白亜紀タイムカプセル
日野球磨
T
ティラノサウルスの秘密を解き明かす最新の研究結果が導き出したその姿を見て、心の底からがっかりした人はさぞや多いことだろう。もちろん私もその一人だ。
最大全長13メートル。総重量9トン。確認されている獣脚類の中でも最大級のその体躯は、まさしく子供のころに抱いた古代への憧憬そのものだった。
恐竜図鑑を開いた時にぐわりと大口を開けて現れるティラノサウルスの異様。爬虫類独特の感情を感じさせない無機質な瞳は、絵の中だけでその恐怖を終わらせることなくこちらを貫いてきて、思わず身震いをしてしまう。肉食獣らしく剝き出しとなったセレーションに満ちた鋸歯が、もしも現実で私の身に襲い掛かってきたらと考えると夜も眠れないほど興奮したものだ。
それがどうだ。巨大爬虫類として君臨した筋骨隆々のフォルムは予想だにしないファンシーな羽毛に覆われ、あろうことか下品極まりないカラフルな着彩によって歓楽街の露店に並べられているぬいぐるみと変わりようのない有様ではないか。
画竜点睛を欠くということわざを聞いたことはあるが、まさか点睛以外を欠いたものがこの世にあるとは思いもよらなかった。
しかも、私が心の底から憧れた鋸歯は、醜く膨れた唇によって覆い隠され、在りし日に憧れた雄々しさのすべてをはく奪されてしまっているではないか。
もちろん、私は羽毛が生えたティラノサウルスという研究結果に異論を唱える学会の研究者というわけではないけれど。それでも、かつて確かに私の中にあったティラノサウルスの憧れが、こうも無残に裏切られたとなれば文句を言わずにはいられない。
いや、こういった地球史を追求する研究において求められるのは、いつだって子供心をくすぐるようなかっこよさではなく、学問的な整合性に富んだ学説であることは私だって理解している。
だからこそ私は悲しいのだ。かつての私が費やした憧れが、かつて存在したと信じ切ったはずのものが、本当は在りもしない空想だったのだと突き付けられたことが。
何よりも悲しいだけなのだ。
……。
これは私が帰郷した時の話だ。
盆の時期に、長らく実家へと顔を出していなかったことを思い出した私は、なんてことはない平々凡々な郷愁を覚えた。
緑に溢れた中部地方の山間部。二つの細々とした河川が合流する盆地に佇む、二階建ての木造建築。田舎らしく広く持て余した庭先には、姉と私と母親と祖母とその兄弟たちの誕生日に埋めた記念樹が幾本か連なっていて、その更に隣には父親と祖父が作ったと聞くブランコが設置してあった。
私の部屋は、それら記念樹とブランコの両方を見下ろすことができる二階にあって、それ以外にも庭を超えて家の外、狭くとも壮観な山中の景色を見渡せた。
春先には桜がまばらに舞い落ちて、夏真っ盛りに新緑に溢れ、秋ごろには山野の一面が紅葉と化し、冬には降りた霜が世界を白く染め上げる。
ありふれた田舎光景。それこそが、まさしく私の故郷なのだ。
今の住処としている都心近くから車を利用し約二時間半。
移動中に過ぎ去っていく街並みは徐々にその姿を消していき、見える家や人々の数に反比例するように木々の数が増えていく。
少しずつ、少しずつ。時間をかけてゆっくりと、世界が過去へと後退していくような気分になる。おかげさまで、近づくたびに故郷の気配が強くなっていき、趣のある帰郷を演出してくれた。
まるでここだけが、過去に取り残されてしまったような、そんな感じがした。
ただ、最後に見た十何年の記憶と比べると、再会した故郷は随分と色あせたていた。
もう何十年と取り換えられていない看板は半分以上が錆びついて内容を見れなくなっているし、それなりにあったはずの商店のほぼすべてが、真昼間だというのに軒先のシャッターを下ろしている。
聞いた話によれば、かつてこの田舎のそこかしこを通っていたはずのバスは、経営不振に陥って潰れてしまったのだとかなんだとか。
時間の流れとはなんとも無慈悲なモノだと、私は思った。
時間の流れ。なんとなく、変わり果ててしまった私の憧れのことを思い出す。結局、未来に進むというのも良いことばかりではないのだなと、そんな風に私は結論を出したのが、ちょうど目的地の実家に着いた頃だった。
家の入り口には昔はなかったはずの花壇が並んでいて、そこには少しだけ背中が曲がってしまった母さんが居た。どうやら、草取りをしていた最中らしい。
