夢女子で何が悪い! 第3話

 小走りでアパートの階段を駆け上がる。焦る心を宥めながら、鍵を手に取って、止まる。


 急に、このドアを開けるのが怖くなった。

 中にかなたがいなかったら? あれが夢だったら? 握った手の温かさを、声の低さを、あの一瞬で覚えてしまった。あれが消えてしまったらと思うと、怖い。家を出なければよかったという後悔すら芽生える。見栄を張って料理をしようなど思わなければよかった。


 震えている手で、ドアを開ける。リビングまで続く廊下は暗く、その先のドアは閉められている。しかし、電気はついていた。


 そこに、人影が映る。

 ゆっくりとドアが開いて、シーリングライトの明かりが凛を照らす。


「あ、お、お帰りなさい。荷物、……」


 かなたの声が、凛の耳に、脳に、染み込む。


「ゆ」

「ゆ?」

「夢じゃなかった〜!」


 凛はダバッと涙をこぼしながら、手に持っていたものを離した。


「うわっ買ったもん落とすなよ! 卵入ってんじゃねえのそれ⁉︎」

「あ、卵のこと忘れてた」

「忘れんなよ……」


 かなたは大きくため息をつくと、凛が落としたエコバッグを拾い上げる。中を確認してほっと息をついているから、卵は無事だったのだろう。持ち手の長いエコバッグだったので、落下の衝撃が少なかったのかもしれない。

 エコバッグを持ったかなたが、まっすぐ凛を見る。


「冷蔵庫しまえばいいな? 今日使うものは?」

「えっと、カレー作ろうと思ってて……」


 その言葉に、パッとかなたの顔が明るくなった。

 その様子に、カレーが好物で間違いなかったという安心と、やっぱり推し可愛いなという興奮が同時に芽生えて、若干混乱した。


「なあ」

「はい?」

「……カレーに、目玉焼き乗っけてもいい……?」


 身長はかなたの方が高いはずなのに、上目遣いに見つめられる。凛はその時、安心感より興奮が勝った。


「もちろんですよ〜! 目玉焼き乗っけましょう! どうせなら二枚乗っけちゃいますか⁉︎」

「そんなにいらない」


 かなたはぷいとそっぽを向いて、キッチンへと向かっていく。凛はニマニマしながらその後に続いた。目玉焼きを乗せたカレーが好きなのか。キャラクターブックにはそこまで書いていなかった、新しい発見だと嬉しくなる。


 夢じゃなかった。今目の前には、かなたの背中がある。漫画やアニメでは描かれないかなたを知ることができる。オタクにとって、こんなに神のような展開はあるだろうか。

 いつまで続くかわからないが、今はこの生活を満喫しようと心に決めた。


 きっと、これは神様がくれた淡い泡沫でしかないとは、頭の片隅でなんとなく理解していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る