⑭ 七色の仲間とその妙
月も沈んだ宵闇の地下では緑に光る苔だけが灯りとなっていた。
「う、うーん・・・あ、ニポ。」
まだ目の慣れないキペにもニポが上体を起こしたことだけ確認できる。
「おうチペ・・・しっかしエラいもん見ちまったねえ。」
他の者はまだ目を閉じているようだ。
そんなふうに見回していると、ふと手に力が入らないほど疲れ、そしてやたらとお腹が減っていることに気付く。
「うん。なんか疲れたね。あ、ニポ、体の調子はどう? みんなもまだ疲れてるのかな。・・・もうちょっと休んだ方がいいかもね、僕たちも。」
そこはとても静かだった。
服のすれる音が敏感に耳に届くほど、静かで、とてもやわらかい時間だった。
「あたいは大丈夫そうだよ。腹は減ったけど・・・
ふふ、あんたと二人ってのも、なんだかおもしろいねえ。」
『ヲメデ党』の党員だけ起きていることが、という意味だ。
「そっか。二人っきりか。
・・・ねえニポ。・・・その、こんな時に、なんて思うかもしれないけどさ。」
え、とキペに目を向けたニポのまん前には、ふわりと近づいたキペの顔があった。
ニポは、それが嫌じゃなかった。
「きみなんだ、って思ってる。」
ふと、シクロロンみたいなことを考えてしまう。
でもそれも、ニポは振り払わなかった。
「コマの中でおならしふぉっ――――」
ど真ん中のストレートがクリーンヒット。
「チペ・・・・・・・・・もう、いい。」
くおー、と顔をしかめるニポを確かめると、そこで次々に他の者たちが舌打ちをしてクレームをつけてくる。
「キペさん、ちゃんと活かしてください。」
「ヌイ青年、アタシだってキメる場面だなや。」
「キペくーん、ここはいっそ抱いちゃわないと。」
「キペくん、オチより大事なことはあると思いますよ。」
「ああ、みたかった。あーるしていののうこうらぶしーん。」
「キペ、すまんな、おまえさんかと思ってた。あの強烈なぷにゃあっ――――」
ずどん。
「なんなんだあんたらっ! 目ぇ覚ましてたんならとっとと起きろよっ!」
再び眠りに就いたキペとアヒオの様子を見ながらエレゼがぽん、と肩を叩く。
「ふふふ、あんなに恥じらったニポちゃん、ボクはいいとおぼふぉっ――――」
三人目が新しい世界にセイハロー。
暴虐の嵐は続くのか。
「はあ、はあ・・・もういねーかっ!」
なまはじぇ、と呼ばれた古の悪魔の名台詞に似た怒声を上げる。
一同は童子のようにぶんぶんと首を振る。
「ん? あれちびっこ、あんたしゃべってみな。」
むんずと捕まえ引き寄せると、リドミコはうーん、と唸ってぶんぶん首を振る。
「あああっ、きのこがかえったあっ!」
あー、あんたも元に戻ったねえ、などと思っているニポを跳ね除けたサムラキを跳ね除けてアヒオがすっ飛んでくる。
エレゼは置いておいて、これでニポもキペと仲良く二人で横になれるというものだ。
「リドっ! あぁリドか? ああ、よかったぁリド。よかった。ああ・・・あぁ。」
そうして揉みくちゃにするアヒオ。
一方そうされるのが楽しいのか、声に似た音を鳴らしてリドミコはきゃっきゃと笑っていた。
彼女の記憶がどう処理されているかは判然としないものの、それでもいつも通りニコニコ笑ってくれるリドミコが腕の中にいるということが、抱きしめると手を回してくれることがアヒオには何よりの幸せだった。
「おぐふ・・・あぁ、リドミコ、元に戻ったんだね。よかった。・・・あれ、ニポ。・・あ、そうだ。ねぇニポ、僕、きみだけにどうしても伝えなきゃならないこごふぉっ――――」
「もう・・・いい・・・ったく。ばかが。」
というわけでなんとなく皆が本格的に目を覚ましたところで地上へ這い出ることにする。
これ以上謎めいたことに巻き込まれたくもなかったし、全員が一律なんともいえない倦怠感を覚えていたため外の空気が吸いたかったのだ。灯りを燈す道具はなかったものの光る苔と星影のわずかな灯りを頼れば問題なく進むことができる。
「なんだい、もう夜が明ける時分になってたのかい。どーりで腹が減ると思った。な、チペ・・・って、ぬはぁっ! なんだそれっ!」
神殿の外は《膜》が体に障るからと比較的明るい場所に集まったところだ。
おかげでようやく顔かたちがはっきり見えるようになったのはいいが。
「え?・・・あ、あれ? なんでこんな髪が・・・あれ、みんなも?」
元から長かったニポとアヒオとエレゼとシクロロンは気になる程でもなかったが、むき出しのキペとリドミコ、帽子や笠をかぶった三人にそれは顕著に見られた。
