⑬ コロナィとヒナミ
ふぁさん、ふぁさん、しゅたん。
「・・・ずいぶん手なずけた紙鳥だな、ザリスルのヒナミ。」
薄暗い部屋の奥からやわらかな声が響く。
眠くなるようなやさしさと、目が覚めるような力強さをその声は持ち合わせていた。
「我々が開発した種です。・・・あなたには少し皮肉に聞こえてしまうかもしれませんね。」
その相手に皮肉を言えるほど肝の据わっていないヒナミは自嘲し、どこへいても飼い主の元へ飛んでくる紙鳥の足についた手紙を広げた。
「 アヒオの経路を蟲にて解析したところ
ナナバの村付近で途絶えた模様
再度 追跡のため放ちました 」
読み終えるとヒナミはその手紙をくしゃりと丸め、そして立ち上がる。
「もう行かれるのか。忙しい身分のようだな。貴公には為すべきことが多いのだろう。立派なことだ。」
身じろぎもしないその男は、すこし笑んだように言葉をかけた。
ヒナミはただ恭しく頭を垂れるばかりだ。
「滅相もない。・・・それでも、わたしのような若輩者が踏み出さねばならない時もあります。あなたのような方が伏せ、その知識も知恵も伏せられてしまっては・・・申し訳ありません、言葉が過ぎました。」
たった二人だけ、という恵まれた状況がかえってヒナミを緊張させる。
その緊張があまりにも強すぎたのか、感情的にすらなってしまった。
「なるほど。貴公の言い分はよくわかる。カセインも似た言葉で語るからな。
すまない、そう思い、そう伝えることしか私にはできない。また貴公の求める答えも私には明かすことはできないが、貴公の求める答えが謎に霞むのであればそうある方がよいのではないかとだけ思う。・・・その手紙はしかし、貴公を走らせるのだろうな。」
おそらくヒトと話すことがほとんどなかったのだろう。言葉を紡ぐたびに男は静かなよろこびを滲ませていた。
「ええ。しかしあなたは答えに導いて下さいました。フローダイムと〔ヒヱヰキ〕、少しずつですが手繰り寄せるに至りましたよ。
わたしは『フロラ』に身を置く者ですが、あなたが望むのであればこれ以上その平安を乱さぬよう尽力いたします。」
二人を隔てる錆び果て朽ち落ちた鉄の格子に額を預け、ヒナミは膝をつく。
「これ以上、というのがおもしろい。既に蒔いてしまった種がここまで伸びてくると知ってのことなのだろう。
ふくく、しかし今日は訪ねてくれたことに礼を言わねばならないな。また私が蟲を放つことにまで目を瞑ってもらった。ありがとう、ヒナミ=キシ。さあ行くといい。」
下げた頭にのしかかるような重く、大きな言葉に促され、ヒナミはその子ども一人閉じ込めることもできぬ鍵のない牢屋を後にした。
「・・・まったくの、大収穫だ。
もっと疑っておくべきだったのだ。『カラカラ解識班』からなぞり直せば疑問には届いたはずだった。
ふふ、だがまあいい。アシナシと行動を共にしているジニが神殿のない道順を選んだのならば、・・・やはり何かあるのかもしれんな。」
そう呟いてクラゲ馬にまたがるヒナミは「コロナィ」と呼ばれるその一帯を抜ける。
「・・・ん?」
この場所へ続く一本道にはいつも人影がなかったのもあり、はじめは何かの見間違いかと思ったのだが。
「・・・あれ?」
向こうも半信半疑だったのか、ちょこちょこっと走り寄ってくる。
「おお、なんてことだワイカっ! 待ってろ、すぐ下りる。」
『スケイデュ』時代から『フロラ』時代まで共に連れあった部下だ。
アヒオ逃走劇の際、手傷を負って『フロラ』の施設で療養していたのは知っていたものの、ヒナミはすぐに聖都の区局主になってしまい会うことがなかったのだ。
「団ちょ・・ヒナミさんっ・・・ああ、こんなところで出会うなんて。いや、お元気そうでなによりです。はは、メガネも上等になりましたね。はー、びっくりした。」
そんなワイカはあれからずいぶん経ってなお、なんとなく若い感じの男だった。うれしいような、驚いたような戸惑いの表情にはしかし身の危険のない安堵が伺い知れる。
それだけでも、ヒナミにとっては朗報だ。
「ふふ、わたしも仕事に精を出しているのだよ。しかしなんだ、こんな所に一人で。危険以前にいったい何の用事があるというんだ。」
普段ならそんな、「じゃああなたは?」と返されては困る質問などしない。
ただ、やはり手をかけた部下だったからだろう、彼にしては珍しくお節介を焼いてしまうようだ。
「それは団ちょ・・いいや、団長も一緒じゃないですか。
ふふ、ちょっと頼まれた聞き込みがあるんです。でもダメモトってヤツなんで下っ端でファウナ系のおれが出されたんです。はは、だからこんな立ち話もできるんですよ。」
少しやつれたワイカの笑った顔が在りし日の自分たちを思い起こさせる。
それは懐旧の念に浸らせるというより歩み出す力を改めて涌かせてくれるものだった。
「そうか。・・・はは、少しだが干し肉とササがある。そこの木陰で休まないか。」
急く心はあったものの急がなければならない理由ではなかった。ましてそれがかつての部下の前であればなおさら。
「はは、ではお言葉に甘えさせてもらいましょうかね、団長。」
いつかの立派な地位を思い出させるからではなく、そう呼ばれていた頃の距離感が好きだったので訂正はせずワイカに任せた。
ヒトを信じることに目覚め、他者と共に同じ理想を夢見て歩んだその日々は潰えてしまってもまだ温かかった。熱くすら、させてくれた。
「・・・そういえば他の者たちはどうなったのだろう。わたしも聖都で区局主を任されているとはいえ皆のことは本腰を入れて調べねばわからんからな。
「フロラのファウナ」と呼ばれてもまだまだ勝手はできないのだよ。」
ひとつの区を、それも重責極まりない聖都を任されたもののやはり『フロラ』にとっては駒に過ぎなかったのだろう。
「おれもわからないんです。前に一度、団員・・・団員に会いましたが元気だったので冷遇はされていないと思います。
あ、そういえば団長、今『スケイデュ』の現遊団長ミガシがもう一人を連れて浮島シオンへ向かっている、って知ってますか?
