第20話

控え室に入った。

 俺は入ってすぐにドアを閉めて、脚立を手に取り、通気口の下に運んだ。

「休憩しなくて大丈夫?」

 身体の中に居るリリアが話しかけてきた。

「大丈夫。時間は一秒でも惜しいし」

「うん。ジェイムがいいならいいよ」

「じゃあ、行こう」

 俺は脚立を上り、通気口の蓋を外した。ボーさんの言っていた通りネジはかなり緩くなっていた。そのおかげでちょっと動かすだけで済んだ。

 通気口の蓋を通気口内に置く。そして、俺は通気口に入り、ボーさんに渡された見取り図を覚え出しながら、ほふく前進で進む。

「ねぇ、ジェイム?」

「どうした?」

「ジェイムって、あんな風に怒るんだね」

「……まぁね。もしかして、怖がらせちゃった」

 戦っている時は感情の身を任せてしまっていた。リリアは俺の怒っている所を初めて見て、怖がっているかもしれない。

「ううん。怖がってはないよ。けど、あんな怒り方するんだなって」

「尊敬してた人だったからね。けど、あの怒りの感情はあそこで終わり。そうしないと、この街ではずっと怒りっぱなしになるから」

「……そっか。その気持ちの切り替え方凄いね」

「慣れだよ、慣れ。こんな事慣れちゃ駄目だけどね。ハハハ」

 無理に笑った。今までにも耐えられない事がたくさんあった。けど、悲しんでいるだけじゃ前には進めない。その都度、感情を押し殺していた。生きる為に。作り笑いでも笑って生きていかないといけない。誰も助けてはくれないから。

「無理して笑ったら駄目だよ」

 リリアの言葉が胸に刺さった。

「そんな事ないよ」

「嘘つき。でも、嫌いじゃないよ」

 嫌いじゃないよって言葉になんだか救われた気がした。リリアだけの優しさだ。

「……ありがとう」

「うん。どういたしまして」

「じゃあ、スピード上げますか」

「1、1倍速で」

「あんまりスピード上がってなくない」

「じゃあ、2倍速で」

「了解」

 俺は前に進むスピードを2倍速にした。

 ――30分程進むと、上の豪邸に続くであろうハシゴ前に着いた。

 俺は起き上がり、頭上を見上げた。豪邸まではかなり距離がある。溜息が出そうだ。控え室で一度休むべきだったかもしれない。二回も戦えば疲労は嫌でも蓄積されている。

 ……駄目だ。弱音を吐いては。弱音を吐く暇があるなら動け。休みは今日が終わったら取れる。だから、ちょっとだけ無理をしろ。

 深呼吸をする。そして、ハシゴを上っていく。


 ハシゴを登り終えて、エレンさんの部屋の近くの部屋の通気口まで進む。

 通気口の蓋の間から誰か居ないかを確認する。

 ……誰もいない。今がチャンスだ。

 俺は通気口の蓋を音が鳴らないようにゆっくり外す。そして、通気口から部屋へと飛び降りた。

 部屋を見渡す。防犯カメラはない。侵入者を撃退するような仕掛けもなさそうだ。至って普通の部屋。普通と言っても金持ちの普通の部屋だ。高級品が棚に飾られ、ベットはふかふか。羨ましいものばかりだ。

