⑫ 『ファウナ革命戦線』と神徒シクボ





 ふおぉぉん、ぴと。

 まるで感情があるように蟲は男の肩に止まり、文字通り羽を休めた。翅、だが。


「お疲れ様ですが、もうひと仕事おねがいしますね。」


 そう言うとリマキカ族の男は喉を高速で震わせ、音のない音を調節し蟲の反応を伺った。



 ~~  イクヒャクモノ フロラガ シオンヲ オトス

    キコウノ サイリョウニ キタイスル  ~~



 運んできたその言葉の重みなど知る由もない蟲はそう音声を再生させると、メスの声だと思っていたシクボの返答を待つ。


 シクボはその蟲をやさしく手で包み、いたわるように篭の中へと移して嘆息をついた。


「いつかは・・・とは思っていましたが。」


 呆れるように諦めるように中空をひとつ睨むと、メトマたちの元へシクボは小走りで向かう。その心に動揺と同じくらい色を放つ昂揚を感じながら。


 その日も教会のある森の周辺は曇天模様だった。空が晴れ渡っていたからといって心までそうなるわけではなかったものの、曇っている日にあってはいよいよ望めそうもない。

 そんな鬱屈した気分というのは歳や人種など垣根なく伝播し連鎖するものなのかもしれない。 


「ぬおいっ、かいぎしつはまだかインケンやろうっ!」


 いそいそと会議室を目指していたシクボがその無遠慮な声に目を上げると、そこには怒鳴られているハクの姿があった。

 旧体制時から要職に就いていたハクだったが、メトマを総監に据えてからはずいぶん追いやられつつあるという噂が立つのは傍で観ていても頷ける。


 ただ、それでも頭が切れるのか勘が鋭いのか何か使い勝手がよいのか、今もなおそのダンパ族の男に公然と反意を表す者は少なかった。

 シクボ自身はシクロロンあっての『ファウナ革命戦線』だと公言して協力しているのでメトマにもハクにも偏るつもりはない。だが残念なことにその旗頭が組織から姿をくらましたために自発的とは言いかねる対応に追われる毎日になっていた。


 元・三神徒のモクやスナロアとは異なる改浄主義寄りのシクボから見れば、異常発達した身寄りのないシクロロンは鼻をつまんで目を背けたい存在だったはず。

 しかし行動を共にするにつれ、彼女の純心にはあたたかな感情を覚えてしまい今では目が離せなくなっていた。

 それは何か大きな、たとえば愛と呼ばれる不可思議で無辺際の力を持つぬくもりの一片にふれたようで、ふれられたようで、大切に思えてしまう。


 神徒となるべく厳しい戒律を受け入れた道中では、彼女のような「甘さ」を持った者に会うことはなかったが、彼女のような「甘み」を持った者もいなかった。


「おや神徒殿、急ぎ足とは珍しいですねぇ。」


 最終的にパシェによじ登られて引っ掴まれた憐れなハクが冷笑を浮かべる。

 一部のファウナ系にはシム人すらも避ける者があるが、ハクはその典型かもしれない。


「ええ、少し気になることが・・。メトマ総監は中におられますか?」


 共闘体勢にあるとはいえみだりに蟲の情報は知られたくないところだ。信頼関係を考慮してもせいぜいメトマ一人くらいにしか伝えたくはなかった。


「そう思いますがねぇ。まぁもうすぐ昼ですから休憩に入るんじゃないんですか? 朝からずっとこんな調子ですから。」


 こんな、とアゴでしゃくった壁の向こうからは時おり怒声も響いてくる。

 聖都近郊での小規模な抗議活動が『ファウナ』に波紋を広げていたようだ。


 鬱憤の溜まった『ファウナ』が次々に暴動を繰り広げようとしている、との情報が運ばれてきたらしい。「セキソウの悲劇」以降まるで動こうとしない『ファウナ』上層部に不満を抱く者たちが、対象を統府とも『フロラ』とも定めないまま怒りや不安を日ごとに膨らませた結果だった。しかしただの暴徒と化しては『ファウナ』としても対応していかなければならない。


 機を見ていずれは統府、あるいは『フロラ』とも決着をつけねばならないその前段階でこう無茶をされては進むものも進まないのだ。

 そんなわけで『ファウナ』内部の沈静化を優先するか、爆発因子を抱えたまま各対立組織に一歩踏み出すかで場内は紛糾している。

 ハクにはカリスマと力で支配していた旧体制とは異なる、この民基主義というまどろっこしい概念に毒された現体制のやり方が気に入らなかったようだ。まあ、だからこそメトマともよくぶつかるのだが。


