⑳ いれぐらと総長・シクロロン
しゅしゃ、しゅしゃ、と湿った下草を踏みしだいて歩くと、脆い枝のような葉がぽきぽきと折れてわずかに黄ばんだ液体を染み出させる。そこは抗体を持つ者でも疎水性の油布を幾重にも巻いた長靴を履かなければかぶれや腫れが出てしまうような《膜》だった。
「失礼します。」
背の高い草や低木もちらほらとあるその中から、かささ、と気配を伝えると同時に声が投げかけられる。
「・・・ふぅ。あまり不用意に話しかけないでもらえますか? これでは蟲や紙鳥の意味がありませんよ。」
木陰に揺れる二つの影に目の利かない神官が返事をくれる。
意味は理解できたが、慎重に慎重を重ねておきたかったのだろう。
「申し訳ございません。しかし紙鳥では用が足りぬと判断したため馳せ参じました。主の命です。ご了承ください。」
隠密に行動するその二人組みなのでつまらぬ手抜かりはないと知っていた。しかし万全の準備を幾重にも敷いてきた風の神官は臆病なほど警戒心を露にしてしまう。
ただその軽率さを嫌う性格が十円もの待機を余儀なくさせたこともあり、情報収集と処理のスピードに関しては柔軟に対応するよう心がけてはいるようだ。
「では手短にお願いしますね。」
しんと静まり返るそこは五番目の水の神殿の佇む穏やかな湿地だった。
神官の抱く神像から滴る血の赤が点々と筋を残してなお、身の引き締まるような涼しさに見守られた場所だ。
「少々周辺知識がないと理解しかねることづてですので仔細に関する疑問には即答しかねます。これもご理解ください。
一つ目は、フローダイムは〔ヒヱヰキ〕の一端を掌握した、とのことです。二つ目は〔ろぼ〕の製造がほぼ完遂した、とのこと。そして三つ目は [打鉄]屋の次男―――誰だっ!」
陰に隠れた男がそう言い終える間際に、がさ、と音がした時にはもう遅かった。
「ふう、やはり先回りしておいてよかったね。・・・ふふ、よかったのかな。
それにしても随分おもしろいことを知りたがるヒトになったんだね、ジニ。」
そこへニコニコする少女の手を引いた長髪のコネ族男が姿を現す。
「動くなっ! 動くと――――」
と同時に身を潜めていた男の一人が指差し型の金属を構えて声を張り上げるも。
「よしなさいっ!
・・・・ボロウ、タチバミ、あなたたちは帰りなさい。「それ」を用いてもあなたたちは決してこの男の自由を阻めません。そして気をつけなさい。「いれぐら」は〔ヒヱヰキ〕に匹敵する存在です。・・・とにかく、あなたたちは下がりなさい。」
みじろぎもしなければ声を上げたタチバミにも目を遣らず、長髪の男はじっと立ち尽くしているだけだ。
「・・・。」
捨てゼリフもなく、わけのわからない不安だけを植えつけられたボロウとタチバミはそのまま陰に闇に消えていった。
「カロ、〝罪〟が気持ち悪い。あたしココやだ。」
しょうがない子だな、といわんばかりに閉ざしたままの目を困らせるカロ。
自分に怯える者を見て愉しむ性格ではないのだろう。しかし逃げる隙を与えるつもりはないようだ。
「桎梏の者・・・なぜ、現れたのですか。・・・いや、まだ人格を保って―――」
「理由はないよジニ。ここへは散歩で来たのだから。」
意志も意図も示さないカロに緊張を高める神官は、ただただ神像を強く胸に抱くだけだ。
「私を・・・「向こう」へ引きずり込む気ですか? おやめなさい。私を選んだとしてももう変えられません。いつかあなたや、あなたに準ずる者が現れた時のためにもう、根は張り巡らせてありますよ。」
計算高い男なのだろう、その神官はごくりと生唾を飲み込んで口早にそうまくしたてた。
その声の震え、音の高さ、心音の大きさと拍動の強さ、早さ、閉ざした目に見える〝色〟の全てが、恐怖の一色に染め抜かれている。
「わかっているさ、ジニ。だからきみに会いに来たんだ。ノルに害なす行為がなければ特段どうするつもりもないよ。」
