも知ってるかもしれんが、おれたちムシマは黒色部族のように血脈そのものが拒まれていた。数十円、早いときは十数円で村を移すなんてこともしていたらしい。

 詳しいことはおれが幼い頃に部族が失くなったから知らないが、その生き残りってだけでおれもずいぶん憂き目を見てきた。

 子供ながらに果実や穀物の選別やら運搬やらをやらされてやっとメシにありつけた。他部族の大人たちは給金も寝床も用意されたのにおれだけは家畜小屋で寝かされた。穀物庫だと盗まれる食われる、ってんでよ。散り散りになった弟たちを心配する余裕もなかったさ。毎日の糠みたいな泥みたいなメシだけを楽しみに生きてた。

 ふふ、当時おれに名前なんてなかったからな、その村の連中にしてみりゃ馬や牛と同じだったんだろ。


 さっきのコリノってのの代弁になるかもしれんが、おまえさんみたいに拾ってくれたヒトがおれにもいてな。はは、自慢になっちまうが、そのヒトに名前をもらって、ヒトとしていろんなことをビシバシ教わってよ、けけ、うれしかった。

 赤目、おまえさんもそう思われているだろうし、おれも勝手にそう思う。会えてよかったよ。」


 うれしそうに笑うアヒオの、しかしそのまっくらだった海の底に光が射す。

 胸が苦しくなる思いをまるで汲み取れなかった自分が、キペは恥ずかしかった。


「逃げ延び、生き延びるという点では我々も同じだ。

 血の資格を持つ宿主に守られなければ他の菌類に容易く食い潰される我々も、平和な終の棲家を探している。強い雨や風にさえ怯えなければならない我々にもわからないでもないな。」


 こうして巫女の体に受け入れられ人格を手にできた見えざる者たちは、いわばこの奇人の村に逃げ込めた者たちなのだろう。

 それが叶わなかった者たちは今なお悲しみにも苦しみにもつきまとわれているはずだ。


「理解者がいてくれるのは助かるな。今はまだ・・・昼のようだね。じゃあこの屋敷の中を案内させてもらおうかな。きみたちの休む部屋も教えておかなきゃならないしね。」


 赤目はオレンジに照らされた丸い盤を見遣ってそう告げる。

 瓦解したニポのアジトで見たメザマシドケイのように二本の棒がゆっくりと回って時を知らせる装置なのかな、とキペはニポたちの持つ不思議な道具や物質の数々を思い出していた。