「これはまたいつもより大荒れのご様子で。ふぅ、また改めて出直した方がよいかもしれませんね。」


 そうシクボがため息を漏らすと、がちゃん、と紅潮の引かない各班や部の長たちが会議室から出てくる。


「ぬぅ、まったく。これでは埒があかん・・・

 おぉ、シクボ殿。ん? ハク護衛班長、シクロロン様が囚われの今その娘はただの人質ではないのだぞ。それを連れ出すとは何事か。」


 上気気味のメトマは顔を引っ張り回されているハクに詰め寄る。

 正直、もう子守りはイヤだなぁと思っていたハクはこのままお役御免となればいいなぁとぬけぬけと考えている。だので髪の毛をくしゃくしゃにされても目隠しされても鼻の穴に指を突っ込まれても耐えていた。


 こういうことに耐えてゆくことに、もう耐え切れなかったから。


「いえね、メトマ総監。この人質娘がどこかへ連れてけとうるさいのですよ。本人も逃げないと言っていますし、逃げたところでかの盗賊たちと落ち合うことも叶わないでしょう。

 またこのような幼児ですからねぇ、人質としてここに留まることがこの人質娘にとっての最良の選択肢でしょうよ。それはこのクソ人質娘もわかっているようなのですがなにぶん、そ、ちょ、目は痛いだろっ!


 ・・・ま、この通りおてんばというかクソ生意気というか、多少は静かにさせるため自由を与えてもいいかなと思いまして。ボクもそろそろ会議に参加しておかなければ本格的に出遅れてしまいますからねぇ。護衛班とはいえ重要な任務には違いませんし・・・。」


 ところどころ本気で怒っているハクが本音を交えながらメトマに訴える。

 そんな彼がぎゃふん、と言った時には既にパシェの両人差し指が肛門を直撃していたが、シクボもメトマも見て見ぬフリをした。変になつかれてはハクの二の舞だからだ。


「ふん。子どもひとり手に負えないで何が護衛かっ。まったく、気楽なものだな。こちらは歩調が合わずに戦々兢々としているというのに。

 ・・・おお、すみませんでしたな、みっともないところをお見せしてしまって。

 して、わたしに用でしょうかなシクボ殿。」


 何がショックかといえば引き続きパシェの面倒を暗に言い渡されたことだ。

 シクロロンのいない今、いや、いても変わらないことだがメトマこそがこの組織の絶対権力であるためにハクといえどもないがしろにはできなかった。


「あー・・・えーと、じゃあこのクソ娘を散歩に連れていっても――――」

「かまわんっ! その程度の所用でいちいちわたしを訪ねられては困るっ!」


 このやろう、と目を剥くメトマに、なんでえっ、と下唇を突き出すパシェ。

 それにシンパシーをばしばしと感じるハク。

 こうしてパシェ・ハク同盟が結ばれたとか。


「して・・・ええと、何用でしたかな、シクボ殿。」


 このヒトは本当にハクが嫌いなんだなー、とシクボはつくづく思う。


「ええ・・・歩きながらで構いませんか。さすがにここでは。」


 手を貸す協定を締結した間柄でも、シクボから積極的にメトマに何かを伝えることはあまりなかった。せいぜい頼まれた用事を済ませた報告程度だ。


「あ、ええ。もちろん。」


 だからこそシクボが場所を変えてまで自分に何かを伝えようとしている事の重みを察したメトマはその言葉に付き従う。


「メトマ総監・・・シクロロンのいないこんな時期に・・・ふう。あなたならどう判断されるでしょうか?

 幸か不幸か、『フロラ』が浮島シオンの侵攻へ踏み切ったようなのです。」


 もともと目の大きいメトマが返答の代わりに見開いて立ち止まる。


「なん・・・と。」


 その一言が導く錯綜に体じゅうが硬直してしまったかのようだ。


「仔細については私も把握できていません。しかし今から援軍となる兵站衆を向かわせるならば限りある馬を用いなければならないでしょう。それも間に合うかの保障もない中。

 さらに言えば『フロラ』の数はゆうに五百を超えるものと思われます。あなたがたのハイミン警護部の数は百に届くかどうか・・・


 即時降伏を申し出てハイミンを明け渡さなければその数の命が傷つくことでしょう。またこちらの援軍が間にあって戦となれば両陣営ともに相当数のヒトが傷ついていきます。


 ・・・メトマ総監。あなたは今、英断を迫られているのです。」


 援軍、といっても準備を整え即刻向かわせられる人数など知れている。さらに貴重な馬はそれ以上に少ないため装備をはじめ兵糧・薬品・武器その他の物資を運ぶ兵站衆そのものを縮小しなければならない。