そしてまたごくりと唾を飲む。
ジニ、と呼ばれた神官は必死だった。ここへこの男が現れた理由を探すためあらゆる知識と情報と経験と知恵を総動員して描き出すことに。そこに必ずある意味を探るために。
「少しは、落ち着きましたよカロ。・・・はぁ。あまり年寄りをイジメないでください。
・・・とりあえず今は「まだ」と解釈しておきましょう。彼の決断次第というのは少々居心地が悪いですがね。」
あまり意味のある会話のように思えないものながら何か合点のいくところがあったのだろう、神官の呼吸は徐々に平常のそれへ戻っていった。
「ジニ、きみは恐い。きみもあまり、わたしたちをイジメないでほしいな。」
そう残すとカロは少女の手を取り静かに踵を返して茂みの中に消えていった。
「・・・っく、はぁ。・・・さすがに、手を貸すとは言ってくれませんでしたね。
・・・しかし、本当に心臓に悪い。」
誰にも見られたくなかったボロウやタチバミとの密会を目撃されたことより、目撃者そのものに心を乱したようだ。この地にわずか七人しかいない神官の一人がこうも取り乱す姿をおそらく目にする者は多くないだろう。
そうしてまだまだ平常心とはいかない心をなだめながら、歩く神官は先の会話から導かれる推論を何度も何度もなぞり直していた。そして、ひたすらに信じていた。
「あとはもう、空の神殿で終わりなんですから。」
今は自分にそう言い聞かせ駆らせるより他ないのだ。最悪の状況を想定すればもう誰も信じる事などできないのだから。
そんなナマコ馬にまたがる神官の舌打ちも空にすぐに消えてしまう。
風は今、大陸の中央・浮島シオンへと流れているからだろうか。
たったったったった。
シャコ馬を下りるともう、少女は駆け出していた。
「あは、なにもそんなに焦ることはないんじゃないかなぁー・・・あぁー。」
そうボヤくエレゼも錘絃を背に回して大きな翅を持つ少女を追いかけ、庭を、教会脇を、屋敷の通路を駆け抜けた。呼びかけても答えず立ち止まりもしないその後姿に、しかし目を細めてしまうのは希望が見えるからだろうか。
どぎゃんっ!
「メトマさ、総監っ! ハクっ! シクボさんっ!」
ひと気のあった会議室に扉を蹴っ飛ばしてすべり込み、少女はその名を叫ぶ。
「おぉ、シクロロン様。・・・ご無事で、何より。」
旗頭が帰還したのは朗報だったが、希求していたことだったが、それは、遅すぎた。
「メトマさん、ハクとシクボさんはっ? パシェちゃんは無事っ?」
はやる気持ちに後押しされた声は大きく張りがあり、メリハリのある滑舌は聞く者の気を引き締める。
「幼女は無事で・・・おい、ハク護衛班長を呼んでこい。
・・・しかしシクロロン様、もしやと思いますがあの者たちと例の探索に――――」
「ええ。それらについて報告もします。しかしまずはパシェちゃんの解放が先です。
・・・シクボさんはっ?」
総長代理となったメトマによる同盟の解消が決断された今、会議室にその姿はなかった。
今すぐ出て行けと言わなかったシクボの厚意でまだ使わせてはもらっていたものの、もう半分以上の人員や資料等は別の場所に移されていたのだ。
「・・・シクロロン様。我々『ファウナ革命戦線』は守護部と大白樹ハイミンを死守するため援軍の派遣を決断いたしました。
・・・所詮信じるものが他にある宗教家には、己を信じ、己の力で切り拓くという意志が足りないのでしょう。」
外へ出てわかった。
誰にも何にも守られていないニポたちと共に行動してわかった。
咎を言い訳じみた理屈で薄め、足りない努力を他人のせいと仕立てて納得するその姿はまさに、いつかニポが言った「甘ったれ」だった。
「ふざけないでっ! あなたがイモーハの神徒シクボと締盟したのではありませんよっ! そしてシオンの話は耳にしましたっ! しかし兵はあなた個人の駒ではありませんっ! 今から急ぎ蟲と紙鳥を飛ばしなさいっ!
