⑱ テンプとベゼル
顔には出さないようにしていた。
しかし体はにじり寄ってくる罪責感をかわしきれないでいるのだろう、どうにも本調子とはいかなかった。
「失礼しますよ。」
控えめなノックと共に入ってくるミクミズ族の翁は今日も機嫌がよさそうだ。
「失礼だの。ワシゃもっとずっと休んでいたかったんだがの。」
皮肉大好きのモクがベッドから起き上がると、これはこれはご丁寧にと老執官史は笑みを一つ返す。
「適役を見つけてきましたのでね、〔こあ〕覚醒の手順に入りたいと思うのですよ。」
上機嫌なわけだ。
以前の説明で〔こあ〕のおぺれったに負担が掛かることを示して以来、その選出に手間取っていたらしい。実験するにしても信用ならない者が〔ろぼ〕を駆動させては困るためどうしても選定には二の足を踏んでしまうのだろう。
三体を操るニポの存在が確かにありはしたが、やはり実際目にしていないこともあって名乗り出る者はなかったのだ。
「ふん、どうせ―――」
そうタカを括るモクの前でかちゃりと戸が開くと、そこには暗い色の服に身を包んだコリモ族の女がいた。
「―――そん・・・な・・・」
顔をぐるぐると布で巻いて隠し、長く下ろされた前髪に古い大きな眼鏡を覗かせて立つ姿に、モクは不覚にも奥歯を鳴らしてしまう。
「お久し、ぶりです・・・モク様。」
ぐぎぎぎ、と鳴る歯が、口を開けて言葉を返したくとも、怒りのような、失意のような感情を噛みしだいてしまって自由にならなかった。
「おや、お知り合いでし――――」
「ウルアっ!・・・貴様そこまで堕ちたかっ!・・・テンプ、なぜ・・・」
怒鳴ったり悲しんだりするために口を開きたかったわけではない。
そんなはずではなかったのに、モクから溢れ出るのはテンプの素顔よりも醜いものばかりだった。
「モク様、ご迷惑は承知しています。しかし、ええと、・・・ええと、ベゼルが病に倒れてしまって。統府のかたに連れられてからはどこかの施設に収容されて、それから、連絡も取れなくなって・・・。
でも、このウルア様が手を貸してくれるとおっしゃって。・・・あたし、ベゼルのいない世界なんてどうでもいいと思ってたんです。
だけど、だけど、助かるなら、助けてくれるのなら、あたしなんでもするつもりです。」
薄っぺらだった。
こんな子ども騙しにさえならない薄っぺらな話に乗せられたテンプが、しかしその純真な心が大好きだったモクを、だから苦しめる。
汚れた明知よりもずっと、ずっと、愚かな純朴を愛するモクを、強く強く、悲しませる。
「・・・テンプよ、ベゼルがどうなっているかは確かにわからん。
だがな、この悪魔どもはおヌシを利用することしか考えてはおらんのだぞ。
〔こあ〕のおぺれったになったところで駆動が確認できればベゼルもろともおヌシまで手にかけることさえ厭わぬのだぞっ! おヌシのような者の弱みを握って操るのがこのクズどもの――」
「それくらいにしておいてくださいよモクさん、あなたはお忘れのようですねぇ。なぜあなたが今ここにいるのか。」
この工場施設に入って間もなく渡したロウツ宛ての書簡を、おそらくこのウルアも読んだのだろう。
それは協力する代わりに『ヲメデ党』への不干渉を約束させるものだった。
今のところニポたちが危険に曝された事実はないようなので条件はまだ生きているようだ。しかしテンプとベゼルは自分たちで『ヲメデ党』を脱党したため、たとえ関わりをロウツたちが持ったとしても示した条件に抵触するものではない。
約束は、憎たらしいほど守られているのだ。
それだけに「協力する」というこちらからの約束を反故にはできかなかった。
「モク様・・・おやさしい、すばらしい神徒様。あたしはいいんです。そのことでどうか、モク様がお心を痛めてしまわないでください。」
けなげに微笑む声が、前髪に眼鏡に隠されてなお柔らかに細められた目が、テンプを利用しようとする者たちへの憤怒をなだめてしまう。
「・・・っく!」
まっすぐなテンプを守れない自分が情けなくて、とことん情けなくてモクは再び歯を軋ませる。
このような無力感を克服するため尊ばれ敬われる神徒の名を捨て『ヲメデ党』を築いたのに、その目的を果たせぬ前にまたしても同じ苦痛を味わわなければならないなど当時のモクには想像もできなかっただろう。
「・・・ウルア。のぅ、ウルアぁ。・・・よいか、貴様らは必ずワシが正す。覚えておけ。
・・・・・・案内せい。」
ヒトの
「ふふ。おやおや、これはまた随分ですね。・・・ま、いいでしょう。さ、あなたも。」
時代を動かすうねりを巻き起こそうとする者なら誰しもが口にする「大義のための犠牲」というものを、避けて通る道などなかった。
そして新たな道も、造れなかった。」
たぎるものにだけ突き動かされるモクはだから、〔こあ〕覚醒のための準備室へと歩いていく。
「あの、モク様、あたしは具体的に何をすればいいのでしょう。」