「なぁ。答えたくなきゃそれでもいいが赤目、おまえさん、色失病なのか?」


 かたん、と椅子を戻して火燈りを持つ赤目に倣い、キペたちもその後を追って二階に上がる。


「目が疲れるかな? すまないね、陽の光がダメなんだ。」


 始めて耳にするその病気はその一言だけで奇病とわかった。

 そしてそれが求めるものは健常者の世界では不便であることも。


「あ、僕はいいですよ。あんまり気にしなくて。リドミコも目は瞑ってるから大丈夫だと思うし。あ、アヒオさんは夜目が利くんでしたね。」


 たぶんキペには赤目の言った「ダメ」が「まぶしいのが苦手」くらいにしか伝わっていなかったのだろう。ただ、それはそれで赤目にとっても嫌な反応ではなかった。

 皮膚から陽の光が染み込み体を蝕む恐れさえあると知っていたら、もっとおっかなびっくりで腫れ物に触るような態度になってしまうから。

 それは「気味が悪い」と退けられるより良くとも、触れようとしてくれない心がすこし、苦しくさせてしまうものだったから。


「そか、ありがとうキペ。

 さて、えーと、こっちの先に行った奥が僕の部屋。そして・・・よいしょ。ここを使ってもらおうかなと思ってるんだけど。

 ・・・ふふ、やっぱり片付けが必要だったね。灯りはこの火を移して。換気はそこの戸枠を押し上げればちょっとはできるから。」


 それじゃ遠慮なく、と暗い部屋の戸枠を開けると申し訳程度の陽の明るさが宿る。一帯が霧に覆われているのもあってそれだけで不自由しないとは言えなかった。


「お、こりゃなんだ? おー、すごいな。おまえさんが描いたのか?」


 部屋の隅に置かれていた片手で足りる大きさの絵を持ち上げ、キペにも見せながらアヒオが尋ねる。


「あ、ここに置いといたんだ。・・・ふふ、あんまり上手じゃないけどね。この村に少しずつヒトが住み始めてきた頃のだよ。


 でもここに描かれているヒトのほとんどはもういないんだ。異常な体、異常な病に生まれついた者たちばかりだから長生きできているのは僕を含めてわずかしかいない。

 あ、たとえばこの二人組なんかは今もどこかを旅しているよ。

 留まるよう口説いたんだけどね、「いれぐら」の彼は「副作用」のことで大切な作業があるから、って言って出て行ってしまったんだ。


 ふふ。アヒオ、きみの話と重なるけどこの彼も隣にいる少女に名前をもらったんだよ。

 ノルって子なんだけど、二人はすごく仲良しだったんだ。きみと、そこのリドミコみたいにね。」


 さらりと話した思い出に、二人は同時に声を掛ける。


「ノルって?」

「いれぐらって?」


 あ、ごめん、と、あ、悪い、がごっつんこする。

 赤目はそれを楽しそうに眺める。


「あ、じゃ、先に聞きますね。

 あの、それってカロさんのことですか? 長い黒髪のコネ族の、あご髭の、いつも目を閉じてる?――――そうなんだぁ。

 髪が短くて着てる服が違うと気付かないものだなぁ。にしてもカロさんってここの出身だったんですね。」


 四つ季の間に幾度かセキソウの村を訪ねるカロたちは客の中でもとりわけ祖父タウロと親しかったのでよく憶えている。ハユがカロに憧れていたことなどが懐かしくあたたかく胸に蘇ると、それはそれで少し切なかった。


「おーなんだキペ。そんな知り合いがいたのか。あ、それはそうとよ赤目、いれぐらってなんだ? 

 あー、話して信じてもらえるかわからんが、仮構帯ってヘンな世界で精霊だと名乗る、えーっとほれ、このリドミコをかっぱらってるこいつらの仲間みたいのに会った時によ、語り部のエレゼってのが言ってたんだが・・・あのよ、おれはまだおかしくなってないからな?」


 自分で言ってて、あれ、これおれがヘンに思われないかな、と不安になっちゃうアヒオ。

 え、ちが、あいつ友達の妹だって、みたいな慌てっぷりが妙に自分で白々しくなる。


「ふふ、おもしろいヒトたちだなあ。でも大丈夫、本当のことだってわかるよ。

 ・・・でもまさかエレゼにまで会ってたなんて。ふふ、ちなみにここの短髪でワルそうなのがエレゼなんだよ。・・・ええと、聞きたいのはいれぐらのことだったかな?」


 そう言って赤目は片付けそっちのけで壁に寄せてあった椅子を取り出し腰掛ける。

 キペたちとしても自分たちの不思議な疑問にこうもあっさり答えられる者に出会えるとは思っていなかった。


「我々もその点に関しては古い記憶が断片的にあるばかりなのでな、新しい情報に触れられるならばこちらとしても有用だ。」


 一人明るい壁際に背を預け、リドミコは赤目の方へ体を向ける。

 語り部であってもその知識の広さや深さには差があるようだ。


「なるほど。といって僕らもはっきりとは言えないんだけど、いわゆる突然変異体と考えてくれたらいいかな。


 ふふ、ちょっと複雑だからね。えとじゃあ「いれぐら」の前に《オールド・ハート》と「血聖」を分けてみようか。きっとはじめは同じようなものと考えてしまいがちだから。


 まず《オールド・ハート》と呼ばれる背中に現れる斑について。

 これは実はロクリエ王時代より以前からあったものなんだよ。だからいわば僕らヒトの中に内在し続けたもの、と思って。


 一方の「血聖」はロクリエ王が独自に作り出した「特殊な血統」と解釈してくれたらいいかな。この時点で自然なのか人工なのかで区別できるでしょ?