私が先頭に立って『フロラ』と交渉しますっ! 彼らの代表であるルマ=ジュガ氏もいると聞いていますっ! 今あるだけの馬をすぐに用意しなさいっ!」
その語気に、その気概に、その場にいた誰もが言葉を失う。
幹部がぞろぞろと集う中でメトマを叱りつけるなど、また何かを命令するなど、今までのシクロロンでは到底考えられないことだった。
「・・・えーっと、いーかなロロンちゃん。あの、ここにシクボくんを連れてきたんだけど。」
ちゃっかりシクボを引っ張り込んでハクたちと合流していたエレゼ。
その隣でシクボもまた、息を飲んでいた。
「シクロロン・・・立派に――――」
「おや勇者殿、おかえりですか。いやぁよかったですねぇ。いえ、ボクの方ぼふぉっ・・・」
背中から頭へよじ登るパシェに体のあちこちを踏みつけられるハク。
シクボは神徒という偉い職種のヒトなのだが、どうしてもインパクトは持っていかれてしまうらしい。
「シクボさ・・・パシェちゃんっ! ごめんなさい、つらい思いをさせてっ! でももう大丈夫だからっ! ニポさんたちとは浮島シオンで落ち合うことになってるの。そこの語り部・・エレゼさんが証明してくれるはず。
私は約束したの。平和な浮島シオンで会いましょうって。
だから私を信じて、パシェちゃん。必ずニポさんの元へ連れて行ってあげるからね。」
強く在らねばならない時には強く、やさしく在らねばならない時にはやさしく。
それは彼女なりにニポから学んだ行動規範だった。まだまだ目指し模倣するだけのマネっこだったが、ニポを心に描くだけでマネるための一歩を恐がらずに踏み出せた。
「え? あ・・・うん。ありがと、です、シロロのアネさん。」
そこには、もう誰にも「何にもできない小娘」なんて呼ばせないと突き上げた拳のその中には、いつの間にか大事な何かが宿っていた。
いつか実を結ぶその日までそれが何なのかはわからないだろう。
しかし今はそれを、誇りと呼んでいたかった。
「はぁー。・・・ですけど勇者殿、それはちょっとできませんねぇ。途中から話は聞こえてましたけどウチのことをどこかに漏らされ――――」
「これは私の命令ですよハクっ! 気に入らないのなら早々に立ち去りなさいっ! 私はこの『ファウナ革命戦線』総長、シクロロンですっ! 慎みなさいっ!