そんな母さんへと車の窓を開けて声をかけた。呼ばれたことに気づいた母さんは、私の顔を見て、老けかかってしわくちゃになった顔を柔らかく動かして笑顔を作って出迎えてくれる。
「ああ、お帰りよ」
「ただいま母さん。調子はどう?」
「あんたの姉さんが色々してくれるおかげで好きに出来てるよ」
姉さんは実家住で、特に恋人や結婚をすることなく過ごしている自由人だ。おかげで、私は何も気にすることなく家を出ることができた。
「姉さんは仕事?」
「そうだよ」
「父さんは?」
「町内会でゲートボール大会だよ」
姉さんは仕事で、父さんはゲートボールに行っているらしい。時間を確認してみれば、午後四時だ。あと一時間二時間もすれば、二人も帰ってくることだろう。
ともかく、私は車を停めるために一度そこで母さんと別れて、家の門を潜り抜けた。やはり広い実家の庭は駐車スペースに困らなくていい。適当に駐車した私は、車から降りた足でまっすぐに母さんの所へと移動しようとした。
けれど、母さんは既に家の玄関の方に移動していたので、私もそちらへと向かい、懐かしの実家へと踏み入れる。
玄関に入ってすぐ見える二階への入り口と、並んで隣にある奥へと続く細長い廊下。つんと香る木造建築特有の匂いは、故郷に帰って来たという安堵を私の中に産み落とした。
「お茶飲む?」
「あ、うん。飲む飲む」
母さんがいそいそと台所の方に向かったのを見送りながら、私は徐に二階へと上がった。目的地はかつての自分の部屋。使う人が居なくて既に倉庫と化した一室だけれど、窓から見える景色が私は好きだった。
「うん、ここはあんまり変わらないな」
積み上げられた段ボールの山を掻い潜り、部屋の奥にあるスライド窓までたどり着いた私は、窓の外の景色を見下ろしてそう呟いた。感慨深さが胸の内に溢れてくる。
まるで昔に戻ったような気分だ。
そんなものだから、もっと何か、かつての自分を思い出させてくれるような品はないかと、目についた段ボールの中身を一つ一つ確かめ始めてしまう。
もちろん、散らかさないように細心の注意を払いながら、丁寧に丁寧に一つずつ。してみれば、卒業写真や賞状にサッカーボールにキン肉マンフィギュアや合体ロボと、掘り出し物が次々と見つかった。
見つけるたびに、脳裏に記憶がよみがえる。かつての自分と、子供の時の憧憬が。
「懐かしいなぁ……」
床に並べたそれらを見て、なんとなく私は呟く。そうしていると、母さんがお茶を持ってきてくれた。
「ああ、懐かしいねぇそのおもちゃ」
私が床に並べていた玩具を見た母さんも、私と同じような感想を述べる。そんな折、ふと思い出したかのように母さんは言った。
「そういえば、あれ、どうしたんだっけ?」
「あれ、って、なんだっけ?」
「ほらぁ、あれだよあれ。確か、タイムカプセル……だったっけ? あんたが好きな恐竜の玩具とか入れてさ、地面に埋めてた奴」
ああ、そういえば。そんなものもあったっけ。と、私は思い出した。確かあれは、近所のタカキと計画したものだったはずだ。小学生を卒業するときに、宇宙人が侵攻してくるとかなんだとか言って、お気に入りの玩具を見つからないように隠したんだったか。
あの頃はなんだって心の底から信じ込んでいた時期だ。空から隕石が落ちてくるとなれば大騒ぎしたし、イルカが海から攻めて来たらどうやって日本を守るか朝まで検討した。
そんな冗談と空想とが混ざり合った小学生の議論の中で、自分たちの宝を未来に残すにはどうしたらいいのかという話になった。その時にタカキが言ったのが、地面に埋めるという方法だったはず。
化石だって、何千何億という時を超えて今という時代まで残ったのだ。どんなことがあろうとも、どんな戦争が起きようとも。
それに倣って、私たちも自分たちの宝を埋めた。各々が、懐かしい記憶共に。自分たちだけの秘密の場所に。未来まで残り続ける土の中へと。
しかも、みんなで一緒の場所にじゃなくて、それぞれ違う場所に埋めたはずだ。同じ場所に隠しておいたら、見つかった時に全部取られてしまうから。あれは確か、キャプテンキッドの影響だったかな。
うむうむ、懐かしいものだ。
掘り出す時のことを考えなければ、だけれども。
「いざ掘り返してみるとなると、ここまで大変だとはねぇ……」
別段、私たちが埋めたタイムカプセルは掘り出す期日を決めたものではないけれど。ふと懐かしくなってしまった私は、現在偶然にも見つけたタイムカプセルの場所を記した宝の地図を片手に、山の中を右往左往していた。
