夢女子で何が悪い! 第2話

 突然手を掴んだ凛に、かなたは目をぱちくりさせる。その直後、顔が沸騰しているんじゃないかというほど真っ赤になった。


「えっ大丈夫⁉︎」

「大丈夫! 大丈夫、だから、手を離してくれ……」


 そうして凛は、自分が推しの手を掴んでいることに気づく。


「……」

「あ、あの」

「本当にごめんなさい」


 流れるように膝をつき、手のひらを床につき、最後に額を床に叩きつけた。


「推しに! 許可なく触れるなど! 言語道断! でも手は洗いたくないですそれは許してください」

「手は洗えよ」

「はう、かなたんに怒られた……可愛い……」


 一人でに心臓を撃ち抜かれると、かなたは心底引いた表情をする。それに気づいた凛は、深呼吸をして、ひとつ咳払いをした。


「えっと、そうですね……さっき言ったことは本気です」

「手を洗わないくだり……?」

「違う! かなたんが帰れるまで一緒にいるって! ちゃんと生活の面倒も見るし……あ、まって、わたしじゃ嫌とかそういうことですか……?」


 途端に自信をなくす凛に、かなたがぶんぶん首を振る。


「そ、そんなことない! お姉さんが面倒見てくれるなら、安心できる、けど」

「はう、可愛い」

「……でもおれの言動にいちいち心臓を抑えられるのは、ちょっと……」

「それは改善できないので諦めてください」

「即答することかよ」


 半眼になるかなたに、また心臓を撃ち抜かれる凛。オタクは推しのどんな表情にも弱いのだ。かなたは呆れたようにため息をついた。


「じゃあ、帰れるまでお世話になります……」

「はい! あ、じゃあ寝るとこと、服と……あと何が必要かな? なんでも言ってください!」

「いや、おれは置いてもらうだけだから……」


 大丈夫、と言おうとした声を遮るように、盛大な腹の虫が鳴いた。


「……」

「……」

「……じゃあご飯にしましょうか!」


 かなたの顔は真っ赤だった。せっかく、カッコつけて「置いてもらうだけだから、迷惑はかけない」みたいなことを言おうとしたのに。部活直後の胃は、カロリーを切望していた。


「あっでもわたしだけだと思ってたからまともなものがない……ちょっと出かけてくる!」

「今から⁉︎ もう遅いし、なんでもいいよ」

「え? わたし今日の夕ご飯白飯にしようとしてたんだけど……」

「……おかずは?」

「ないです」

「どうやって白飯食べようとしてんだよ!」

「あはは、胃にはいればいいかな〜って。そういうことだから、ちょっと出掛けてきます! 家の中は自由にしてていいので!」


 それだけ言うと、凛は家を飛び出した。

 スーパーへの道を、スキップで進む。家に帰るまでもルンルンだったが、今は違う意味で楽しい。推しが家にいる。推しのお世話をできる! こんなことがあっていいのだろうか。もしやわたしは、前世でとんでもない善行を積んだのでは、と思うほど。

 かなたの好物を思い出す。確か、キャラクターブックにはカレーが好きだと書いてあったはず。子どもっぽくてとても良いと沸いた覚えがあるので、絶対そう。


 凛は普段滅多に料理をしない。仕事から帰ってきて、そんな元気はないのだ。しかし今、凛の家には『推し』という最強のカードがある。推しのためなら仕事の疲れもなんのその。


「フレンチのコースでも作れそうな勢いだな〜っ。作ったことないけど」


 スーパーでカレーの材料と、明日の分の食材も探す。残念ながら、凛は明日も出勤だ。今からではもう有給は使えない。明朝、仮病を使うという手もあるが、明日は来客の予定がある。凛が不在になるわけにはいかない。


 ふと、凛はスーパーの中で足を止める。


「……本当にかなたんって、家にいるのかな」


 突然の不安。あれはもしかして、疲れた自分が見た幻覚ではないだろうか。目の前に本人がいない状況では、彼を示すものは何もない。

 結局凛は、かなたは自分の見た夢ではないと言う確証が持てないまま、明日の食材も買わずに足早にスーパーを後にした。

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