まぶたまで赤黒くただれたテンプはモクにさえもあまり見られないよう、うつむいて前髪を顔にかける。時たま通り過ぎる作業員が息を潜めて振り返るたび、陽の目を避けてきたコリモの女は瞳をわずかにくすませてしまう。
「・・・口腔内の粘膜と血液をもらう。痛みは大したものではないから案ずることはないぞテンプ。
ウルア、貴様がどこでどう腐ったかなど興味はないがの、あの青ザルにしても〔ろぼ〕を手に入れてどうするというのだ、ん? 抵抗組織にケンカでも売るか? 民衆の心が離れるとは思わぬのか? もはや武力統治など時代は求めておらんのだぞ。こんなものを作る暇があるのなら手を差し伸べねばならぬ現実にいい加減目を向けてみよ。」
王政から議会制に転換してもまだ、教皇の鶴の一声でこれだけの規模の人員や資材を集めることはできる。その力が権力なら、行使すべき方向がてんであさってだ。
「自衛のためであれば兵団総力も民意に背かず発揮できるでしょうね。しかしこちらから、となれば小規模の隊で当たらせなければまた顰蹙を買ってしまうんですよ。
・・・ひとつ耳に挟んだ情報によれば、浮島シオンで事が起こるとか。
ふふふ、争いに嫌気の差している民衆ならば解ってくれるんじゃないでしょうかね、それが「兵団の小隊により速やかに事態を鎮圧できた」となればなおのこと。ふふふ。」
心底愉快そうにウルアは笑い、ひと気のない部屋のドアを押し開ける。
「・・・それを知っていながら、事前に争いを予期しておきながら何も手を打たなかったということか。完成する〔ろぼ〕の実験を、その殺傷能力を実証するだけのために・・・。
どこまで腐った・・・ウルアっ!」
それにはまるで構わず、どうぞ、と促すウルアの前で立ち止まるモクはテンプの入室を手で制した。
「ふぅ、弱りましたねモクさん。・・・「力」が恐怖を招くのであればその方が好都合だと思いませんか?
刃向かう者がなければいたずらに傷つけ合うこともない。「敵わない壁がある」と見せつけるだけで危害を一切加えず悪を黙らせることができるのですよ?
わたくしたちは荒れ狂う腕力に訴え我欲を通す無頼漢に厳しくあたる、というだけです。なにも無抵抗の民を踏み潰そうとしているわけじゃないんですよ。
・・・テンプさん、あなたの素顔はさぞかし醜――――」
「ウルアぁっ!」
細い、まるで道端に落ちている枝切れのような手をウルアの首に押し付け襟を締め上げる。
その鋭く尖った指こそ丸めていたが、それ以上テンプを傷つけるなら容赦するつもりなどなかった。
かつて神徒と呼ばれた男がその名を捨てたのは、感情を握り潰してまで説く無力な教えと訣別するためなのだ。
「し、かし、・・・だから、理解できるはずですよ。テンプさん、あなたが凶暴な力を持っていたなら、罵る者、哂う者をねじ伏せることもできました。でもできないのは、あなたが弱く、そして心根の曲がりきった者が強く、そして多いからです。
その者たちとて兵団員に比べれば恐るるに足らないにも拘わらず、ほかの者は仲間外れを恐れてあなたを守らなかったんですよ?
弱いのです。多くの民が、本当は。
だからそれを守るのですよ。弱さに負けてあなたを守らなかった者を守り、力に怯えて何もしなかったその心を正すのです。
無論、あなたのような境遇の者は真っ先に守ります。
そのための力が、どうして脆弱であれますか。
テンプさん、わたくしたちは弱者の味方なのですよ。あなたやベゼルさんを苦しめた者がたとえば何らかの実験台になったとしても、社会のための大切な礎になるのですから報われるというものです。
あなたの決断に罪などありません。あなたは利用されていると思うでしょうが、ならば利用させてやっていると胸を張れば良いことです。あなたという存在が、わたくしたちには必要なのです、テンプさん。」
ぐいぐいと締め付けても、細いモクの手ではウルアの声をむしり取るには至らなかった。
非情な腕力が、欲しい。
全てをさらけ出せたのなら、モクは今そう呟くのかもしれない。
「はい。どこまでお力になれるかわかりませんが、できるかぎ――――」
「もうよい、テンプっ! ・・・ウルア、わかったっ!
・・・だがな、シオンへはワシも連れて行け。
もうそれ以上は言わん。おヌシたちとて〔ろぼ〕を把握したわけではないであろ、ワシ一人連れたところで害はあるまい。」
純真な心は汚れやすい。
それを阻めぬ今となっては、モクには見守ることしかできなかった。
「いいでしょう。あなたがまだ何か隠していても困りますからね。・・・さ、テンプさん、行きましょうか。」
はい、と応えるテンプの背に自分の無力を見つめながら、モクも黙ってそれに続いた。
初回おぺれったの断片がきちんと〔こあ〕に順応するまで日巡り三つほど掛かる。
それが最後の、時間稼ぎだった。
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