 ドアに駆け寄る。そして、ドアをゆっくり少しだけ開けて、廊下を見る。視線の先にはエレンさんの部屋がある。

 ……誰もいない。いや、一匹居る。ガルイさんとエレンさんの飼い猫のソラがエレンさんの部屋の前をうろついている。

「猫が居るよ。どうする?」

 身体の中に居るリリアが言った。

「ちょっと待って」

 行くべきか。いや、行って、ソラに鳴かれたらどうする。でも、チャンスは今しかないように思える。……行くか……いや、行かない。あーどうすればいい。

 もう、いい。決めた。行く。鳴かれたら、その時にどうにかすればいい。

「このまま行こう」

「本当に?」

「本当」

 俺はドアを開けて、エレンさんの部屋の前に行った。

 ソラは俺を見つめてきた。……動けない。でも、動かないと。それにしても、やけに堂々としている。

「……鳴かないでね」

 俺は屈んで、小声で言った。すると、ソラは俺の肩に飛び乗ってきた。

「お、ふう……」

 突然の事で叫びそうになった。しかし、瞬時に口を抑えて対処した。

 ……危なかった。もう少しで今までの努力が水の泡になるところだった。

「だ、大丈夫?」

 身体の中に居るリリアが訊ねてきた。

「う、うん。大丈夫みたい」

「そ、それならいいんだけど」

 俺はソラを肩に乗せたまま立ち上がった。ソラを降ろして、何かされるよりもこのまま肩に乗せている方が安心なような気がする。

 俺はエレンさんの部屋のドアのドアノブを回して、開けた。そして、部屋の中に入った。

 部屋の中に入ってからすぐにドアの施錠を閉めた。もし、誰か来たら危険だ。

 部屋中を見渡す。

 ……なんと言うか、普通だ。本棚やテーブルやパソコンデスクがある。そして、ガルイ市長とエレンさんとソラが映る写真が何枚か戸棚に飾られている。

 ジャルト・デアボロが普段この部屋を使っているならもう少し荒れていてもおかしくないはず。でも、全く荒れていない。……なぜだ。

「……なんだか全然怪しくないね。この部屋全く使ってないみたい」

 身体の中に居るリリアが言った。同意見だ。

「だよな」

 ソラが肩から降りた。そして、本棚へ向かう。

「おい、頼むから動かないでくれよ」

 ソラは本棚の前で止まり、振り向いた。

「こっちに来いって事か」

 ソラは頷いた。

「人間の言葉が理解出来るのか」

「賢い猫だね」

「……そうだな」

 俺は本棚の前に行った。何の変哲もない本棚だ。

 ソラは同じ場所で何度も跳ね始めた。それは何かを伝えようとしているように思える。

 俺はソラが飛び跳ねている場所の棚に置かれている本に視線を送る。

 ……あれ、この本だけ背表紙が赤い。他の本は黒なのに。もしかしたら、この本に何かが書かれているのかもしれない。

「この本を取ればいいんだな」

 ソラは飛び跳ねるのを止めた。そして、頷く。

 俺は赤い本を手に取った。すると、本棚が移動して、目の前にドアが現れた。

「……隠し扉」

「……映画みたい」

 身体の中に居るリリアは言った。

 ……この猫は一体なんなんだ。人の言葉をしっかりと理解して返事をする。まるで人間みたいだ。……ちょっと待って。もしかして……いや、そうに違いない。

「も、もしかして、エレンさんですか?」

 俺はソラに訊ねた。

 ソラは頷いた。エレンさんの魂はソラの中に居る。

「やっぱり」

「どう言う事なの?」

「説明するより行動した方がいい。リリア、ソラに一度入ってみてくれないか」

「う、うん」

 俺は目を閉じた。その瞬間、身体からリリアが抜けていく感じがした。

 数秒後、リリアが身体の中に戻って来た。

「エレンさんが居た。でも、なんで分かったの?」

「二つの違和感がソラの身体にエレンさんが居たら筋が通ると思ったからだよ」

「二つの違和感?」

「一つ目はエレンさんの身体に居るジャルト・デアボロにソラを渡そうとした時、ソラが自分から戻らなかった事。普通、飼い主に飛びつくはずだ。でも、戻らなかった。それはエレンさんの身体にはジャルト・デアボロが居ると言う事を教えていてくれていたんだ。二つ目は夫婦の大事な指輪をネックレスにして飼い猫の首にかけている事。これはエレンさんがソラの身体の中に居るならおかしくはならない」

「た、たしかに」

 リリアは納得したようだ。

「エレンさん。絶対に身体に戻してみせます。だから。あともう少し我慢してください」

 俺は屈んで、ソラの身体の中に居るエレンさんに向かって言った。

 ソラは頷いた。そして、ソラは俺の肩に飛び乗ってきた。

「じゃあ、行きましょう」

 俺は立ち上がり、ドアを開けた。

 ドアの奥には両側に2部屋ずつ、突き当たりに一部屋、合計五部屋があった。

 全ての部屋のドアは鉄で出来ていて頑丈そうだ。

 俺は手前の右側の部屋のドアを恐る恐る開けた。

 部屋の中には大量の改造死体がクリアケースの中に飾られていた。

……悪趣味だ。吐き気がする。生物を愚弄している。

「……酷いね」

 リリアはボソッと言った。

「そうだな。ジャルト・デアボロの身体はあるか?」

「……うーん、ないね」

「そっか。じゃあ、次の部屋に行こっか」

「うん。そうしよう。こんな部屋に長居したくないし」

「そうだよな。じゃあ、行こう」

 俺達は今居る部屋の正面の部屋に向かった。

 ドアを開けて、中に入ると今さっきと同じく改造死体ばかりが飾られている。

 このコレクションの為にどれほどの人間や動物が犠牲になったのだろう。想像するだけで腹が立つ。そして、胸が痛くなる。

「ここにもない。次の部屋に行こう。なんだか、泣きそうになるから」

 リリアは声を震わせて言った。

「そうだよな。行こう」

 俺達は突き当たりの部屋以外の残りの二部屋を同じように確認した。どちらの部屋にもジャルト・デアボロの身体はなかった。あったのは、忌々しい改造死体のみ。

「……あとはここだけだな」

「そうだね」

 俺は突き当たりの部屋のドアを開けた。

 部屋の中は今までとは違い研究室みたいだ。パソコンや資料棚がある。パソコンデスクの上には資料が入ったファイルが置かれている。それに大型の試験管が一つ置かれている。試験管の中には大柄な男の身体の裸体が培養液に浸かっている。試験管の下には大量のケーブルが接続されている。この身体だけ改造死体とは扱いが違う。