我々は力なき者の声を代弁し、その命、その尊厳を守るために旗を揚げたはず。人質を取るなどといった此度の愚行は看過した私の責務。それは追って負うことにします。
しかしハク、メトマ総監、そして神徒シクボ、あなたたちにもそれに準ずる裁きを与えそして求めます。
神徒シクボ、あなたたちとはどうやら袂を分かつ決断を下してしまったようですが、その良心の責め苦よりあなたが無様に背を向けるとは思いません。今なすべき贖罪はその地位の剥奪や何らかの罰を受け入れることではなく、その身と心とを携えあまねく悲しみに手を差し伸べることでしょう。
このような愚行を許した心を排し、このような悲しみの生まれる世を正すためいま一度問います。
神徒シクボ、その慈悲深き信仰心と揺るがぬ正義を持ち寄り、私たち『ファウナ革命戦線』と共に平和へ続く道を、・・・えっと、・・・築きませんか?」
最後の最後でうまくまとめられなくなっちゃうシクロロン。
しかしもう場はそれをすら是認する胎動に包まれていた。
旧体制の長とは違う、しかし通ずるその新たな指導者の姿勢に、そこにいたすべての者は新たな時代の幕開けを見いだしていた。
「シクロロン・・・殿。・・ふふ、答えるのも愚かしい。
・・・すみませんそこの青年さん、信者たちにことづてを頼みます。馬と、『ファウナ』の総長以下の親衛を望む者を集めなさい、と。」
はい、と下っ端っぽい青年がもう誰も注意することのない廊下を駆け抜けていく。
「あ・・・りがとう、ございます。シクボさん。」
舞台裏まで筒抜けの長の感動にもう場内は割れんばかりに歓声を上げている。
シクロロンを見くびっていた者もメトマに一物ある者も一丸となって新たな総長の、その本当の誕生を声高らかに謳い上げていた。
「くく・・・。敵わんな。」
信念や信条を頑なに貫くというのは、とても大変で、そして素晴らしいことだった。おそらく小さな所帯でメトマを頭に据えていたのならやり方は間違っていなかっただろう。
しかし肥大化しすぎた組織には思惑が錯綜し、それぞれの施策に伏線を引きながら構えて進むため鈍い足でしか歩けない。
だからこそ構成員は時に独裁的であっても快活な一本線を望み進んでいく。
そして歴史の過ちを知って知らずか、誰をも傷つけないために敷いた独善的なその一本道は、勝利や支配ではない平和の成就という帰結点を目指すことで完成をみたのだ。
それもやがては平和の意味や意義とによって解かれる縒り糸だったが、先決すべきはヒトから流される血の有無だった。
「ふ、弱りましたねぇ。メトマ総監と感想が一緒ですよ。ふふふ。」
ヒトを動かす力の中に、確かに知力や権力や腕力は挙げられる。
しかしもはや漠然としか言いようのない「魅力」という存在は動かす力となりえても、訓練で容易く身につくものではなかった。
そして裸一貫の人柄勝負ともなれば勝ち負け問わずその潔さに心魅かれる者は少なくないだろう。
「メトマさ・・・総監。私の意志は継いでください。私たちはこれから浮島シオンへと向かいます。万一のこともあるでしょう。しかし私は遂げるつもりです。
みなさんも聞いてくださいっ!
不平や不満が出るのは百も承知で決断しますっ! 我々『ファウナ革命戦線』は、ユクジモ人武闘派組織『フロラ木の契約団』との和平および共闘・協調交渉をすることにしますっ!
おそらくこの中にもフロラ系のヒトを疎む者もあるでしょう。実際被害を受けた者もあるでしょう。しかしそれが全てではないと、あなたがたは経験的に知っているはずですっ!
現にあなたがたは「セヴォネーの分類」よりファウナ系と認めていないシム人の私を総長と認めたのですからっ!
シム人だから、ユクジモ人だからといった些細な情報に振り回された臆見にその目を預けるほど、あなたがたは、私たちは愚かではないはずですっ!
未だその偏見に囚われているのならば浮島シオンで出会える二人を見てくださいっ!
一人は目と口の利かないユクジモ人の少女、もう一人は『今日会』事変で最も虐げられ軽蔑されながら前線に立たされたムシマ族のお兄さま・・・男ですっ!
彼らはまるで兄妹のように、親子のように、恋人のようにずっとくっついて離れませんでしたっ!
それはたった一つぽっちの事実ですが、誰にも何にもどんな理由があってもどんなことが起こっても覆せない、それはたった一つの真実ですっ!
未だ真にユクジモ人を知らない者があるのなら私はそのたった一つぽっちの事実を旗に翳して謳いますっ! 私たちはまだ、本当の和平交渉をしていないっ!
