⑲ 今日会と先専捕縛義務
とんとん。
「起きろ。夜が明ける。」
よだれの被害がやや致命的なキペが目を覚ますと、それを覗き見るようにリドミコが立っていた。
「あ・・・あぁ、そっちのリドミコか。あ、ニポ。調子はどう?」
すでに起きていたアヒオとニポは荷造りと支度をしている。例の遮音服の装着には手伝いが必要だった。
「まーね。大した距離じゃないから大丈夫じゃないかい。このヘンなの着るのはこれっきりにしたいもんだけどさ。
あ、そーいやあのぬるぬめ野郎がお礼の手紙と一緒にこんなもん置いてったみたいだよ。はは、ヒトに恩ってなー着せとくもんだねえ。」
そう言いながら遮音服を潜り込むようにして身につけるニポ。
見た目はどうあれ、やはりバファ鉄の破振効果によるダメージは避けたいらしい。
「わ、すごい、バファ鉄の塊だ。握り拳よりずっと大きいのなんて見たことなかったよ。
・・・良くなるといいな、サムラキさん。今度会ったらニポもちゃんとお礼言うんだよ?」
持ち上げればずしりとくる金属塊を持ち上げ、遮音服のよれたシワを伸ばしてやる。
「へーへーわかりましたよ。・・・さて、と。忘れもんはないね。こっちゃ準備完了だよ、チペ。」
砂色の袋に胴体を隠したニポは頭にかぶる丸っこい遮音袋を小脇に抱え、親指をばちんと横に突き出してよこす。
「うん。あ、でもニポ、無理はしないでね。・・・よし、それじゃ行こっか。」
リドミコがリドミコじゃなくなって不機嫌になっているアヒオもこの緊張感のないキペの号令には心がほどけたようだ。
「だな。くく、笑えるうちに笑っておけ、ってことか。」
アヒオがよく口にするそれは、陰に徹し苦しいことにも耐えなければならなかった暗足部時代にシビノが口にしていた言葉だった。
「なんだいそりゃ? ま、いいか。・・・おっと。」
闇に慣れた目で家の外に出ると、輝き出す山の稜線に目が眩む。
そんな静寂に包まれた村の真ん中には不思議な輪郭線を輝かせるダイハンエイがある。
四人はまだ眠る村に別れを告げ、ヒマ号の中へと乗り込んだ。
「ニポ、大変になったら言うんだよ? あと、何か苦しくなったりとか――――」
「大丈夫だって。さ、行くよ。」
心配性のキペがしょうがないなぁとニポの頭に遮音袋をかぶせると、ニポはもう本当に綿菓子のひょうたんオバケみたいになる。だのでアヒオは寝起きにもかかわらず大爆笑だ。
「起きろぉっ! コマヒマヤシャーっ! 出発だーっ!」
狭いこくぴとは朝からよく響く。
「ったくうるせー限りだなおまえさんはよぉ、んな怒鳴んなくてもよくねーか?」
でもまぁこれでダイハンエイが動くのだから辛抱はできる。
そうして、ぐごごご、ふひーん、と度々異なる起動音を鳴らすダイハンエイはニポが調整した経路をゆっくりと走り始めた。
「おー、動いた動いた。いいぞーニポ。・・・あ、聞こえないんだ。
あ、そうだアヒオさん、ずっと聞きそびれてたんですけど風読みさまはどうなりました? なんか別れた、ってトコまでしか聞いてないんですけど。」
キペがこんな複雑な流れに巻き込まれたその源流が風読みの《六星巡り》だった。
もはや追いつくのは困難なものの、気にならないわけもない。
「あーそれな。風読みサン、ナマコ馬に乗って先に行っちまったよ。でもおまえさんのことが心配だったんだろ、おれとリドに捜索を任せてな。
今はどこら辺だろな、馬の足だからもう半分以上は回ったんじゃないか、順調なら。」
かわいくも思えないリドミコをほっぽらかしてキペに向き合うアヒオ。
キペはといえば学習した「もにた」や「すわいち」に目を遣っている。ニポから指示があれば操作できるようにはなっていた。
「そっか。・・・ほんと、僕は役立たずだなぁ。あんなにおやさしい方の力にもなれないなんて。
あ、そうだアヒオさん、今度ニポに言ってやってくださいよ、風読みさまの素晴らしいころ。ニポってば何が気に入らないんだか風読みさまのこと悪く言うんですよ、腹黒いとか。ニポは僕よりたくさんのことを知ってはいるけど、風読みさまのことはなーんにも知らないんだから。」
ニポが聞こえないのをいいことにちょっと不平を漏らすキペ。面と向かって言うと怒られるので控えていたのだ。
キペは、臆病風に吹き飛ばさるタイプです。
「ほぉ。・・・なあキペ、おまえさん、「神官」である風読みさんと教会最高権力者の「神徒」、今はそうでもなくなったが政治舞台で活躍する「教皇」って、一応全部イモーハの系列になるんだが誰が一番エラいと思う?」
はっきり言って考えたこともなかった。
司教や司祭といった役職がずいぶん昔には存在し、絶大な権力を誇ってそれらを統制したことは教舎でも習っていたが、今のように枝分かれしてからはそうなったんだなとしか考えていなかったのだ。
「あぇーと、一番数が少ないから、教皇? あ、神徒もほとんどが一人でしたもんね、えっとじゃあ・・・ごめん、わかんないです。」
素直なキペは素直に敗北を認める。そういうところが敵を作りにくいのかもしれない。
「はは、だな。おれもわからんよ。
だがな、それっくらい複雑なイモーハ教だ。その三者のうち一者が「ウチが一番、ウチが正義」って名乗ったらどうなると思う?