 率直に言って、分が悪すぎた。


「・・・そのような情報を、なぜあなたが・・・」


 信じたくない気持ちがそんな言葉を紡がせる。

 実は嘘でした、などといった冗談に届かぬ願いを託しながら。


「メトマ総監、私たちはあなたがたと手を組む約束はしましたがすべてを預けると誓ったわけではありません。

 私とて信者を束ねることのできる神徒です。いたずらに私たちの裸体をさらすわけにはいきません。ご理解ください。」


 形式としては「ロウツ教皇と同じ改浄主義に身を置く神徒」として選ばれたシクボも、やはりロウツの理想とは温度差がある。


 そんなロウツの改浄主義ともスナロアやモクたちの原理主義とも距離をとるシクボはどの組織と手を組もうとも戦には反対だった。

 主義に染まらぬ「異端児」という点では三神徒のモクやスナロアに似ているかもしれない。


「メトマ総監。・・・ふぅ。私が何を言いたいのかはご理解いただけますね?」


 それは『ファウナ革命戦線』にとってお飾り程度である神木・ハイミンを崇拝する『フロラ木の契約団』に無条件で譲渡しろと示唆したものであり、また逆に中規模の戦が見込まれる選択をメトマが決断するのであれば現在の同盟を解消する、ということを意味していた。


「・・・なるほど。いま常駐する兵の、そしてシオンへ送る援軍たちの血が流れればあなたがたとは袂を分かたなければない、と?

 しかし戦地へ駆らせればいま抱えている不満分子たちをまとめ上げ、的確に『フロラ』へのみ暴発しつつある力を誘導できる。


 ふふ、まったく、幸運なのか不運なのか判別できぬところだな。

 弱ったものだ、ここにシクロロン様がいればその他の懸案も払拭できたやもしれぬのに・・・」


 確かに今ここでメトマがシオンへと采配を揮えば『ファウナ』の乱れを整えられるかもしれない。だがそれでは旧体制からの幹部たちより半ば「クーデターだ」と謗られ離反された際には言い訳が立たなくなってしまう。


 今日まで体制を実質的にメトマが支配できたのは、前総長を継ぐシクロロンがその地位に就いていたからだった。


 シクロロンの頭越しに戦へ向かわせれば力の余った下っ端たちは落ち着くだろう。しかし今度は幹部の間で疑心暗鬼が剥き出しになってしまう。

 統制する者の足並みが乱れれば、そしてイモーハ教の神徒シクボを失えば、もう『ファウナ』が暴状集団に成り下がるのは明白だった。


 だからこそ使いにくい駒だったシクロロンを掲げていたのだ。・・・だがそれを失った今、メトマはその価値の重さに歯噛みするだけだ。


「メトマ総監。決断は時を待ちませんよ。・・・あなたはシクロロンを侮りすぎたのです。

「何もできない小娘」、そうこぼしていたのはあなたですね。


「小娘」であるシクロロンがもしここにいれば話し合いのために兵を赴かせる「拙い」提案をするでしょう。そして結果がどうであれ血を流さぬための努力であるなら私は馬も信者も預けたでしょう。


 メトマ総監、あなたにそのような案が浮かびましたか? 

「平和のための犠牲を嫌うなどとは甘えた冗談だ」と鼻で笑うようなあなたでは、血を好む者たちを連ねることはできても血を見ぬために血を流せる者たちを募ることはできませんよ。平和は誰しもが望むことですが、その足取りとなる正義の道は異なります。


 ここは岐路。

 あなたの独善の正義を貫くか、私たちと共に歩むか、その分岐点なのです。」


 ぎりぎりと奥歯を鳴らすメトマはただ忸怩たる思いで一杯だった。

 シクロロンの不在は不運に違いないがいずれは同じような選択を迫られる時が来たはずだ。シクロロンを操ることができ、組織を操ることができ、ヒトを集めて一大勢力と呼ばれるまで育てることができたのがすべて自分の成果だと自負していたことが、疑わなかった慢心が「独善」の一言で切り捨てられたのだ。


 そしてまるでそれを証明するかのような無様な迷いがメトマの信念を辱める。

 下の者が暴れなければできた。

 シクロロンがいればできた。

 それらすべてが自分を慰めるだけの言い逃れに過ぎないことを、もう誰が否定しようとも己が突きつけてくる。


「メトマ総監!」


 譲歩はできなかったが提案はした。

 シクボにできることはもはや、その決断を聞き届けることだけだ。


 だから。


「・・・兵は、」


 それでも、


「・・・向かわせる。」


 折れるわけにはいかなかった。


「大白樹ハイミンを護り、そして勝ち抜くっ!」


 失望の溜め息がそこで聞こえても、固く目を閉ざしてメトマは振り切る。


「屈するわけには・・・いかぬのだっ!」


 振り切る。


「・・・・・・そうですか。・・・残念です。」


 なけなしのプライドだけで立ち尽くすその男に、神徒は哀しみの目をひとつやって立ち去った。


「屈する、わけには――――」


 雨にも晴れにもなれぬ曇天の空は、憂う気持ちだけをただ助長していた。

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