傷つけ合わない戦わない、その代わり横を過ぎても挨拶もしない、そんな関係を私は和平交渉だなんて認めないっ! 成立したって呼んであげないっ!
始めは嘘っぱちでいい、形式的な模倣でいいっ、知り合わなければ始まらない繋がりを、想い合う心の連動その連鎖をっ、成し遂げるためなら私は丸腰で前線に立ちますっ!
おねがいっ! 未熟と無知と笑う前に一度だけ私に賭けてくださいっ! この一回きりでいいからどうかっ!
いらない悲しみを増やさぬよう、いらない苦しみを生まぬよう、いらない誇りと武器を捨ててっ!」
やがて歓声は止み、誰もが微動だにせず聞いていた。
シクロロンの演説の続きではなく、それぞれの内から湧き上がる想いとその声を。
「・・・あは、ちょーっとごめんねー、ロロンちゃん、馬が準備できたって。手際がいいねぇ・・・うん、ごめんね、ボク先に行ってるねー。」
ものすごく邪魔だった。
もう、ものすごく邪魔だった。
場内の半分がエレゼに殺意を抱くほどに。
「あのぉ・・さ、・・・アタイはどうしたらいいの、かな?」
エレゼのおかげでトーンが落ちきったためもうパシェが何を言おうと皆はおかまいなしだ。
「・・・。なんかこう、キペさん繋がりのヒトって・・・。まぁいいわ、とりあえず私と行きましょうパシェちゃん。それからハク、あなたも来なさい。」
今さっきこれでもかと怒られていたからそっとしておいて欲しかったハクだったのだが、もうこうなったら従うしかない。シクロロンの熱弁に浮かされたわけではなく、彼特有の動物的な勘がそれを良策だと判断したのだろう。
「くく・・・はい。じゃ、仰せのままに。」
やっつけ仕事のようにそう言うと、走り出すシクロロンとパシェをハクは追いかける。
「ふふ、行ってしまいましたね。私たちの勇者さんは。」
これだけの大熱弁を披露して引き際よく去るという一幕はシクロロンの計算では決してなかった。だが聴衆の歓声を受けてグダグダと居座り余韻に浸る不恰好を避けたという点でも結果として幹部たちの心を一層強く惹きつけていた。
「敵わぬな。・・・つくづく。」
そんな天性のバランス感覚に一人、メトマは改めて舌を巻いて苦笑する。
かぱちょん。
「パシェちゃん、ちゃんと乗れた? じゃ、頼みますねエレゼさん。」
馬が操れないシクロロンとパシェはそれぞれに分かれて馬に二人乗りする。すぐに用意できたのは三頭ほどだったものの、あいにく他の志願者を待っている余裕はないのだ。
「ふ。・・・しかし勇者殿がボクと相乗りを希望するとは、ちょっと面食らってしまいますねぇ。」
どこかまだ信用ならないハクと乗るのは危険かもしれない。しかしシクロロンにはそれなりの考えがあるようだ。
「そう? あら、・・・あなたは教会のヒトね? もう一頭は誰か親衛兵を名乗る者が現れたら貸してあげて。急ごしらえになるけどたぶん、シクボさんかメトマさんがお墨付きをくれるから。」
はい、と先の走ってばかりの青年は答え、駆け出すシクロロンたちにいってらっしゃいと声を掛けた。
そして。
「・・・ねぇハク。」
ぱからん、ぱからん。
「・・・なんでしょう?」
ぱからん、ぱからん、ぱからん。
「私ね、言わなかったけど・・・あなた内通者でしょ。」
走り出して間もなくとんでもないことを背中で告げるシクロロン。
体をぎゅうと掴まれている今、振り払っても危険は半分こだ。
「・・・なるほど、やはり「音拾い」はあの時より以前から度々使っていた、ということですかねぇ。
ふう。でもなぜあの場で言わなかったんです? 今より確実に安全だったでしょうに。」
バレてしまっては仕方がないと割り切ったのか、言い逃れもせずそんな疑問を投げ返す。