「……これよ。この身体がジャルト・デアボロの身体よ」

 リリアは言った。

「そうか。これがジャルト・デアボロの身体か」

「ようやく見つけた。どう運ぶ」

「……そうだな」

 ジャルト・デアボロの身体は思った以上に大きかった。ゆうに2mは超えている。このまま運べば誰かに気づかれてしまう。どうする。どうすればいい。

 肩からソラの身体に入ったエレンさんが降りた。そして、エレンさんの部屋に向かう。

「エレンさん、何かいい方法でも思いついたのかな?」

 リリアは言った。

「そうかもしれない。着いて行こう」

 俺達はエレンさんの部屋に戻った。

 ソラの身体に入っているエレンさんはひょいひょいと飛び跳ねて、パソコンデスクの上に乗った。そして、パソコンを起動させた。

「……パソコン。何をすればいいんだ」

 ソラの身体に入っているエレンさんは身体を上手く使ってマウスを動かした。そして、メールの項目をパソコンの画面に表示させた。

「メールか」

「そう言う事か。ボーさんにメールを送ればいいんだよ」

 リリアは閃いた。

 ソラの身体に入っているエレンさんは頷いた。

「なるほど。ボーさんなら怪しまれずに色々動けるもんな」

 俺はパソコンを操作して、ボーさんに「ジャルト・デアボロの身体を発見しました。頼みたい事があるので、エレンさんの部屋に来てください」と、メールを送った。

――10分程経った。

 足音が外から聞こえる。足音はどんどん近づいて来る。そして、俺達が居る部屋の前で止まった。

 誰かがドアをノックする。

 俺達は音が出ないようにゆっくりとドアに近づく。

 また誰かがドアをノックする。

「ボーです。ジェイムさん。中に入れてもらってよろしいでしょうか?」

「分かりました。ドアを開けます」

 俺はドアを開けた。外に居たのはボーさんだった。

 ボーさんは周りを気にしながら部屋の中に入った。

「……ジャルト・デアボロの身体は見つかったんですか?」

「はい。見つかりました」

「どこですか?」

「この部屋の奥です」

 俺はボーさんをジャルト・デアボロの身体がある部屋に誘導した。

「こ、これがジャルト・デアボロですか」

 ボーさんは試験管に入っているジャルト・デアボロの身体を見て、驚いている。

「はい」

「それでお願いとは何ですか?」

「この身体を僕がステージに入場する時の入り口に運んでほしいんです」

「……この巨体をですか?」

 ボーさんは険しい表情をしている。

 険しい顔するのは仕方がない。俺もこの身体を運んでくれと言われたら、どうすればいいか悩む。

「はい。無理ですかね?」

「……ちょっと待ってくださいね。考えます」

「お願いします」

 ボーさんは腕を組みながら考え始めた。

「私達も考えよう」 

 身体の中に居るリリアが言ってきた。

「それもそうだな」

 俺とリリアはどうすればこの巨体を地下に運べるか考え始める。さすがにボーさんにだけ考えさせるのは申し訳ない。

 ……しかし、いい案が全く思いつかない。怪しまれずに運ぶ方法。どんな案を考えても、怪しまれる気がする。

「あ、いい案を思いつきました」

 ボーさんは突然言葉を発した。

「ほ、本当ですか?」

「改造死体と同じように運びます。従業員専用のエレベーターがここにもございますので」

「怪しまれずに運べますか?」

「はい。きっと、大丈夫です。この時間帯は誰もあのエレベーター付近には居ません。もし、居たら気絶させます」

 ボーさんはさらっとえげつない事を口にした。

 もしかしたら、この人は怒らせたら危険な人なのかもしれない。

「じゃあ、それでお願いします」

「承知しました。それでは早速準備を始めていいですか?」

「ちょっと待ってください」

 俺は部屋から出ようとしたボーさんを呼び止めた。

「何でしょうか?」

「この猫の中にエレンさんの魂が入ってます」

「本当ですか?」

「はい。リリアに確かめてもらいました。なので、この猫を……いや、エレンさんを守ってください」

「……分かりました。全力で守ります」

 ソラの身体の中に居るエレンさんはボーさんの元へ向かう。

 ボーさんはソラを抱き抱えた。

「それじゃ、頼みます。俺達は来た道を戻りますから」

「了解しました」

 ボーさんは走り出した。そして、少し走って、立ち止まって、振り向いた。

「どうかしました?」

「頑張ってください。どうか、お二人をお助けください」

「はい。必ず」

「……では失礼します」

 ボーさんはソラを抱き抱えながら去って行った。

「頑張らないとね」

 身体の中に居るリリアが言った。

「そうだな」

 あともう少しなんだ。あともう少し頑張れば色んな人が助かる。絶対に勝つんだ。

 俺達は地下に戻る為に部屋をあとにした。

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