近所の裏山。秘密基地があった場所の近く。子供のころの遊び心百パーセントで染められた宝の地図。これもまた、在りし日の郷愁に駆られる代物だろう。
そんな郷愁に従って右往左往すること一時間。地図には『宇宙杉』と書かれた目印の麓に、私が当時埋めた宝物は隠されていた。
時間がかかってしまった理由は、件の『宇宙杉』が切り倒されていたからだ。宇宙まで伸びる杉の木って意味だったんだけどな。その夢半ばで、切り倒されてしまったようだ。
ともあれ、日が沈むまでには見つけることができた。
『宇宙杉』は無くなっていたけれど、近くにあった『隕石岩』がそのまま残っていたおかげだ。
地面掘れば、ほどなくして昔懐かしの空き缶が顔を出した。昭和レトロがにじみ出た、横30センチ縦15センチの秘密の箱だ。
結局、誰かと掘り起こす約束もしないまま、こんな年にまでなってしまったけれど、思い出はいつだって変わらないものだと、空き缶に描かれた土塗れのキャラクターを見てそう思った。
さあさあ、そんな思い出とご対面。
私は缶を開けた。
「……なんだこれ?」
中に入って一番最初に目に入ったのは、気持ちの悪いフィギュアだった。手のひらに収まる程度の大きさで、角や触手が犇めいた、生々しく奇妙な造形を誇るそれが三、四つほど、空き缶の一番上に転がっていた。
見覚えのないフィギュアだ。もしや誰かが勝手に掘り起こして、勝手に入れたのか。とりあえずそれを端に避けて、私は缶の中のものを見た。
懐かしい。
子供の空想を白紙の上に浮かべていたころの自由帳、人気だったヒーローテレビを録画したビデオテープ、よく飛ぶ輪ゴム。
どれも私が大切にしていたものだ。
ただ、いくら空き缶をひっくり返してみてみても、母さんが言っていた恐竜の玩具が見当たらない。
そんなはずはない。私だって、今でもこの空き缶の中に、一番のお気に入りだったティラノサウルスのフィギュアを入れたことを覚えている。
ガチャガチャで手に入れた、恐竜の玩具フィギュア。無くさないようにって、足の裏に油性ペンでイニシャルを書いていた。
書いていた。
嫌な、予感がした。
ふと、私は端に寄せた気持ちの悪いフィギュアを見た。見たこともないような造型のフィギュアだ。夥しい角がでたらめに肉体の随所に生えており、二足歩行と思しき足は、よくよく見てみれば触手の塊であることがわる。胴体には鱗のようなものがびっしりと生えていて、頭には瞳がなく、鋭利な牙だけが生えそろっている。
もしもこれが生物であったとすれば、軽い吐き気を催すような、そんなフィギュア。
それの足を見た。
何かが書いてあった。
『Y.A.』
私の名前のイニシャルだ。
お気に入りの玩具にだけつけていた、お気に入りの印だ。
つまりこのフィギュアは私のもの。私のお気に入りだったもの。
嫌な予感がした。
何かを確かめるように、私は缶の中に入っていた自由帳を開いた。湿気によってがちがちに固まった紙を何とかめくって、私は見つけてしまった。
フィギュアと同じ形をした化け物の絵を。
その傍らに、自信いっぱいに『ティラノサウルス』と書かれた文字列を。
これが?
この、化け物がティラノサウルス?
そんなバカなことがあるはずがない。
そう、思いたい。
「そんなこと、あるわけが……」
恐竜の姿は何度も変えられている。
それは、遥か古代から地中に安置されていた骨だけでは、その姿を予想するのが難しいからだ。マクデブルク・ユニコーンがその最たる例。だから今になっても、遥か昔を追求し、未だなおその姿はより真実に近いものに刷新されている。
本当なのか?
あのシンプルな体躯に、愛嬌すらも感じられるファンシーな着色を施し、威厳も恐ろしさも何もかもを奪い去ってしまったようなデザインが本当に真実の姿なのか?
本当は。
何か恐ろしいものを。
見たことすらも忘れたくなるような恐ろしいものを。
恐ろしくないものにしようと。
忘れようとしているだけなんじゃないのか?
「……」
私は掘り出したすべてを缶の中にしまい、再び缶を地中に戻した。
そして私は、再び昔のことを思い出す。
大事にしていたティラノサウルスのフィギュアの形を。
大切な思い出を。
本当にそれは、変わることのないものだったのか。
何も信じられないままに。
タイムカプセルのことを忘れるように、私は山を下りた。
白亜紀タイムカプセル 日野球磨 @kumamamama
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