異世界作家生活 3話

 少年が連れてきてくれたのは、街にあるパン屋だった。


「ここ、うちです!」


 パンのいい香りがする。少年に誘われて、わたしは中に入った。

 中には店員と思わしき女性が一人と、ショーケースの前でパンを選んでいる老人が一人。


「あら、おかえりカイ。そちらはお客さん?」

「いや、多分転生者」

「まあ珍しい」


 だからどうしてそうとんとん拍子に進む?


「とりあえずうちに連れてきたけどどうする? 転生者ってことは住む場所もないだろ。お姉さん、何かできることありますか?」

「えっ」


 急に質問をされて慌ててしまった。

 できることと言われて思い出されるのは、小説を書くこと。

 ずっと、それしかできなかった。それしか、してこなかった。


「……え、と」

「? お姉さん? 顔色悪いですよ……?」


 小説を書くことしかできなかったのに、それで生きていけなかった。それを突きつけられた時の絶望が、蘇る。


 どの本でも言われていた。「小説家として生きていくのは難しいことだ」って。でも、心のどこかで思っていた。「わたしなら、きっと大丈夫」。だって、ずっと書いてきた。努力は裏切らないと言う、根拠のない自信。


 それは、すぐに崩れ去ることになる。


 新人賞を受賞した。授賞式で壇上に上がり、新聞にも取り上げられた。友達や家族、知人からもお祝いをされた。根拠のない自信が、膨れ上がっていくのを、調子に乗りながら眺めていた。

 しかし、その慢心はすぐに崩れ去った。


 受賞作品は鳴かず飛ばず。重版も掛からなければ、本屋に平置きにすらされない。誰にも見えないような本棚の端っこに小さく蹲る自作を見て、息が詰まるような感覚を覚えた。二作目の依頼がかかるはずもなく、作家としての生命線は限りなく細くなった。


 小説を書くのが好きだった。好きだからずっと書いていた。それで生きていきたいと思っていた。


 小説を書いて生きていきたいと思っていたから、他のことはしてこなかった。創作に関わらない勉強はてんでダメ。運動もからっきし。


 できること、なんて、何も浮かばない。


「……じゃあ、君の好きなことはあるかな?」


 そう声をかけてきたのは、ショーケースの前でパンを選んでいた老人だった。


「できることは思い浮かばなくても、好きなことなら思い浮かぶだろう? できなくてもいい、君の好きなことはあるかい?」


 優しい言葉と眼差しに、ポロリと涙が落ちた。


「……小説を、書くのが好きです。でも、できるかって言われたら、……わかりません」

「ふむ。なら本も好きかい?」

「はい」


 老人は長く伸びた顎鬚を撫でる。


「……転生者さんや」

「は、はい」

「うちに住んでくれないか」

「……うち、?」

「わしはこの隣で古本屋を営んでいるんだがね、別居した女房の体調がよくなくてなあ。面倒を見にいきたいのだが、店を空けるわけにいかない。だから、わしの代わりに店をやってくれないか?」


 ぱちくりと瞬きをする。先ほどまで瞳を覆っていた涙は、驚きで引っ込んだ。


「うちでなら、いい小説が書けると思うんだよ。参考になる本もいっぱいあるし、面白いお客も来るしな」


 老人は楽しそうに微笑んでいる。


「な、なんでそこまでしてくれるんですか? こんな、素性も知れない女に……」

「お嬢さんが、泣くほど小説が好きだからだよ。本が好きな奴に悪い奴はいない」


 キッパリと言い切る老人。

 わたしは涙を拭いながら、何度も頷いた。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る