「おお、リド。・・・髪が伸びてもかわいいなぁ。うん。ちょっとおねえさんみたいになったか。ふふふ。ぐふふふ。」
あらそう?のようにフワフワの髪を確かめるリドミコ。
他方の帽子等をかぶった者たちもそれらを取って確認する。
「これもまた例の仮構帯というモノの影響なのでしょうか。爪やヒゲやムダ毛などが伸びてないとか老廃物の排泄や貯蓄栄養の分配などの循環器系は何をしていたのかなどの諸問題は便宜上省かれるとして・・・・・・
ええと、しかし仮構帯について答えられる方がいましたな。語り部のエレゼさん、でよろしいでしょうか?」
不思議続きに慣れてきたのか、きっちりとした見解を模索したがる性分のヤアカが事の推移をエレゼに尋ねる。
「うーん、それでもはっきりとは言えないよぉ。
仮構帯そのものが人体にこんなにも大掛かりな反応を示すなんて聞いたことがないしねぇ。あそこが七人種の血による《膜》に守られた特別な仮構帯、ってことで割り切るならあるいはそれも考えられるだろうけどさ。
それと言っておくけど、ボクは「今がここを訪れた日の夜明け」かどうかは断言できないよ? この手足の虚脱感や全体的なフラつきはたぶん、過重疲労と栄養不足から来るものだと思うしねぇ。」
さすがのエレゼも少々お疲れの様子だった。ふらふらっと寄り掛かってじゃれることもせず、しっかと足を踏ん張っているのが伺える。
「あの、でもどうやって戻りましょう? ニポさんにあまり無理はさせたくないのですが。」
〔ろぼ〕がなぜかニポの体力を奪うと分かり、また、自分たちに降りかかっている疲弊も共通するものと知って途方に暮れるシクロロン。
「あーんと、素朴な疑問なんだけどに、この建物の中はなんで《膜》の影響がないんだろうなや。」
妙に長くなった髪を跳ね除けながらダイーダが辺りを見渡す。
風が外に向けて絶えず流れ出ているわけでもないなら、《膜》の霧に神殿じゅうが侵蝕されていてもおかしくはないはずだ。
「おー、イイとこ目ぇつけてんなおまえさん。大概の神殿では中の住人が工夫して《膜》から逃れる仕組みを維持させてるって話だが・・・
あれ? そういやココは無人のまま無害化されてるんだもんな。
ま、なんかあるんだろ、《膜》を無効化させる物質なり菌が。」
遥か以前にとある神殿からがすますくを奪ったアヒオは神官たちによる《膜》の対策法を一部知っていた。
とはいえ《膜》に対抗する素材が何かまでは各神殿ごとに異なるため、それ以上はどうしてよいのかさっぱりだ。
「おらしってる。ひかりごけだ。」
なんであんたがっ、と引っ掴みたいニポもさすがにヘトヘトなのでジロリとだけ見遣る。
「へ? あの地下の苔ですか? まぁ確かに目ぼしいものって言えばあの苔くらいしか浮かばないですし・・・。
でももしそうならあれを口や鼻に充てて覆っていけば、あと耳を塞いで目を閉じていれば最小限に抑えられるかもしれません。」
腹が減りクタクタな頭をそれでも回転させてシクロロンは脱出の案を練る。
入るのも大変なら出るのも大変なのだ。この神殿が誰の口からも聞かれなかったのはそんな理由からかもしれない。
「あ、じゃ、僕とリドミコが先を歩きますよ。あ、でも葉毒や蜜毒もある場合みんなは・・・
あぁ、道はあるのか。」
ぐったりと神殿正面でうつ伏せになるヒマ号の後ろには、ぬかるむ泥さえ抉り散らした「道」がある。
知恵と道具と偶然と・・・さまざまなものが一堂に会さなければ何も進まず何も起こらなかったなといよいよ確信する一同。
「じゃ、あんたらはそれでやってくんな。・・・あたいはヒマを置いてけないよ。あいつだってウチの党員なんだからね。」
肩を借りるほどでなくとも、休息が要らない、というほど元気でもない。
「でもニポ・・・どうしたら。」
ヒトの脱出は望めたものの、ヒマ号をこの人数でどうにかできる妙案などない。それでもとりあえずシクロロンとちびっこい三人組は地下へ光る苔を摘みに戻ることにした。
「・・・ふぅ。ねぇアヒオくん、キミたちはがすますくを付けて他のヒトたちを導いてくれるかい? あと、リドミコちゃんは借りるね。」
ひとつ腹を括ったようなエレゼがキュン、と片目を瞑ってアヒオに呼びかける。
どうやら何か手があるようだ。
「おまえさんよぉ、・・・おれにはわからんが、あんまり一人で背負いすぎるモンじゃないぞ。」
静かなまなざしでニポを支えるキペを見つめるエレゼに、何をするのか、それがどういうことなのか、尋ねる気にはなれなかった。