黙ってそれぞれ我関せずとやっててくれてりゃ平和だったんだが、んなこと言われたら自分たちが二番、三番、果ては悪だと名指しされてるようなもんだろ?
三者の覇権争いってんじゃねーが「正義」についてのそーいう見苦しい戦いってのが、ちょっと前にあったんだよ。」
あれ?なんでそんな話をしたんだろう、と疑問に思いながら、なら僕も違う話しようかな、と口を開く。
「ふーん。あ、あの、そういう争いもそうだけど、兵団って何をしてるんでしょうね。
《センサフ》みたいな規模の戦ができるくらい兵を揃えてるし平和維持を謳ってるのに、ファウナ系では警邏隊が、フロラ系では治安隊が暮らしを守ってるでしょ? 兵団全てを動員するような相手なんてこのアゲパン大陸にはいないのに。
力で押さえつけるのは好きじゃないけど、兵団の総力があればシクロロンの言ってた浮島シオンで起こりそうな争いだってなんとかなるんじゃないんですかね。」
ハユを訪ねて『スケイデュ遊団』のある本部へ赴き、傘下のいち遊団ですら大きな組織であることを知っていたキペには、もはや兵団という組織はそんじょそこらの町よりも大所帯に思えていた。
「かはは、エラいハナシが飛ぶやっちゃな。でもま、ちょっと関係あるか。
あのよ、『
一瞬、哀しい目をする。
目で追わなくとも、心でそれが気付けてしまう。
「えぁーと、わかんないです。僕らの村ってすごく閉鎖的だったから、僕が生活していた時期に起きたことでもあんまり耳に入ってこないんです。あと、まあ僕も閉鎖的だから、あんまりよく知らないんですけど。」
旅の者からの話や帰ってきた者の土産話が情報源だった村なので、どうしても栄えた村や町と比べると分母の絶対量が少なかった。
「そうか・・・あのな、おれが・・・ダメだな、昔話を少し入れないと。
あのな、おれが小さい頃『今日会』ってのが幅を利かせてた時期があってな。んで終末思想に取り憑かれた〔ヒヱヰキ〕信奉者が各地から集まってヒトビトを呑み込んでいったことがあったのさ。
元はイモーハ教改浄主義から始まったうねりなんだが、「明日に訪れる裁きの日の前に悔いる者、償う者を受け入れる」っていう贖罪意識と明日への変革に訴えたやり口が響いたんだろーな、公には伏せられてるが、その組織にはまだ若かったロウツ教皇も参加していたらしい。
んでやがて『今日会』はロウツの唱える新・改浄主義を基軸に据えたまま「罪ある者を罰せよ」みたいに発展すると、ユクジモ人なんかまで加わって統制が効かなくなってきたのかもな、今度は名家の襲撃なんて暴挙にまで出たのさ。
それにより当時冠名を持っていたニタ家が壊滅状態になった。
民衆の中にもやっぱあったんだろな、名家に対する嫉妬や不満みたいなもんが。
それで治まってくれりゃよかったんだが、その暴動を期に身分階級排斥を唱える輩やイモーハの源流・「カラカラの教え」の徒までが『今日会』に合流したんだ。
もうそうなると押し留めるなんてできないよな。そこでついに『今日会』は統府、おまえさんがさっき尋ねた兵団総力に対して宣戦布告してきたんだよ。
