⑨ メタローグと語り部





「たべちゃうぞっ!」


 淑女の嗜みと教わったので一度は勧めてみるがその内実は食べられてしまったらどうしようと不安にさいなまれながらだったのでほんの少しでも躊躇が伺えれば食べるつもりだったパシェが皿に盛られた果実の甘煮菓子をほお張る。


「あーもうそう言いながら食べ終えてるじゃないか。・・・しかしなんでボクが。はぁ。


 いいかい、よく聞くんだ人質少女。ボクは護衛班の長を任されている身だから他に出席しなければならない会議が山ほどあるんだ。まったく、勇者殿のお守りだって難儀だったっていうのにこんな幼児の子守りまで押し付けてくるなんて。ほとほと総監には嫌われてるんだねぇ。


 はぁ。・・・キミはこんなに目の前で皮肉と愚痴をこぼさなければならないほど困っているヒトを見て何も感じないのかい?」


 やや過保護ぎみにパシェを幽閉しているため当人は快適な軟禁生活を満喫していた。強いて言えばニポがいないことが胸をちくりとさせたものの、本当に胸をちくりとする程度にしか思ってはいなかった。


「なんだそりゃっ! むずかしいこといってアタイをたぶらかそうったってそうはいかないぞっ! 

 それにしてもヒマだなあ。うん。どっかにつれてけ、インキやろうっ! かいぎしつがいいぞっ、インシツやろうっ!」


 妙な部分でボキャブラリーが豊富なパシェ。

 しかし放った言葉は目元が暗い上しゃべり方も陰鬱なトーンのハクだから的を射ていた。的、とは幼少期のハクに残された傷跡のことだ。ハクは昔っから陰気だと言われ続けてきたのだ。


「はは・・・そうできればそうしてるんだけどねぇ。おや、・・・まったく。食べこぼしなんてどれくらいぶりに見ただろう。ほら、人質少女、上を脱ぐんだ。あと室内なんだから腕巻きも外したらいいだろう。それにそろそろ洗濯しないと臭うぞ。」


 脱げ、と言われても脱ぎたくなかったが、臭う、と言われればさすがに脱ぎたくなる。多少は女の子らしいパーツを持ち合わせているパシェだった。


「そうかー。んでもどうすんだっ! きがえなんかないぞっ! すっぱだかだけはダメだってオカシラにいわれてるんだっ!」


 オカシラことニポにたしなめられるほどあまり服を着なかった時期があったらしいパシェ。しかしそれに従い露出を控えた服に身を包む少女に、あまり服を着てるとはいえない恰好のニポがどのツラを下げてそう言い放ったのかは謎だった。解明しなくてもいい類の、謎だった。


「・・・まったく。そこに置いておいた勇者殿の上着でも羽織っていればいいだろうに。ちょっと待ってるんだ、幼い頃の服をいま持ってくるから。・・・まったく。」


 ほとんど悪人のハクながら妙なところで世話見がいいため善人と勘違いしがちになる。

 手段のためならいくらでもヒトを欺けるが、すき好んでヒトを傷つけるということはしないらしい。そして特にやることがなければ世話係になることも嫌ではないようだ。


 かたん、かたん。


 そこでふと、風が鳴る。


「・・・ん? だれか、なにかいった?」


 戸を閉めようとしたハクが呼び止められたのかと思って振り向くと、椅子に腰掛けているパシェは窓際へよちよち歩きながら中空を眺めている。


「なんだ? 面倒は起こさぬよう頼むぞ、人質少女。」


 外から聞こえた声か何かの空耳なのだろう。

 それよりも今のところ予兆も見られなかった脱走の方が気掛かりなハクは、ひとつ肩をすくめただけで替えの服を取りに生活係の部屋へと急いだ。


「・・・。オカシラ・・・はやくかえってきてよ。」


 迫りくる黒雲から逃れるよう吹き抜ける風にそう呟いて、パシェは明かり取りに覆いを被せた。





 この時季ともなれば夕間暮れにはすっかり冷え込んでしまう。

 ぐるりを水に囲われていると開陽や白陽の季節には清涼感も楽しめるが、これからはだんだんと厳しさに思えてくるだろう。

 そんな季節の巡りを感じる宵の手前、ぐごごご、とわずかに地面が揺れた。


「おおおう、地震か? おーいっ! 水際の配置にある者は気をつけろーっ!」


 そんな声が小さな大陸・アゲパン中央にまあるく湛えられたギコム湖に小さく響く。


 大きな湖にちょこんと浮かんでいる島で生活している者はほとんどないものの、空の神殿や大白樹ハイミンを拝観するため来訪する者はままあった。


 神殿の関係者がそれらに頓着することはなかったがハイミンの実効支配を謳っている以上、『ファウナ革命戦線』はそういった民間の者たちの安全管理も手懸けねばならない。そうして島への立ち入り緩和や事故防止等の安全確保に手間を割くことで悪いイメージを排していたのだ。