 ただその違いを事細かに説明するとこんがらがっちゃうからここまでにしよう。なにせ同じ特性を兼ねている部分が多いから。


 つまりね、《オールド・ハート》の現れない者・消えてしまう者を《オールド・ハート》保持者と同じ身体状態へ引き上げたのが血聖、ということになるんだ。本当はもっと別の意義があるのかもしれないけど、僕らが把握している中ではそういう結論で納得してもらうしかないかな。


 さてと。《オールド・ハート》の遺伝自体は一般に劣性と云われているのは知ってるかな?・・・うん。


 でも、だからといって何も伝えないわけではないだろう、って僕らは考えているんだ。いろいろなヒトにおける状況や条件を見てきたからそう推測しているのだけど。


 それは詰まるところ、「ヒトは〈契約〉の力の結集体となれるんじゃないか」って思うんだよ。いうなれば「魔法使い」かな。これを僕らは「真然体」と呼んでる。


 そして血聖や《オールド・ハート》を持つ「資格者」は真然体になるための素材を持ったヒトだとも考えている。〈契約〉が交わせるのはその二者だけと言ってもいいから。


 そのため、真然体になる資格を持つ《オールド・ハート》保持者を「覚醒子」、斑がないけど〈契約〉できる血聖保持者を「血聖子」と名付けた。


 一方で《オールド・ハート》を持たないヒト、消えてしまったヒト、そして血聖も持たないヒトもいるだろう?


 こちらは逆に「真然体となる資格を失ってしまった」とも云えるよね。というわけで「資格」のない普通のヒトを「休眠子」としたんだ。


 でもね、休眠子でありながらも「一足飛びに真然体に近づく存在」という不規則な変遷を辿る不思議なヒトもいる。カロのようにね。それを「いれぐら」と呼んでいるんだ。 


 詳しいことはおそらく本人だって把握していないのだろうけど、カロは〈契約〉を度外視した〔魔法〕の力が行使ができるみたい。


 たとえば〈音〉と〈時〉の能力を用いて強烈な衝撃波を手の平から放ちながらも、自分の個体成長速度を瞬く間にハネ上げることで痛みを覚える前に損傷部の修復を終えてしまう、なんてことをやってのけることが出来るんだ。ふふ、信じられないかな。


 ・・・そこの壁に手形の穴が見えるでしょ? それ、カロが実験した跡なんだよ。」


 クスクスといたずらっぽく赤目は笑っていたがキペとアヒオはまんべんなくたまげている。なんだそれ、とでも言うように。


「せっかくの上機嫌を損ねるようですまないが「副作用」とはなんだ? いれぐらに宿ることで何が起きるのかは知っておかねばなるまい。

 いくらなんでも「資格」なしで〈契約〉の超然能力を手にするなど我々の理から逸脱し過ぎている。危険を孕む存在とあらばそちらの方が気掛かりだな。」


 あーそら確かにそうだ、とアヒオとキペは頷きリドミコから再び赤目に目を遣る。

 すっかりおいてけぼりのようだ。


「うーん。やはり詳しくはわからないよ。カロもそれについては話したがらなかったから。


 僕の個人的な感想だけ言わせてもらうと、彼も彼の意識を、人格を仮構帯の中からうまく引き出せなくなっていたように見えたね。だいぶ手こずっているような。

 あ、でもノルといる時はいくらか楽にこなせていたようだけど・・・


 ねえキペ、きみはノルを見たことがあるって言ったよね。最後に会ったのはいつ?」


 先ほどまでのように微笑んでいない赤目の声は、そこで哀しみの色に染まる。


「うーん。最後に会ったのはどれくらい前かなぁ。でも月の半巡りは前じゃないですけど・・・最後に?・・・・・・あっ!」


 細めたままの目で赤目が促した絵の中には、ニコニコ笑っているノルの姿もあった。

 そこでやっと気付く。


 判らないくらい当たり前の疑問に。


「それはもう、十数円も前の絵なんだよ。

 ・・・ノルはね、きみよりずっと年上なんだ。」


 そんなはずない、と思うものの、サムラキのことが頭をよぎる。

 それさえなければ容易く否定できた夢想話もそれがあるために叶わなかった。


「おーなんだなんだ、どーゆーこった? まさかこの絵のチビがまだこのまんま、ってことか?