どうやらその二人組みが単体で行動しているらしいんですけど、気になりますよね。おれたち『フロラ』の長・ルマたちが浮島シオンに進んでいるのと関係があるんでしょうか。」
それは初耳だった。
現遊団長のミガシといえば大力無双の板拳使いで切れ者と評される男だ。だからこそ軽はずみとも取れるその行為に不審が募ってしまう。
さらにヒナミが躍起になって捜している「フローダイム」と関わりがあるのはウセミンから買った情報で知っている。
今回のミガシ単独行動のウラにフローダイムが関与しているかは不明ながら、うまく虚を突いて襲撃できれば本人から直接フローダイムについて聞き出せるかもしれない。
「いや・・・わからんが・・・すまないワイカ。急ぐ用を思い出してしまった。ふふ、ササも肉も今度はもっと腹に応えるほどご馳走するからな。では、達者でな。」
そう言い残すとヒナミは広げたばかりの干し肉やササを置いて馬を走らせた。
『スケイデュ』本部から浮島シオンへの最短ルートくらい在籍していた過去を持つヒナミには造作なく想定できる。
そしてワイカのくれた情報の鮮度に疑問はあれども後を追うよう浮島シオンを目指せば会えるはずだ。追い越したなら待っていればいいだけの話なのだから急がない手はなかった。
他方、アヒオと共にいる風読みの動きは気になるもののシオンには空の神殿もある。向こうも馬の脚なのだ、待ち構えていても大きな時間のロスにはならないだろう。
「・・・見つけてみせるぞ。そしてすべての真相をこの手に。」
勢い勇み行くヒナミの背中を見届けると、がさがさっと茂みから目にしみる煙を吐き出して男が現れる。
「ぷはー・・・ごくろーさん。ほら、約束の金と地図と推薦状だ。」
ワイカはそれを震える手で受け取り、うつむいた。
「団長は・・・ヒナミさんは、ヒナミさんの無事は・・・」
ワイカの隣に腰を下ろし、男は残された干し肉をくわえてササをひと口すする。
「それは保証の限りじゃないねー。ただまぁ、これでおたくの嫁さんの病気は治るわけじゃないの。薬も買えておつりがくるだろ。悪いことしたわけじゃーないんだしさ。こちとら情報商売なんだからほんとはやっこさんから金ふんだくったっておかしかないのよ?
へへへ、それに嘘ついて騙したってワケじゃないじゃない。むしろ無料で提供してやったんだからイイことしたってそう思ったらどーよ。
ご丁寧に「閉ざされた真実」に近づくってこたぁそんだけ安全圏から離れるってことなのよ。その覚悟がないんならハナっからやめときゃいーだけの話じゃないのさ。」
胸元から新たな葉筒を取り出し男は火をつける。
「・・・しかし・・・おれは――――」
「往生際がワリぃぞ若僧っ! 慈善でやってんじゃねーんだっ! 金をもらうってことはナリの対価を払うってことなんだぞっ!
・・・甘ったれんなよ、これが商売の基本ってモンなんだ。
へへ、しっかしヒトってのぁ疑える生きモンなんだがねー、ちぃとでも信じられるモンが出てくりゃコロっと信じちまう。
なー、使えるモン使って何が悪い? あん? 良心の呵責とやらがあったにせよおたくはおれっちの提案に乗った。金と医法師の情報が欲しかったからだ。利用したんだよ、おたくはおれっちを。
な? 誰も何も悪かないのさ。ミガシの話の出所を聞きそびれるまで取り乱すとは思わなかったがね、よくやったぜおたく。
へへへ。ま、そーゆーこった。この話を口外するかどうかは任せっけどナリの覚悟はしておきなよ? へへ、じゃーな。」
よっこらせ、と立ち上がる男にたまらずワイカが問いかける。
「ウセミンさん、あんた、こんな危険なことしてて平気なのか。」
んー?と振り返るウセミンは片手を上げただけでそれに答える。
なんだ?と思って見渡すと、そこここの茂みではウセミンの歩調に合わせて前進する黒い影があった。
はっ、と思い後ろを振り見ればそこにも殺気のような目があることに気付く。
「団長・・・すみません。」
そう漏らすと、ワイカはひとり道を引き返した。
当分は離れることのない自分以外の影を引き連れて。
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