『ファウナ』としても民衆の離反を招いてまで守らなければならない拠点ではないからだろう。


「部頭―っ、どうやら被害はない模様でーすっ。」


 この『ファウナ』の中で一番小さな「ハイミン守護部」はハクの取り仕切る護衛班の指揮下にある部署となるのだが、人数の少なさと上役である護衛班との物理的な距離のため比較的ラフな関係性を保っている。


「よーし。ま、このくらいの揺れなら神殿にも被害はないだろう。何かあれば向こうから連絡をよこしてくるだろうしな。

 ・・・ふふ、しかしさすが大白樹ハイミンだな。この揺れで葉の一枚も落としゃしない。まったく、立派なモンだな。いつ見上げても。」


 ここから入るな、といった野暮な柵もいらないほどそれは神々しく輝く大樹だった。


 どんなに狂信的な者でも、どんなに反意を抱く者でもその樹皮に手の届くところまで勇み出るなど平時においてまずないほどに。


 それは樹木という種では到底ありえないほど純白に輝く幹や葉が、ただただ小さなヒトという存在を圧倒してしまうからだろう。施しを乞う者ならばその落葉の一枚で光明を見出すとまで言われるその存在感が、だからこそヒトビトに安らぎをもたらすのだ。


「ですね。私もここへ来て二円になりますけど見飽きるということがありません。」


 部頭に合わせるでもなく男はそう感想を述べた。

 心の底からの言葉だからだろう、部頭もうんうん、としみじみ頷き息を飲んでまた見上げる。


「郷里に残してきた家族にも見せてあげた――――」


 そこで


 ご、ごごご・・・


 と大地が鳴る。


「お、また地震か?

 ・・・いや・・・ちが・・・これは――――」


 ぐらりと揺れた島のざわめきから導かれるように部頭の目は大白樹ハイミンへといざなわれ、そして、幻と呼んで片付けたい現実に打ち付けられる。


「部頭・・・?・・・何か、聞こえ――――」


 すると間もなくきーん、と劈くような耳鳴りが響いた後、頭の中に湧き上がるような音が目覚めたことに気づく。



 ++げで・・・ざめた・・・++



「なん・・・なんだ、これはっ?」


 声のような、音を文字として認識しているような不思議な感覚。


「部頭もですかっ?・・・こ・・・夢じゃ・・・ないのか。」


 まるで男のような声でありながら、どこか水しぶきのような音にも思える。


「まさ・・・か。」


 それは声から顔かたちが浮かんでしまうことを拒絶するような、捉えどころのない、しかし落ち着くものだった。



 ++かった。・たしは・・たみうぃ・・++



 しかし次に聞こえたのははっきりと女性であることの伺える声。


 ただ、外から入ってくるというより内側から染み出してくるような音源に変わりはなかった。


 そしてその声に慣れた耳はすべての責任から解き放たれて、恍惚と生まれ出る対話のまにまに身を委ねてしまう。



 ++おはよう、おとのたみうぃよか。はじめまして、だろうか++



 言葉が生まれてからゆっくりと音が耳で響くような、それは生まれて初めて知る感覚だった。



 ++はじめまして、めたろーぐはいみん。あなたのめざめに、あなたのおとがかいほうされました。いにしえのとがあき、いまのこるさいうんのかたりべがとざされたためでしょう++

 


 体験したことのない者には不気味にさえ思える感覚。しかしそれはまるで世界に羽を伸ばしたような、風に乗り歴史を見つめているような爽快感と高揚感を与える。



 ++とわないよ、おとのたみうぃよか。ときがくるのかな、また++

 


 音が言葉となり文字として頭に理解されてなお、その認識だけは後回しにしたいのかもしれない。うっとりと聞き惚れる『ファウナ』の者たちは身じろぎもせずこの対話の永遠を期せずして願ってしまう。



 ++わかりません、めたろーぐはいみん。しかしたみにおとはとどいたはず。とはあけられました。ときがきたならばまた、そのおちえをはいしゃくねがうでしょう++



 だんだんと意識がはっきりとしていく。

 そうなるにつれ、意識が遠のいていたのだと初めてわかる。



 ++おしゃべり、たのしかったよ。またおしゃべりしよう、うぃよか++



 そして、音は、声は、消え去っていった。


 夢から目が覚めたような感覚だ。


「・・・部頭。今の、・・やっぱり聞こえていましたか。

 はふぁっ! 今の会話、めたろーぐはいみん、って言ってませんでしたか?

 ・・・じゃあ今の、この大白樹ハイミンが・・・しゃべってた、ってこと・・・ですか?」


 もう冒頭から「はいみん、はいみん」言っていたのだが「ハイミン」というメタローグがあって話をしてもおかしくないような存在で――と理解していてもそれを自我が認識して「わかる」という段階まで至らないとこうなるらしい。


「そう・・・なんだろうな・・・

 うはっ! 至急、本部に蟲と紙鳥を放てっ! これはマヤカシなどではない、大白樹ハイミンの確かな覚醒だっ!」


 期待もされていない分だけ呑気でいられた最小の守護部はそうして大わらわになりながら任務に戻っていった。


 渦の中にある者がそれに気づいた時、手遅れでないことなどありはしないのに。

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