 ・・・なんなんだそりゃ。まさかこのカロってのがチビの成長する力を横取りしてるってコトか? そんなモン、ヒトじゃないじゃ――――」

「ノルの止まった成長の意味を僕は知らない。でもカロについて言えることはひとつ。

 ・・・アヒオ、きみの言うとおり、彼はもう「ヒトじゃない」かもしれないということだよ。」


 侮蔑するつもりなどなかったアヒオも、あまりの衝撃に望まない言葉が口をついて出てしまっただけなのだが。


「それが事実ならば我々にとってどう影響するのか想像もつかないな。

 そもそも宿主の肉体に過剰な反動を与える能力など宿主自体の自衛反応で阻止されるだろうし、よしんば宿主の意思で過剰反動を覚悟して行使したとしても肉体がついていかない。

 そして無論、異常負荷に際して分泌される物質や酵素を感知すればまず、我々がそれを止めさせるはずだ。宿主が死んでは元も子もないからな。」


 先の「壁に空いた手形の穴」から導かれる想定は第八人種にとっても理解できない類のようだ。

 つまり「いれぐら」として生まれると〔魔法〕のような力を手にできる代わりに、〈契約〉で正しく適応させていれば第八人種が発するはずの「危険を知らせるシグナル」が働かない、ということになる。


 それはいれぐら本人にとっても、そこに寄生することになれば第八人種にとっても自殺行為に他ならないのだ。


「とにかく、カロは自分を失わない方策を探すために村を出て行ったんだ。ノルはカロが好きだったからね、止めても聞かなかったよ。

 ここに来る者も去る者も、いつも悲しみを纏っているからね、あまり村のヒトは他の村民のことは話さないんだ。」


 村の者たちのことを知ってもらいたい赤目が、危険かもしれないキペたちにわざわざ一人で会う理由はそこにあった。


 他の誰にも訊いてほしくなくて、でも知ってほしいからこそ、つらい話に触れる者を最小限にした結果なのだろう。


「そっか。・・・ごめんなさい赤目さん、聞いてしまって。あの、でも、こんなの気休めにもならないかもしれないけど、カロさんもノルもいつも楽しそうでしたよ。」


 悲しくつらい道を歩んでも、したたかに生きる者たちは周りが思う程うらぶれていないものなのかもしれない。

 キペの元を訪れた二人はいつも、アヒオとリドミコのように仲良く手を繋いで笑っていたから。たとえその身に関わる大きな悩みや問題があったとしても、キペの目に二人は幸せに見えていたから。


「そか。ありがとうキペ。僕らの誰かが笑っているってことは、僕らの誰もが喜べる報せなんだよ。モクさんとパシェ、それからテンプとベゼルについてはニポの口から聞かれる日を待つしかないけど、ありがとう。」


 はじめはちょっと不気味な微笑みに見えたそれも、赤目の人柄がわかると開陽の季節の風のように心がほどかれてゆく。


「あーのよ、またしても質問でもはや申し訳なくすら感じちまうんだが、エレゼもここの出身なのかい? そう聞こえたんだが。」


 ニポとエレゼの会話や態度を思い返してみるも、どうも顔見知りとは思えない。


「うん。ずーっと前まで住んでたことはあるよ。ただ、カロが出て行った後になるかな、それから音沙汰はないなぁ。

 彼も〈音の契約者〉のウィヨカみたいに不思議な力を持ってるんだけど、どうやらその後、大白狼サイウンに師事して語り部になったとか。もしかしたらウィヨカの方がよく知ってるかもしれないね。わからないけど。」


 うふふ、と笑う赤目。「わからないんだ、僕」といった感じがわからないことを断じて責めさせない。赤目を憎む者などこの世界にはいないのではないかとキペは思う。


「なるほど。いろいろ教えてくれてありがとな、赤目。・・・ふ、そろそろやるか。片付け。」


 あ、そだね、と現実に引き戻されたキペはアヒオたちと簡単な整頓をして階下に降りる。

 換気のためにと開けられた戸枠の外は、もうすっかり暗くなっていた。

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