「言ったでしょハク、もう血は嫌なの。あの昂ぶった雰囲気で「このヒト裏切り者でーす」なんて言ったらあなた、ただじゃ済まなかったはずよ?」
まー、確かにそうだな、とハクも思う。
なんとなくちらと向こうの馬を見ると、エレゼが胸に抱いたパシェに遊ばれていた。
「ふふ。なんだか、牧歌的ですねぇ。アナタはというか、アナタたちは。」
これから相手にするのは敵対勢力『フロラ』の数百の兵だ。
普通なら言葉も詰まるほど緊張する状況だった。
「あらハク、あなたあまりヒトの話を聞かないのね。私たちはこれから「交渉」しに行くのよ? 緊張はするけど、戦うわけじゃないもの。」
そんな声色にふと、自分をがっしりと掴んでいる理由に気付く。
ただ振り落とされないよう掴んでいるだけなのに、勘ぐり過ぎてつまらない所にまで気を遣っていたようだ。
「ふふふ、そうでした。こりゃ失敬。」
バカらしくなってしまう。
ボク、何のために、何してるんだっけ、と思ってしまう。
心がなんだか、からっぽに思えてしまう。
「あなたがよく言ってたことじゃない。話を聞きなさい、廊下は走るな、って。」
護衛も兼ねて世話係もしていた。
紐解けば、記憶とは違う思い出が見つかる。
「はいはいはいはい。そりゃすみませんでした。」
家族は捨てた。
恋人なんていない。
そういえばボクは、一人ぼっちだったな。
「はい、は一回、もあったわ。」
ボク、何してんだ?
「どうもすみません。」
バカらしい。
「わかればケッコウ。・・・ふふ、あなたの決め台詞よね。」
でも、楽しい。
「・・・「フローダイム」ってのが、ボクの飼い主。」
バカらしくて、くだらなくて。
「そう。」
でも、なんだか少し、わかる。
「デイは『スケイデュ』から移ってきた裏切りモン。」
金、好きだけどね。
「そう。」
いっぺんこっきりだからねぇ。
「フローダイムの意志はホントにわからないんですよ。言われたことやってただけですからねぇ。
ただ、たぶんフローダイムは『カラカラ解識班』に関わりのあった者でしょう。デイの話と併せて考えれば〔ヒヱヰキ〕だとか〔ろぼ〕だとかに詳しいし。
でも引っかかるのは世間の流れに常に上手く合わせて指示を出してるってトコなんですよ。元『解識班』の面々はほとんどが役職に就いてますからそう簡単に身動きが取れないはずなんですけどねぇ。
ふふ、わかりません。で、こうやってしゃべっちゃってるんだからもうこれ以上の事はわかりませんからね。」
ボクとして生きられる、そのチャンスってのは。
「ありがとうハク。話してくれて。」
娘にしちゃ大きすぎるけど、ま、いいでしょ。
「全部ウソかもしれないって思わないもんですかねぇ?」
ぎゅ、と少し強く抱きしめられる。
「思わない。・・・ありがとね、ハク。」
そういうのも案外、悪くない。
「どういたしまして。」
仕えてみますか、本気で。
そう思い、そう誓う。
誰かに金や権力で好き勝手操られることにこの男も疲れてしまっていた。
こんな男を駒とも奴隷とも思わず、ヒトとして見てくれたことに、見てくれることに、焦がれていたのだ。
だから思う。だから言う。
「シクロロンさん。・・・すみませんでしたねぇ。」
バカらしい自分に笑えてきて、でも、そのくだらないキザったらしいところがちょっと好きかな、と思う。
「わかればケッコウ。どう? 似てた?」
しみったれた情になど流されるものかと気張っていた男の顔から、そのまましばらく微笑みが消えることはなかった。
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