・・・おれたちの部族は嫌われモンだったからな、『今日会』が膨れ上がる時に親も親戚も雑兵として持ってかれた。今のリドよりも幼かったおれたち兄弟もそれでバラバラさ。
はぁ。んだけどそれはあっけなく終わった。
おまえさんの言うとおり兵団が全力でぶつかりゃひとたまりもないからな。《センサフ》なんて規模じゃなかったし、親子ほどの戦力差もあってニ、三の日巡りで鎮圧された。
さっきの二つの問いに答えておくと、その甚大な巻き添えを食らった民衆によって兵団発動の慎重論が出てきてな、骨抜きにされちまったんだよ。兵団を動かすためには統府の議決が必要になったんだ。
おかげでその後『フロラ』に革命蜂起を企図させちまうほど兵団は弱まった。強いは強いさ、でも民草からの税で成り立ってる兵団はその「強い力」を勝手には揮えなくなってな。
だから警邏隊だ、治安隊だってのが再編成されて暮らしを守ることになったんだよ。兵団の人員削減もあったってハナシだから、たぶんそっちに異動させたんだろう。
それだけじゃなく兵団には「先専捕縛義務」ってのが新たに課されて、どんなに疑わしくとも武器を持ってない者、どんなに大手配されてる罪人でも抵抗の意思が見られない者へは攻撃できなくなっちまったみたいだな。
ある意味、警邏隊や治安隊の業務に紛れることで組織の存続だけは確保できたってコトにはなるだろうが。
まぁ兵団はさておき、そして、だ。
その「イモーハ教改浄主義」・「月星信仰」・「カラカラの教え」の三者合体組織の中で、「事変」に深く関わってたのが若き日の風読みサンらしいぜ。
あの位階のヒトになると確証がほとんど出てこないんだがな、噂ではイモーハ教原理主義の連中とやりとりして情報戦を繰り広げた急先鋒だったとか。
以来、教団の頭である「神徒」、統府議閣、また、ロウツがなる前の「教皇」なんかは『今日会』系列である風読みサンをはじめ「神官」たちに不審を抱くようになったらしい。風読みサンはかんなり早くから神官になれてたからな。」
民衆に犠牲も出た『今日会』事変は後に「狂信者の大暴動を統府の正義が制圧したもの」として発表されたが、犠牲者への配慮を理由に詳細の公表を避け闇に葬られるよう仕向けられていた。
「・・・そんなことがあったんだ。教皇はよくそれで教皇になれましたね。
あ、それよりも、その・・・アヒオさんも、つらい思いをしてたんですね。ごめんなさい。聞かなければよかった。」
だからかもしれない。子どもを大事に思うキペをこんなに近しく感じるのは。
「いいさ。おれも情報を取り扱う暗そ・・・ところに拾われて仕事してたから。
はじめは弟たちの行方がわかったら、と思ってたんだが月日が経っちまってたからな、無事だろうってことで納得させてたんだよ。」
目の前の暗足部ではない暗足部員に、その事実はもう少し伏せておこうと思う。
「気休めにしかならないかもしれないですけど、見つかりますよ。
ふふ、でもアヒオさんにも兄弟がいたんですね。だから小さなリドミコとも仲がいいのかな? ふふふ、リドミコもアヒオさんのこと好きだもんねー?