あまり他言してほしくないことがあって、でもそれでしか救えないことがあるなど珍しいことでもない。自分が『ファウナ革命戦線』の暗足部にいたという事実も似たようなものだったから。
常人では知りえない知識や体験しえない経験、それらによって横に居並ぶ者を時に救うことができたなら、やはりこうして慎ましく紐解く手順を踏むだろうから。
「大丈夫、リドミコちゃんにもキペくんにも危険はないよ。ただ、危険はないけど負担はある。ニポちゃんの負荷を分散させようと思うんだけどねぇ・・・
どうだいキペくん、リドミコちゃん。頭数は多い方がニポちゃんにもボクにもありがたいんだけどなぁ。」
「負担は」と言った時は引き止めたかった言葉も、「ボクにも」の一言で飲み下される。
アヒオがお呼ばれしない理由にはおそらく、一連の《オールド・ハート》が関与することは察しがついた。
そしてそこへ行き着くことで、《膜》の前でエレゼが錘絃を弾き続けていたことに合点がいく。
エレゼにも《オールド・ハート》があるか、あるいはなんらかの〔魔力〕を持ち操っていたのだろう。
「そう、か。エレゼ、・・・リドとキペを、あと露出出っ歯を、頼む。」
キペやリドミコの頷きを見届けると、この場では役立たずのアヒオはただ頭を下げる。
無闇にヒトを信じなくなったいつかから、手を取り合うその姿を見、人種も部族も隔たりなく思い合う姿を見、もう一度託してみたいと思ったのだろう。
幾人もの追っ手から逃れる足と身のこなしを持っていても、人質を取られる場面で形勢を翻せても、命があるのかないのかわからない〔ろぼ〕を想うニポをアヒオではどうすることもできないのだ。
しかしそれをやれる、と言う者があるのなら託してみようと思う。今この時に、猜疑なんて必要がないのだ。
「ふふふ、お任せあれ。じゃ、アヒオくんは離れてて。あと、ちょっとごめんよぉ。」
あ、何すんだ、と言う間もなくエレゼがニポの胸に顔を埋める。
「・・・。ごめん。これはちょっとやりたかったんだ。・・・ふぎゃ。」
とりあえず殴られたエレゼは帽子をずらし、今度はちゃんと耳をぴたりとニポの胸の間につける。
そして目を閉じ、はめていた指輪を口にくわえて歯と舌を器用に動かしながらゆっくりと吹き始めた。
「なん・・・だいそりゃ・・・」
それはメロディーとは異なり、音の高低を調節するものなのか、ぴー、と聞こえたりふぃー、とかすれて聞こえなくなったりして空間に揺らめいている。
「なんだろう、不思議な音だねニポ。でもなんか・・・変な感じだ。」
言われた通り離れたアヒオにはいよいよ感じられなかったが、傍にいたキペにもリドミコにも、体が、なんというか心音とは違う鼓動を始めていることがわかった。
例えば近くで太鼓を鳴らされたように、体が振動を知って目覚めるように、キペの心臓もリドミコの心臓も自身の心拍をその音に導かれて拍動を変調しているようだった。
「ああ、そうだねえ。気持ちよかないけど、気持ち悪くもないような。」
それがわかったのか、エレゼは二人を手招きしその胸に指でトントントン、と一定のリズムを打ち込み始める。
「へ? どうしたんですかエレ・・・なん? なんですか、こ、れ・・・?」
離れて見ているアヒオにも、それは間もなく伝わってくる。
「お、ちょ、おいっ? こっちにもバクバク来てるんだが大丈夫かおまえさんらっ?」
およそ心拍音とは思えない音が四つ重なり共鳴すると、敏感な感覚器官を持つアヒオの耳や皮膚が感応するほど波打つ振動が大きく空気を震わせ始める。
そこに寄り添う四人の姿がまるで、一つの尊厳ある神像に見えてしまうほど。
「・・・さ、乱れないうちにこのまま行こうかぁ。」
その言葉にいざなわれるようニポたちはヒマ号の中へと乗り込んでいく。
「はあー、採ってきましたよ。あれ、ニポさんたちは?」
と胸いっぱいに苔をむしり倒してきた四人がアヒオの視線を辿ると、ぽにゃー、と啼いて立ち上がるヒマ号にぶつかった。
「なんだに、動かせるなら乗せて欲しかったなや。ま、こんだけ苔があればがすますくのない三人はもう苔まみれだろうがに、無事は確保できるなぃ。」
「ふふ・・・そだな。」
そんな朝陽が遠く空に色を滲ませる中、雲粒のように霞む《膜》を歩く〔ろぼ〕の姿にアヒオは言葉にしがたいあたたかさを感じていた。
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