・・・あ、ちがうリドミコだった。」
あん?と眉根を寄せるリドミコ。
キペもアヒオと同様、こっちのリドミコはあまり好きにはなれそうもなかった。
「悪かったな。だが我々とて必死なのだ。この巫女は定着から順応まで赦してくれたからいいようなものの、いつもこうなるとは限らんのだぞ。」
なんか偉そうにしゃべるリドミコ。普段のリドミコには絶対しないような鋭すぎる目で睨むアヒオはみなまで聞かずにそっぽを向いてしまう。
「そっかぁ。大変なんだね。あ、でもさ、《オールド・ハート》が珍しくないんならきみみたいなヒトが他のヒトの中にもっとたくさん入っててもおかしくないってことでしょう?〈木の契約〉だってそんなに宿主を束縛する内容じゃなかったし。」
現在2種類も受け入れてしまったキペだが特に支障はなかった。
リドミコの中の「彼ら」が求めるユニローグの元へ運ぶことはできなくても、受け入れることはできると思ったのだ。
「いま言ったように必ずしもこうなるとは限らんのだ。免疫や代謝の具合で我々も完全な安寧というのは〈契約〉を済ませた後でも抱けぬものだからな。この巫女のように幼いうちに受け入れてもらえれば潜伏期を経て顕在化できるが、そうでなければ当然個体が抗体を作り抵抗を示す。
我々が今こうして人格を所有できているのは語り部だからでもあるが、それは「この巫女の抗体に勝利した」のではなく「共存を赦された」からでしかない。
害毒は持たない我々とてそれも事と次第による。免疫反応が出るのは仕方のないことだとわかってはいるが。」
そこにいるのは、キペにはちょっと重い「生きる」「生き残る」という意志で生きながらえた者たちだ。ただその営みを目の当たりにしてなお、まだ生死を考えるには気持ちは遠かった。
「あん? あっ! だからか、リドがナナバの村で熱を出したのはっ! 今まで一緒にいたが熱出すなんてなかったからほんとに心配したんだぞっ!」
そっぽを向いてても聞いちゃってたアヒオがぐおん、とリドミコに顔を近づける。
「そうだな。あの頃になってようやく同化から順応に移り、こうして人格を利用できる段階に入ったのだ。
しかしそれもあるがな、疲労もあった。
考えてもみろ。大人の体のお前にとってなんでもない距離でも子どもの体には大きな負担になる。不平を漏らさなかったのはお前に迷惑を掛けないためだったのだぞ。いじらしい話じゃないか。今後はもう少し気をつけてもらいたいものだな。」
けっこう堪えることを言われたアヒオ。すんごい落ち込んで、すまん、とだけ言う。
「おいチペっ! 到着点しぐなるが反応してるぞっ! もにたとか肉眼で確認してくれっ!」
すっかり話し込んでいたキペが外を見遣ると、そこには深い霧が立ち込めていた。
「うわ、ニポ、すごい霧だよっ! 《膜》じゃないよね・・・って聞こえないのか。
僕ちょっと見てきます。あ、ありがと。」
がすますくを手渡されたキペははっちを開けて外へ出る。霧に触れた部分がわずかに湿っていたし手にも水滴を感じたため、キペは視界の狭いがずますくを外してダイハンエイの前部へ回り込むことにした。
「あ、うっすらと・・・黒い建物が・・・このままでいいよ、ニポっ!
・・・はうう。聞こえないんだった。」
バカなのではない。ほんのちょっと、足らないだけだ。
「はぁ・・・ったく、しゃーないな。このままでいいぞっ!」
中にいたアヒオはやむなくニポの頭にかぶせた遮音袋をずらしてその隙間に声を投げる。
「よしきたっ!」
目も覆われているニポはその声に従い、アヒオの頭を撫でて返す。
たぶん声の調子がおかしく聞こえたのだろう、キペと勘違いしているようだ。
「いやー、ほんと外まっ白で・・・あ、あ、アヒオさん・・・」
傍目には横からチューしてそれを褒められ頭を撫でられているように見えなくもない。
ここへ来る前、妙に距離を縮めていたアヒオとニポだっただけにそれが単なる見間違えとは思えなかった。
「お、外はただの霧みた・・・なんで泣いてるんだ、おまえさん。」
あ、ちが、はは、おまえさんコレはなんでもないんだよ、とでも言ってくれればよかった。チューして当たり前だろ、みたいな態度が、とても、つらかった。
「う、ううん、別に。・・・僕には、ハユがいるから。」
もう完全に逃げに回るキペ。え、おれ別に女とか興味ないし、みたいな。
「ぬん? そうか。しかしココへ来るのは初めてだな。よっこら、と。・・・骨野ヶ原のゆえんだな。」
無害とわかったからか、はっちを開けてアヒオも顔を出してそう呟く。
換気の意味でもちょうどよかったのかもしれない。湿った空気だったが、吸い込むと鼻に喉に気持ちよかった。
「確かに、白一色ですよね。・・・今の僕の心の中みたい。」
皮肉が出てしまう。悪い子ではないものの拗ねてしまうとこうなっちゃう。
「あ? ま、心が洗われるっちゃそうかもな。白い草に紛れるようにして白い花が育ち、体を白くして隠れる虫を白に潜む動物が食う。
不思議な景色だが、だから疎まれちまうのかな。んでもだから、このままで在れるのかもな。な、キペ。」
ふ、と物憂げに微笑むアヒオの横顔には蔑まれた血の記憶があったのかもしれない。
その余裕のような、ゆとりのある笑みに、ニポは心を赦したのかな、とまだまだ卑屈になるキペだった。
「あんたら、はっちは閉めときな。あたいがまず出ていかないと敵だと思われちまう。」
入り込んでくる空気に気付いたニポは振り返りもせずそう呟く。
まっ白な世界に点々と黒い外壁を連ねる、そこが
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